独占欲、執着心、行きつく先は甘ったれ。



 パフパフと外から聞こえる軽いクラクションを、煩いなぁ、と思っていたら、階下から駆け上がってきたほのかに、お兄ちゃんいい加減にしてよっ、と怒鳴られてしまった。
「え、なんで俺? ていうか俺何もしてねぇけど」
「だから、何もしてないからあんだけパフパフ鳴ってんでしょ! 早く行ってあげてってば!」
「行ってあげて?」
 なんじゃそりゃ、と窓の外を見れば、玄関先に男鹿の姿がある。窓をがらりと開けるとその音で気付いたのか、男鹿は眉間に皺を寄せながら、おせーよ、と文句を言う。
「ちょ、男鹿っ、すぐ行くから、パフパフうっせぇ!」
「五秒で来いよー」
「行けるか馬鹿!」
 怒鳴って窓をぴしゃんとしめて、机の上に置いてあった携帯電話を掴む。戸口で仁王立ちしていたほのかに、ごめんごめん、と謝って階段を駆け下りて十秒。靴を履いてドアを開けて飛び出して二十秒。遅い、と男鹿が笑い、うるせぇ、と古市は顔を顰めた。
「さっきからパフパフうっせぇって思ってたらお前かよ。なんだよ今度は」
「あー? これだこれ」
 男鹿が足元を指差したのでそれにつられて視線を下した古市は、男鹿の足元でぴっかぴかの車に乗るベル坊を見つけて、おおっ、と目を丸くした。
「ベル坊、なにそれ、すげぇかっこいいじゃん!」
「だぶっ!」
 だろう?とばかりににやりと笑うベル坊が乗っているのは、本当にぴかぴかの子ども用の車だ。よく充電式で動くのだとか、自分の足で漕いで動くのだとか子ども用の車にも色々あるけれど、ベル坊が乗っているのは本格的でかっこいい。ライトもついているし、パフパフ鳴っていたのはベル坊が慣らすクラクションだろう。
 古市が側にしゃがみ込んで、すげぇな、と目を丸くしていると、ベル坊は両手を振り回してあだあだと何かを話し始めた。
「だぶーっ! あだうぃっ、あいーっ、あっ!」
「へぇ、すげぇな。ここまで乗ってきたんか?」
「あいだぶっ! あいあいあーっ!」
 ちっちゃい手をあっちへやったりこっちへやったりとしきりに動かし、興奮したようにベル坊はあれこれ話す。古市はうんうんと相槌を打ち、ベル坊が感極まったようにべしべしと自分の新車のボディを叩くのにも頷いてやる。
「……お前、何言ってんのか解ってんのか?」
 横にしゃがみ込んだ男鹿にこっそりと尋ねられ、いや、と古市は笑みを張り付けたまま小さく返す。
「さっぱり解らん」
「……そうか」
 古市と男鹿がこっそりそんな話をしているとも知らず、ベル坊は上機嫌で新車の説明をしている。いや、しているのだろうと察する。ハンドルを指差したりクラクションを鳴らしてみたり、ミラーやライトを動かしたりと忙しい。ついには車を降りてボンネットに手を付きポーズを決めて見せるので、古市は携帯電話で写真を撮った。
 いつの間にかベル坊の写真で一杯になっている携帯電話の画面を見せて、ほらかっこよく撮れたぞ、とベル坊に見せてやれば、ベル坊は感極まって踊り出す。
 おーすごいすごいとぱちぱち手を叩いていた古市は、新車のボディに派手な引っかき傷があるのを見つけた。
「あれ、ここ傷いってんじゃね?」
「あーそれな、さっきまで海岸暴走してたからよ」
「は?」
「トラックと接触事故起こしてやがんだよ、こいつ。危ねぇったらねーよ」
「え、いやいや、どう言う意味だよそれ。これって子ども用の玩具だろ?」
「大魔王が送りつけてきた、な」
 男鹿が頬を引きつらせて笑うので、ああ……、と古市はなんとなく事情を察した。どうせいい加減な大魔王が、飽きちゃったしいらなーいって言うか俺こんなの使わないしー、みたいなノリでこの車を送りつけてきたのだろう。そしてベル坊がこの車を気に入った。魔界製の車だと言うなら、魔力を動力にして動くのか。となるとベル坊の魔力を吸い取り車は暴走したと言うわけか。
 トラックと接触事故と海岸を暴走と言う単語を考えると、一人乗りの、しかも子ども用の車が文字通り海岸を暴走したのだとしたら、十五メートル制限のある男鹿はその後を怒涛の勢いで追いかけたのか。
 通りで口数が少ないわけだ。疲れているのだ。
「ああ…だからか」
 古市はぽんと手を打った。
「あ? 何がだよ?」
 ボディの傷に指を走らせている男鹿が、訝しく眉を寄せる。
