自分が変われば相手は変わるか?

 私たちは日ごろよく人を変えたがりますよね。
「ええ〜〜い、クソ親父変わってくれ!!」なんてはっきり思わなくっても
「夫がもう少しこうしてくれたらな〜」
「お父さんももうちょっとでいいからしっかりしてくれたらな〜って」よく思いません?
それも変わって欲しいなんです。

って私が言うと
「ええそうなんですかァ?」

「私はちょっと変わって欲しいだけだからそんな大げさな事じゃないんですぅ」とか
「だって夫はこんなこんなで明らかに彼の方が悪いから変わるとか変わって欲しいとかじゃなくて当然です!!」とか
「(変わって欲しいって)言いたいけどずっと我慢してるんです」とか

よーーく、よーーく、そんな事を言われるんですが、
それがたとえ少しであろうが、相手がどんなに一般常識に照らし合わせて悪かろうと、
心の中で思っているだけであろうが、(言わずに目で言われたらそのほうが怖いよね)
アナタの心の中に相手に“こうであってくれたら”と言う要求があれば
アナタは相手に変わることを要求しているんです。

そこで解決方法として登場するのが
「自分が変われば相手が変わる」なんですね。
それからもうひとつ
「他人を変えることは出来ない。変われるのは自分だけ」 
どちらも精神世界系、心理学系の本にはよく書いてありますよね。

そこで そこで この2つの原理を使って

 「よし、自分を変えて、お父さんにあるいはお母さんにパートナーに変わってもらおう」 と考えます。

うちへもよくそう言ってこられる方がおられます。

「うちのお母さんに変わって欲しいんだけど、お母さんはセラピーなんて受けたくないっていうから私が受けてお母さんによくなってもらおうと思って」ってネ。

 しかしこれは Buu!! NG なんです。

えっ! じゃぁあれはウソなわけ??

いえいえ、本に書いてある事は本当です。
 私はその人が変わることによってその人の周りも変化させて来た人を見てきました。
だから自信を持って言います。
本当ですよ。

 しかし、
「うちのお母さんに変わって欲しいんだけど、お母さんはセラピーなんて受けたくないっていうから私が受けてお母さんによくなってもらおうと思って」
コレは言い換えれば、
自分を変えるという手段を使って相手を変えようとしているのです。
相手を変えることは出来ません。
変えよとする事は コントロール です。
コントロールされるのは誰でも気持ちが悪いですよね。
だから相手は警戒し、抵抗します。
そして失敗します。

 「えっ? じゃぁ どうすればいいの?」 

そう思いますよね。
「失敗します」で終わってはやっぱり空しいですよね。

 そこもお伝えしておきましょうね。

どうすればいいか?

 それには 自分を変えるんです。

アレ?? 元に戻っちゃいました?
いえ違います。

お母さんを変えよとしている自分を変えて、お母さんを変えようなんて思わない自分になることです。


お母さんを変えたい自分を手放して、お母さんは変わっても今のままでもどちらでも良い、そう思える自分に変われたとき、自然と変化は訪れます。

もっと簡単に言いかえれば
お母さんをあるがままで愛せるとき、変化がやってきます。


 ちょっと恥かしいですが自分の事をお話しをしますね。

私はその昔「母を変えたい」と思っていました。
母は何かというと「お父さんがこういうからお母さんはイヤやけどし方が無い」と言う言い方をしました。
そして私に父の悪口を言いながら、父のいう通りにに生きていました。
私はそんあ母がイヤでした。
変わって欲しかった。
もっと自分を持って生きて欲しい、そう思っていました。
「文句があるんやったらお父さんに言ったら良いやん」
「お母さんはいっつも何でもお父さんのせいにしてる」
「もっとしっかりしたお母さんになってよ!」
私はそう言ってお母さんを変えようとしていました。
その時はそれが良い事だと思っていました。
 けれども母だってそのときギリギリだったのです。
 結婚したら急に環境が変わってそれまでの友達とも離れてしまい不安もあったでしょう。
父の両親や兄弟に気を使う毎日で疲れもあったと思います。
父は昔かたぎの仕事人間で家のこと子どもの事はすべて母任せです。
その時代と言うのもあったでしょう。
 自分も大人になって結婚した今なら理解できます。
 でもその頃はグチばかり言う母が許せませんでした。

母がグチを言う。
私が正しさでもって母を変えようとする。
そうするといつも母は「もうアンタはお父さんに似て嫌な子や!」そういって話しをずらし抵抗を示す。
そうするとまたそういう母をまた私が変えようとする。
母は抵抗する。
そうしてお互いに傷つけ合いながらも終われないケンカを繰り返していました。

こんな風に終われない戦いをしている人がコレを読んでくれている人の中にもいるかもしれません。

 ココにはカラクリがあります。
相手をイヤだと思いながら、変えたいと言う思いが、終われない戦いを作るというカラクリです。。
母がイヤなら本当は母から手を引けば良いのです。
しかし、何とかして変えたいと言う思いが、イヤだけど離れられない状態を作り出していました。

 こんな風にして抜けられないサイクルに入ります。
その間にどういうことが起っているかわかりますか?
自分の時間とエネルギーを浪費しているんです。
そして気がついたときには “自分を見失っている” んです。

何がしたかったのかわからない。
虚しい。
疲れた。
自分は今まで何をしてきたんだろうと思ってしまう。

アナタに思い当たる事があるならもしかしたらこの罠にはまっているのかもしれません。

 しかしココからはアナタしだいで抜け出る事が出来ます。
自分を変えてね。
私もそうして変化を体験しました。
ただし自分が変わる事で変えようという気持ちがあるうちはNGです。
潜在意識を通じてその気持ちが相手に伝わってしまうからです。
私もそうでした。
「どうやって変わればいいんだ」「どう変わったら望みが叶うんだ」といろんなセラピーを受けたりして空回りしては疲れていました。
「こんなに努力をしているのに」と悔し涙を流しました。
そして本に書いてあることなんか「嘘っぱちだ」と思いました。
 
そういう道があって私はこのカラクリを知りました。
私はずいぶん回り道をしたのです。(お陰で専門家になれましたが)
コレを読んでくださっているアナタはどうぞ余計な回り道をしないでね。

 さて今の母と私ですが、こんな感じで暮らしています。
 母と私は好みや考え方が親子でありながらずいぶん違うのです。
それは昔からずっとです。
ですからお互いにいまだに理解できない事というのも多いのです。
今私のしているセラピストという仕事も母にとってはちんぷんかんぷんです。
母はたまに 「アンタもしかして癒しとかしてるの??」 とか聞いてきます。
癒しするって??皆さんなんだかわかります?
ヘンな日本語ですよね。
母は全然解かってなし興味も無いんです。
それでも「直美は何だか機嫌よく暮らしている。」と言うことだけはわかっています。
それで良いと私は思います。
私のしていること私の考えはわからなくとも、私という存在そのものを認めてくれているのを私は口に出さずとも感じる事が出来ます。
 母も今は自分の好きなことをして暮らしています。
ダンスとか飲み会とか・・・青春してます。
私からみたら「いい加減にしなさい」とか「もっとこうすりゃ良いのに」と思ったりと言う事もありますが、
それは母が選んでしていて結果も母が受け取るのだと思ってみています。
 冷たい訳ではありません。
距離をとっている、と言うのとも全然違います。
そのままのお互いを認めあっているだけです。

       あるがまま、そのままでアナタもワタシもOK。
                 変わっても、変わらなくてもOK。
                     アナタと言う存在そのものを愛しています。