2回目 私って歪んでいる



どのロルファーさんもそうするんでしょうか?
セッションごとに写真を撮ってくれます。
1回目はセッションの前と後とでも取ってくれて
前後でももう大分違っているのです。
なので自分の変化が一目瞭然なのです。
歪みの全くない人なんていないだろうし、
自分が歪んでいるのは知っていましたが
写真を見せてもらってひえ〜〜〜、こんなに歪んでたなんて!
とビックリでした。
ちょっぴりショックです。
よ〜〜し、今後こそ10回全セッションを通して
良い姿勢をてに入れるぞ!


  歩く練習



「お!また練習か、なおは よう頑張るな〜」
と夫は言うのですが
ロルフィングの後、教えていただく歩く練習はやってみると
ハマッテしまいます。

普段何気なくやっている歩くという動作ですが
少し意識してみると
「あ〜〜私って、足の指にムダに力が入っている」
「足の外側を使って歩いている」とかいろんなことに気づきます。
そして少し意思してやるとそれが修正されていきます。

修正されるとまた別のところが気になり始めます。
「右の足が後ろに引きづらい」
とかそういうことです。

そしてそういうことを通過していくと
重心が下に降りて、
上半身の力が抜けている心地のいい状態がやってきます。

背骨の揺れやなんかもリズミカルに感じられて
歩くことそのものが心地のいい状態です。

 そんなことを考えながらやっていると気がつくと
廊下を行ったりきたり1時間もやっていたりするのです。
デモそれはけっして頑張ってるのではなく
楽しいのです!

変化を感じたり、
心地のいい動作を感じたりするのが楽しいのです!

不思議なことにこの歩く練習をして寝るとたくさんデスクワークをした
次の日も肩こりなんかが残らないのです。

mさんにそういうと
「まさにその通り!」
なんだそうです。

体の中で複雑に筋肉が交錯しているらしく、連動して肩の筋肉もマッサージするらしいです。

「ホーなるほど〜〜」
って感じですが
これ以上のことは私にはわからないので
詳しいことはmさんに聞いて下さい。



  気づき



「足の外側を使って歩いている」とかいろんなことに≪気づき≫ます。

と書きましたが「歩く練習」の記事を書いていて
「やっぱボディーワークも≪気づき≫なんだよな〜」
なんておもいました。

“気づき”という言葉は精神世界では良く使われますね。
「うんうん!」
という方もいらっしゃるとは思いますが
まったく聞いたことがないという人のために解説しますと
“気づき”というのは自分が無意識に思い込んでいた概念や
無意識にやっていた行動、無意識の緊張に

≪はたと気がつく!≫
ということ

あるいは
こんがらがっていた関係がいったいどういうことでこうなっていたのか
自分からみたらこう見えるものが相手からみるとどうなのか
ということに
≪はたと気がつく!≫
という意味のことです。

まあ意味どおりまさに≪気づき≫ですよね(笑)

精神世界ではことさら気づきというのは重要視されます。
心理療法でもコーチングなどポジティブなスキルについても同じです。

なぜかというと気がつかないとなかなか変化を起こしずらいからです。

 ≪肩が凝っている≫とわかるから
「肩こりを治そう!」
と努力もしますが
まったく気がついてないとそういう気持ちも起こりません。

簡単にいうとそういうことです。
気がついてないものは動かせないということです。

そんでもって厄介なのが
本人の感覚が麻痺していて気がつかないか
気づこうという気がまったくなく
「ただ治してくれ〜〜」
といわれる場合です。
例えば
Aさんの肩がガシガシに凝っていて
そのために頭痛になっている
というのが他の人から見て明らかであったとしても
本人が
「そんなことない」
といっている場合は頭痛を治すことは難しいですよね。

「そんなことない」
といいはる人を治すにはちょっと≪匠の技≫が必要になってきます。
   〜〜療法を学んだ、〜〜療法の先生、大家、教授
というような学べるスキルとたくさん学んでいる人、偉い人には良くお目にかかりますが、
≪匠の技≫を持っているセラピストさんに出会える確率は低いように思います。

 まあそれはさておき
≪気づき≫そのものは本人がその気になってもらわないとやってこないし、
本人が認めないと周りがなんと言っても
どうしようもありません。

 ロルフィングでも10コース終っても
「何も変化がなかった」という方もいらっしゃるそうです。
あれだけやって何も変わらないはずはないので
たぶんご自分の変化に≪気づきにくい方≫なんだだろうな〜と思います。

「何も変わらなかった」といわれた時
ボディワークの方はどういわれるのだろう?
と思ってmさんに聞いてみると
「う〜〜ん、難しいです。
でも、終わった後しばらくして気づきが来ると言うこともあるし・・・」
とおっしゃっていました。

またもや  やっぱりな!  です。
≪気づき≫が大切なのも、≪気づき≫は
周りがかわりに気づいてやれるものではなく
本人が≪気づく≫しかないというのも
同じなんですよね。

 私も仕事を始めた頃は
「何にも変わらない」
「こうでしょ」
といっても
「そんなことない」
といわれると
「せっかく受け取れるものがあるのにもったいないな〜〜」と思ったり
どうしていいのかわからない感じがしたりしましたが、
今はその人のペースでいずれは気づいていかれると
信じて待てるようになって来ました。
見えない未来を信じてただ待つのは、思うよりずっとしんどい作業です。
それも援助する者(・・ていうのはセラピストということではなくて
お母さんでも先生でもそうだし、アナタが友達を助けたいと思っているなら
誰でも援助者です)の修行のひとつのように思います。

「そんなことはない」
「何にも変わらん」
そういう人が、半年くらいたって
「あれから、いろんなことがあって、いろいろ考えたんですが・・・」
と、うちでした事を捨ててしまわずに
ちゃんとココロのどこかに置いて考えて下さっていて、
気づいたことや変化をもって、また来てくださることもけっこうあるのです。
ハイ!