黄色のヒツジ


 ばさばさとクロゼットから取り出される白っぽい服を眺め、古市は大きな天蓋付きベッドの上でハァと溜息を吐いた。膝を抱え、足元に転がっていた黄色のヒツジのぬいぐるみを爪先で蹴飛ばす。つぶらな瞳をして古市を見上げていたヒツジがころんと転がり、ベッドの下に落ちてしまった。
「何をしている」
 あんたの背中には目がついてんのか、と聞きたくなるくらい絶妙なタイミングで振り返ったジャバウォックが、眉間に刻まれた皺を更に深くする。その鋭い目は古市に蹴飛ばされて床に落ちた黄色のヒツジのぬいぐるみを見つめている。
「ヒツジも気に食わないのか?」
「だから、俺は、そんなぬいぐるみで遊ぶ年じゃないっす」
「だが似合うだろう」
 それもどーだ、と古市はむぅと口を曲げる。
 見た目はそこそこイケメンなのに、このジャバウォックと言う悪魔は果てしなく趣味が悪い。そのジャバウォックに似合うと言われると、世間一般で果てしなく似合わないと言われているのと同義ではないのかと思ってしまうのだ。
 膝を抱えたまま動かない古市に焦れたのか、ジャバウォックは片手に白い布の山を抱えてやってきた。カウチにそれらをどさりと置き、床に落ちた黄色のヒツジを拾い上げる。差し出され、受け取らずにぷいと顔を背けると、はぁと大きな溜息を吐かれてしまった。
 溜息吐きたいのはこっちだッ、と頬を膨らませる古市の横に、黄色のヒツジがぽんと置かれる。まるで古市の代わりにそうするように、ジャバウォックの無骨な手がヒツジの頭をぽんぽんと撫でて離れて行く。
「ヒツジはもういい。着替えを選べ」
 ぐいと腕を引かれ無理矢理ベッドから引きずり出されるが、別に乱暴をされているわけではない。ジャバウォックの力が強いせいで、古市が抗う抗わないに関わらず引きずられるような格好になってしまうのだ。少しでも痛そうな素振りをすれば改めてくれるので、ジャバウォックは古市に危害を加えるつもりは毛頭ないようだ。
 確かに肉体的な危害は与えられていないが、精神的な危害ならたんまりと食らっている。
 古市はジャバウォックに連れられ、カウチの前に立たされた。
「どっちがいい?」
 そう言って持ち上げられたのはどちらも白いワンピースだ。どちらもゆったりとしてふんわりとして半袖で、全体的な雰囲気は良く似通っているが、片方の裾にはフリルがたっぷりあり、もう片方にはない。フリルが少ない方を選びたい古市だが、そちらの方の生地は薄く、向こう側が透けて見える。しかも肩ががばっと開いている。それじゃあフリルたっぷりの方を…、とはいかない。裾にフリルがたっぷりついている方は、襟ぐりにもフリルがたっぷりで、おまけに顔と同じくらい大きなリボンがごてっとついている。
「…………また、これ、透けてるじゃないすか…」
 不貞腐れた声で唸るように呟けば、そうか、とジャバウォックは不思議そうに首を傾げる。
「少しくらい構わんだろう」
「少し? これが、少し? どこが少しなんすか、すっげー透けてるじゃないですか! ほらっ! こっち側からあんたの軍服見えてるんですけどっ? こんなの着たら何もかも見えちゃうよねっ、だって俺今パンツ履いてないしっ!」
 古市はぎゃんぎゃんと喚くが、ジャバウォックにはまるでひよこがさえずっているようにしか思えないらしい。多少見えても構わんだろう、と不思議そうに言うので、あんたは良くても俺が嫌なのッ、と精々怖い顔を装う。それなら、とその向こう側が透けるワンピースはお着替えの候補から外された。
「これはどうだ?」
「それも透けてるッ! 超透けてるッ! 部分的に透けてる!」
 カウチにまだこんもりと積まれた白い山から引っ張り出されたのは、胸の部分と、腰の部分辺りの生地だけが普通のもので、それ以外はレースの実に珍妙なワンピースだ。ワンピースと言うよりネグリジェだ。胸と大事な所だけは隠したけれど、それ以外は見ちゃってもいいのよ、と言わんばかりの大人の夜のネグリジェだ。胸の部分がハートの形をしているのが更にいやらしさ倍増だ。
「て言うか部分的な透け感が更にいやらしさアップなんですけどどこでこんなもん調達してくるんすかッ! てゆーか、なにこれッ! 誰の趣味ッ? スケベ親父かッ!」
「男は多かれ少なかれスケベなものだ」
「何カッコイイ真顔で変なこと言ってんのッ! あんたどーゆー趣味なんだよ! マジで趣味悪いでしょ!」
「……可愛いだろうが」
「どこがッ!」
 ほら、と押し付けられたネグリジェをひったくり、びたんと床に叩きつける。正確には床に敷かれた毛足の長い高級そうな絨毯の上だ。くたりと横たわるネグリジェは完全に絨毯の模様を透けさせている。
「胸のハートが」
「アホかっ!」
 怒りのあまり思わず言い返してしまった古市は、まずい、と肝を冷やす。
 仮にも相手は男鹿と死闘を繰り広げた悪魔なのだ。ベヘモット柱師団の実質的なトップで、力量も当然トップクラスだ。石矢魔最弱の男、古市貴之がどうあがいても勝てる相手でも、逃げ果せる相手でもない。
