白いうさぎ


 ちかちかと目を刺す光に意識が覚醒する。うー、と呻き声を上げた途端、頭の後ろにずきっと痛みを感じ、イテェ、と思わず声を上げた。
 こういう感覚は、残念なことにお馴染みになってしまっている。
 男鹿の連れだと因縁をつけられ絡まれて、不良のみなさんに取り囲まれて後頭部に一発お見舞いされて暗転、気付けば廃墟だと他校の体育館倉庫だのとあまり衛生的ではない場所に縛られて転がされ、男鹿を呼び出せと、いかつい顔を寄せられるのだ。
 あーはいはい、電話しますよ、とちかちか目に飛び込む光が眩しくて、目を閉じたまま投げやりに声を上げると、でんわ、とやや不思議そうな声が耳に入った。
「電話…とはなんだ?」
 え、と古市は目を閉じたままぎしりと硬直した。
 今の声は、不良の声じゃない。高校生じゃないし、勿論中学生でもない。それよりもずっと年上で落ち着いた男の声だ。一番近いところで言うと早乙女辺りだろうが、けれど早乙女の声とは違う。
 おそるおそる、目を開く。
 押し開けた目に飛び込んでくる眩しい光は窓の外からの光を、窓際に吊るされたクリスタルのウィンドベルが反射しているせいだ。窓を開いてあるのかレースのカーテンが風にそよぐ。レースのカーテンで折角和らいだ光がウィンドベルで反射されているのだから世話がない。悪循環だ。そんなことをぼんやりと思った古市は、傍らで動く気配にぎしりと身体を強張らせた。
「目が覚めたか」
 低い声に、覚えがあった。嫌と言うほど覚えがあった。回数にしてみればほんのわずかな回数聞いただけだと言うのに、肌の裏側がぞわぞわするこれは恐怖だ。だらだらと冷や汗を垂らしながら、傍らに立った男を見上げた。
 黒い軍服の肩には房飾りがたくさんついていて、着崩した前から見える白いシャツにはやっぱり黒いネクタイがだらしなく下がっている。胸元だけを見れば仕事上がりのサラリーマンと言った体だが、この男の仕事はもれなく殺戮だ。
 そしてその上にある厳めしい顔に、いよいよ恐怖がせり上がる。
 硬直し、声が出ない。
 ジャバウォック。
 古市の横に立っているのは、あの男鹿がかろうじて勝利した相手だ。
 その相手が側にいると言うことは、つまり古市は捉えられたのか。男鹿に仕返しをするつもりで古市を人質に取ったのか。確かにまたヒルダを人質に取るにはリスクが高い。彼女は侍女悪魔野中でもずば抜けて能力が高く、戦闘においてもそれは同じだ。ベル坊など論外だ。それ以外で男鹿の側にいるとなると自分かアランドロンか邦枝か。一番非力な自分を選んだのだろうと言うことはすぐに分かった。逃げ出すこともできず、助けを待つしかない。連れ去って人質として監禁しておくのに手間がかからなければかからないほどいい。それくらい古市にも解る。と言うことはここは魔界か。
 かたかたと身体が震える。
 人質にするのなら殺されないと言うことは解る。けれどそれとは別に恐怖に身体が震えてしまうのだ。
 横たわったまま身動き取れない古市に、ジャバウォックが不思議そうに首を傾げる。
「……動けないのか?」
「ひっ」
 伸ばされた手に慌てて飛び退こうとしたが、横たわったままなので動けず無様にもがいただけだ。思わず飛び出した悲鳴に、ふむ、とジャバウォックは何やら考え込むように声を漏らす。触れようと伸ばされた手を引っ込めたことは嬉しいが、観察するような視線が痛い。というか、怖い。
「動けはするようだな。身を起こせ、人間。いつまでもそんな薄汚い恰好をさせてはおけんからな。着替えてもらう」
 薄汚い恰好って…、と古市は己の身体を見下ろした。促されて素直に身を起こした自分も自分だと思うけれど、人に言われるほど薄汚い恰好をしているつもりはない。
 石矢魔高校の学生服だ。黒いズボンにカッターシャツにセーター。いつもの恰好だ。
