二十九歳、家族に甘やかされた日
※2012年スパコミで発行したプロポーズ本の設定です。
 そんなにネタバレしてないけど、ネタバレいやんな方はお気を付けください。



 昼はまだ暑い日が続くが、夜はすっかりと冷え込むようになった。秋が近付いているなと男鹿が感じるのは、そう言う気温の変化ではなく、夜には離れて寝ていた古市がいつの間にか擦り寄って男鹿の体温で暖を取ろうとし始めた時だ。
 布団を二つ並べ、その間に隙間なんてないから、その気になればいつだってごろごろとお互いの領地に割り込めるのだが、夏場は暑くてさしもの男鹿もくっつく気にならない。
 築二十五年のアパートに一応エアコンは設置されてはいるものの、あまり効きがよろしくないのだ。スイッチを入れればゴーと鈍い音を立てるそれを見上げ、新しいの買おうかと散々話していたものの、結局買わずじまいで夏が終わる。
 来年こそは新しいエアコン買おう、と思っていると、ふみー、と小さな鳴き声がした。薄目を開いて声のした方を見ると、古市の頭の向こう側で黒猫と白猫がくっついて箱を作り、じっと男鹿を見つめている。黄色の目と青い目が揃ってぎゅっと細められ、男鹿はいつの間にか古市の枕替わりにされていた腕を動かさぬよう、その手でそっと小さな額を順に撫でる。ゆっくりと頭の形を辿るように撫でれば、みぃ、と白い方が声を上げた。
 黒い方の猫は男鹿と古市が住む築二十五年、いや、住み始めた時に築二十五年だったのだから、もう築三十四年か。二人が住む築三十四年のボロアパートの大家が黒豆の煮物と一緒にくれた猫で、名前はくろまめだ。黒いし、黒豆の煮物と一緒にやってきたし、と安直な男鹿のネーミングセンスで名付けたくろまめの隣で、同じように箱を作ってきゅっと目を細めている白い猫は、おもちと言う。昨年の正月、ストーブで焼いた餅を食べている時にやってきたので、おもちと言う名前になったが、名付け親は男鹿のネーミングセンスを散々馬鹿にしていた古市だ。二匹まとめて、まめもち、と呼ぶと、みぃと口をそろえて返事をする。おもちの顎に指を走らせると、ごろごろと喉を鳴らして手のひらに顔を押し付ける。すりすりと頬を摺り寄せていたおもちが、不意に顔を上げた。ぴんと耳をたて、閉めたふすまの向こうを透かし見ようとじっと目を凝らしている。
 どうした、と思っていると、ふすまの向こうでごそごそと動く気配があった。
 みゃう、とくろまめが鳴き、億劫そうに立ち上がった。ぶるっと身体を振るった後、おもちの頭を一舐めしてからふすまの方へ向かう。かりかりと引っかいて、ふすまを少しだけ開けると、くろまめはその隙間をすり抜けるようにふすまの向こう、居間へと行ってしまった。
「おもちも行かねーのか」
 ん、とピンク色の鼻を突いて尋ねると、ぶみ、とおもちがくぐもった声を漏らす。ぺろりと男鹿の指を舐め、甘えるのにも飽きたとばかりに目を閉じ、こくりこくりと船をこぎはじめたので、男鹿は頬を緩め、おもちを撫でていた手で古市を抱き寄せた。
 まだぐっすりと眠っている古市は、するりと甘えるように肩口に擦り寄る。無意識のその仕草が愛おしい。
 ふすまの向こうはくろまめが相手をしてくれるだろうし、もう一度寝ようと目を閉じ、銀色の髪に頬を摺り寄せる。うん…、と何も言っていないのに頷く古市の、多分寝言を聞きながら、うつらうつらしていると、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。
「たつみーっ!」
 すぱんっとふすまを勢いよく開ける音とともに、小さな身体が弾丸のように突っ込んでくる。
「うおっ」
 仰向けに寝ていた男鹿の腹に遠慮なく飛び乗ったのは、来年小学生に上がる姪だ。美咲の子どもで、美雪と男鹿と古市が名付けた。誰に似たのか、考えるまでもなく美咲に似たのだろうけれど、腕白で困る。遠慮なく飛び込んできたせいで膝がみぞおちに当たるが、軽い身体なのでさしてダメージはない。
「たつみっ、おきてっ! あさだよっ!」
 腹の上でぼんぼんと尻を跳ねさせる美雪に、うっせぇ、と男鹿は顔を顰める。
