君が君らしく笑えるために





 この一ヶ月、コロッケもゲームも漫画もお菓子も全部我慢して手に入れたものを、男鹿はぎゅうっと握りしめた。小さなそれはてのひらで包んでもまだごそごそと狭い空間の中で動いていて、うっかりすると落としてしまいそうだ。こんなことなら恥ずかしいからと言わずきちんと包装してもらえば良かった。店の人はやたら丁寧に、普通とは違う箱を持ってきてラッピングしようとしていたけれど、なんとなくそう言うものの中に閉じ込めてしまうようなものじゃないと思っていたし、それに何より柄じゃない。そのまま、はい、と渡してしまえる気軽さが良かった。
 一ヶ月の間で、すっかり通い慣れた道を歩く。
 スニーカーの下で砂がじゃりっと音を立てる。
 夕暮れの道に響くのは男鹿一人の足音で、通い始めたばかりのころはそれが不思議で仕方がなかった。職場へ向かう途中、または帰ってくる途中、少し離れた場所に古市がいるんじゃないかと振り返り、いるわけないかと舌打ちする。そんなことを繰り返し、最近ではようやく一人の足音にも慣れた。
 高校を卒業して、男鹿は就職をした。東条の知り合いの整備工場で働いている。全くわけの解らないちんぷんかんぷんの作業も、整備工場のオッチャン達に助けられてどうにかやっている。整備工場のオッチャン達はさすがに東条の知り合いだけあってみんな気が良く、理解力に乏しい男鹿にも気長に付き合ってくれる。いいとこに就職できたなぁ、と笑って言った古市を思い出して、まぁな、と男鹿は口を引き結ぶ。
 そんな古市は県内でもトップクラスの大学に通っていて、毎日充実したキャンパスライフ(と古市は言っていた)を送っているらしい。女の子がたくさんいて、仲の良い友達もできたらしい。昨日はその子たちとカラオケに行くと言っていたけれど、今日は早く帰ってくるらしい。今日はバイトもない日だから、多分もう家にいるだろう。
 一旦家に帰って、風呂に入って飯を食って、それから古市の家に行こう。
 そう思った男鹿は、家の前で足を止める。男鹿家の門扉のところにもたれている姿が目に入ったからだ。夕焼けに銀色の髪を染め、目元を細めて柔和に緩め、古市が笑う。
「おかえり」
「……おう」
 なんとなく気恥ずかしくて小さな声で頷き、顔を背けてしまう。
「どうしたんだよ。キャンパスライフはいいのかよ」
 意図せず拗ねた口調になってしまい、ここ一週間ばかし放っておかれていたことを思い出す。バイトだ、キャンパスライフだ、合コンだ、と古市は毎日忙しい。高校を卒業してから、あんなにも濃密に接していた時間はまるで雪のように綺麗さっぱり消えてしまった。
 古市は少し首を傾げる。
「昨日電話したとき、なんか変だったからさー。話でもあんのかと思って。そろそろ帰ってくる頃だろうと思って待ってた」
 気負いなく尋ねるその様子に、離れてもやっぱりテレパシーは健在かと男鹿は笑う。
 会いたいと思えば古市には伝わる。
 声を聞きたいと思えば電話がかかってきて、顔を見たいと思えば本人がやってくる。どこまで察しがいいんだと思う反面、見透かされていることに恐怖も覚える。
 男鹿は作業着のポケットに手を突っ込んだ。
「話っつーか……」
 口篭もると古市の色素の薄い目が瞬き、警戒したように眇められる。
「別れ話か?」
 軽く顎を引いて尋ねられる言葉に男鹿も思わず咽る。
「ばっ……違うわアホッ!」
 勢い込んで否定すれば、だよな、とちょっぴりホッとした古市の様子に、男鹿こそがホッとする。古市も別れ話はしたくないんだと言う安堵に頬を緩め、ほい、と作業着に突っ込んだ手を差し出した。
「あ?」
「やる」
「なんだよこれ」
 思わずと言ったように差し出さた古市の手に、男鹿はぽとりと握りしめていたものを落とした。夕焼け色に染まる空の光を反射して、古市の手のひらに落ちたものがきらりと光る。
 オレンジ色に染まる銀色の光。
 幅広の方が古市の長い指に似合うだろうと思ったので、普通のものよりも少し幅広で、それだけじゃ味気ないと黒い石がついているものを選んだ。指輪に刻まれた蔦の模様が取り囲むそれは、オニキスとか言う石らしい。男鹿には何のことだかさっぱりだったが、魔除けの力があるらしく、それならまた悪魔だのなんだのが来た時に古市を守ってくれるんじゃないかと思ったのだ。実際にあの突拍子もない悪魔連中がきてしまったら、こんなちっぽけな魔除けの石なんて何の役にもたたないだろうけれど、それ以外のことなら、例えば財布を無くすだとか階段から落ちるだとか、そういう小さな災厄からは守ってくれるんじゃないかと思った。古市は案外そそっかしいから、良く物をなくすし丁度いい。
