<ボードセーリング事故>死亡の学生 仲間救うため再び海に(琉球新報)

会見する琉大医学部ボードセーリング部顧問の岩永正明教授(右)と魚谷友有子部長=23日午後6時半ごろ、琉大医学部 |
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中城沖でボードセーリング中の琉大生3人が流され、1人が死亡した事故で、亡くなった琉大医学部3年の藤倉久太郎さん(34)=宜野湾市志真志=が、いったん海から上がった後、戻るのが遅れた仲間2人を助けようと、再び海に出て、救命胴衣などを渡した後に自らが事故に遭ったことが分かった。23日午後、神奈川県から駆け付けた藤倉さんの家族は、西原町の琉大医学部で遺体と対面し、悲しみに深くうなだれて肩を寄せ合った。第11管区海上保安本部によると、藤倉さんの死因は水死とみられる。
藤倉さんが所属していた医学部ボードセーリング部は23日午後、同大で会見を開いた。魚谷友有子部長は、天候の急変を予測できなかったとした上で、通報の遅れや救命胴衣着用の不徹底が事故を招いた可能性があるとし、「多くの方にご迷惑を掛け、おわびしたい。今後、どのようなことができるのか、部員と話し合っていきたい」と沈痛な表情で話した。
説明などによると、練習中の23日午後3時半ごろ、天候の急変を受け、部員が岸に戻る途中、女子部員(21)と救助された加藤航司さん(20)の2人が他の部員に遅れた。
藤倉さんは一番早く岸に戻ると、すぐに救命胴衣を持ち、初心者でも操作しやすいボードに乗り換え、再び海に。沖で女子部員に救命胴衣を手渡し、ボードを交換。加藤さんの近くに向かった。女子部員はその後、自力で岸に戻った。
救助された加藤さんによると、23日明け方までは藤倉さんも同じボードにつかまっていたが、大波を受け、姿が見えなくなったという。長時間の漂流の疲労で衰弱していたとみられる。
藤倉さんは、民間の会社を辞め、琉大医学部に入学。成績も良好で、学部関係者は「医学に対する思いも相当に強かったのだろう」と悔やんだ。
同部顧問の岩永正明教授、魚谷部長から説明を受けた藤倉さんの父親は、「兄弟思いだったところが他の部員を助けようということに向いたと思う。結果には満足しています」と話したという。藤倉さんの兄弟は「再発しないように努力してほしい」と求めたという。(琉球新報)
[2月24日10時29分更新]
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