きみがどこかにいるのなら






 男鹿が消えて二日目。
 石矢魔クラス総出で至る所を探し、考え付く所へ行ったけれど、男鹿は見つからなかった。MK5が空気を読まずに、死んじまったんじゃ…、と言ったせいで強面のくせに涙もろい石矢魔クラスはおいおいと涙にくれる生活を送っているが、一人だけ飄々といつも通りの態度を崩さない男がいた。
「だいじょーぶですって、どーせその内、ひどい目に遭ったぜ、とか言って戻ってきますって。あ、佐渡原先生、授業続けてくださーい」
 窓際に集まり涙を流し、落書きだらけの机に集まり涙を流す。
 開けても暮れても喧嘩ばかりで、いつ寝首を掻いてやろうかと虎視眈眈狙っていたはずの連中が揃いも揃って悲嘆にくれる様はいっそコントのようで面白い。
 それを横目に教科書を開く古市に、あのなぁ、と神崎が眉間に皺を寄せる。
「古市テメェこの野郎! 心配じゃねぇのか、ああっ?」
「仮にも小学校から連れ添ったダチじゃねぇのかテメェはよぉ!」
 姫川もリーゼントを揺らしながら威嚇をするが、古市はのほほんと笑って片手を振った。
「だーいじょうぶですって。あいつ、昔から悪運だけは強いんです」
 にかっと笑う古市にそれでもぎゃいぎゃいと、それこそ石矢魔クラス全員で文句をぶちまけている。怒りのはけ口がないところに古市がそんなことを言ったのだから、悲しみにが怒りに変わり、そこに火を投じてしまったらしい。
 周りを取り囲まれてぎゃあぎゃあと騒ぐ連中に、そろそろ止めた方がいいかしら、と案じていた邦枝の耳に、やるなぁ、と呑気な声が入った。振り返れば夏目が窓枠に手を預け、槍玉に挙げられている古市を眺めている。
「夏目先輩? 何が、やるんですか?」
「ん? 古市君だよ? あの子、やっぱり智将って言われるだけあるよねぇ」
 何が、と眉を寄せる邦枝に夏目は柔和な目を細めている。
「あれ? クイーンともあろうものが、気付いてない? あの子、割と限界だよ。だけど自分が取り乱したら他の連中も余計に取り乱すって解ってるから、我慢してんだよ。健気じゃないのさ」
 限界? と邦枝は首を傾げた。
 周りを強面ばかりに取り囲まれ、中心にいる古市の顔は時折しか垣間見えない。神崎に小突かれ姫川に頬をつねられ、それでも痛い痛いと笑っている古市の顔は限界なんてものからは程遠いように見える。
「本当はあの子、一番心配してると思うよ。休み時間のたびにトイレ行って顔洗って。泣いてるのばれたくないんだろうね。可愛いなぁ、泣かせたくなるよね」
 余計なことすんなよ、と寧々が睨みを利かせると、解ってるって、と夏目は両手を上げて見せる。
「古市くん泣かせたなんてばれたら、男鹿ちゃんに殺されちゃうじゃない」
 そんなことがあった日の放課後、昨日のように思いつく限りの所に行って男鹿を探そうと言う話になり、全員で割り振りを決めていると、一人席を立った古市がにこやかに振り返った。
「それじゃ、俺、帰ります」
「ああっ? 古市テメー何言ってんだ! これから男鹿探すつってんだろーがッ!」
「そーだぞお前いい加減にしろよ!」
 ぎゃあぎゃあと喚く石矢魔の強面たちに、古市はそれでも負けずに笑顔を返す。
「俺、用事あるんで」
「ふざけんな! 町中探すつってんだろーが!」
 それじゃ、とそれきり教室を出て行った古市を文句ばかりぶちかましながら見送っていた神崎だったが、不意に、おい、と城山に顎をしゃくって見せる。無言で頷いた城山が教室の入り口へ立つ。何事なのと邦枝が目を丸くしていると城山は振り返り、行きました、と頷いた。
「もう角曲がりました」
「そか。城山…は駄目だな、デケーから目立つ」
「うちの張り付かせるか……面割れてねぇからいけんだろ」
 姫川が携帯電話を取り出し、蓮井を呼び出している。おー頼むわ、と言う神崎の声に被さり、古市の後をつけろと言う姫川の言葉が聞こえ、ちょっと、と邦枝は身を乗り出していた。
「あんたまさか古市の後つけるつもりなのっ?」
「あ? 当たり前だろーが」
「まさか、闇討ちするつもりじゃ……止めなさいよ! 男鹿が帰ってきたらただじゃすまないわよ!」
