にょたるふるいち。
水着買いました。。


 ビニル袋から取り出した水着を前に、古市は眉間に皺を寄せ難しい顔で考え込んでいた。
 床の上に置いたのは、古市が今まで買ったこともないビキニタイプの水着だ。しかもかなり布地が少ない。ブラトップの方は肩紐も背中で結ぶ紐も細くて、すぐにほどけたり切れたりしそうだ。
 黒地に金色の縁取りのそれの胸の谷間には揺れるチャームがついていて、高校生なんかが着るものじゃない。もっと年上のお姉さまがたが着るようなセクシーな水着は、ヒルダや美咲に似合いそうだ。
 間違っても古市には似合わない。
 これを買う時には、とにかく適当に何か掴んで早く店を出たかったので、よく見ていなかったのだけれど、多分、古市の前に手に取った誰かが元の場所に戻さなかったのだろう。
 だってサイズ別に並んでいた水着コーナーのAカップのところから古市はこれを持ってきたのに、明らかにこのブラトップはAカップなんかではない。少ない布地でもそれは解る。Cか、下手したらDくらいあるんじゃないだろうか。床に置いてもこんもりと盛り上がるカップに、古市はがくりと肩を落とす。
 クラスみんなで海に遊びに行こうと言う話に盛り上がり、千秋や梓と一緒に水着を買いに行ったのは良かったのだが、二人の思いがけない発育の良さに打ちのめされ、古市はろくに水着を選ぶこともできなかったのだ。
 だって服の上から見ていたらあまり盛り上がりのない千秋の胸も、梓の胸も、水着を試着するために脱いだらすごかった。あの二人は確実にCカップで、実はブラジャーをしてもしなくても同じような古市とはまるで違った。
 だから恥ずかしくて一緒に試着室に入れなかった。
 ちっちゃいね、と笑われるのが嫌だった。
 二人が試着をしている間に買ったこれを、あの二人は知らないから、またもう一度お店に行って交換してこればいい。
 でもひょっとしたらもしかして万が一、着られるかもしれない。
 古市はそんな気持ちでセクシーなブラトップを試着しようとしていた。
 試着するだけならタダだしっ、と自分に言い聞かせ、がばっとTシャツを脱ぐ。起きてからずっとそのままの恰好だったのでブラジャーもしていない。上半身だけすっぽんぽんになった古市がセクシーなブラトップを持ち上げた時、前触れもなく部屋のドアがガチャッと開いた。
「うおーい、古市、テメーいつまで寝て」
「ぎゃあああああああ!」
 ノックもなしにドアを開けたのは男鹿だ。相変わらず変な文字Tシャツを着て、眠そうな顔をしている。それが上半身裸でいる古市を見ると、ちょっと目を丸くした。
「なんだよ、着替えてんならそー言えよ。いきなりでかい声出すなって。びっくりすんだろ」
 男鹿はそう言いながら、あろうことか部屋に入ってきて、古市のベッドにどかっと腰を下した。
「いやいやいやつ、お前なに勝手に入ってきてんのッ? あたし今裸なんだけどっ! 空気読んで出てけって!」
 古市が慌ててTシャツで胸を隠すと、あー、と男鹿は面倒くさそうな顔をする。
「別に隠すほどのもんでもねーだろ、あるかないか解んねーんだから」
 ごろりとベッドに寝転がり、置いてあったごはん君の新刊を手に取る。お、これ読んでねぇな、と呟く男鹿の言葉に、古市はぐっと息を飲んだ。
 男鹿の様子はまるで悪びれもない。
 男鹿の容赦ない一言に古市が傷付いたことなんて、まったく気付いていない。
 それでも古市はなんとか喚き出したくなる気持ちを抑え込んだ。男鹿の幼馴染として十年以上を過ごしてきたのだ。男鹿が無神経で考えなしで女心がさっぱり解らない朴念仁だと言うことは解っている。
 だから男鹿の言葉なんて気にしちゃいけない。
 Tシャツで胸を隠したままそう何度も思い込ませ、古市は頬を引きつらせながらもベッドの上で、あひゃあひゃと笑いながらごはん君を読んでいる男鹿を見上げた。
「あ、あのさ、男鹿。着替えてんだからちょっと外出ててよ。すぐに着替えるしさ」
「えー、外出んのメンドイだろ。俺は気にしねぇから着替えりゃいいじゃん」
「あんたは気にしないかもだけどあたしは気にすんの! いいから出てってよッ!」
 男鹿のあまりの無神経っぷりに、さすがの古市も怒りが抑えきれない。手近にあったものを思わず投げつけたが、男鹿は軽々とそれを片手で受け止め、ん、と投げつけられたものに眉を寄せた。
 男鹿がまじまじと見つめているのは、黒のブラトップだ。古市がうっかり間違って買ってきてしまったもので、即刻返品予定のものだ。破かれたり汚されたりしては返品もできない。
「げっ、し、しまった…! それ返して!」
