消えた○○物語


 ぼえー、と気の抜けた鳴き声をあげるなんじゃもんじゃ(男鹿命名)の傍らで、魔界から送りつけられてきた独創性のかけらもない夏休みの宿題『わくわくノート』をベル坊が順調にこなしている。
 一枚何かをかくたびに、ぴかーっと光ってなにがしかが現れるのがスリリングで、確かに『わくわくノート』の名にふさわしいかもしれない。できればわくわくの前にドキドキを、わくわくの後にはハラハラをつけてほしいが、今のところベル坊がかくものに危険性はないのでその点は安心だ。さっきも魔界のうさぎとやらをベル坊が描いたが、現れたのはなんじゃもんじゃの耳をやたら長くして垂れさせたものだったし、部屋を飛び回っていたなんじゃぴょん(古市命名)は、しばらくすると自然と消えてしまった。
 ベル坊の手元を覗き込みながら、ベル坊が何かをしゃべるたびに返事をしていた古市だったが、ベッドの足にくくりつけられているなんじゃもんじゃが、またもや、ぼへー、と気の抜けた鳴き声をあげるのに気付き、あれ、と首を傾げた。
「そう言えば、なんでコイツは消えないんだろ」
 ベル坊が、だ、と首を傾げて古市を見上げる。その顔がいかにもショックそうだったので、ベル坊のことじゃないって、と古市は苦笑し、緑色の柔らかい髪を撫でてやった。
 古市の側で寝転がってごはんくんを読んでいた男鹿が眉を上げた。
「あー? コイツって? アランドロンか?」
「え、ひどいっ」
 きゅっとハンカチを噛みしめるアランドロンを綺麗にスルーし、古市はヒルダに顔を向けた。
「ねぇヒルダさん。さっきのなんじゃぴょんはすぐに消えたのに、なんでコイツは消えないんスか?」
 コイツと指差されたなんじゃもんじゃは、古市に見られていると知るや、細い目をぴかっと見開いて、ぼへーぼえーっ、と興奮したように鳴き声を上げる。
「おい古市、そいつにあんま近付くなよ。また飛び付かれっぞ」
 絵本から現れてすぐに古市の顔面にダイブしたなんじゃもんじゃは、そのあとどれだけ引っ張ろうともなかなか取れなかったのだ。どうやら古市の顔がひどくお気に召したらしく、隙さえあれば古市に飛びかかろうとしている。
「括ってあるから大丈夫だろ。あ、こらベル坊、ダメだってば」
 ぼへーぼえーっ、とうるさいなんじゃもんじゃに、ベル坊が触ろうと手を伸ばすので、慌てて古市はベル坊を抱き上げた。うぃーっ、とベル坊が憤慨したように声を上げるが、なんじゃもんじゃに飛びかかられてはたまらない。
 さっき飛びかかられたのが古市だから良かったものの、あれがベル坊だったら大惨事だ。なんじゃもんじゃは見かけより力が強いので、ベル坊など簡単にひっくり返されてしまうだろうし、多分その時点で泣かれて終わりだ。
「ベル坊は宿題の続きしなきゃダメだろー。ほら、鉛筆。次にかくやつもかっこいいといいなー。男鹿っ、お前もベル坊ちゃんと見てろよっ」
 なー、と笑顔を張り付けると、あだーっ、とベル坊もやる気を出す。ダッダダー、と何かを歌いながら鉛筆を走らせるのを見て、古市は再びヒルダに顔を向けた。
「で、どうしてなんです?」
「ふむ…」
 台所から持ってきた急須でお茶を淹れつつ、ヒルダが思案する。
「確かに本来、この『わくわくノート』から飛び出すものは五分と経たぬうちに消えるものだが、この…なんじゃもんじゃの場合は坊ちゃまの初めての作品であることが影響しているのかもしれんな」
「……はぁ、なるほど……ってどーゆーこと?」
「知らん。俺に聞くな」
 ヒルダの思案深げな言葉からはすべてを察することができず、思わず男鹿を振り返った古市だったが、寝転がってごはんくんを熱読中の男鹿は迷惑そうに顔をしかめるだけだ。
