ふるにゃんの場合
※時間軸は適当です。思いついた順番です。




 まぁ食べてみろと渡された飴をなぜ素直に食べたのか、と古市は溜息を吐いた。
 口の両脇にびよんと伸びたひげが溜息に揺れ、落胆っぷりを示すように尻尾は自分の意志と反しぱたんぱたんと床を打っている。
「うーむ……これは…」
「なんつーかこれは…」
 真剣な顔で顎に手を当て見下ろすヒルダも、頬がくっつきそうなほどヒルダと顔を寄せてこちらを見下ろす男鹿の顔も、古市にはいつもより数倍大きく感じる。
 なんなんだよ、と言おうとして開いた古市の唇は、にゃあ、と可愛らしい声を上げた。自分の声の可愛らしさと頼りなさにイラッときた古市はぱしっと尻尾を床に打ち付ける。その尻尾の先と、きちんと揃えた足の先は黒い。
「青い目に灰色の毛並み………猫図鑑によればロシアンブルーとか言う猫になるはずだったのだが……」
「おい、なんで全身灰色なのに、尻尾と足の先だけ黒いんだよ。その図鑑の猫は全部灰色じゃねーか」
「おそらくはこうなるはずだったのだろうが……猫飴を服用したのが古市だったのがまずかったのか。相変わらず残念なガッカリスキルだな」
 それきり古市には興味をなくしたように、他はどんな猫の種類がいるのかとヒルダは図鑑を捲り始める。
 あんたのせいでしょーがっ、と叫ぶ古市の声はなあーうっと甘えたような猫の鳴き声だ。
 当然だ。ヒルダにもらった飴を食べたら突然猫になってしまったのだから。
 いつ元に戻るのかも解らず、みゃあみゃあと鳴きうろうろする古市を、うるさい、とヒルダは邪険にする。しょんぼりと落ち込んだ古市は、腹の毛はどうなってんだ、と男鹿の大きな手に首根っこを掴まれ、ふぎゃっと声を上げる。
 離せ馬鹿男鹿何すんだよ苦しいだろっ。
 にゃーにゃーっと叫んでみても毛を逆立てて怒ってみても、男鹿の手からは逃れられない。
「おっ、古市。俺様に抱っこされて嬉しいのか? よし、高い高いしてやる!」
 思い切り天井に向かって放り投げられ、古市はぞわっと両手両足を突っ張り身体中の毛を逆立てた。
 みゃああああああっ、と上げた悲鳴でさすがの男鹿も古市が嫌がっているのは解ったようだ。落ちてきた古市を受け止め、なんだ怖かったのか、と逆立った毛を撫でてくれる。その手は優しく、古市は思わず男鹿の手に頭を摺り寄せた自分を呪い殺したくなった。
「お、なんだ古市。お前可愛いな」
 へらへらと笑う男鹿の手に爪を立てるも、頑丈な男はびくともしない。よしよしと顎の下をくすぐられ、ごろごろと喉を慣らす。
 別に可愛いなんて言われて嬉しいわけじゃないからなっ、と言い訳しながらも、頭を撫でる男鹿の手にやっぱり顔を押し付けてしまう古市だった。







