背中へのキスは確認のキス
おがふるキス企画 お題「背中」


 理由もなくぽかりと目を覚ました。あれ、ここどこだっけ、と寝起きにしては嫌にすっきりとしている目を瞬き、辺りを見渡す。数秒とかかることなく窓のカーテンで、ああ男鹿の部屋か、と思い当った。
 窓は薄く開き、青いカーテンが風にそよいでいる。部屋は月明かりに照らされて意外と明るい。揺れるカーテンは端に寄せられ、カーテンの役割を果たしていない。あれ、いつからカーテン引いてなかったんだろう、と古市は眉を寄せた。
 ことに及んだのはまだ昼過ぎだったからカーテンは開いていた。そもそも男鹿がカーテンを閉めようなんて配慮をするわけもなく、それを確認するのは古市の役割だったのだけれど、今日ばかりはタガが外れてしまったのだ。
 男鹿と肌を合わせたのが久しぶりで、それどころかキスをしたのすらも久しぶりだった。
 焔王と彼が率いるベヘモット柱師団が大挙して人間界に訪れ、悪魔野学園なんてふざけたものを作り上げた。それに対抗するために男鹿は修行だと言ってどこかの島へ邦枝だとラミアとともに出かけ、帰ってきたと思ったら息吐く暇なく悪魔野学園に殴り込みだ。
 死闘を繰り広げ、柱師団の事実上のトップのジャバウォックを倒し、人質に取られていたヒルダを取り戻した。昏々と眠り続けるヒルダの容体が解らず、そう言った雰囲気にはならず、そしてヒルダが目を覚ましたら今度は記憶喪失だ。
 しかも、男鹿を自分の本当の夫だと思い込んでいた。
 男鹿を辰巳さんと呼んでべったりと張り付くヒルダが側にいるのに、何をどうしたらキスやハグや、あまつさえセックスにまでなだれ込めると言うのか。
 ヒルダが記憶を取り戻してからも、なんだかんだとバタバタしていて、結局二人きりになれる時間なんてなかった。そしてようやく今朝、というよりももう昨日の朝になるのだろうか。学校に行こうと迎えにきた古市に、男鹿がやたら上機嫌で言ったのだ。
「古市、今日うちに泊まれよ。おふくろと親父が親戚んちの法事で出かけるっつーし、姉貴も泊まりでどっか行くっつーし……いいだろ?」
 最後に含みを持って潜められた声に、あ、うん、と古市は頷いた。
 つまり、家には誰もいなくなるからセックスをしようと言うのだ。この際、ベル坊とヒルダは数に入れない。彼女にベル坊を預けてしまえばいいわけで、実際、一緒に登校していたヒルダは、しっかりとベル坊を抱きかかえ、イチャラブタイムか、と顔を顰めていた。
 かぁ、と頬が赤くなる。
 朝からそんなことを言われて、日中、古市はほとんどが上の空だった。早く家に帰りたくて仕方がなかったし、男鹿からちらちらと向けらえる視線に欲を煽られてばかりだった。
 放課後まで待たずに昼休みに学校を飛び出した。ケダモノどもめ、と蔑まれた目をしながらも、ヒルダを急かして帰ってきて、リビングに彼女とベル坊を放り込んで、男鹿と古市は部屋に駆け込んだ。
 キスもセックスも、ただ抱きしめあうことすらしていなかった数日、いや、数週間の欲を補うかのように、腕を伸ばし、唇を寄せ、舌を絡める。制服を脱ぐのも、下着を脱ぐのももどかしくて、息を乱しながらお互いを貪り合った。
 嵐のようなセックスをして、ひと眠りして、一緒に風呂に入ってまたそこでセックスをして、呆れた顔をするヒルダやベル坊と一緒に食事をとって、それから部屋に戻ってきてまたセックスをする。そこまでしてようやく、男鹿も古市も落ち着いた。抱き合ってキスをして、顔を見合わせて笑いながら、シーツはぐしゃぐしゃのどろどろで、それでもいいからと疲れ果てて眠りに落ちた。
 それが多分、九時頃。
 とっぷりと陽も暮れ真っ暗になっていただろうに、カーテンを引く余裕がなかったのだ。
 恥ずかしいな、俺……、と古市は頬を歪める。
 時計を見上げると夜中の二時、丑三つ時と言うやつだ。