 ずきずき痛む頭を抑えながら思い返したのは、学校帰りに拉致られたのだと言うことだ。と言うことは鞄はどこかへやってしまっただろうか。財布も携帯電話もズボンのポケットに捻じ込んでいるから、鞄がなくなった所で困ることはないのだが、教科書がなくなるのは地味に痛い。折角、三木に頼んで聖石矢魔の教科書を手に入れてもらったと言うのに……、とそこまで考えた古市は、はた、と頭を撫でる手を止めた。
 あまり見たくないものが視界に入ってきたのだ。
 白いレースにアイボリーのリボン。そよそよと風にそよぐそれは、古市が寝かされていた天蓋ベッドの周りを覆う布だ。それよりも更に分厚いしっかりした生地もあるようだが、四隅の柱にまとめられているので水色だと言うこと以外あまり解らない。分厚い生地よりも若干ゆるく、ふんわりとドレープを描きまとめられているのが、そのレースのカーテンだ。白いレースに、アイボリーのリボンがそこかしこに使われていて、なんともメルヘンだ。よく見れば枕も同じようなフリル感満載だった。
 そして柱にもたれさせるようにしておかれているのが、大きなうさぎのぬいぐるみだ。白くて見るからにふわふわしてそうで、目が赤い。ベル坊ほどの大きさのそのうさぎの首には水色の大きなリボンがかけられている。
「……はぁ?」
 うさぎ? と首を傾げる古市に、おい、とジャバウォックが声をかける。
「早く着替えろ。その薄汚いのは洗濯させる」
「あ、はい……?」
 ジャバウォックに促され、うさぎからどうなり目を離した古市は天蓋ベッドの外、つまりは部屋の内装を見てぎょっと目を見開いた。
 白い壁に白いデコラティブな柱、窓枠もなんだかベルサイユ宮殿みたいな窓枠で、そこにかかっているカーテンは天蓋ベッドの分厚いカーテンと同じ水色だ。壁際に置かれたやっぱりベルサイユ宮殿みたいな調度品のどれもが水色が多く使われていて、チェストの上に置かれた花瓶には豪勢な花が飾られている。天井からはシャンデリアが吊るされ、きらきらと光り輝いているし、部屋の中央に置かれた丸い大きなテーブルにかかるテーブルクロスはアイボリーだが、レースがふんだんに使われている。カウチやソファもやっぱりベルサイユ調で、水色が基調に使われ、カウチに置かれた詰め物たっぷりのクッションもカウチと同じ水色とアイボリーで実にメルヘンだ。
 そのカウチの側に立つジャバウォックだけが、異彩を放っている。
 と言うよりも部屋中が異彩を放っていて何が異彩なのか解らない。とりあえずジャバウォックの黒い軍服に思わずほっとしてしまうほど、装飾過多な室内で、振り向いたジャバウォックが強面を少しも動かさずに、カウチから取り上げた服の肩の部分を摘んでぴらりと広げて見せた。
「これはどうだ?」
 ジャバウォックが見せたのは真っ白なドレスだ。いや、ネグリジェだ。パフスリーブにはやっぱりレースがついていて、びろーんと広がるスカート部分にもレースとフリルがたっぷりだ。向こう側が透けて見えている。だってジャバウォックの軍服のボタンが見えているのだ。ネグリジェの用途を成さないほどすけすけのそれの胸元にはちんまりと小さなリボンがついている。
 意外だ。想定外だ。予想外だ。理解の範疇を超えている。
 ジャバウォックとそのネグリジェの取り合わせが、あまりにもミスマッチすぎてもはや視覚に対する暴力だ。頭ががんがんと痛む。殴られたことに対する痛みではない。混乱から引き起こされる頭痛だ。もはや何をどう反応していいのかすら解らない。
 混乱の極みでものも言えない古市に、ジャバウォックは僅かに首を傾げる。
「流行の服は嫌いだろうか?」
「どこでそんなセリフ覚えてきたの――――――――ッ?」
 思わず腹の底から怒鳴った古市の声が、広い部屋中にこだまする。
 丁度、窓の下で植木に水をやっていたクソブラーが、突然の大声にびくっと肩を竦める。振り返り仰いだ窓からは、古市の混乱しきった声と、何かを諌めるジャバウォックの声が聞こえてくるが、大半はよく聞きとれない。まぁどうでもいいか、とクソブラーは首を捻り窓に背を向け、日課の水やりに戻った。



かっこいいジャバ様が好きなんです…。