真冬の海での漂流体験

<松永健吾さんの真冬の海で2時間漂流した体験話>
 今から約3年前私はウインドで千葉県検見川浜沖で流され、約2時間漂流した後、救命艇に助けられ、九死に一生を得ました。私のこの体験が皆さんの安全に対する意識を深めるきっかけになればと思い筆をとりました。
1996年2月10日(土)この日は前日に雪が降り、強い冬型の気圧配置で、午後1時頃会社の後輩1名と一緒に浜に着いた時には既に、北西の季節風が吹き荒れていました。掲示板の風速予想では午後2〜3時から5〜6時がピークで平均風速12〜13m/s、最大風速は15m/sを超えていました。

かなり強いなと思いましたが、「乗れなければ帰って来ればいいや。」と思い、275cmの板に5.0uのRAFセイルをセットして出艇しました。1〜2時間乗った後しばらく休憩し午後4時頃再び出艇しました。少し風が落ちてきていた為沖の方まで出て行きました。しかし沖に行くにつれ徐々に風が強まり、三角波も立ってきました。引き返そうと思い方向転換しようとしたのですが、バランスを崩してしまい沈してしまいました。

もたついているうちにどんどん風が上がってきました。ウォータースタートをしようとセイルを水から上げた途端、ボードごと風に飛ばされてしまいます。何度かチャレンジしてボードの上に上がれたとしても、10mも走らないうちにハエ叩きにあってしまいます。もうとてもセイリング出来る状況では有りませんでした。
1時間位乗ったり飛ばされたりを繰り返しているうちに、随分流されている事に気付きました。しかし風は一向に収まる気配をみせず、それどころかますます強く吹き荒れて来ました。「かなりやばいな。」と思いました。死ぬかもしれないと言う恐怖と寒さから身体の震えが止まりませんでした。


少し風が収まったらウインドに乗って帰ろうと思っていたのですが、それも駄目と判断し、リグを切り離しパドリングする事に決心しました。何とか苦労してジョイントを外しボードの上にまたがり、パドリングし始めました。しかし波が高く上手くパドリング出来ません。そこで下の絵の様にボードに上半身を載せてしがみつきバタ足をして進もうとしました。
しかしいくら頑張っても岸に近づく事が出来ません。

途中で何度も風向きを確認し、「この進行方向で間違って無いよな。」と自分に言い聞かせるのですが、冷静に考える余裕はもう有りませんでした。「最後まで絶対に諦めないぞ。」と自分に言い聞かせました。普段レース等でもたとえ最下位でも「最後まで絶対に諦めないぞ。」と言う気持ちでやっているのですが、そういった精神力はこういう時の為に有るのだと言う事を知りました。
しかし体温を殆ど奪われ、だんだんと眠くなり、力が無くなっていきました。

雪山で遭難した人が良く眠くなると言う話が有りますが、実際本当にその様になるのです。眠いからでは無く、意識が無くなる為にそうなる様です。
助かった後に知ったのですが体温が1度下がると体力は3分の1になるそうです。高校時代に水球をしていて体力には自信が合った私でも力がどんどん無くなっていってしまいました。
日が暮れて辺りがだんだん暗くなっていきました。意識が遠のいていく中で救命艇の白い船首が目の前に近づいてきました。私は助かったのです。

救急車で病院に運びこまれた時には体温が31度しか無かったそうです。あと1度下がっていたら駄目だっただろうと病院の人が言っていました。この経験から私が言いたい大事な事は、暖かい周りの人達のお陰で助かったと言う事と、ウインドサーファー全員の安全に対する意識を深めてもらいたいと言う事です。
自転車に乗って海岸線を探し回ってくれたウインド仲間や、いつも決まった時間に帰って来る人が帰って来ないので絶対流されていると救命艇へ連絡してくれた艇庫のおばちゃん、日没直前というのに救命艇を出して下さった海洋センターの方々等、多くの人々のお陰で命が助かりました。


この感謝の気持ちは言葉では言い表せません。流された時に自分がとった行動は果たして正しかったのか?ウインド歴10年の私でも当時自分がとった行動に自信が持てません。
流された時にきちんとした対処方法がとれるウインドサーファーは全体の1割にも満たないのでは無いでしょうか?皆漠然としたイメージしか持ってない様に思います。

そこで今回この「ウインドサーフィン・トラブル対応マニュアル」を作り、皆さんの安全に対する意識を高めたいと思いました。ウインドサーフィンはまだまだ歴史の浅いスポーツです。特に安全性については未整備の部分が数多くあります。ベテラン、上級者の人は率先垂範して初心者の人達に安全の重要性を教えなければなりません。

多くの人がウインドサーフィンと言う素晴らしいスポーツをこれからもずっと楽しんでいける事を心から願っています。




1999年3月
松永健吾