 すーすーと気持ち良く寝る古市を起こさぬよう、腕を動かさないように気を付けてはいたのだが、子どもの大声で目を覚ましたらしい。
「美雪、声、大きいよー……」
「たかちんもおきてっ! あさなんだよっ!」
「ううー……まだ早いだろ……何時…?」
 男鹿は枕元の目覚まし時計を取り上げると、短い針が六と七との間にあるのを見た。
「六時半」
「早いってー……」
 古市はしょぼしょぼと目を瞬いていたが、眠さに負けたように男鹿の肩に顔を突っ伏す。もぞりと動き、余計に身体を密着させてくる。古市がもう一度寝そうだと察したのか、美雪が慌ててぱしぱしと古市の肩を叩いた。
「だめだよ、たかちん、おきてっ! きょうはすいぞっかんいくんだよっ!」
 ぼすんぼすんと話すたびに尻を弾ませるので、男鹿は腹が苦しくて仕方ない。飯の後じゃなくて良かった……、と思いつつも、男鹿はくあぁあと大きな欠伸をした。
「水族館はまだ開いてねぇぞ。あーゆーのは大抵、九時か十時しか開かねぇもんだ」
「でもすいぞっかんまでいくのにじかんかかるんだよっ。いるかのショーもみたいもん!」
「車で行くから、そんな時間かかんねーよ」
「でもっ、じかんかかるもんっ!」
 ぷぅと頬を膨らませた美雪は、古市がすうすうと寝息を立てているのに気付くと、んもーっ、と眉を吊り上げた。
「たかちんっ、はやくおきなさいっ!」
 美咲の真似をしているのか、腰に手を当ててぷんすか怒って見せる美雪に、薄目を開いた古市がへらりと笑う。
「あと一時間寝かせてよ。七時半になったら起きるから」
「だめー!」
 ぶーっと喚く美雪が男鹿の腹を滑り降りて、ぴったりくっついている古市との間に割り込む。ぎゅっと力一杯古市の胸に足と手を突っ張って、男鹿の横腹に背中を押し付け、二人の間を開けようと頑張っている。
「はやくおきてーっ! すいぞっかんが、にげちゃう!」
「逃げねぇって」
 ぶは、と笑う古市が胸と腹を押され蹴られながら、けらけらと笑う。ちょっぴりまだ眠そうではあるけれど、ここまで間近で騒がれては起きるしかないのだろう。
「水族館が九時に開くとして、うちから水族館まで車で三十分だぞ? 美雪が顔洗って、歯磨きして、着替えるのにどれだけかかる?」
「んーと、さんじゅっぷんくらい」
「それじゃ、八時に起きても間に合うなー」
「まにあわない! だってごはん、たべるもん! それに、みゆきはたべるだけだけどっ、たかちんはごはんつくらなきゃ!」
「あー、そっかぁ。じゃあ起きないと駄目かなぁ」
 もう少し寝かせておいてやりたかったと思いながら、身を起こした古市を寝転がったまま眺める。古市の銀色の髪にぴょこんと跳ねた寝癖がある。襟足の下から、まだ少し赤い跡が見えて頬を緩めた。
 あれを付けたのは、ちょうど一週間前だ。あと二日もすれば新しい跡をあの消えかけたキスマークの上につけられる。
 美咲が旦那と旅行に行くからしばらく預かっといてと美雪を連れてきたのは今週の始めだ。弟か妹が欲しいって言ってるし、ちょっと仕込んでくるわ、とあけすけに笑った美咲は、海外旅行に出かけてしまったのだ。
 お泊りをするのは初めてではないし、美雪は男鹿も古市もどちらも家族だと認識しているせいで、築三十四年のアパートでのびのび過ごしている。
 男鹿が出勤する際に幼稚園に連れて行き、お迎えは築三十四年のアパートの大家に頼んでいる。城山の祖母は美雪を迎えに行って、おやつを食べさせ、古市か男鹿、どちらかが帰ってくるまで子守りをしてくれているのだ。男鹿の両親か、古市の両親かどちらかに頼もうと思っていたのだが、両家揃って温泉旅行に出かけてしまっていた。遠くの親類より近くの他人とはよく言ったもので、大家のばあちゃんが預かってくれていなかったら、どちらかが仕事を休まなければならなかったのだ。なんとも有難い話だ。
 古市は美雪を布団の上におろした、起きることにしたようだ。美雪を宥めるよりも諦めて起きた方が静かになる。振り返る古市が柔らかい顔で男鹿を見下ろす。
「お前はもうちょい寝てろよ。昨日大変だったんだろ」