 ベル坊の砂遊びに強制参加させられたおかげで、古市は歩くたびに身体から砂がはらはらとこぼれ落ちて行くに気付いていた。
 このまま家に上がっては部屋中砂だらけになってしまうなと玄関先でぶるりと身体を震わせてあらかた落としたものの、やはり毛の奥に入り込んでしまった砂はなかなか取れない。
 風呂入りたいなぁ、と古市はちらりと男鹿を見上げるが、男鹿はうまそうに牛乳を飲んでいてちっとも古市の視線に気付いていない。
 気付けよ、と恨みがましい目で見上げていたが、男鹿はまったく気付く気配もない。牛乳を飲み、テーブルの上に合ったドーナツを食べ、あだーっとミルクを要求するベル坊にドーナツを渡している。見当違いもいいところだ。ベル坊は今ドーナツじゃなくてミルクを欲しがってるんだ。
 思わず口を出すと、にゃああ、と開いた口からは鳴き声が飛び出す。
 それでようやく男鹿も古市の存在に気付き、振り返って、お、と笑う。
「悪い古市、お前も牛乳飲むか?」
 大きな手が頭を撫で、違う、と古市は頭に乗っかった手を振り払おうと爪を立てる。だが男鹿は気にせず、古市の頭をがしがしと撫で、小皿に少し牛乳を入れた。
「ほらよ。足りなかったら言えよ、また入れるからな。あー…そろそろベル坊もミルクの時間だよな。ちょっと待ってろよ」
 男鹿はようやくベル坊のミルクを作り始め、ドーナツをかじっていたベル坊も満足そうな顔をしている。
 古市は小皿に注がれた牛乳を見おろし、風呂に入りたいんだけどなぁ、と思いながらも舌を出す。ぺろぺろと、猫特有のざらついた舌で牛乳をすくいあげ口に含むと、思いがけず乾いていた喉に牛乳の甘さが染み渡る。
 うまいな、と思わずベル坊に話しかけるが、口から出る声はやっぱり、にゃあ、だ。けれどベル坊はドーナツをかじりながら、だぁ、と頷く。食べるかと差し出されたドーナツを少し齧り、古市はベル坊の柔らかな太腿に頭を押し付ける。
 ぱらぱらと砂が落ち古市はくしゃみをする。
 いつもよりうんと大きく感じるベル坊のてのひらが、古市の背中をぽんぽんと撫でる。まぁそのうち風呂に入れてもらえるから気長に待とうぜ、とベル坊が言っていたかどうかは定かではないが、なんとなく慰められた気分だ。
 古市は、ありがとな、とベル坊の頬を舐め、それからまた牛乳の注がれた小皿へと首を曲げた。






 にゃあと鳴いて男鹿の気を引こうとしたが、男鹿はごはん君を読むのに夢中で、うんと生返事を返すばかりだ。
 古市はむーっと唸った後、男鹿の手にどすんと飛び乗った。
 なにすんだと男鹿が怒った声をあげるが知ったこっちゃない。
 構わないお前が悪いんだとあぐらをかいた男鹿の膝の上でぐるぐると回る。
 位置が定まると古市はどすんと座り丸くなる。
 長いしっぽでぱしんぱしんと男鹿の太股を叩くと、ははっと男鹿が笑う。
 大きな手が頭を撫で、古市、お前可愛いなー、と背中も撫でる。
 古市は男鹿の膝の上で目を閉じ、男鹿の手が頭や背を撫でる心地よさに喉を鳴らした。






 ちりん、と可愛らしい音を立てる鈴のついた首輪を古市の首に着ける。灰色の身体には何色がいいかと散々悩んで、古市らしいと言う理由だけで白い首輪を選んだ。少しパールがかった鈴が、手の中でちりんと鳴る。
 大きな目が男鹿を見上げ、みぃ、と鳴いた。少し首を傾げたその姿は可愛らしいけれど、いつになったら元に戻るんだろう。本来なら一日くらいで人間の姿に戻るはずのネコネコの飴は、なぜか一向に効力を失わない。
 そろそろ、煩いくらいに騒ぎ立てる古市の声が聴きたい。
 おが、と呼んで笑う古市の顔が見たい。
 けれどそんなことを、猫になったとは言え間違いなく古市であるこの猫の前で言ってはいけないことくらい、男鹿も解っている。
 古市だって食べたくて食べたわけでも、猫になりたくて猫になったわけでもないのだし、現状に一番苛立っているのは古市のはずなのだ。男鹿は古市にこれ以上心配をさせないように、にかっと笑って小さな頭を撫でる。
「よし、似合うぞ古市!」
 なぁ、と男鹿のてのひらに古市の頭が擦り寄る。身体を伸ばし、首輪をつけたばかりの首をこすりつけている。やはり首輪なんて違和感があって嫌なのだろう。けれど美咲は野良猫と間違えられないようにつけておいた方がいいと言うし、万が一古市が迷子になっても首輪さえついていれば探すときに見つけやすい。何か解るようにしておかなければ、派手な銀色の髪を目印に探すわけにもいかないのだから。
 早く元に戻してやるからな、と男鹿は言葉にせず、ちりんと可愛らしい音を立てる鈴を指先で掬う。顎の下を撫でられ、古市は目を細め、なぁうと鳴いた。