「いや、三時くらいにお前に電話したんだけど、全然出なかったから」
「え、マジか?」
 気付かんかった、とハーフパンツのポケットをまさぐる男鹿が、あ、と目を真ん丸にする。
「携帯、家だ」
「やっぱりな。何回鳴らしても出ねぇから、どうせそんなことだろうとは思ってたけどな」
「悪ィ悪ィ。なんか用あったんか?」
 買い物か?と尋ねる男鹿に、いや、と古市は笑う。
「ほのかがタルト食いたいっつーから昼から作ってさ、お裾分けしようと思ったんだよ。お前が電話出なかったんで、さっき持ってったとこ」
「タ、タルト…ッ?」
 男鹿がショックを受けたように古市を見る。
「それって、あれか、あの、あれか!」
「おー、なんかよく解らねぇけど、あれだ」
 ちょっと落ち着け、とぽんぽんと肩を叩くと、その手をがしりと男鹿に掴まれる。最初の衝撃を乗り越えたらしい男鹿は、いやに真剣な顔をして見つめてくる。
「そのタルトって、レモンのヤツか?」
「おー、レモンタルトな。そうそう。良く覚えてたなお前」
 えらいえらい、と握りしめられていない方の手で頭を撫でてやると、なんでだよッ、と男鹿が目を吊り上げて怒り始めた。
「なんでお前よりにもよって今日作るんだよッ! それ作ったら電話しろよ一番に! 俺のなのにっ!」
「いや、お前のじゃねーよ、ほのかのだよ。ほのかが食いたいっって言ったんだし、しかもお前に電話したっつの。責められるいわれがねーわ」
「ほのかが言ったんでも古市が作るやつは全部俺のだッ!」
 うがぁっ、と叫ぶ男鹿に、やだわー亭主関白な男って……、と古市は思わず溜息を吐く。握りしめられていた手を振り払い、アホか、と思い切り冷めた目で睨みつけると、アホじゃないっ、と男鹿は涙目になっている。
「なんで俺んち持ってくんだよ! 絶対姉貴に食われるじゃねーか!」
「ああ、もう食ってたぞ。丁度美咲さん帰ってきたとこだったんだよ。だからおばさんと一緒に」
 さっき、と付け加えると、男鹿はがくりと頭を垂れる。車の周りを走り回っていたベル坊が、あいー、と首を傾げ、男鹿の顔を覗き込んでいるが、男鹿は項垂れたまま、もうだめだ……、と呻いている。
「……もう絶対ない……絶対残ってねぇ………姉貴に全部食われた………」
「あー、持ってたのは全部食べてたな」
 おいしいおいしいと、そりゃもう惚れ惚れするような満面の笑みでレモンタルトをかっ食らっていた美咲を思い出して頷く。
 どうせ辰巳の分は別にあるんでしょ? じゃあ持ってきてくれたヤツは全部食べちゃうわ。あいつのことだから自分の分がなかったって解ったら拗ねるわよー。へこむかも! あ、泣くかもしんないね! おもしろいから、たかちん、ちょっとやってみてよ。
 そう唆されたのだが、本気でここまでへこむとは思っていなかった。
 男鹿はがくりと頭を垂れ、覗き込むベル坊の頭を撫でながら、ずずっと鼻を啜っている。
「……俺、今日すげぇ頑張ったのに……」
「へぇ」
「この変な車でぶっ飛ばすベル坊追いかけて……」
「ふーん」
「チャリで追っかけて……」
「お前、体力あるもんな」
「なのに、聞いてくれ、ベル坊。古市が俺を苛める」
「苛めてねーよ、人聞き悪いこと言うな」
 ばしっと頭を叩くと、苛めてるっ、と男鹿が顔を上げる。睨み付ける目の端にはちょっぴり涙が浮いていて、うわ、と古市は吹き出したくなるのを必死でこらえた。
 美咲さんっ、こいつマジで泣いてますっ、とそう電話をしたいのも堪える。
「だって俺すげー頑張ったんだぞっ! やっとゆっくりできると思って、お前んとこ行こうと思ってたら、魔界から変なもん届いて、そっからずっと全力で走ってたんだぞ! なのに! タルトが、ねぇって……!」
 甘いものが意外にも好きな上に、男鹿は古市が作るレモンタルトに目がない。甘いのと酸っぱいのが丁度いい感じで、とろっとした感じがすごいいい感じなんだそうだ。けれど古市はレモンタルトは面倒だからと滅多に作らないので、一年に一度あるかなしかのお楽しみの日だったのだ。
 そのお楽しみの日が知らぬ間に過ぎ去り、しかもお裾分けがすでに家族の腹の中に消えている。涙目になるのも仕方ない。何より、そこまで楽しみにされているのが古市としては嬉しい。
 もういいかな、と古市は頬を緩める。
