きらたん!


 たっだいまー、とドアを開けて入ってきた東条に、男鹿はむっと眉を寄せる。厄介なのが来た、と溜息を吐きつつ振り返れば、満面の笑みを浮かべた東条が
白い箱を掲げてやってくる。
「おー、男鹿! これ土産な!」
「何度も言うが、ここはテメェの家じゃねぇぞ」
 と言いつつもしっかり土産の箱を受け取る男鹿は、その白い箱の中身が菓子だと解るとまたもや顔を顰めた。
「おい東条これ…」
 持って帰れ、と言おうとしたがすでに遅く、東条は部屋の奥まで入り込んできょろきょろと辺りを見渡している。
「おーい、子羊ちゃーん! お土産でちゅよー! どーなちゅでちゅよー!」
 デレデレと締まりのない顔で辺りを見渡している東条の声に、床に大の字に突っ伏していた白い毛玉がむくりと顔を上げる。
「ど―なちゅ……」
 弱々しい声にそのすぐ側に立って辺りを見渡していた東条がびくっと後ずさる。まさかそこに生き物がいるとは思っていなかったらしい。
「うおっ、どーした子羊ちゃん!」
 東条が真っ青になって床に膝をついたのも無理はない。古市の顔は涙でべしょべしょに濡れ、ほっぺたもぱんぱんに膨れているのだ。
「どーなちゅ……」
 えぐっ、とまた新たな涙とともに嗚咽を漏らす古市が、わちゃわちゃと両手を伸ばす。
「どーなちゅー……うわぁあああんっ、どーなちゅー!」
 小さい身体を抱え上げる東条の目の前で、うわぁあん、と古市は盛大に泣きはじめる。そりゃもう恥外聞何もなくわんわんと泣き喚くのでうるさくて叶わない。
 男鹿は、あーやだやだ、と顔を顰めながらテーブルに白い箱を置き、椅子に腰を下す。
「どーした子羊ちゃん! なんで泣いてんだ! おい男鹿お前これどーゆーことだ! 俺の子羊ちゃんに何したんだッ?」
「お前のじゃねーだろ」
 白い箱を開ければ東条の言う通りドーナツが入っている。結構大き目のそれは街で買ってきたものだろう。お、うまそう、とオールドファッションを摘み上げてぱくつくと、ううっ、と古市が恨みがましい目で男鹿を見上げる。
「どーなちゅ、たべてる……おがが、どーなちゅ……たべてるぅうううう」
 えぐっと呻く古市の大きな目から新たな涙がぼろぼろとこぼれる。ぐーぎゅるぎゅると派手なお腹の音がして、それと同時に涎がどばっと口から溢れているが、東条は気にならないらしい。目尻がだらりと下がり、なんとも崩れきった相好で猫なで声を出す。
「子羊ちゃんの分もありまちゅよー」
「あー、そいつ食えねーんだよ」
 男鹿はぺろりとオールドファッションを食べ終えると、もうひとつ、今度はチョコレートがかかったドーナツを箱の中から取り出した。あうあう、と古市の目がドーナツに釘付けになっている。
「なんでだよっ? お前、どーなちゅが食いたいからって独り占めしようって魂胆か! こんな可愛い子羊ちゃんに意地悪するなんて! お前それでも親か! 人でなし!」
 よちよちかわいそうにーっ、と古市に頬ずりをする東条を、ヘッと男鹿は鼻で笑う。
「親じゃねーよ。あとお前、それ、涎つくぞ」
 男鹿に指摘され、東条が慌てて顔を離すがもう遅い。べっちゃりと粘ついた涎が東条の頬と古市の頬の間につうと糸を張っている。慌てているのは東条だけで、当の古市は東条に抱きかかえられたまま、じーっと男鹿を見つめている。正確には、男鹿が食べているドーナツに魅入っている。東条に顔を拭われていることにも気付いていないようだ。
「おが、どーなちゅ、おいしい……?」
 ふわんと夢を見るように問われ、男鹿はチョコレートがかかったドーナツをごくりと飲み込んだ。
「ん? ああ、うまいぞ」