 終業時間間際に滑り込みで修理の依頼が入り、男鹿は日付が変わる直前まで職場にいた。家に帰ってきたら古市と美雪は先に寝ていたので、男鹿はひとりで居間に用意されていた夕飯を食べ、美雪の布団を敷いて、そこに古市と一緒に寝ていた美雪を運び、自分が古市の横に滑り込んだのだ。
 伸ばされた手がさらりと頭を撫でる。
 心地よいその手に目を閉じると、古市の手によって髪がよけられた額にちゅっとキスが降る。
「朝飯できたら起こすから、それまで寝てな」
「えー、たつみもおきてーっ!」
「駄目です。昨日、美雪が起きてる間に帰ってこなかっただろ? 辰巳は疲れてるの。もうちょい寝かせてあげないと、水族館まで車運転してくれないよ」
「あっ、それはだめっ」
 男鹿の上で飛び跳ねようとしていた美雪が、慌てて古市の方へ身を寄せる。別に平気だぞ、と言いかけた男鹿だったが、美雪が足元にわだかまっていた布団を、男鹿の胸元にまでひっぱりあげて、ぽんぽんと胸を叩いたので思わず目を瞬く。
「おこすまでねんねしててくださいねー」
 美雪はあやすように男鹿の胸をぽんぽんと叩いた後、男鹿の額にちゅっとキスをした。古市が良く美雪にやっている寝かしつける前の仕草だ。
「………なに、お前、それ、いつ誑し込んだの?」
 古市がやっかみを込めた目で見下していて、へへ、と男鹿は笑う。
「お前の真似してんだろ。な、美雪」
「うん!」
 にこーっと邪気なく微笑む子どもにはさすがの古市も文句を言えないらしい。意外に独占欲の強い古市だが、本気で美雪と張り合う気はないようだ。それも当然か。美雪は姪ではあるものの、頻繁に預かることがあるから、すでに自分たちの子どものような気持ちも僅かとは言え持っているのだ。
 男鹿はへらりと笑って、むぅと口を曲げている古市を指でちょいちょいと呼ぶ。
「ほらお前も、ねんねしてーって」
「アホ」
 ちょんと自分の頬を曲げた指で示して見せると、古市は呆れたような顔をする。けれどじっと美雪が見ているのに気付くと、仕方なさそうに笑みを浮かべ、身を屈めて男鹿の頬と、それから唇に、触れるだけの優しく愛しいキスをした。
 間近にある灰色の瞳に、男鹿は目を細める。
「水族館行ったら、ばあちゃんに土産買わねぇとな」
 手を伸ばして古市の頬を撫でると、猫が寛ぐように古市も目を細める。
「あー…そだな、美雪預かってもらってんだし、他にもおいしいもん買ってこなきゃな。美咲さんとお義兄さんと…お義母さんとお義父さんにもお土産いるかな?」
「いらねーだろ。こっちが欲しいくらいだっつの。孫置いて旅行行きやがって」
 古市は、ぼやかないぼやかない、と笑い、頬に触れる男鹿の手のひらにちゅっとキスをする。それから身を起こすと、男鹿の側に座り、ぼーっと見上げていた美雪ににこりと微笑んだ。
「朝ご飯作るから、美雪も手伝ってくれよ」
「うんっ、てつだう! あ、まめもちにごはんあげる!」
「よし、じゃあお願いしようかな。先に水替えてあげてからな」
「はーい!」
 美雪がぱたぱたと居間へかけて行くと、古市の布団の方で丸くなっていたおもちも起き上がりのっそりとその後を追う。餌をもらえそうな雰囲気を敏感に察したのだ。白いお尻がぷりぷりとふすまの向こうへ行くのを見送った後、古市の手が優しく男鹿の髪を撫でる。
「飯できたら起こすから、それまで寝てな」
 おう、と頷き、素直に目を閉じれば、下りた瞼を褒めるように古市の唇が触れる。離れて行く体温を寂しく思いながらも、古市がもたらしてくれたわずかな眠りの時間が心地よく目を開けられない。居間から聞こえる美雪と古市の声を聞きながら、男鹿は微睡の中を揺蕩っていた。



あおめかんさんからのリクエスト。「同棲おがふる」です。
プロポーズ本の設定でして。あれの後って感じですね。くろまめとおもちでまめもちなのはあおめかんさんとツイッターでおしゃべりしてて生まれたものでして。
おがふる同棲って言われるとやっぱこいつらを出さないといけない気分になってしまうのよほほほ。
というわけであおめかんさんへ! リクエストありがとうございました!