mother treeの原点

 
そのとき私は26歳。膠原病という病気でまさに悪化の一途をたどっていました。膠原病には今もそ

うですが、決定的な治療法っていうのがありません。ステロイドという薬で抑えることしか出来ないんで

すね。でも、もうその薬さえ思うように効果をあげてくれなくなっていました。漢方や他の方法も試し

てみましたがダメでした。日に日に体の関節はこわばって動かなくなりコップが持てなくなり、やがて

スプーンさえもてなくなりました。髪も抜け落ちて、皮膚は口の中までやけどの後のケロイドのように

なってしまって、それでもなすすべもなくベットに寝ているだけの生活でした。

ほんの数ヶ月前までこんなことになるなんて思っていませんでした。仕事も面白くなり始め、

そのころ付き合っていた彼と結婚する・・・・・

そんなごく普通の夢を見ていました。 

でもすべてを失ってしまったんです。


 皆さんも人生のどこかでこう思った事があるかもしれません。


「なぜ私だけがこんなひどい目にあうの?」

「こんな目にあうどんな悪いことを私がしたっていうの?」


「どうして悪いことばっかりしているあの人じゃなくて私なの?って・・・・

 そうです、私はずっといい子だったはずです。

誰からも「やさしいね」「まじめだね」「しっかりしているね」っていわれていました。

学校の成績も良くて先生から一目おかれ生徒会の活動も任されていました。

他人の手を煩わせることなく自分で頑張ってやってきました。

辛い事があっても人に甘えたりしませんでした。

人の悪口も言いませんでした。ズルイ事もしなかった。

もしかして知らずにしていた事があったとしても、それがどれほどの罪だっていうんでしょう・・・

 「私のいったいどこが悪くてこんな目にあわないといけないの?」

誰でも理不尽な災難にみまわれるとそう思うように、

そのころの私もそんな思いばかりが胸の中を駆け巡っていました。

振り払っても振り払ってもやってくる思いが私を苦しめました。

それはまるでドロドロの溶岩が重く熱く体の中で噴火口を求めて渦巻いている、そんな感じでした。

「神様!いるんだったらこの胸の溶岩を鎮めて!」何度そう祈った事でしょう。

世界が理不尽でにくらしく、自分が惨めで、悲しくて・・・

でも泣いたら目じりのただれたところに涙がしみるのです。

  そうしてだんだんと弱っていき、やがて熱を下げる事も出来なくなりました。

38度、40度という熱がいったいどれくらい続いたんでしょうか。

ある日、目がさめると苦しくて苦しくてしかなかったはずなのに、何だか体が楽で軽いんです。

胸の中のあの溶岩もなくなっていました。

わけもなく晴れやかで、楽しい・・という感じさえしてくるんです。

「おかしいな」って思った後・・・

「ああそうかァ、私死ぬんだ」って思ったのを今でもはっきり覚えています。

そのとき私が本当に死の入り口にいたのかどうかわかりませんが、肉体や自分の考えや概念、

しがらみ、そんなものから解放されたそんな感じは確かにありました。

そうしてフワフワしてどんどん軽くなって不思議なほどやさしい気持ちになっていくんです。

「ああ死ぬんだ」と思った次の瞬間に、いろんな出来事や出会った人を次々に思い出していました。

忘れていた嬉しかった事も思い出しました。辛かった事も憎んでいた人も思い出しました。

でも不思議に軽くて思い出しては「もういいなぁ」って思うんです。

死んだって許してやらないと思っていた人も「もういいよ」って、

あんなひどい目にあったけど「それももういいよ」って、

自然とそういう気持ちになるんです。

そうやって順々に思い出して最後に出てきたのは自分自身でした。


「私はどっかで生き方を間違えたのかもしれない。失敗してしまったのかもしれない。

バカみたいに苦しんで・・バカだな私・・。ひとりでこんなに若くて死んでいくんだよな・・・

でもそんなことももういいよね、って。

だって、精一杯やったんだもん。よくやったよ私。

今から思ったらバカかもしれないけど、そのときはそれが精一杯だった。

そんなふうに思っていると熱い思いがこみ上げて、

ケンカばっかりしていた両親の顔が浮かんできました。

「お父さんとお母さんももういいよ、アリガトね」それが覚えている最後の思いです。


長いこと両親の笑った顔なんてみた事なかったけど、父も母も私の心の中で微笑んでいました・・・


  次に目覚めた時、また強烈な痛みが蘇っていました。


私は生きていて、ただれた皮膚と動かない体のそのままでした。

何も変わってはいませんでした。

けれどもどういう訳かそこから薄皮を剥ぐように少しずつ回復していったんです。


そうして私の人生の流れはあの時を境に変わり始めました。

あの体験はなんだったのか?そんな思いが私を心理学や人体の勉強へと向かわせました。

 私は今も普通の人よりは丈夫じゃありません。

ドン臭くて要領も悪いし、主婦の仕事をこなすだけで精一杯・・・(笑)

それでもどんなに小さくてもこうしてセラピールームをさせてもらっているのは

あの時のことがあるからだと思います。


あれから毎年、去年より今年の方がシアワセだった。年末にはいつもそう思います。

イヤなこと、辛いことは、形を変えていくらでもやってくるけれど・・・

それでもそう思います。


注:今日2007年クリスマスです。この文章は思うところあって以前一度HPから削除しました。

けれども「この一文が好きだ」と言って下さる方が多く、

最近になって、ふと読み直してみる気になりました。

読み直してみて初心に返る思いがしました。

やっぱりこれが私自身の原点であり、

あの頃の私と同じように「しんどいな〜」と感じている方が

元気になってもらえる場所でありたいというのがmother treeの原点なんだと

改めて思い直し、少し手を加えて再アップしました。

応援してくださっているみなさんありがとう!

そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。