 ぱぁっと顔を輝かせた古市は、東条に抱きかかえられたまま、もじもじと手を擦り合わせ、足の先を擦り合わせ、頬を染めている。ちらちらっと上目使いで見つめ、あのね、あのね、となんだか言い辛そうにしている様は非常に可愛らしく、東条の顔が表現できないほど無様に崩れまくっていた。
「あのねー、おれね、ちょこっと、味見してあげてもいーよ……?」
「虫歯野郎が何言ってんだ」
 三つ目のドーナツはチョコレート生地にチョコレートがかかり、その上からカラフルなトッピングのかかったものだ。いちご味らしいトッピングは派手なピンク色だ。
 男鹿ががぷっと半分ほど一口にかじると、あああっ、古市が悲壮な声を上げる。
「おっ、おれがっ、味見してあげるって、言ってるのに…! どーなちゅ、味見してあげるよっ! そしたら、おいしいかどうかっ、わかるのにっ!」
「お前に味見してもらわんでもうまいかどーかぐらい解るっつーの。お、これうまいぞ、東条」
「うわぁああんっ、おがのばかぁっ、おがのばかぁああああっ!」
 びえぇえんっ、とまた派手に泣きだした古市がかわいそうになったのか、東条が白い箱の中に手を突っ込む。一個やるよ、と差し出したドーナツを男鹿はさっと横から取り上げた。
「駄目だっつの。今こいつ、甘いもの禁止なんだよ。虫歯ができたから」
「あ? 虫歯?」
 どれ、と東条は、うわぁあああっ、と泣きわめいている古市の口を覗く。奥歯のにぽちっと黒い点があるのを見つけた東条が、あー……、と気の毒そうに眉を寄せた。
「虫歯だなありゃ」
「ベヘモット牧場の獣医が余所の牧場に行っててよ。帰ってくんのが明後日だっつーから、それまで甘い物は食わすなって、ピエロみたいなやつに言われたんだよ」
「そりゃかわいそうになぁ」
「チョコやらアイスやら食った後に歯磨かねぇからだ。自業自得だ。ばかめ、古市ばかめ」
「うう……っ、おがが……おががいじめるの……。とーじょーさぁん、おれ、あのねー、あのねー、どーなちゅ、たべたい……どーなちゅ………いっこ、いっこだけ……あのね、はんぶんこしたげてもいいよ……あのね、とーじょーさんとね、はんぶんこしたいの………」
 えぐえぐと大粒の涙をこぼす古市に、東条がぐらぐらと揺れている。もとより可愛いものちっちゃいものが大好きな東条は古市には弱い。その弱みに付け入るように擦り寄って甘えて情に訴える作戦を選ぶ子羊に、東条が、ちょ、ちょっとだけならいいよな……、とドーナツに手を伸ばしている。白い箱に東条の手がかかった瞬間、男鹿はベシッと思い切りそれを叩いてやった。
「アホか。食わすなっつーの」
「で、でもよぉっ、かわいそうじゃねーかっ! こんなに腹空かせてんのにっ、かわいそうじゃねーかっ!」
「その顔見て、まだそー言えるんならテメーは眼科に行った方がいいぞ」
 促されて己の腕の中を見下ろした東条は、えぐえぐと泣きしょんぼりと落ち込んでいたはずの古市が、男鹿を、正確には男鹿が食べているドーナツを食い入るように見つめているのを見てしまった。
 その目はらんらんと輝き、まるで獲物を見つけたオオカミのようで、薄く開いた口からはだらだらと涎が溢れて顎を伝い落ちそうになっている。そしてその涎まみれの口は、男鹿がもぐもぐと口を動かしドーナツを咀嚼するその動きに合わせもぐもぐと動いている。
 なんというか、グレムリンのようだ。いや、実際にグレムリンに会ったことはないのでよく解らないけれど、そういう、得体の知れない生き物と出会ったような気分だ。
 さしもの可愛いもの愛好家の東条も、なんとなくしょっぱい気分で、抱きかかえていた古市をそっと床へ下す。床に下された古市は自分の足で立っていることにも気付いていないようだ。ドーナツを咀嚼する男鹿の口を夢中で見つめ、ひたすらもぐもぐと口を動かしていた。



きらたんへ、おたんじょうびおめでとー!