 手を伸ばし男鹿の頬を撫で、馬鹿男鹿、と甘く囁いた。
「誰がお前の分はないって言ったよ」
 む、と眉間に皺を寄せる男鹿に顔を寄せ、ちゅっと音をたててへの字の口にキスをする。額を摺り寄せ間近で目を見つめて微笑むと、男鹿の頬がぽっと赤くなる。
「お前のはちゃんと別に作ってあるんだよ、馬鹿」
「………ふるいち…」
 ぽかんと呆気に取られていた男鹿が、ぱぁああっと新しく付け替えたばかりの電球のように輝く。
「マジでか?」
「おーマジマジ」
「俺の分か?」
「おーお前の分だ。ホール全部は無理だから、きっちり半分残してあるよ」
「ふるいちーっ!」
 ばっと飛び付いてくる男鹿の身体を受け止め踏ん張ることなどしゃがんでいる古市にはできない。どてっと尻もちをついてそのまま仰向けに転がってしまう。頭を打たなくて良かった。そして庭の芝生の上で良かった。背中にちくちくと当たる芝生を感じながら、空を仰ぐ。家からの明かりに負けているけれど、ぽつぽつ見える大粒の星が綺麗だ。
「ふるいちーっ!」
「あだうぃーっ!」
 すりすりと頬ずりをされてのしかかられて抱きしめられる。散々車の周りを歩き回って新車の輝きを堪能していたはずのベル坊も男鹿がそうしているのならしなければならないとでも思ったのか、すっ飛んできて反対側の頬にすりすりとぷにぷにの頬を押し付けてくる。
「あー……なんだこれ……」
 ここは外で、しかも家の前なんだからやめろと言っても興奮しきった二人の耳には届かないだろう。落ち着くまで待つしかないのか、と諦めた古市の真横を仕事帰りの父親が通りかかる。
「そんなところで何やってるんだ、貴之」
 ひょいと覗き込まれ空を仰ぐ視界の半分が父親の顔になる。古市は頬を引きつらせた。
「この状況見て何やってるか解んない?」
 父親は少し首を傾げ、息子に圧し掛かる男鹿を見つけて、お、と細めを瞬く。
「いらっしゃい、男鹿くんとベル坊くん」
「いや、そこじゃねーって……おいこら男鹿っ、ちょっとどけよっ! 重いって! ベル坊もいい加減にしなさい! 男鹿の真似しなくていいから!」
「だー……」
 ベル坊は渋々離れてくれたと言うのに、男鹿はすりすりと頬ずりを止めない。「んー、古市いい匂いするぞ」
 首筋をすんすんと嗅がれ、古市はぐるりと目を回した。
「あーそりゃ昼間レモンタルト作ってたからな」
「ああ、レモンタルト作ったのか」
 古市の父親はその一言ですべてが納得できたらしく、ほどほどにして家の中に入りなさい、と言って玄関へ向かう。息子が男に襲われている体であるのに、助けようと言う気はまるでないらしい。
 首筋に鼻を擦り寄せている男鹿がぺろぺろと舐めだしてももう古市には止める手立てがない。古市うめぇ、と満足そうに笑う男鹿の頭を撫でながら、あーあ、と古市は溜息を吐く。レモンタルト全部食われたなんて言うんじゃなかった、と後悔するがもう遅い。
 男鹿が全く動く気がないことを察したのか、それとも外にいることにも飽きたのか。早く家に入ろうよとばかりにベル坊が新車ですぐ側にやってきて、パフパフとクラクションを鳴らす。
 首筋がべっしょりと男鹿の涎で濡れているのを感じながら、古市は弱い笑みを浮かべる。
「ベル坊、先に家に入ってて。あ、車は玄関のすぐ横に置くと危ないから、ポーチの外に出しときなさい」
「あいっ」
 良い子のお返事をしたベル坊がブロロロと割と重低音で車を走らせポーチの外にきゅっと横付けする。どうだ、とばかりに下りてくる姿に、かっこいいなぁ、と古市は微笑むが、頭を逸らせて見ているせいでベル坊が逆さまになっている。
 海岸をぶっ飛ばして一回り大きくなったのだろうか。男鹿を顧みることなくさっさと一人で玄関に入って行ったベル坊を見送り、俺はいつになったら解放されるんだろう、と古市は夜空を見上げ、ふるいちー、と甘ったるい声を漏らす男鹿の髪を撫で続けていた。



今週のジャンプ様(5/22)が素晴らしかったので、つい。
いや別に古市出て来ないんすけど、あの後絶対ベル坊が新車を見せに行ったんだろうなと判断して。というか妄想して。
あと甘ったれな男鹿さんがちょっと最近ツボなのですよ。
古市はきっと古市家男鹿家ひっくるめて一番女子力高いと思う。そしてスルー上手なお父さん。
古市家は今日も平和です。