 慌ててTシャツで胸を押さえながらも手を伸ばすと、ブラトップの肩紐のところを持ってぴろーんと広げた男鹿が眉を寄せた。
「なんだこれ」
「水着だよ! 今度海に行くじゃん。そん時用に買ったの!」
 男鹿は持ち上げが黒のブラトップと古市とを見比べて顔を顰めた。
「……いや、つかお前…これ、でかすぎんだろ」
 古市は、ぐ、と再び喉を鳴らした。怒りを飲み込んでいただけだが、男鹿は古市が言葉に詰まったのは別の意味に捉えたらしい。
「いくら偽乳詰め込むつっても限度あるぞ、古市。ヒルダか、せめて邦枝くらいねーとこれ着れねぇだろ。お前、去年の水着でいーじゃねぇか。学校で着てたやつ。あれのがいいって、絶対」
 な、と言われ、わなわなと震える古市の目からぼろっと涙が零れる。
 去年学校で着ていた水着と言えば、学校指定の黒のワンピースではないか。色気のイの字もなければ、可愛らしさのカの字もない。
 なんのために、誰のために可愛い水着を買おうとしたか解ってんのかっ、と古市はぼろぼろ溢れる涙を止められず思う。
 それもこれも全部、男鹿に可愛いって思ってもらえるようにしたいからなのに。
 目覚めた男鹿への恋心を、情け容赦なくべきべきと折って踏みにじる男に、なんでこんな奴好きになったんだっ、と古市は涙におぼれそうになりながら思う。
「もーっ、うるさいうるさいうるさいっ! 返してよっ!」
 泣いているのを知られたくなくて古市はごしごしと目をこする。男鹿の手から黒のブラトップを奪い返し、ぼろぼろ溢れる涙を止めようとしたが、止まらない。
「何泣いてんだよ。お前の胸がねーのは前から知ってるから気にすんなって。それよかそんな布の少ねーのだと余計に胸がねーのがばれるぞ」
「もぉおおおうるさいうるさいっ! 放っとけよ、言われなくたって似合わないの解ってるよっ! ヒルダさんみたいに胸ないのも知ってるもんっ! わざわざ言わなくてもいいじゃんか、男鹿のばかぁああああ!」
「いってーな、何すんだよ!」
 古市が思い切り殴りつけると男鹿はむっとしたように赤くなった頬を抑える。
「お、おががひどいこと言うからだろっ! 胸ないの、し、知ってるもんっ! あたしだって、解ってるしっ! わざわざ言わなくてもいいだろ、気にしてんのにっ! なのにヒルダさんとかと比べるしっ! ばかばかっ、おがのばかぁああっ!」
 古市はぼろぼろ泣きながら男鹿を殴りつけた。片手では足りず、両手でぼかぼかと殴っていると、男鹿がぽかんと目を丸くする。目を真ん丸にしていたその顔が、みるみる赤くなっていく。なんだよ、と眉を寄せた古市から、顔を真っ赤にした男鹿が顔を背けた。
「なんだよ、なにそれ、なんなの、なんのつもりだよ男鹿!」
 なんでこっち見ないんだよっ、と憤る古市に、男鹿は顔を背けたまま床の辺りを指差した。
「た、頼むから服着てくれ……」
 え、と古市は男鹿が示す床を見おろし、そこにさっきまで胸を隠していたTシャツが落ちていることにようやく気付いた。男鹿を両手で殴るため、Tシャツを手離してしまったらしい。真っ白い腹に、真っ白い胸。ほんのりささやかな膨らみの上に、ぽつんと立ちあがった薄桃色のとんがりがふたつ、何に隠されることもなく晒されている。
「ぎ、ぎゃあぁあああああああああ!」
 ざぁと血の気が引き、古市はTシャツを拾い上げた。飛び退く勢いで男鹿から遠ざかり、胸をTシャツで隠す。顔を真っ赤にしてわなわなと震えていると、なぜか照れたように男鹿が首を傾げた。
「前よりでかくなってんじゃねぇか?」
「え? は、はい? なにが? え、何の話?」
「いや、だから乳の話。一緒に風呂入ってた頃よりはでかくなってんぞ絶対」
 うん、良かったな、古市!
 顔を赤くしながらも、やたらいい笑顔できらきらと笑う男鹿に、古市は手近にあった辞書をぶん投げた。思い切り投げつけたそれは過たず男鹿の顔面にヒットする。
「いつの頃と比べてんだばかぁああああああっ!」
 わぁわぁと大声で泣き喚く古市の騒々しい声を聞きながら、辞書の角に強打され遠退く意識の中で、小学生の頃、と言っちゃまずいんだろうな、とさしもの男鹿も学習していた。



古市ちゃんは貧乳。これは譲れないぜ。
男鹿とは小学校低学年まで一緒にお風呂入ってたっぽい。高校に入ってようやく恋に気付いたっぽい。そして自分の貧乳に愕然としたっぽい。
男鹿は古市ちゃんのこと女として意識してないよーで実はしてる、みたいな?
古市ちゃんに彼氏ができたらすげー動揺して挙動不審になりそうだなぁ。彼氏に喧嘩売りそう。で、古市ちゃんに泣かれて、ごめんってしょぼんとしてればいいよ。