 ちりんと顎の下で鈴が鳴る。音に敏感な猫の耳にもうるさくない軽く小さな音とともに、これでよし、と男鹿の声が聞こえる。顔を上げると、思いの他、真剣な顔をした男鹿がじっと古市を見下ろしていた。
 男鹿が古市にと買ってきたのは白い首輪で、鈴の部分はパールがかっている。とても綺麗な白色の首輪に、汚しそうで怖いなぁ、と古市は思ったのだが、男鹿はペットショップの袋からそれを取り出しタグを外しながら、やっぱ赤の方が目立ったかな、とぼやいていた。
 男鹿の指が細い首輪を掴み、古市の首に触れる。前から後ろへとするりと動く指先が首輪を残して行く。指先で顎をくすぐり、鈴をちりんと鳴らし、男鹿はじっと古市を見下ろしていた。
 ありがと、と言うと、口からは、みぃ、と小さな声が漏れる。
 見上げた先では男鹿がなんとも言えない顔をしている。
 なんだか妙に泣きそうなその顔に、あれ、と古市は首を傾げた。もしかして何か落ち込んでんのかな、と頭を働かせる。赤い方が良かったかもと呟いていたので、ペットショップで首輪を買う時に散々白と赤で悩んだのかもしれない。結局白を買ってきたけれど、灰色の古市の身体にはあまり似合わなかったのかもしれない。じっと見ていると、男鹿は無理矢理とってつけたように、にかっと笑った。
「よし、似合うぞ古市!」
 似合ってねーんだな、解ってるぞ、と古市は男鹿の手に頭を擦り付ける。
 そんなお世辞なんて言わなくていいっつの。俺、色はあんま気にしねぇし、野良じゃないって解ればいいだけなんだから。
 それでも男鹿はやっぱり落ち込んだような顔で、古市の顎の下をくすぐり、鈴をちりんと鳴らす。古市はごろごろと喉を慣らし、いい音だな、と目を細めた。





 これを食べれば元の人間に戻れるぞ、と差し出された青い飴を、古市はじっと見下ろした。
 食べれば戻ると言われ一瞬ためらったのは、猫の古市を文字通り猫かわいがりする男鹿を思い出したからだ。
 抱き上げて頬摺りをして、昨日なんて首輪を買ってきた。白い首輪を古市の首にまきつけ、似合うぞと笑っていた。
 それがたった一日で首輪の必要もなくなったと知ればがっかりするんじゃないだろうか。それに古市もいつになく男鹿に甘やかされることに心地よさを覚えてもいた。
 もうちょっと後でもいいかなー…と見上げるとヒルダはハンッと鼻で笑い、このバカップルどもが、と吐き捨てるように言う。
 違いますよ、バカップルじゃないですよ、俺はただもうちょっと男鹿に甘やかしてほしいかなーって思っただけで! あと男鹿も猫可愛がってるし急にいなくなったらがっかりするんじゃないかなーって!
 にゃーにゃー叫ぶ古市の首根っこを掴みヒルダはがらりと窓を開ける。
 カラスにでも食われてしまえ、と放り出された古市は、猫回転しながら、ヒルダさんのアホー!とにゃーっと叫ぶ。 何だとと仕込み刀を抜くヒルダから逃れようと走り出した古市は、ベル坊をつれて帰ってきた男鹿の足下に逃げ込み、ヒルダさんがひでーんだ、と訴えにゃうにゃうと体をすり寄せる。
 男鹿は古市を抱き上げると目を細めて、なんだよ一人で放っておかれて寂しかったんかよ、と笑う。
 古市は喉をごろごろ鳴らし、うんもうそれでいいから甘やかして、と男鹿の頬をぺろりと舐め、頬をすり寄せた。








にゃんこ、にゃんこらぶ…もふもふしたい。
にゃんこ萌えがとどまりません。