 身を起こして手を伸ばし、カーテンを引こうとして夜空にぽっかりと浮かぶ真ん丸のお月様に気が付いた。
 澄み切った空気に、月の明かりがりんと輝く。
 その澄んだ月明かりに照らされて、健康的に日焼けした男鹿の背中が白く浮かび上がっている。
 眠りに落ちる寸前までセックスに没頭していたのだから、当然男鹿は真っ裸で、こちらに背を向けているのは寝返りを打ったからだ。広い背中のそこかしこに傷跡が残っている。
 修行中にできたのか、それともジャバウォックとの戦いでできたのか、かさぶたになっているものや、完治したけれど白く跡が残っているものもある。古市がつけたばかりの傷もある。
 軽く丸められた背中に、背骨がぽこぽこと浮いていて、肩甲骨がなだらかなカーブを描いている。そっと手を伸ばし指先で触れると、肩甲骨の下のかさぶたが指に引っかかる。
 男鹿の背中は、古市が知るよりもずっと大きく見えた。
 覚えているよりもずっと広い背中に、頼もしいなと思うよりも、寂しさを覚える。
 なんだか、知らない間にどんどんと男鹿が変わっていくように思える。
 修行で強くなる度に、戦いを終える度に、男鹿がどんどん変わってゆく。
 そうして自分はただ見ていることしかできなくて、置いて行かれるような気分だ。子どもの頃のように、ただ一緒にいて楽しいよりも、一緒にいることにもっと深い意味を見出してしまった今、男鹿について行けない自分がもどかしいのだ。
 全速力で走り続ける男鹿を、自分はいつまで追いかけられるんだろう。もう今ですら、足がもつれそうになっていると言うのに。
 いつまで側にいるのかな、と男鹿の背中にてのひらを這わせる。
 いつまで一緒にいられるのかな、と男鹿の背中に額を摺り寄せる。
 いつまで、振り返って手を差し伸べてくれるんだろう。
 胸を疼かせる切なさに古市はぎゅうっと目を閉じる。
 男鹿の背中にぴたりとくっつき、腕を腰に回す。両腕でしがみつきたいけれど、起こしては可哀そうだから片手でしっかり腹に手を回す。背中に額を摺り寄せ、ここにいるんだよな、と確認する。
 すんと鼻を鳴らすと男鹿の匂いで胸がいっぱいになる。
「……泣いてんのか?」
 男鹿の声に、ううん、と古市は首を振る。起きていたとは思わなかったけれど、気配に敏い男鹿が、横でごそごそやっている古市に全く気付かないはずもないだろうなとは思っていた。
 腹に回した手を、男鹿がぎゅっと握りしめる。男鹿の指に指を絡め、古市は目を閉じる。
「泣いてねぇ。なんか目が覚めただけ」
「……そーか」
「うん」
 古市がちゅっと音を立てて、男鹿の広い背中にキスをすると、くすぐってぇ、と男鹿が笑う。揺れる背中に古市は頬を緩める。思わず笑い声を漏らすと、男鹿が身を捩って振り返る。月明かりの中、男鹿の顔を見上げると、よし、と男鹿が満足そうに頷いた。
「泣いてねぇな」
「泣いてねぇって。なんだよお前は、泣いててほしいのかよ」
 むぅと口を尖らせると、あ、くそ、キスできねぇ位置でそんな顔すんな、と妙な文句をつけられる。じっと見上げていると、男鹿は静かな眼差しで、ひそやかに告げる。
「俺がいねぇとこで泣くんじゃねぇぞ」
 俺がいるところでなら、泣いていいから。
 逆を返せばそう取れる言葉に、古市はぽかんと目を丸くする。泣くなと言われるのかと思ったらそうじゃない。目の届く所で泣けと言う。古市は繋いだ手に力を込める。男鹿もまたぎゅうっと強く握り返してくれる。
 男鹿の背中に額を摺り寄せると、男鹿は体勢を元に戻す。寝ろよ、と促す声に、うん、と頷く。額や手、繋がった場所から伝わる男鹿の鼓動を感じながら、大丈夫、まだ男鹿はここにいる、と古市はそっと目を閉じた。



おがふるキス企画 お題「背中」。
背中へのキスの意味は確認の意味だそうで。
ここにいてね、できればずっと。叶わなくても、あともう少し。
そんなアンニュイな古市でした。