 今度こそ怒らせたかも、と肩を竦める古市を見下ろし、ジャバウォックが眉を寄せた。
「何が気に食わないんだ。白は嫌か?」
 ピンクにするか…、と呟くジャバウォックに、怒らせたかもと萎縮していた気持ちなど吹っ飛んだ。
「色じゃなくて透けてるとこ! 透けてないのがいい! あとフリルもリボンもついてないのがいい!」
「そんなもの……可愛くないだろう」
 理解できん、と顔を歪めるジャバウォックに古市は地団太を踏みたい気持ちをぐっと堪える。
「可愛くなくていいから、透けてなくてリボンもフリルもついてないヤツがいいッ!」
「おやおや、またやってるんですか」
 飽きないですねぇ、と呆れた声を上げながらひょこりと部屋に顔を出したのはピエロの顔をした悪魔だ。ここに連れられてきてから三日、古市も何度か会ったことのある悪魔だが、名前が未だに覚えられない。悪魔野学園のいざこざではパズルで足元をすくわれたお茶目さんだった記憶がある。
「何の用だ」
 ジャバウォックがすっと眉を寄せ、威嚇するようにピエロの顔をした悪魔を睨む。楽しみを邪魔されたことにいらだちを隠しきれないようだが、古市は助かったとばかりに胸を撫で下ろした。
 このピエロの顔をした悪魔が何か大事な用があるとかでジャバウォックを呼びに来たのなら万々歳だ。これで午後の着替えからは免れられる。
 最低でも一日に二回着替えさせられ、その度にこの押し問答だ。しかもジャバウォックはこのやり取りが楽しいようで、着替えの度に透け感は増していく。最終的にはそれなりのものが出てくるのだが、本当に、趣味が悪い。
 ぐったりとする古市の前に、呼ばれもしないのにピエロの顔をした悪魔はやってきた。
「いえね、その子がほら、透けてるのが嫌だとかフリルが嫌だとか言ってたでしょう。だからその子の住んでた地域から服を取り寄せてみたんですよ。それなら気に入るんじゃないかと思って」
 そう言ってピエロの顔をした悪魔はひょいと軍服の下から風呂敷包みを取り出す。おばあちゃんが使ってそうな昔懐かしの紫色の霞がかった風呂敷を軍服の下のどこに隠していたのかと気にはなるが、あまり深く考えてはいけないのだ。だってこの人、ピエロだから。
「ピエロさん……っ…!」
 あんたなんていい人だ…っ、と古市は思わず両手を合わせる。
「ケツァルコアトルです。あ、よく長くて名前が覚えられないと言われるので、面倒だったらケツさんと呼んでいただいて結構ですよ」
「ケツさん…っ!」
 古市は思わず救いの神を崇めるがごとく潤んだ瞳で見上げる。
「貴様、余計なことを……」
 ジャバウォックの地を這うような唸り声にはお構いなしで、どうぞどうぞ、とピエロの顔をした悪魔、改めケツさんが風呂敷包みを渡してくれた。
「やったー! これでようやくまともな、服…が……?」
 いそいそと床に膝をついて座り込み、風呂敷包みを開けた古市は、はらりと風呂敷を広げた手を思わず止めた。
 中から出てきたものは、確かに透けてはいない。フリルもついていないし、リボンもない。レースもない。確かにそこだけを見れば望んでいた通りのものだ。
 古市は震える手で綺麗に畳まれたそれを持ち上げた。
 白い着物に、赤い袴。
 石矢魔でこれを着ている人はいる。いるにはいるが、特殊な職業の人だ。しかも女物だ。
「……巫女さんの………装束……」
 せめて男物にしてほしかった……、とがっくり肩を落とす古市だったが、だが考えようによっては今までよりもマシだ。
 フリルもレースもついていないしリボンもないのだから、断然マシだ。しかもワンピースやネグリジェではない。袴だからズボンみたいなものだ。
「ありがとうございます、ケツさん。早速これ着ます」
 透けてないし、レースもフリルもリボンもないし、と自分を言い聞かせて巫女装束を抱きしめると、横から伸びた手にひょいと袴を奪われてしまった。
「あっ、ちょ、何するんすか! 返してください!」
 ジャバウォックに引き裂かれては叶わないと必死で手を伸ばすが、ジャバウォックの長い手に頭をぐっと押さえられては袴にまで手が届かない。返してーっ、とわたわたと手を振り回して抗議する古市を、おやおや、とケツさんが楽しそうに眺めている。だがよく考えればピエロの顔はいつも楽しそうだ。
 ジャバウォックは赤い袴を片手で広げて眺めていたが、おもむろに眉を寄せ首を傾げる。
「……裾にレースでもつけた方がいいだろうに、こんなものが嬉しいのか? 貴様、趣味が悪いな」
 心底理解できないとばかりに漏らされた言葉に、古市はカッと目を見開き腹の奥底から叫ぶ。
「あんたが言うな――――――ッ!」
 窓ガラスをびりびりと震わせる大声に、ケツさんがぶはっと吹き出し腹を抱えてけらけらと笑っている。
 髪の毛を逆立ててふーふーと唸る古市の髪を撫で、ジャバウォックはそれで古市を宥めようとでもしているのだろうか。無表情で見下ろすジャバウォックの手から袴を取り戻し、古市はレースやフリル、やたらデコラティブなリボンをつけられる前にとさっさと赤い袴に足を突っ込んだ。



かっこいいジャバ様が好きなんです…。