続・BOY&GIRL

15






     
その晩ヒカルは寝つきが悪かった。
何度も夜中に目を覚ましリビングの戸を開けた。

よく早朝一瞬躊躇したがアキラの書斎(寝室)に入った。
この部屋はヒカルがこっちに来たときにアキラと一緒に寝ていた
部屋だ。
あれ以来この部屋には立ち入っていなかった。

やっぱり帰ってきてない・・・よな?

せめてアキラの予定や遠征に出かけた形跡でもあればと思ったが
片付けられた部屋からは何もわからなかった。
流石に勝手に机を開けることは戸惑われて出来なかった。

携帯を握りしめたままヒカルは溜息をついた。

一人になりたいと言ったのはヒカル自身だった。
数日もすれば元に戻れると思いこんでいたことにも
焦りも感じていた。

今日はオレは棋院で対局があった。もしかしたら
何かわかるかもしれなかった。





そんな感情に振り回されたと思いたくはなかったがこの日の
対局はひどい結果だった。

負けたことを「自分の精神面の弱さ」にしてしまうことは
簡単なことだ。
でもそんな自分は許せなかった。
特に今は入れ替わってて、女のあいつの代わりなのに・・・。
負けるわけにいけない勝負を落とした落胆は隠せなかった。

対局室から退出してもヒカルはアキラの姿を自然に
探していた。
エレベーターを待つ時間ももどかしくて階段をいっきにかけ降りた。

1階ロビーで荒い息を整えていると背後から聞き慣れた声に
呼びかけられた。

「進藤?」

「緒方先生?」

先生もヒカルの世界の先生と見た目とは変わらなかった。
ただ普段より先生の長身を見上げないといけないぐらいで。

「どうしたんだ?息切らして。階段を下りてきたのか?」

ヒカルはそれに苦笑した。

「ああ、うん。ちっとみっともない碁だったから。」

「そうか。まあそういう時もあるさ。負け碁から学ぶことは沢山あ
るだろう。
アキラくんといて逸る気持ちはあるだろうがお前は十分に
強い。女という立場を超えて同じ土俵にいるんだからな。」

アキラと一緒にいて逸るか。
こんな風に言いたくはないのだが、
囲碁界は男性の方が圧倒的に強い。
性別に強さが関係しているとは認めたくないがそういうのはあるのだと
思う。
あいつはその壁を越えて頑張ってるとヒカルも思う。
ヒカルはあいつの代わりにその言葉を素直に受け取った。

「先生ありがとう。」

「ところで昨日は仕事でもあったのか?」

「昨日?」

ヒカルは内心焦った。何の話かわからなかった。
特に手帳にも予定は書かれてなかったし。

「塔矢門下の研究会だ。アキラくんだけで来たからてっきり仕事
かと思ったが。」

「ああ。まあ、うん 仕事っていうか。まあそうかな。」

ヒカルは動揺していた。塔矢門下の研究会にあいつが行くのは
まあわかる。(アキラと結婚してるのだから。)
だが、昨日アキラは研究会に顔を出してるってことは出張や遠征ではなく
どこかに外泊してるということだ。
もしそのことを知ってたらヒカルは研究会に顔を出してただろう。
ひょっとしたら塔矢だってヒカルを待っていたかもしれない。

そんなことを考えていたら緒方が苦笑した。

「まさかお前ら喧嘩でもしたとか?」

「なんでだよ?」

「いや、昨日のアキラくんも様子がおかしかったから。」

誤魔化すことが出来なくなってオレは頭を掻いて小さくうなづいた。

「おいおい、本当か?まさか進藤実家に帰ってるっていうんじゃないよな?」

「えっと。」

ヒカルはひどく困った。やはり誤魔化していた方が良かったかもしれない。
塔矢が家に帰ってこないなんて先生に言えるはずもなかった。
だがヒカルが返事に困っていると緒方が小さく溜息をついた。

「夫婦喧嘩は犬も食わないというが。あいつもあいつだな。
迎えにも来ないのか?」

返事しなかったことを肯定したと緒方は思ったようだった。

「あっいや、そうじゃねえんだ。悪いのはオレの方だし。迎えには
来てくれたんだぜ。」

「そっか・・・。」

緒方はまだ何か言いたそうだった。
ヒカルはもし先生がアキラの予定を知ってるなら聞きだしたかったが
こっちのヒカルの立場で聞くには不自然がありすぎる。

「先生じゃあオレはこれで失礼します。」

「まあ待て・・・。
原因は何か知らんがお前とアキラの間に隙が出来たら
オレは遠慮なく入り込むぜ。アキラにもお前らの結婚が決まった時に
そういってある。
まあ、ただの夫婦喧嘩ならいいが。」

ヒカルはアキラが先日言ったことを思い出した。
緒方先生はあいつに本気だったってこと。

その時は冗談程度にしか思っていなかった。
ヒカルの世界では考えにも追えばないことだったし。
だが改めてそれが冗談ではなかったことがわかった気がした。

「ただの夫婦喧嘩だよ。」

ヒカルはそう言って緒方の脇をすり抜けた。

「進藤送ろうか?」

「いい、一人で帰れる。」

ヒカルは振り返ることができなかった。
心の中がいろいろな感情でざわめいていた。




それから2日が経った。
その間アキラは一度も帰ってこなかったし
連絡もしてこなかった。

あの晩ヒカルはアキラの手を握り返せなかったことを後悔していた。
話ぐらい聞いてやればよかったのだ。

アキラを傷つけたのはヒカルだ。

ヒカルは手帳を開けた。
明後日にはあいつが楽しみにしていたという
夫婦対局が迫っていた。
もしかしたらこのままだったらオレが打つことになるかもしれない。

あいつが打つとしても
ヒカルがやった始末はきちんとつけておきたかった。

明日アキラは大阪で対局がある。
午前中仕事で行くことができないけど昼から
観戦しに行こう。そしてちゃんと話をしよう。

話と言っても何を話していいか今はわからなかった。
でもとにかくヒカルから会いに行かなきゃいけない気がした。


そう決心したら少し心が軽くなった気がした。



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