きみに嫌われたくはないのです






 自分で連れてきておきながら、ぎゃあぎゃあと庭で騒ぐお子様たちに、あー連れてくるんじゃなかった、と神崎はこめかみを揉んだ。庭に直接出られる座敷に座布団を据え、脇息に身を預ける神崎は庭に出るつもりは全くないが、庭の騒ぎで頭が痛む。
 思いがけず預かることになってしまった姪をもてあまし、子守りに慣れた子持ちの後輩を招き入れたところまでは良かったが、そこから先が予想外の展開だった。
 恐らく子守りに長けているであろうと思っていた男鹿嫁はまったく姪の相手をするつもりはないようで、縁側に腰掛けたっきり立ち上がる気配もなくベル坊ばかりを構っている。ベル坊はベル坊で姪に興味津々だが、姪はなぜか神崎が戦力外認識していた古市に懐いていた。
 いや、懐いているのであろう。
 古市を蹴り、殴り、馬になれと強要して庭に四つん這いにした後その背中の上でトランポリンで遊んでいるかのように飛び跳ね、もっと早く走れと尻を叩いている。ひーひー泣きながら古市は姪の要求に従っていて、かわいそうなことをしたと神崎は罪悪感を抱きもしたが、明日は我が身かと思うと、古市には泊まり込みで姪の遊び相手をしてもらいたいものだと思い直す。
 男鹿嫁に次いで子守りに長けているはずの男鹿は、姪の首根っこを掴んで、古市から離れろっ、と鬼の形相をしている。普通の子どもならぎゃあぎゃあ泣きわめくだろうが、生憎、神崎の姪は強面には慣れすぎていた。男鹿の顔面に蹴りを食らわせその手から逃れると、ようやく立ち上がれたとホッと息を吐いて汚れた膝を払っている古市の後ろに逃げ込んでいる。
「こらクソガキ! 人様の顔に蹴りぶちかますたぁどーゆー根性してやがんだっ!」
「いや、お前が言うなよ……」
 疲れた表情で、それでも突っ込みを忘れない古市が、頬を引きつらせて背後に隠れる神崎の姪を見下ろす。
「男鹿の言う通りだよ。人の顔を蹴っちゃ駄目だよ」
「なんで? 女の子だから?」
 神崎の姪はぎりっと眉を上げて古市を見上げる。古市の後ろから古市の足にしっかりとしがみついたままなので古市は腰を捻って見下ろさなければならず、少し苦しそうだ。
 あ、やべぇ、と神崎は焦る。
 あの姪は、なぜか女の子だからと諭すと切れて手が付けられなくなるのだ。昨日だってそれで神崎はボコられひどい目にあったのだ。古市やめろ、と思わず腰を浮かしかけた時、ん、と古市は苦しい体勢ながら若干首を捻って見せた。
「いや、女の子だからってわけじゃないけど、靴だし、危ないじゃん?」
 ぽかんと口を開いて見上げる神崎の姪に古市はやんわりと笑いかけた。
「そりゃマジで危ないときには顔面蹴ってでも逃げろって思うけどさ、今は遊んでるだけなんだし、顔面蹴っちゃって怪我でもさせたら、遊んでもらえなくなるよ?」
 神崎の姪を見おろし微笑む古市の顔は、なんとも柔らかく優しいものだ。強面のいかつい男どもに見慣れている神崎の姪は、ぽかんと口を開けてそんな古市を見上げている。
「女の子だから、けんかしちゃだめって言わないの?」
「女の子だから喧嘩しちゃ駄目とは言わないなぁ。おにーさんのお姉さんみたいな人も、超強ェからさ」
「ちょーつえーの?」
 目をきらきらと輝かせる姪が古市の後ろからとてとてと前に回り込む。その前にしゃがみ込み、古市はにへらと笑った。
「そう、すげぇ強いよー。だって男鹿が一回も勝ったことねーもん」
「うっせぇ。勝てるかあんなのに」
 指をさされた男鹿が憮然とむくれるのを見て、神崎の姪は忙しく古市と男鹿とを見比べている。
「こいつ、つえーの?」
 当たり前だ、と男鹿が吐き捨てるように呟くと、古市はなぜか自信満々の顔で頷いた。
「強いよ。男鹿は石矢魔最強だから」
「いしやまさいきょーはハジメじゃないの?」