 それに、銀色と黒い石だなんて、まるで自分たちのようだ。そんならしくないこともちらりとも考えた。
 こんなもので拘束しておけるとは思っていない。
 けれど、毎日のように遊び歩く古市を少しばかり留め置いておけるならと思ったのも事実だ。
 古市は手のひらに落ちた指輪をじっと見つめている。
 うんともすんとも言わない相手に焦れて男鹿が、おい、と足を蹴ると、え、と古市が見開いていた目をようやく瞬く。
「なに、これ」
「何って……指輪だろーがどう見ても」
「……あ、いや、それは解ってんだけど……なんでまた、こんな…急に……」
 誕生日でもないのに、とごにょごにょと呟く古市の頬が夕焼けにではなく赤く染まっていて、男鹿はにんまりと笑う。
「こないだ初給料出たんだよ」
「あー…そか、うん」
「初めて俺が稼いだ給料だし」
「ああ…うん」
「初給料でなんか買いてぇなと思ってたら指輪にしとけってオッチャンらが言っててよ。浮気防止になるだろって」
「うん」
「お前に似合うのがいいなと思っていろいろ探したけど、それが一番しっくりくる感じだったし」
「ん」
「キャンパスライフもいいけどよ、浮気すんなよ」
 真っ赤に染まった顔の半分を手で覆い、古市はこくこくと頷いている。握りしめた手の中に自分が選んだ指輪があって、古市がそれを目の当たりにして目を潤ませている。
 泣かせたいわけじゃなくて、泣かせるつもりもなくて、そうしないために頑張ってきたけれど、結局今まで色々と泣かせてきた。けれど今のこの瞬間の古市の涙は、なんとなく見ていて嬉しい。
 男鹿は手を伸ばし、古市の銀色の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「なんだよ」
 ずずっと鼻を啜った古市が上目使いで男鹿を見る。目の端が赤くて顰め面をしていても可愛いだけだ。男鹿がへらっと笑うと、笑うなよ、と古市が脛を蹴りつけてくる。
 男鹿だけが古市にこんな顔をさせられるのだと思うと嬉しくて仕方がない。そんな気持ちでへらへらと笑っていると、笑うなって、と今度は拳で殴られる。力は弱いが地味に痛い。ひょいと避けると、避けるなっ、と怒られる。それからおもむろにずいっと胸元に手を突き出された。
「つけて」
「おー」
 古市の手のひらから指輪を取り上げる。差し出されていたのが右手だったので、逆の手を掴まえ問答無用で薬指に指輪を押し込んだ。おいそっちは、と焦るような古市の声など無視しぐいと根本まで押し込むと、指輪は図ったようにきっちりと収まる。
「おし、ぴったり」
「……お前…指輪のサイズ、どうやって調べたん?」
 すげぇ、と目を見張って指輪のはまった左手を握ったり開いたりしている古市に、あー、と男鹿は首を捻る。
「なんか、こう……普段握ってる感じを思い出して、いい感じなのを選んできた」
「それでぴったりなの選べるって、お前すげぇな」
 測量士になれるぞ、とわけの解らない褒め方をする古市に、おー、と笑いかける。
「気に入ったか?」
「ん」
 あんがと、と古市が小さな声で礼を言う。聞こえるか聞こえないかの細やかな声だけれど、男鹿の耳が聞き逃すことはない。
 夕焼けの中、古市がほんのりと緩んだ頬で指輪を見おろし、右手の人差し指でちょいちょいと黒い石を突いている。
「かっちょいいな」
「だろ」
「どこのやつ? 高かったんじゃね?」
「あー……なんか良く解んねーとこ、横文字だった」
「なんだそりゃ。今度連れてけよ。お前の選んでやる」
 にかっと笑う古市の手が伸ばされ、男鹿の頬に触れる。仕事帰りで汚れていると言えば、そんなもん今更だろ、と笑われた。ぐいと耳を引っ張られ、痛いと呻く前に口を塞がれる。ちゅっと軽い音を立てて離れて行く古市の顔を追いかけ、噛みつくようにキスをする。
 家の前でキスをするなんて、古市は嫌がるに決まっているのに、引き寄せるように首裏に回された両腕が嬉しくて、男鹿は細い身体をぎゅうぎゅうと抱き込んだ。
 リビングから、ありゃま、と姉が目を丸くして見ているとも知らず、男鹿も古市も離れがたくて、夕暮れが夕闇に変わるまで、ずっとお互いを抱き締め合っていた。






唐突に降ってわいたらっぶらぶ寝た。
おがふる結婚企画に参加しました。
って、自分でぶちあげた企画だったんですけどもね。
おがふるがいちゃこらしてたらいいよねって企画です。
いちゃこらいちゃこら。