雨の如し






「嫌いだって言えよ」
 男鹿が俺の顎を掴んで言う。
「俺が嫌いだって言えよ、ほら」
 俺を縛り、繋ぎ、閉じ込めて、誰にも合わせないように一日中部屋の中に押し込めて、そのくせ自分だけは部屋の外へ出かけて行く。夜になって帰ってきては、俺を殴り、蹴り、そして言う。
「ほら言えって。俺を嫌いだって言えよ、古市。そしたら解放してやるから」
 笑いながら俺を見下し、拳を振るいながら自分を嫌えと男鹿は言う。
 男鹿に殴られたせいで口の中を自分の歯で切り、俺の口の中は血の味で一杯だ。蹴られた腹も痛いし、踏みつけられた背中も痛い。髪を掴まれ引っ張りあげられたせいで頭もずきずきする。
 後ろ手にずっと縛り続けられているせいで、肩が痛くて仕方ない。ぼんやり霞む目で男鹿を見上げると、男鹿は俺の喉に手をかけながら、早く、と急かす。
「言えよ、嫌いだって。なぁ」
 嫌いだと言えと何度も強要し、男鹿は笑っている。口の端を持ち上げ、俺をいたぶることが楽しくて仕方ないと言うように笑っている。けれどその目は怯える獣のように落ち着かず、逃げ場を探している。俺の口が動くたび、飛び上がりそうなほど怯えている。
「嫌いだなんて言えるわけない」
 掠れた声で俺がそう囁くと、男鹿はほっとしたように息を吐きながら、ふざけんな、と俺を罵る。俺を罵倒し手を上げながら、男鹿の目は泣いている。こんなことしたくないんだと叫んでいる。
 ずたぼろになった俺は床に倒れ込み、目を閉じる。眠っているわけではないけれど、目を開けているのが億劫になったから、少し休憩だ。ふるいち、と男鹿の震える声が俺を呼ぶ。けれど返事はしない。男鹿にも休ませてやらなければならない。俺が目を開けていれば男鹿は、ずっと自分を装い続けるから。
 男鹿の俺をいたぶり痛めつける手が、恐々と俺に触れる。髪を撫で、頬を辿り、痣になった場所を慎重に撫でる。
「嫌いだって、言ってくれ、古市…」
 涙の混じった声は縋るように俺の名を呼ぶ。
「でないと……もう、お前を諦められない……」
 諦めなくていいのに、と俺は心の中だけで呟く。
 俺が離れて行くことに対する男鹿の怯えは暴力となって俺に向かっているけれど、それはきっと俺が離れて行くとき、手放すための練習だ。本当に嫌いだと言ったら泣く癖に、男鹿は俺を俺のために諦めようと無駄な努力をしている。
 俺は目を閉じ、頬に落ちる男鹿の温かい涙を受け止める。
 その一粒一粒が、愛していると迸るように囁いていた。





たまにはこういうのも書きたくなる。