 ヒルダは湯呑を持ち上げ、ずずっと茶を啜ると、またもや絵本から飛び出した得体のしれない物体に害がないのを確かめ、話の続きに入った。
「つまり坊ちゃまの思い入れがそれだけ強かったと言うことだ。坊ちゃまの思い入れが強いということはそこに込められた魔力もそれなりにあると言うこと。加えて坊ちゃまはそのなんじゃもんじゃをいたくお気に召しておられる様子。飽きるまで具現化したままであろうな」
 ぼえー、となんじゃもんじゃの鳴き声が、合いの手のごとく響き渡る。
 ベル坊がぱっと顔を上げて目を輝かせているところを見ると、確かに、なんじゃもんじゃを気に入っているようではある。
 あるにはあるが…、なぜにこれが気に入ったんだ、と古市はこめかみを軽く指先で揉む。
「つまりあれだろ? ベル坊が飽きたらなんじゃもんじゃも消えるってことだろ?」
 男鹿がごはんくんの影から目だけを出して言えば、ヒルダもちらりとなんじゃもんじゃを見た後で軽く頷いた。
「まぁ恐らくそうであろうな。む? まぁあ坊ちゃま! 見事な……猿ですわぁ!」
 猿の前に一瞬間があったのは、ベル坊が新たに描き出したものが、なんじゃもんじゃと対して変わらなかったせいだ。だがそれでも猿のつもりで描いていたらしく、ベル坊は一発で当ててもらってご機嫌だ。
 モンキー・D・なんじゃ(ヒルダ命名)は、ぶひーぶひーと鳴きながら部屋中を飛び回り、なんじゃもんじゃをぼへーっと怒らせている。
 目の前で繰り広げられている、ぼへーぶひーの応酬に、古市は溜息を吐いた。
 平和だ。
 とても平和だ。
 平和なのはいいことだ。
 けれどこの平和の代償が消えた高原物語だというのが納得できない。
 消えた海物語の代わりに高原物語を夢見て、しかも今度こそバカンスを満喫すべく、男鹿に根回しまでしたのだ。前回の消えた海物語の教訓は生きている。
 いつからいつまでどこへ行って何日の何時頃に帰ってきて、留守にするのはどれくらいの間だからその間は一人で遊んでいるように、と何度も説明をした。膝を突き合わせて順を追って説明し、しかも大人しくちゃんと留守番できたら土産買ってきてやるし、と餌までぶら下げた。
 おう解った、と餌に釣られたのかやけに神妙な顔をして男鹿は頷いていた。ベル坊も男鹿の膝の上で生真面目な顔で、ダッと片手をあげて、了解した、と宣言していた。ように思う。
 それに安堵し、今度こそ夢の高原物語を満喫すべく避暑地の高原へと繰り出したのに、結局滞在時間は三時間に満たない。改めて顧みると移動時間の方が長いってのはどういうことだ。
 今回の敗因はアランドロンを連れて行ったことか。
 家に残しておいては男鹿に使われてまた高原物語をぶち壊しにされると連れて行ったのが逆効果だったのか。
 ほのかからのメールにも、だからたつみくんも一緒にこればよかったのにー、と書いてあった。
 まったくその通りだ。
 古市はほのかからのメールを思い出し深く頷き、記憶のメモ帳の男鹿のページにバカンスには連れていくこと、と書き加える。
 これでいい。次からは男鹿も○○物語につれていくことにしよう。
 けれど男鹿を○○物語につれて行ったとすると、間違いなく○○に入る言葉は喧嘩だ。おねーさま方との素敵な魅惑の○○物語はかなりの高確率でいかついヤンキーどもと過ごす最悪の喧嘩物語にとって代わる。
 となると結局、バカンスに行こうが石矢魔にいようが、大して変わらない。
 あれ? それじゃあバカンスって無意味? ていうか○○物語の○○に入る言葉は夢? つまりは夢物語? なんかそれって悲しくない?