 ここ数日の古市の不誠実な態度に業を煮やしたのだと思った邦枝がそう訴えると、はぁ、とお前こそ何言ってんだ、と言う顔を神崎も姫川もした。
「今の古市、一人で放っといたら何しでかすか解んねーだろ」
「え?」
「お前気付いてねぇのか? あいつ、多分寝てねーぞ」
「はぁ?」
「夜通し探し回ってんじゃねぇか? うちの組のもんが見かけたって言っててよ。巡回はいつもより多くさせてっけど、一人で歩かせるといらんトラブルに巻き込まれるだろーが」
「手もボロボロだよねぇ」
 夏目がひょっこりと顔を出して、相変わらずの笑顔を浮かべている。
「悪魔野学園の校舎の瓦礫、一個ずつどかしてんのかもよ」
「あー、そこはチェック入れてねぇわ。姫川、お前んとこで重機入れらんねーか? 探してるってアピールしときゃ、あいつも無茶しねぇだろ」
「あいよ。あー蓮井、俺だ。重機も出してくれ」
 姫川が電話をしながら窓際に行くのと入れ違いに、神崎の下っ端たちが手を上げる。
「神崎さん、俺らどこ探せばいいっすか!」
「テメーらは商店街回っとけ。阿部、テメーはMK5と古市んちの周りうろうろしとけ。竜一と竜二は河原だ。男鹿の野郎を探しながら、古市が下手なことしねーように見張っとけよ」
 神崎が指示を出し、クラスの全員が散らばって行くと、なにこれ、と邦枝は思わず声を漏らす。
「なんなの一体?」
「みんな男鹿っちだけじゃなくて古っちも好きなんすよー。あ、姐さん、うちらは神社周辺が担当っす!」
「あー…うん、解った」
 それじゃ行こうか、と踵を返しかけた時、窓の下を歩く古市の姿が目に入る。いつも通りしゃんと背を伸ばし、まっすぐ前を見て歩く銀色の髪は、時折、何かを探すように左右に揺れた。
 解り辛い子、と邦枝は唇を曲げる。
 それから再び花澤に呼ばれ、邦枝は今度こそ本当に窓際を離れた。







 学校を出て、商店街を通って帰る。
 フジノの前を通りかかったので、ゲンコツコロッケを六つとクリームコロッケを四つ買った。熱々のそれを渡しがてらフジノのおばちゃんに、今日もあの子一緒じゃないの、と言われて苦笑いを浮かべる。あの子なんて呼ばれる年じゃないし、そんな可愛い外見でもないけれど、フジノのおばちゃんにとって男鹿は今も小学校の頃と変わってないのだろう。
 男鹿家に立ち寄ると、憔悴しきった様子の男鹿母が出迎えてくれた。
「あら、たかちん」
「こんにちは、おばさん。ヒルダさんいます?」
「いるけど…部屋に篭ったままなのよ……」
 何かを言いたげな男鹿母の横をすり抜けて、古市はリビングに入った。美咲がテレビを見ながらも苛々と爪先を揺らしている。リビングの窓にはカーテンがかかってて薄暗い。古市はつかつかと窓際に寄ると、カーテンをシャッと開いた。
「折角天気いいのにカーテン開けなくちゃ勿体ないですよ。ごはん食べました? 夕飯に使えると思ってコロッケ買ってきたからちゃんと食べてくださいよ。クリームコロッケも買ってきたし」
「悪いわねぇ。なんかもう辰巳が心配で心配で……お父さんったら今日も会社休むって言い出すものだから、美咲が叩き出したのよ」
「おじさんも心配性だからなぁ。大丈夫ですって。その内ひょっこり戻ってきますから」
「ならいいんだけど……」
 心配顔を隠しもしないで電話の前を行ったり来たりする男鹿母を横目に、古市はキッチンに入る。コロッケを置こうとして流しに汚れた皿が溜まっていることに気付いた。そこまで気が回らないんだろうなと思って皿を流して食洗機に入れ、洗剤を入れてスイッチを押す。冷蔵庫を覗くと夕飯になりそうな食材はあったので多分大丈夫だろう。
 お湯を沸かしてポットに溜めて、熱いお茶を美咲の前に置くと、ようやく、悪いね、と弱い笑顔の美咲に礼を言われる。いいえと笑ってもうひとつテーブルに置き、おばさんお茶ここに置きますよ、と言って腰を上げた。お次は二階だ。これもまた湯呑にお茶を淹れて男鹿の部屋に入れば、何やらわけの解らない呪詛を呟いていたヒルダがハッと顔を上げた。
「見つかったかッ?」
「まだです」
 古市はそう言うと男鹿の勉強机に湯呑を置く。
「お茶、ここに置きますから」
「坊ちゃま、ヒルダを置いてどこへ行ってしまわれたのですか……」