 座敷をちらりと見やる姪の視線に釣られ、古市も男鹿も顔を向ける。神崎と視線が合った古市は、一瞬、ヤバい、と言う顔をしたけれど、神崎はすっと目を逸らして素知らぬ顔をした。
 さてはてあの智将がどうやって答えるのかと神崎も半ば楽しみにしながら待っていると、うーん、と古市は勿体ぶった声を漏らす。
「神崎先輩も強いけど、タイマンなら男鹿のが勝つかなぁ」
「ハジメもつえーよ!」
 なぜか姪が地団太を踏んで怒り始め、古市は知ってるよと和やかに笑う。
「タイマンじゃ男鹿のが強いけど、神崎先輩は男鹿よりいっぱい強いとこがあるなぁ」
「どこ?」
「神崎先輩は石矢魔でも後輩に慕われてるし、組でもいっぱいの手下さん達に好かれてるだろ? 面倒見がいいし、兄貴分って言うのかな。たくさんの人をまとめる力を持ってると思うんだよなー。そう言うとこは、神崎先輩の方が男鹿より強いな、うん。男鹿にはそーゆーこと、できねーからなぁ」
「何言ってんだかちっとも解んねーぞ」
 男鹿が頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべながら目を真ん丸にしているが、神崎の姪はなんとなくその説明で解ったようだ。ぱっと顔を輝かせて頷いた。
「ハジメは、組長になるからな! たっくさんの組員まとめるんだ! だからつえーんだ!」
「そういうことです」
 良くできました、と古市が姪の頭をぽんぽんと叩く。勿論軽くで、実際は撫でるようなものだけれど、神崎の姪はにへらーと顔中をほころばせている。俺があんなことしたら蹴り飛ばされてるぜ、と神崎はなんとも微妙な気分になる。
「さて、それじゃ、男鹿に謝ろうか?」
 ん、と首を傾げる古市に、え、と神崎の姪は眉を寄せた。
「なんでこいつにあやまるんだよ」
「だって顔蹴っただろ?」
「それはだってこいつがあたしの首持ち上げたから!」
「そうだよ。だから男鹿も謝りなさい」
「え」
 古市と子どものやりとりをにやにやしながら眺めていた男鹿は、思わぬところから飛んできた攻撃にぎょっと身を引いている。
「なんで俺が謝んなきゃなんねーんだ」
「女の子の首を掴んで持ち上げるもんじゃありません」
「しゃーねーだろ! だってこいつお前にべったり…!」
「あのなぁ、俺にべったりしてたからって首根っこ引っ掴むもんじゃねーんだよ! ほのかの時で懲りたんじゃねーのか!」
「ほ、ほのかはお前の妹だからいいんだよ! こいつは他人じゃねーか!」
 びしりと男鹿に指をさされ、神崎の姪はむっと口を曲げている。立ち上がる古市の足にぴったりと寄り添いしがみ付き、神崎に似た目つきの悪さで男鹿を睨み上げていた。
 あんだやんのかこの野郎、とガンを付ける男鹿の頭をべしっと古市が平手で叩く。
「他人でも女の子は女の子だっつーの! しかも超年下だろーが! なんでお前はそう心が狭いんだ!」
「だったらなんでお前は女ばっかに甘ェんだよっ!」
「当たり前だろ、女の子なんだから!」
 ふんっと腰に手を当て胸を張る古市に、男鹿はわなわなと両手を震わせている。胸倉掴んで頭突きかましてやろうか、いやしかし掴んだら怒られる、いやいやしかししかし、と葛藤しているのが良く解る。
 あうあうと言葉もない男鹿に、古市の足に隠れる神崎の姪が、べーっと舌を出し、あっかんべをする。
「テメェ……ッ…!」
 カッとこめかみを引きつらせ、男鹿の髪の毛が逆立つ。チンピラなら泣いて逃げ出しそうな形相で神崎の姪に掴みかかろうとする男鹿の頭を、再び古市がバシンと叩いた。
「子ども相手にマジ切れすんな馬鹿! 家帰ったらちゃんと構ってやるから、な?」
 うーっ、と唸る男鹿の頭を撫で、古市が宥めるように囁く。