 俺って不幸…、とほんのり涙交じりの溜息を吐く古市を、ぼへー、と間の抜けた独特の鳴き声のなんじゃもんじゃが見上げている。
 ベル坊の夏休みの宿題を片付けるために呼び出され、出会ったのは素敵なお姉さまではなくなんじゃもんじゃだ。共通点があるとしたらふわふわしているくらいか。
 ぼえー、と目を細めるなんじゃもんじゃは、見慣れてくるとなんだか可愛く思える。ちょっと一本筋を間違えた癒し系といったところだろうか。
 やわらかいし、ふわふわしているし、ぼへー、という気の抜けた声もリラックス効果があるかもしれない。
 ちょっとかわいいかも、と古市がそっと手を伸ばすと、構ってもらえそうな雰囲気を察したのか、なんじゃもんじゃの目がぴかっと光る。
「おい、手ぇ出すなよ」
 ごはんくんに没頭しているかと思った男鹿が、古市の手が向かう先を見咎め注意を発する。それへ、うん、と声を返し、それでも古市は手を止めない。
「おい、古市」
 やめろって、と伸ばした男鹿の手が古市を止めるよりも先に、なんじゃもんじゃが飛びかかる方が早かった。目をらんらんと輝かせ、古市めがけて飛びあがったなんじゃもんじゃだったが、ベッドに括りつけられた紐に引き戻され、べちゃっと床に落ちる。腹を上にしてひっくり返るなんじゃもんじゃが起き上がろうとはしているものの、極端に手足が短いせいでうまくいかずもがいている。
 猫なのに亀のようだ。
「おお…! 見てみろよ、男鹿! なんかかわいいぞ、こいつ!」
「はー? どこがだよ」
 男鹿は面倒くさそうな顔をしているが、古市はもがくなんじゃもんじゃに目を奪われている。
 ぼえーもえーっ、と叫びもがくなんじゃもんじゃの横っ腹のあたりをつつくと、もへっ、と変な声を上げて身をくねらせた。もう一度ちょんちょんとつつくと、顔は依然変わらないが、くすぐったそうに身をよじる。そしてやっぱり、もへっ、と声を上げる。身をよじってはいるが、両手両足が天を仰いでいるので、無意味なバタ足をしているように見える。
「う、かわいい…」
 思わずきゅんっとなってしまった古市がそう零すと、あーん、と男鹿が凶悪な顔をする。もがくなんじゃもんじゃを見た後、へっと面白くなさそうに悪態をついた。
「どこがだよ。お前、目ぇ悪ぃんじゃねーか」
「えーっ、かわいいじゃん! ほらっ! 見ろよ男鹿!」
 つんつんとなんじゃもんじゃの脇腹をつつくと、もへっもへっ、と身をよじる。その動きがなんとも奇妙で古市の胸をきゅんとさせる。
「うおー、かわいいぞ、こいつ! ふわふわしてるし、触っても噛まねーかな?」
 な、と言って男鹿の服を掴むが、男鹿は寝転がったまま、知らん、と顔をそむける。
「うー…触りてーなー。もふってしたい、もふって。噛むなよ? 触るけど噛むなよ? 飛びかかるなよー…」
「俺は触られても噛まねーぞ」
 男鹿の服を掴んだまま、そろそろとなんじゃもんじゃに手を伸ばす古市に、男鹿がそう声をかけたが、お前じゃねーよ、と古市はそっけない。
 慎重に手を伸ばす古市の緊張感を察したのか、いや、魔界の生き物にそんな配慮があるかどうかも疑問だが(そもそも生き物に該当するかどうかすらも怪しい)、なんじゃもんじゃはもへっと鳴きながらもじっとしていた。起き上がろうともがく手足はご愛嬌だが、それ以外は本当に大人しいものだ。
 古市の手がなんじゃもんじゃの腹に触れる。
 もふっとやわらかい感触が手に返り、確かめるように何度か撫でると、なんじゃもんじゃは満足そうにモエーと鳴いた。
「おおおおっ、超やわらかい! ふわっふわだ! もふってなる、もふって!」
「俺ももふってなるぞ」
「ならねーよ! テメーの腹は筋肉ばっかだろーが。うおー、ふわっふわだー」
 なんじゃもんじゃは古市に撫でられると身を捩るが、飛びかかろうとするのではなく満足そうに溜息を吐く。幸せそうなモエーと間延びした鳴き声に、古市は男鹿のシャツを離さないまま身を乗り出した。
「えー、なにこれ超かわいいんですけどー…。抱っこしても噛まねーかな?」
