RAIN

13

 

     




進藤との名人戦は2局目もアキラが取った。

3回戦の前に二人には王座リーグがあって、こちらは残る1局
進藤との対局で挑戦者が決まる。

名人戦との気持ちを切り替えてアキラは棋院へ向かった。

到着とほぼ同時に職員がアキラの元に駆け寄った。
アキラは一瞬嫌な予感を覚えた。

「塔矢名人、あの実は進藤先生が足を怪我されて・・・」

「ええっ!?」

絶句したアキラに、職員はそのまま話を続けた。

「今日の対局には来られるそうです。ただ 流水での
対局は無理なので別の部屋を用意してます」

「それで彼はもう来てるの?」

「間もなく到着するという連絡があったので迎えに伺ったんですが・・、」

アキラが棋院玄関を振り返ると1台のタクシーが滑り込む。
タクシーから出てきた進藤は松葉づえをついていた。

「僕が、行きます!!」

アキラは今しがた来た道を急ぎ戻り、自動ドアの開閉で丁度進藤と
顔を合わせた。

「よォ〜」

進藤の左足のひざから足首までギブスと包帯で覆われていた。
ギブスと包帯でスラックスを着用する事が出来なかったの
だろう。
普段のようなトレーナーにハーフパンツという出で立ちだった。

「君は一体何をしてるんだ。来月には海外遠征もあるだろう」

心配で迎えに出たのに口に吐いて出た言葉にアキラは言った
端から後悔した。

「ああ、もうわかってるよ。怪我したからって言い訳しねえように今日は勝つからな!!」

普段と変わらない進藤にアキラはほっとしつつ、彼のリュックを取りあげた。
進藤は素直にそれに応じた。

「サンキュ」

ぎこちない、松葉づえの動作にアキラは歩幅を合わせ進藤に寄り添うように歩く。
職員はそんな二人を微笑ましく迎える。

「塔矢先生にお任せしていいですか」

「はい、大丈夫ですよ」



棋院の小さなエレベーターに二人乗り込んだ。

「足の怪我は、大丈夫なのか?」

「大したことねえよ、骨折はしてねえんだ。ただ7針程縫ってる」

「痛みはないの?」

「薬飲んでるからな」

その後は言葉が続かなくなる。


けれど・・・。
名人戦1局目の時、重ぐるしく感じた空間はそこにはなかった。





王座戦の挑戦権は進藤が勝ち取った。

記者会見が始まり、現実に戻されたように周りの声や音、色が
動き始める。


『今回はお二人は名人戦の間の対局でしたが、いかがでしたか?』

勝った進藤へのインタビューだ。

「いや、もう塔矢の顔は見飽きたなって」

どっと報道陣から笑いが込み上げ、アキラもつられたように苦笑
した。

「塔矢名人は、どうでしたか?」

「対局者は同じでも防衛する立場と、挑戦者とでは違います。
気持ちは切り替えてきましたが、今日はそれ以上に本因坊に
気迫があったな・・と」

「ああ、3連敗はしたくなかったのと、足の怪我のせいにしたくなかったからな」

「その足の怪我ですが、棋譜を読んでいて駅の階段から落ちたというのは本当なんですか?」

「まあ、棋譜を見ててっつうか・・・。」

進藤は言い訳しようとしてふっと溜息を吐き困ったように笑った。

「本当です」

どっと笑いが起き、アキラは半ば呆れていた。
そういえば進藤から怪我の理由は聞いていなかった。
不謹慎であるのに笑いが起こるのは進藤も軽いネタ話でで済ませたいからだろう。

また別の記者から進藤に質問が投げかけられた。

「本因坊が階段から落ちた時に見てたという悩ましい棋譜はどんなものだったんですか?」

「それは、まあ・・・。勘弁してくれよ」

口を濁す進藤にアキラは思う。
恐らく進藤が見ていたと言う棋譜はアキラと対局したものだろ
うと。ホテルの中で散乱していた棋譜もそうだった。
それに胸が熱くももどかしくもなる。

アキラの勘違いなら、どうしようもなく『重症』だ。

進藤が『そろそろ』とインタビューを切り上げる。



「すみません、今日はオレこれくらいで、病院で怪我の消毒があるから・・・」

重そうに体を上げた進藤に付き添うように立ち上がり、当たり前のように進藤のリュックを持つ。

「不謹慎かもしれませんがいいですね。ライバルのお二人のこういう所はなかなか見られませんよ」

カメラとVTRが回り、アキラは苦笑しながら会釈した。

「失礼します」




来たときと同じようにエレベーターに二人乗り込む。
進藤の表情はインタビューの時と違い曇っているように見えた。
『タクシーで一緒に付き合った方がいいか?』などと思いめぐらせているうちに
1階につき『チン』となった瞬間そこに現実があった。

「緒方さん!?」

この瞬間アキラは緒方が進藤を迎えに来た事を悟り、体中の血がいっきに沸騰したような気がした。

「アキラくん、進藤お疲れだったな」

「緒方さんどうしてここに?」

わかっていた事なのに聞いてしまう。

「進藤の迎えだ」

「オレは断ったんだぜ」

ふて腐れたように言った進藤の言葉は言い訳のようにも聞こえた。

「アキラくんも○○駅まで乗っていくかい?」

「いえ、僕はいいです」

そういった瞬間アキラが持っていたリュックを緒方が取り
上げた。
冷たい視線に負けないよう返すが、すでに気おくれていた。

「ちと、急いでるからさ」

進藤がアキラにも緒方にも急かすように言う。

「塔矢、お疲れさま、ありがとうな」

その声が、その笑顔が遠くてアキラは何も言えなくなる。

『行くな』とその背に心の声が何度も叫ぶ。
なのにそれは声にならなくて。


二人を見送った後、アキラは自己嫌悪でいっぱいだった。


                            
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足の怪我エピソードは息子の足の怪我から(苦笑)
先生と打った棋譜が納得できなくて、ずっと考えていたら階段から足を踏み外していたと・・・(滝汗)転んでも唯では起きません?





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