 うろうろと動物園の熊のように歩き回るヒルダに、古市は首を傾げる。
「魔界から連絡はないんですか?」
「うむ、常に連絡は取り合ってはおるのだが、なにせあちらも混乱しておるからな……。もう我慢がならん、私が魔界へ行き、坊ちゃまの消息を探ってくる!」
「おばさん達にちゃんと言ってから行ってくださいね。心配するから」
「う、うむ…しかしなんと言い訳をしたらよいのやら……」
「心当たり探してくるって言ったらいいんじゃないですか? ちょっと遠いところだから泊まりになりますって」
「……うむ、そうだな……嘘ではないからな…」
 ヒルダがそそくさと準備をし始めたので、じゃあ俺は帰ります、と古市は腰を上げる。
「魔界から、連絡をする」
 部屋を出ようとした古市を呼び止め、ヒルダが通信機を差し出してくる。いつぞや魔界へ行ったときにラミアが持っていたのと似たようなものだ。
「こちらで動きがあれば、すぐに連絡をしろ」
「解りました」
「なくとも半日に一度は連絡をしろ」
「解りました」
 魔界通信機をなくさないように大事にポケットにしまい、古市は今度こそ部屋を出る。くれぐれも妙なことを考えるな、と念を押すヒルダの声を背中に聞きながら階段を下りて、リビングでやっぱりうろうろしている男鹿母に帰ると伝えた。
 てくてくと歩いて男鹿家から自宅へ帰る道のりは、もはや歩き慣れた道のりだけれど、ついつい視線があちこちに彷徨い動く。
 電柱の陰や塀の向こう、木の上。猫じゃあるまいしいるはずがないと思いながらゴミ集積所のドアを開けて中を覗き込み、通りがかりの主婦のおばさまに変な目で見られてしまった。
 昨日は悪魔野学園の跡地を探しに行ったけれど、結局それらしい姿は見つからなかった。
 魔界絡みだから古市の考えられる範囲を通り越した結果が起こっているのかもしれないけれど、思いつく限りの所は探したい。行ったことのない場所でも、魔力の集まるようなところに弾き飛ばされているかもしれない。となると、魔二津や首切島だろうか。
 部屋に戻って鞄を置き、制服から私服へ着替え、古市は携帯電話を取り出した。発信履歴は一時間ごとに男鹿の名前を示している。もう一度、発信ボタンを押してみるけれど、呼び出し音が鳴るばかりでちっとも応答はない。
 一度切り、またもう一度かける。五回繰り返した所で諦め、古市はクロゼットの中からリュックサックを引っ張り出す。魔二津に行くつもりだ。
 アランドロンをヒルダが使うはずなので、自然と古市の移動手段は徒歩か電車かバスか、人間の交通手段になってしまう。
 ヒルダさん、アクババ貸してくれないかなぁ、と思わず通信機に呟けば、そんなものいくらでも使えばよかろう、とヒルダは素っ気ない。すぐさまバサバサと鳥の羽音が聞こえ、驚いて振り返った古市の前で、グエ、とアクババが凶悪な顔を覗かせ、行くかい、とにやりと笑って羽をくいっと持ち上げている。
 行く、と古市はリュックを背負って窓を開ける。テーブルの上には男鹿を探してきます、と言う置手紙も残し、携帯電話と魔界通信機を持った。
 男鹿が心配で心配でたまらない。
 ひょっとするとと言ったMK5の言葉が頭から離れない。
 うっかりすると涙が出そうだ。
 けれど泣くのは後でいくらでもできる。
 今は今しかできないことをやるしかない。
 今のこの時も、どこかに弾き飛ばされて身動きもできず助けを待っているかもしれないのだから、思いつく限りの所を全部探してやらなければ。
 おっかなびっくりアクババの背に乗った古市、手綱を握るも扱い方など解らない。魔二津に行ってくれ、と言うと、グエ、とアクババが頷いた。
 ばさばさと羽ばたく巨大怪鳥の背で、待ってろよ男鹿、と古市は強く手綱を握りしめる。
 すぐに見つけて、心配させんな馬鹿野郎って思い切り殴ってやる、と古市は唇を引き結ぶ。巨大怪鳥が飛び立つ古市家の前の道で、阿部やMK5が大慌てで右往左往していることなど、古市は気付いていなかった。




アニバブ最終回に寄せて。
あの終わり方に言いたいことは一杯あるけど、隙を突く場所があまりなくて。
古市なら周りの状況気遣いながらへらへらしてそうだなぁと思ったので。