RAIN

18

 

     




後ろ髪引かれるように部屋を出てアキラはエレベーターホールで緒方と鉢合わせした。

アキラが顔を顰めると、緒方は可笑しそうに口先だけで笑った。

「進藤の所に行くつもりでしたら、無駄ですよ。彼は出ません」

「ほう?それは面白そうだな。試してみるか」

アキラは内心気が気でなかった。
そんなはずないと思いながらも、進藤が緒方を呼び出したのではないかと過る。

そのまま部屋へ向かおうとする緒方の腕をアキラは思わず掴んでいた。

「緒方さん、進藤をかき回すのは辞めてもらえませんか」

「あいつはお前のものじゃないだろう」

「彼の心にあるのは貴方じゃない」

「随分必死だな。そんなにオレが煙たいか?」

「貴方は進藤の弱さに付け込んでいるだけだ」

「そうだな、あいつの弱みをオレはよく知ってる。
体の隅々までだ。お前は知っているのか、あいつの性癖を?」

挑発するように笑われてアキラはカっとなった。

「貴方だって知らないでしょう。僕の性癖を・・・。」

ぎりりと睨みつけると緒方は噴出した。

「今日は退散するよ」




緒方はアキラを残し1人エレベーターに乗ると
ムシャクシャした気持ちにポケットの中のタバコに手を伸ばした。ここで喫煙出来るわけじゃないがそうせずにいられなかった。

笑い飛ばしたつもりで、余裕がないのは自分の方だ。

もう諦めた方がいい、潮時だ・・・とわかってる。
だがまだ付け入る隙もある・・・とも思うのだ。

「全く・・・らしくない」



緒方が1階フロントまで降りてそのままホテルの外に出るとぽつりぽつりと雨が降りはじめていた。今日から雨が続く・・・と天気予報で言っていた。

「また雨か」

暗い空を見上げ緒方は紫煙をくゆらせた。





前日から降り続いた雨は翌日の夜まで続いた。
緒方は最後まで2人の対局を見届ける前にホテルを発った。
結果が気にならないと言えばうそになるがそれ以上に今は
心が急いていたし、アキラに会うのも癪だった。



夜9時・・・・。
緒方が見上げるとそこはまだ灯りがついていた。
緒方は車を駐車すると急ぎ足で雑居ビルを駆け上がった。


「あら、緒方先生久しぶり、こんな時間にどうしたんですか?」

市川は普段と変わりなく緒方を迎え入れた。

「ああ、まあ車で近くに寄ったからな。それよりもう閉店じゃなかったのか」

碁会所の閉店時間は9時だった。

「今日はお客さんも少なくて、そろそろ閉めようかなって思ってた所」

緒方が店を見渡すと、碁盤を椅子も片付けられていた。

会話がなくなり市川はコーヒーと灰皿をカウンターに置いた。
片付けも終わった後だったろうにそれは緒方の好きなモカで、そういう市川の気遣いは流石だと緒方は思う。

「アキラくんと別れたって聞いたが・・?」

市川は困ったように笑った。

「アキラくんから聞いたんですか?」

「いや、進藤からだ」

「進藤君?」

市川は意外そうに首を傾げた。やはり知らないのだろうと緒方は
思う。

「別れを切り出したのはアキラくんからなのだろう。理由は聞かなかったのか?」

「聞かなかったと言うか、聞けなかったのよ」

「どうして?」

「そうね、どうしてかな。
真面目なアキラくんだもの。きっと悩んでの事だろうと思うと
聞くことが出来なかった。それに私にもプライドがあったし」

緒方はコーヒーを口に運びながら、どうしたものかと思案する。

「そうか」

「緒方先生は理由を知っているのですか?」

「オレが知っていたとして・・・、聞きたいのか?」

市川は困ったように顔を顰めた。

「そうね、知りたい・・とは思うけど」

緒方は苦笑した。

「失恋よりももっと傷つくかもしれんが」

独り言のようにつぶやいた言葉に市川は小さく溜息をついた。

「緒方先生はそれを私に言うつもりでここに来たのでしょう?」

「どうしてそう思う?」

「普段ここには来ないじゃないですか?」

苦笑する市川に緒方は市川の勘の鋭さに驚いていた。
女の勘は侮れない。

「教えてください。私がフラれた理由、
ちゃんと向き合って消化したいし。それに何をアキラくんが悩んでいたのか知りたいから」

「アキラは惚れたやつがいるんだ」

「やっぱりそうなんだ」

市川はさして驚いた様子はみせなかった。ある程度予測はしていたのだろう。
だが、相手の名前を聞いても平静でいられるだろうか?

「その相手が・・・進藤だと言ったら」

「進藤?ってまさか・・・」

「そうだ、進藤ヒカルだ」

流石に市川も動揺したのだろう。
絶句した市川が理解して、廻るまで緒方はしばらく待った。


「流石にちょっと想像つかなかった・・というか驚いてる。
でも女の人だと嫉妬したかもしれないけど、進藤君だったら
納得できるかな。
進藤くんは初めてアキラくんが認めた相手だもの」

そうは言っても市川の声は上擦っていたし、動揺は伺えた。

「本当に進藤がアキラの相手でいいと思ってるのか?」

「でも、それは・・・。進藤くんの気持ちもあるでしょう」

「進藤はとうの前からアキラに惚れていたさ」

「・・・知らなかった。だから、ここにも来なくなったのね。
誘っても車に乗らなかったし」

市川は一人納得して頷いた。

「ああ、だがあいつはとっくにアキラの事なんて諦めてたさ。
だって、そうだろう。アキラも進藤も男同士の上、一人っ子だ。
進藤は『アキラは市川さんと一緒になるべき』だって今も言っ
てる」

「進藤くんはアキラくんの気持ちに応えてないの?」

「まあ、そうだな」

「アキラくんも進藤君も不器用よね。まあそんな所がいいんだけど」

苦笑した市川に緒方はこの作戦は失敗したかもしれないと
思う。



『不器用なのはオレの方かもしれない』



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