琉球大学生 死亡事故ニュース(時事通信、琉球新報) より転載
この事故で考えさせられた事はやはり救命胴衣は絶対重要!と言う事と、天候が急変する事の怖さを改めて考えなければいけないことですね。この事故に遭われたご家族の方にお悔やみ申し上げます。

不明の琉球大生、1人死亡=もう1人は無事救助−沖縄

 沖縄県中城村沖で琉球大医学部の学生2人がボードセーリング中に行方不明になった事故で、第11管区海上保安本部(那覇)は23日午前7時すぎ、2年生の加藤航司さん(20)=同県西原町=がボードにつかまって漂流しているのを同県知念村沖で発見し、無事救助した。3年生の藤倉久太郎さん(34)=同県宜野湾市=も近くの海上で発見されたが、既に心肺停止状態で、搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。 (時事通信)
[2月23日13時4分更新]

沖縄で漂流の大学生死亡 1人は16時間ぶりに救助
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 ボードセーリング中に行方不明になり救助される加藤航司さん(左)=23日午前7時20分、沖縄県知念村沖の海上(第十一管区海上保安本部提供)
 
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、沖縄県中城村久場沖でボードセーリング中に行方不明になった琉球大の学生2人のうち、医学部3年の藤倉久太郎さん(34)=同県宜野湾市志真志=が23日午前7時50分ごろ、同県知念村沖で発見され、病院に運ばれたが死亡した。医学部2年の加藤航司さん(20)=同県西原町上原=は無事救助された。
 藤倉さんらは22日午後3時半ごろから沖に流され、行方不明になっていた。藤倉さんは知念村の知念岬から約200メートルの海上でうつぶせで流されていたのを同本部のヘリが発見、23日午前8時10分ごろ、巡視艇が引き揚げたが、すでに心肺停止状態だった。(共同通信)
[2月23日14時47分更新]





<ボードセーリング事故>死亡の学生 仲間救うため再び海に(琉球新報)

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会見する琉大医学部ボードセーリング部顧問の岩永正明教授(右)と魚谷友有子部長=23日午後6時半ごろ、琉大医学部
 
 中城沖でボードセーリング中の琉大生3人が流され、1人が死亡した事故で、亡くなった琉大医学部3年の藤倉久太郎さん(34)=宜野湾市志真志=が、いったん海から上がった後、戻るのが遅れた仲間2人を助けようと、再び海に出て、救命胴衣などを渡した後に自らが事故に遭ったことが分かった。23日午後、神奈川県から駆け付けた藤倉さんの家族は、西原町の琉大医学部で遺体と対面し、悲しみに深くうなだれて肩を寄せ合った。第11管区海上保安本部によると、藤倉さんの死因は水死とみられる。
 藤倉さんが所属していた医学部ボードセーリング部は23日午後、同大で会見を開いた。魚谷友有子部長は、天候の急変を予測できなかったとした上で、通報の遅れや救命胴衣着用の不徹底が事故を招いた可能性があるとし、「多くの方にご迷惑を掛け、おわびしたい。今後、どのようなことができるのか、部員と話し合っていきたい」と沈痛な表情で話した。
 説明などによると、練習中の23日午後3時半ごろ、天候の急変を受け、部員が岸に戻る途中、女子部員(21)と救助された加藤航司さん(20)の2人が他の部員に遅れた。
 藤倉さんは一番早く岸に戻ると、すぐに救命胴衣を持ち、初心者でも操作しやすいボードに乗り換え、再び海に。沖で女子部員に救命胴衣を手渡し、ボードを交換。加藤さんの近くに向かった。女子部員はその後、自力で岸に戻った。
 救助された加藤さんによると、23日明け方までは藤倉さんも同じボードにつかまっていたが、大波を受け、姿が見えなくなったという。長時間の漂流の疲労で衰弱していたとみられる。
 藤倉さんは、民間の会社を辞め、琉大医学部に入学。成績も良好で、学部関係者は「医学に対する思いも相当に強かったのだろう」と悔やんだ。
 同部顧問の岩永正明教授、魚谷部長から説明を受けた藤倉さんの父親は、「兄弟思いだったところが他の部員を助けようということに向いたと思う。結果には満足しています」と話したという。藤倉さんの兄弟は「再発しないように努力してほしい」と求めたという。(琉球新報)
[2月24日10時29分更新]