旦那と嫁。




 最近はこんなのもできるのよー、と美咲が得意満面の笑みで見せたのは、前面にでかでかと『嫁。』と書かれたTシャツだった。よく男鹿が着ている文字Tシャツで、どこでこんな趣味の悪いもん買ってくるんだ、と思っていたが、よもや買い集めていたのが美咲だとは思わなかった。てっきり男鹿がなけなしのファッションセンスで、ファッションと言うものを大きく勘違いして買い集めているのか、もしくは男鹿母がセールで買い込んできているものだと思っていたのだ。
「駅前にねー、新しくできたお店があるんだけど、オリジナルTシャツ作ってくれるんだよ! オープニングサービスとかで超安く作ってくれるって言うからさぁ、ついつい作ってきちゃったよー!」
「……はぁ」
 古市は頬を引きつらせながら目の前の手提げ袋から、次々と取り出されるTシャツに目を走らせた。
「これがね、お母さんの!」
 はい、と男鹿母に渡されたのは黄色のTシャツで『母。』と書いてある。確かに母だ間違いではない。あらまぁ、と男鹿母は喜んで母Tシャツを広げている。満更でもない様子で、更にどちらかと言えば喜んでいるようなその様子に、まさか着るつもりだろうかと古市は眉を寄せる。まさかじゃない。あれは多分、着るつもりだ。
「で、これお父さんのね」
 次に取り出したのが白地のTシャツで『父。』と書いてあった。良かった。男鹿父の分もTシャツがあって、と胸を撫で下ろす古市は、男鹿父が割と男鹿家で空気のような扱いをされているのを目の当たりにしているので、もしかしたら『空気。』と書いてあるのかもしれないと一瞬ひやりとしたのだ。
「そんでこれが辰巳のね!」
 はいっと満面の笑みで美咲が突き出したのは『旦那。』とでかでかと書いてある青いTシャツだ。あれ、弟じゃないんだ。と首を傾げる古市に、はいっ、とピンク色のTシャツが差し出される。
「これたかちんのね!」
「え、俺のもあるんですか?」
 マジで、と冷や汗が頬を伝う。
「うん、だってみんなの分作ったからね! ほらほら広げて広げて! たかちんのが一番の力作なんだから!」
 なんとなく嫌な予感がしつつも、美咲の命令に逆らえるはずもない。
 古市が恐る恐るピンク色のTシャツを広げると、ばーんっと目に入ってきたのは『嫁。』と言う字だ。ヒッと古市の喉が鳴る。
「あらぁ、たかちんにぴったりじゃない!」
 え、どこが、と男鹿母の感想に突っ込むのを、古市はぐっと堪える。
「ほー、美咲は字がうまいなぁ」
 褒めるとこはそこじゃない、と喚きたいのを、古市はぎゅっと抑える。
「ピンク似合うぞ、古市!」
 満面の笑みの男鹿には、お前は黙れ、とこれだけは容赦なく右手を振り抜く。ばきっと結構すごい音がしたが、男鹿は嬉しそうにへらへらと笑って、自分の旦那Tシャツと古市の嫁Tシャツを見比べている。
「お揃いだな、古市!」
「ねー、ぴったりでしょー。たかちんにはもうこれしかないと思ったのよぉ!」
 満面の笑みでからからと笑い声を上げる美咲に、とうとう古市はTシャツを握りしめて立ち上がった。
「いやいやいやおかしいでしょこれ、おかしいでしょ! 嫁Tシャツをなんで俺が着るんですか! ヒルダさんが着ればいいじゃないですか!」
「え、でもヒルダちゃんがたかちんの方がぴったりだって言うから」
「はぁっ? なんでですか! 男鹿の嫁さんならヒルダさんでしょ!」
「え、でもヒルダちゃんが辰巳とお揃いは着たくないって言うし、それにどっちかって言うとたかちんのが嫁さんっぽいじゃん? ねぇ?」
「まぁ…そうねぇ。私はどっちがお嫁さんでもいいと思うんだけど、ヒルダちゃんが折角そう言ってくれてるわけだし、たかちん、遠慮しないで着なさい。ね?」
「ね、じゃないですよ、ね、じゃ! なんで俺が男鹿とお揃いなんか…っ!」
「え、嫌なのか?」
 ピンク色のTシャツを握りしめ、ぶるぶると震える古市を、男鹿がぽかんと見上げる。思いがけないことを言われたとばかりの声音は、ショックを受けたような色合いを滲ませていて、え、と古市は逆に驚いた。
 立ち上がっていたせいで男鹿よりも古市の視線の方が高い。男鹿の一見すると無表情だけれども、その実、本当にお揃いは嫌なのかと心配する表情に、う、と古市は顎を引いた。
「俺とお揃い、嫌なのか?」
 わずかに首を傾げる男鹿の、その不安そうな顔に、古市はぐぅと喉を鳴らす。
 向かいでは美咲と男鹿母がにやにやと笑っていて成り行きを見守っている。男鹿父は自分のTシャツに書かれた父と言う文字を嬉しそうに眺めているのでこっちのことは気にしていないけれど、二対のにやけた眼差しと、一対の真剣な眼差しの注目を浴び、古市は、もうっ、と叫んだ。
「やじゃねーよっ、恥ずかしいだけだよっ!」
 どすんとその場に腰を下すと、そか、と男鹿がほっとしたように笑う。
 ああくそ可愛い、と思わず黒い髪をごいごいと撫でると、俺もお揃い嬉しいぞ、と男鹿が幸せそうに言うので、ああもう俺も嬉しいよ、とやけくそで言ったら、余計に幸せそうな顔をされて居たたまれない。
「これねー、背中にも書いてあるんだよ。ほら!」
 美咲がくるっとひっくり返したTシャツの背中面には『男鹿家。』とでかでかと書かれていて、ここまで来るともう諦めにも似た気持ちで古市は自分の手元にあるTシャツをひっくり返す。
 嫁Tシャツの背中には、やっぱりご丁寧に『男鹿家。』と書いてある。
 だよね…、と古市は半端な笑みを浮かべ、ピンク色の嫁Tシャツを見下ろしていた。







おまけ

「あとたかちんにはこれもあげるね!」
 そう言って美咲が差し出したのは『俺の。』と書かれた青いTシャツだ。色は男鹿が持っている旦那Tシャツと同じ色で、背中には『辰巳専用』と書いてある。
「みみみみみみ美咲さ……っ…?」
「これで辰巳も安心でしょ。修学旅行の時とか、これ、たかちんに着せといたら安全だから」
「おー。いいなこれ」
 色違い作ってくれ、ととぼけたことを言う男鹿の顔面に思い切り拳を叩き込んだ古市の顔は湯気が上がるかと思うほど真っ赤だった。





吉良さんちで開催されました絵茶に文字書きの癖に参加しまして。
素敵おがふるがいっぱい出来上がる中生まれたTシャツネタに触発されましたのよ。
だもんで絵茶と同時進行で書き上げたものです。