「俺は抱っこされても噛まねーぞ」
「だからテメーじゃねぇっつの。よし、抱くぞ!」
「だから抱っこされても噛まねーって」
「テメーじゃねぇよ!」
 眉間に皺を寄せ、なおもしつこく、俺は噛まない、を繰り返す男鹿を放置し、古市はそっとなんじゃもんじゃを抱え上げた。紐のついたままのなんじゃもんじゃは神妙な顔をしている古市をじっと見ていたが、もえ、と短く遠慮がちに鳴く。
 その愁傷な態度に、古市の胸はきゅうっとなった。
「かわいい…」
「もえ」
「なんつーか微妙な顔してるけど、よく見ればかわいいじゃねーか…」
「もえ」
「つーか癒し系だな、うん、癒し系だ。もふってするし」
「もえ」
「消えた高原物語の代わりがお前っつーのも複雑だけどなー…うーん、かわいいしなー。まぁいっかなー」
 うーん、と唸る古市に、もへ、となんじゃもんじゃが小首を(首がどこかは解らないが)傾げる。それを見た古市は、かわいいじゃねぇかー、となんじゃもんじゃのもこもこした身体を抱きしめた。腕の中でなんじゃもんじゃが、モエーッ、と本日最大級の雄叫びを上げるがそれすらもなんだか可愛く思える。
 もふもふしたものを抱きしめていると幸せだなー、と古市がのほほんと小さな幸せに浸る。もふもふした毛玉にすりすりしていると、突然、腕の中から毛玉が、もとい、なんじゃもんじゃが消えた。え、と目を丸くすると、側で寝転がっていた男鹿がなんじゃもんじゃをがしっとわしづかみにし、そして窓に向かってぶんっと思い切り放り投げた。
「あーっ!」
「ぼへーっ!」
 古市の叫びとなんじゃもんじゃの叫びが重なる。なんじゃもんじゃは男鹿の怪力に投げ飛ばされて窓の外へ吹き飛んでいくかと思ったが、窓ガラスにべしゃっとぶち当たり、毛玉がホットケーキのように広がる。そのままずるずると窓の下へ落ちるなんじゃもんじゃが、なえ…、と鳴く。
「なにすんだよ、男鹿っ!」
「俺の方がかわいいぞ」
 眉も目も吊り上げて思い切り男鹿を睨み付けた古市だったが、寝転がったまま、非常に不機嫌な様子の男鹿の言葉には、はぁ、と目を丸くした。
「もふってなるし」
「……はぁ…。え、いや、だからお前はもふっとはならんだろう…」
「触られても噛まねーぞ」
「いや、前に噛まれたことあるぞ」
 寝ている男鹿を起こそうと思ったらがぶっとやられたことがあった。
「あれは寝ぼけてたからだ。ばかめ。古市ばかめ! ちゃんと目が覚めてたら舐めたわ」
「舐めんな! ふざけんな! つーか、投げんなよなー。なんじゃもんじゃがかわいそうだろ」
 ぽてぽて歩いて戻ってきたなんじゃもんじゃを、なぁ、と言いつつ抱き上げようとすると、それよりも先に、むくりと身を起こした男鹿の手がさっとなんじゃもんじゃを捕まえてしまう。ほげっ、と細い目を精一杯見開くなんじゃもんじゃの首を(どの辺が首かは解らないが)ぎゅっと掴み、男鹿がにたぁと笑みを浮かべた。
 その顔は凶悪だ。
「調子こくんじゃねーぞ、もんじゃ。古市に飛び付いていいのは俺とベル坊だけだ。ついでに言うと舐めていいのは俺だけだ! ベル坊も舐めちゃダメっ!」
「あだっ?」
 え、マジ、と言う顔でベル坊が振り返り、古市は冷めた目で男鹿を見る。
「えー…なにそれ、つかお前にも舐められたくないんだけど…」
「次に下手こいたらテメーの毛むしりとってさかさまに吊るしてオーブンで焼いてヒルダのコロッケの具にすっぞ」
 ぐっと首を絞めつけると、なんじゃもんじゃが真っ青になってがたがたと震えだす。なえーっ、と叫ぶなんじゃもんじゃを、俺の古市に近付くな、と小さな声で最後の一押しをしてから再びぶんっと放り投げると、なんじゃもんじゃは言葉なく窓ガラスにぶち当たり、またもやホットケーキ状になった。ぽてっと床に落ちたなんじゃもんじゃは、古市によろよろと近付こうとしたが、ニタァと笑う男鹿を見るとそそくさとアランドロンの影に隠れてしまう。
「あらやだ、アタシ狙われてる?」
 アランドロンがぽっと頬を染め、古市は溜息を吐いた。
「あーあ…慣れてきたのに…」
「ケッ」