 男鹿はぎりぎりと歯軋りをしていたが、再度促されると諦めたようにぐぅっと喉を鳴らした後、神崎の姪の前にしゃがみ込み、すまん、と謝る。
「首掴んでごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げる男鹿に、へぇ、と神崎は目を丸くした。
 あの男鹿が謝るとこなんざ初めて見た、と感心していると、こちらもまた驚いたことに、古市の足にしがみついたまま、神崎の姪がぺこりと頭を下げる。
「蹴ってごめん……なさい」
 最後に、なさい、とつけたのは、ちらりと古市を見上げてからだった。促されるようにして付け加えた、なさい、に脇息に肘をついていた神崎の顎ががくんと手から外れる。
 姪が! あの、我儘放題に育ち口ばかり達者な割に敬語を何ひとつ覚えず謝ることすらしなかったあの姪が! ごめんなさいと謝ったのだ。
 事件だ、これはもう事件だ。これを事件と呼ばずして何を事件と呼ぶのだ。
 驚愕しきりの神崎の心境など全く感付きもせず、古市は姪の頭を撫でて、ちゃんと謝れるなんて偉いな、と褒めている。えへへと笑う姪は年相応の女の子に見える。よしそれじゃ遊ぼう、男鹿が高い高いしてくれるって、と古市が言えば、なんで俺が、と言いかけた男鹿も古市に睨まれると、言葉を飲んで、一回だけならな、と譲歩している。
 男鹿の高い高いはとんでもない高い高いだったが、豪胆な姪は大喜びでもっとしろとせがんでいた。
 なんとまぁ、と神崎は脇息に再び肘を置き直しながら、庭での光景に目を奪われる。その傍らに組員が、失礼しやす、と茶を運んできた。すっと差し出された湯呑に、おー…、と間延びした返事を返すと、茶を持ってきた組員は傍らに座りながら、ありゃあ、と庭へ向けた目を細めている。強面が目を細めても余計怖いだけだ。
「若のご学友で?」
「まー…後輩だな」
「へぇ、年下ですかい。ありゃあいいですよ、若」
「何が」
 十歳も二十歳も上の組員だがぞんざいな神崎の言葉に怒りもせず、がっしりとした顎に手をやり、ごしごしとそこを撫でて感心したような声を漏らす。
「いい姐さんになりますよ」
「いや、もう男鹿の嫁だぞ、あれは」
 縁側でベル坊にミルクをやっている男鹿嫁に目をやり答えると、神崎の視線を追った組員は一瞬呆気に取られた後、違いますって、と顔の前でごつい手を振った。
「あの金髪姉さんじゃねーですよ。あっちの銀髪のです」
「ああ? 古市か? ありゃあ男だ」
「そりゃ勿体ねぇ。あんだけ年の違う二人掴まえて喧嘩両成敗たぁ、それもあんだけうまくまとめるたぁ、なかなかできるこっちゃねぇ。しかも、嬢ちゃんの相手もうまくしてくれてるじゃねぇですか。いやぁ勿体ねぇ。女ならぜひとも若の嫁さんにきて貰いてぇとこだ」
「あー…そりゃ駄目だ、諦めろ」
 男だから、とは告げず、神崎は茶を啜る。
 男だろうと女だろうと、男鹿が古市を手放すはずがない。それこそ命がけでタイマン張って奪い取るしかないだろう。常日頃からの執着っぷりを見ていると、男鹿が一度負けたところで古市を諦めるとも思えない。常に胸元に爆弾を抱えているような嫁を娶るつもりは毛頭ない。
「いやぁ…残念ですねぇ……」
 しみじみ唸る組員が、せめていい大福でも持ってこようと腰を上げる。図らずも古市は、姪の心だけでなく組員の心も掴んでしまったらしい。
 本人にそんな自覚も、また好かれて嬉しいと喜ぶような気概もないのが本当に残念だ。古市なら恐らく、そんなこと言われても困りますっ、と青ざめるだろう。
 さすがに残念なことに置いては右に出るもののいねぇ智将だ、と神崎は思わず喉を鳴らして笑う。
 庭では数メートルに及ぶ高い高いをされた姪の上げる歓声が響き渡っていた。





本誌出た時点で妄想していたので姪の名前が解らず。
二葉ちゃんかわいいよねぇ。
ナチュラル夫婦万歳。