また新しい夏が近付いた日。
高校卒業して十年くらいたったおがふる。
築三十年以上のアパートで同棲しています。くろまめとおもちという二匹の猫を飼っています。


 アパート近くの商店街を歩いていた古市は、ちりんちりんと後ろから聞こえた自転車のベルに振り返ると、作業着の上着を前かごに突っ込んだ男鹿がぎこぎこと古い自転車をこいでいた。
「おかえり」
 足を止めて近付くのを待ちそう声をかけると、おー、と男鹿が嬉しそうに笑う。じめっと湿度の高い暑さのせいか、男鹿は半袖のTシャツ姿だ。
「今日は早いんだな」
 男鹿が自転車で商店街にいると言うことは、今日はもう仕事が終わったと言うことだ。携帯電話の時計を見れば六時三十分を表示している。不況だと言う割に男鹿の勤める工場は忙しいようで、いつも帰りは八時を回っている。
「おう、暑くてやってらんねーから帰ってきた」
「マジかよ」
 思わず笑うと、ちょっと嘘、と男鹿も笑う。
「社長が商店街の旅行に明日から出かけっから、準備するし帰れって」
「それもマジか。そんなんで仕事切り上げられんのかよ」
「おっちゃんらも行くからな」
「ああ、なるほど……」
 おっちゃんらと言うのは男鹿の勤める工場の、いわば先輩たちだ。四十、五十代の先輩たちを、男鹿は他愛なくおっちゃんらと一括りにしてしまう。幾度となく古市も顔を合わせていたおっちゃんらも出かけると言うのなら、確かに工場も早終いになっておかしくない。おっちゃんらが動かす機械の大半を、男鹿も動かせるようにはなってきたけれど、それもすべてと言うわけではないのだ。それに一人ではできない作業もたくさんある。おっちゃんらが休むと言うのなら、自動的に男鹿だって休みになる。
「古市こそ早いだろ」
「サマータイムだからな。向こうだってみんなもう帰ってるしな」
 古市は大学を卒業してから、輸入雑貨を取り扱う会社で働いていた。海外とのやり取りが多くなる分、男鹿がおっちゃんらの都合に合わせるように、古市も相手の都合に合わせて仕事をすることが多いのだ。
「サマータイム…っつーのは、あれか、夏休み」
「それはサマーバケーション。一時間早く出社してんだよ」
「なんでだ?」
「その分早く帰れるだろ。ほら、夏は日が長いから」
「ふーん……」
 解ったような、解っていないような顔をした男鹿が唸り、多分解ってねーな、と古市は笑う。
「スーパーに買い物行こうと思ってたんだよ。乗っけてって」
 男鹿の返事を聞く前に荷台を跨ぐ。男鹿の腹に手を回すと、何買うんだ、と言いながら男鹿はゆっくりと自転車をこぎはじめた。夕暮れの商店街をのんびりと進む二人乗りの自転車の前と後ろで声を張り上げる。
「今日の飯! と、あと、まめもちの餌! 牛乳と卵も!」
「米はー?」
「荷物持ちができたから買う!」
 ぎしぎしと古い自転車を軋ませながら商店街から少し離れたスーパーへ行く。基本的な買い物は商店街で済ませる古市だけれど、猫の餌はスーパーでないと買えないのだ。厳密にいうとスーパーに併設されているドラッグストアだ。そこまで行くのなら他の買い物もスーパーで済ませてしまおうと、籠を持つと、すぐにそれを男鹿に取り上げられた。男鹿はカートを押していて、その上に籠を乗せる。
「カートなんていらねぇだろ」
「米買うんじゃねぇのかよ」
「あ、そうだった」
 牛乳パックを掴んでカゴに入れ、ヨーグルトも入れる。
「今日の晩飯なんだ?」
「何食いたい? なんも決まってねーんだよ」
「なんでもいい」
「それが一番困る」