「ケッじゃねーよ、ケッじゃ! 俺のもふもふ物語! 折角の癒しタイム! 高原物語から連れ去られて傷ついた俺の心を癒すもふもふタイム! なにやってくれてんの、男鹿テメー本当もういい加減に…っ!」
 キィイッと歯ぎしりをする古市のすぐ横に、よっこいしょ、と男鹿が身体を横たえる。ぽすんと落ちた先は古市の膝の上だ。
「………いや、あの、なにやってんスか、男鹿さん…」
 そのままごはんくんの続きを読み始める男鹿が、んー、とちらりと目だけを上げる。
「ひざまくら」
「いや…、それは解るんだけど、なんで俺の膝を枕にしてんスか」
「あー? だってお前、癒しタイムが欲しいんだろ? ほれ、思う存分撫でて癒されろ」
 おら、と頭をごいごい膝に押し付けられて、古市はもう何を言っていいのか解らない。
 お前を撫でても癒されねーよ、と言ったところで男鹿は、なんでだ、と不思議そうな顔をするだろうし、かと言って怯えるなんじゃもんじゃを引きずり出すのもなんだか哀れだ。怯えきったなんじゃもんじゃは男鹿がいるせいで古市には近付いてこず、安全圏と判断したらしいアランドロンの頭の上でふーふー唸っている。
「あいーっ!」
 何やら新たなお絵かきをしたらしいベル坊が、『わくわくノート』を男鹿の腹の上に広げ、これを見ろとばしばし叩く。ぴかーっと光って飛び出たものに、男鹿が目を丸くする。
「お、なんだベル坊。星と…なんだそれ? キュウリか?」
「だーっ、ぶーっ! あいーっ、あっ!」
 星っぽいものとキュウリっぽいものはベル坊の頭上を飛び交い、ベル坊はそれを見上げてぱちぱち手を叩いて喜んでいた。
「あー…男鹿、あれだ。海だ海。ナマコとヒトデだ」
「お、あれかー」
「あだっ」
「海も面白かったよな。また今度行くか?」
「うぃー!」
 頭上を飛び交うナマコとヒトデに喜んでいたベル坊だったが、男鹿と古市を見比べると、あだっ、と何かを察したように男鹿の腹によじ登る。そしてそのまま古市にだーだーと何かを訴え始めたので、あーはいはい、と古市は溜息を吐いた。
 最近、無駄にベル坊への対応スキルが上がってきた気がする。
 高校生なのに子守りがうまくてどーすんだ、と思うが、ベル坊が尚もだーだーと要求するので、その緑色の髪をわさわさと撫でてやった。
「うぃいいーっ!」
「あっ、ずりぃ! なんでベル坊だけ撫でるんだよ!」
「ずるくねーだろ。つか、なにがずりぃんだよ」
「俺も撫でろ! 思う存分撫でろ! さあ!」
 腹にごいごいと頭を押し付けられ、古市はもう負けた。
 素敵な高原物語も、魅惑の海物語も、ほっと一息もふもふ物語も全部消えた。
 残っているのは子育て物語だ。
 がっくりと肩を落とし、男鹿の黒い髪をぽんと叩き、わさわさと撫でると、男鹿は満足したようににんまりと笑う。
「どーだ、癒されるだろう」
 いいことをした、と言わんばかりの男鹿の顔に、古市はもう笑うしかない。
「あー…はいはい、癒されますよ……はぁ…」
 男鹿は満足そうに頷き、そーだろうそーだろう、と悦に入っている。
「俺はちゃんと責任取る男だからな! 責任もって古市を癒してやる」
 うん、俺っていいやつ、と男鹿は非常に満足そうだ。
 そーですか…、と古市は溜息を吐く。つかこれってどっちかって言うとお前の方が癒されてるよね、とは言ってはいけないのだろう。余計な騒動が起こりそうな気がする。
 古市は消えた三つの○○物語に思いを馳せながら、あいーっと叫び、もっと撫でろと強要するベル坊と、あっずりぃ、俺も撫でろっ、と腹にすり寄る男鹿の頭を両手でわさわさと撫で続けていた。



なんじゃもんじゃ! あのかわいい生き物ストラップにしてぶら下げたい!
いい味出しとったんですが、もう出てくることはないんだろうなぁ。生れ落ちて一番に古市に飛び付いた見どころのあるやつでした。なのになんでアランドロンの頭の上に落ちついてんの?と言う疑問から生まれた話です。
古市がだんだん子育てに疲れてるおかーさんみたいになってきた…。責任もって労わってやれよ旦那。