 言い合いながらぐるりとスーパーの中を巡り、古市は豚肉が安いからとバラ肉を買った。もやしと一緒に炒めてスタミナ丼にしてやるよ、と言うと、男鹿は嬉しそうに、あれ好きだ、と笑う。野菜が不足しがちなので野菜ジュースも買って、おひたしにしようと小松菜も買った。安い食材を適当に買い込み、米も忘れずにカートの下の段に押し込む。
 夕暮れ時で混み合うレジに並び、古市がお金を払っている間に男鹿が清算の済んだカゴを持って移動している。さっさと袋詰めを始めた男鹿の隣に並び、レシートを眺めて古市は溜息を吐いた。
「やっぱ米高ェよなぁ…」
「仕方ねぇだろ、パンばっかじゃ腹膨れねぇし」
「他で切り詰めるかな」
「そんなカリカリ節約しなきゃなんねーほど稼ぎ悪くねぇはずだぞ」
「もしもの時に蓄えとくんだよ。そうしろって美咲さんも言ってたし」
 財布を鞄にしまい、男鹿を手伝って荷物をまとめる。ビニル袋に乾物とそれ以外とを分けて入れ、再びカートに乗せた。どうせ米を入口に運ばなければならないのだし、ドラッグストアに行かなければならないのだ。カゴもそのまま乗せてドラッグストアに行き、二匹の猫のお気に入りのキャットフードを買う。新商品と言う文字に踊らされてちょっと高級な缶詰を買おうと思ったけれど、それで味を占められても困ると結局やめた。
 レジに向かう途中で、あ、と男鹿が足を止める。
「風呂の洗剤切れてんじゃなかったっけか」
「あ、そだ。すげーな、お前良く覚えてるな。男鹿のくせに」
「おう、もっと褒めたまえよ、古市くん」
「トイレットペーパーと洗剤も買っとくかなー」
 荷物持ちがいると助かるなー、と日用品を買い込むと結構な量になった。
 自転車の荷台に米とキャットフードを乗せて括りつけ、前カゴに洗剤や食材を入れる。入りきらなかったものは古市が持って、ようやく陽の落ちかけた道を歩く。
「ちょっと涼しくなってきたかな?」
 そよと首筋を撫でた風に目を細めると、まだ暑ィだろ、と男鹿が顔を顰めた。
「工場なんて地獄だぞ。機械が熱ィし、エアコンねーし」
「まぁ仕方ねぇよな。事務所はエアコンあるんだろ?」
「あー…まぁあるっちゃあるけどよ……今年は節電とかって、設定温度高いんだよな……すげー涼しいってわけじゃねぇんだよ」
「ああ…そりゃ仕方ねぇだろ。あ、うちのエアコンどーする? あの超年代物。すげー音してるけど」
 夜になって寝入り端にはどうしても耳につくエアコンの稼働音を思い出して尋ねると、あー、と男鹿は眉を寄せる。
「あれ、結構ボロいだろ。新しいの、買うか? そん時のための蓄えだろ」
「エアコンっていくらくらいするんだろな」
「帰り、電気屋見て行こうぜ」
「商店街のとこは高いって。駅前のでっかいとこのがいいだろ」
「そんじゃ休みに見に行くか。古市、お前、土曜日仕事休みか?」
「いや、あるけど、午前中で片付くはず」
「そんじゃ出る時連絡しろよ。駅で待ち合わせしようぜ」
 ん、と頷く古市は、自転車を押す男鹿の隣に並んで歩く。手から下げたビニル袋がわさわさと音を立てる。
 男鹿との同居を始めて、もう何年たったのだろう。古市は指折り数えようとしてやめた。何年たっても、こうして並んで歩けることはただ純粋に嬉しい。
 どうした、と眉を寄せる男鹿に首を振り、エアコン、いいのあるといいな、と古市は笑って見せた。



あおめかんさんへ!
スーパーで袋詰めするおがふるだよ! ついでに自転車二人乗りもやらかしてやったわ。ふははは。
相変わらず所帯じみててごめんね。