ひかる茜雲


                            25




      
     
緒方が芦原に命を言い放った直後、若頭の冴木が部屋に飛び込んだ。

「殿、冴木でございます」

微かに息を切らした冴木に緒方は腰を浮かせた。
冴木にはヒカルの傍に着かせていた。容体が急変したのではないかと
思ったからだ。
が、そうではなかった。

「佐為様がお見えです。殿に至急お目通り願いたいと」

「わかった。すぐに通せ」




部屋に来た佐為はすでに何か悟ったような表情をしていて、緒方は
妙気に食わなかった。

「冴木、芦原、席を外せ」

佐為の従者もその言葉で諦めたようにその場の席を外した。
部屋に二人になると佐為は深く頭を下げた。

「緒方様、こたびの事は私の責任でございます。
ヒカルは私が責任を持ってお預かりするとお約束したのに
私の軽率な言動で心を悩ませてしまいました。
どうかお咎めは私に、私はどのような処分も受ける覚悟でございます」

緒方は佐為の言葉に眉間に皺を寄せ聞いた。
佐為の事だ。
そう言ってくるのではないかと思っていたのだ。

「お前が庇うのはヒカルだけなのか?」

気丈にも、全てを覚悟してきたのであろう佐為の表情が一瞬揺れた。

「2人は私の大事な弟子でございます。それにまだ12と幼くこれからの
未来ある子供たちでございます。どうか、緒方様、ご慈悲を賜りますよう」

やれやれと緒方は心の中で思った。
ヒカルや佐為が庇う程、緒方の中では「塔矢アキラ」への憎悪が湧き上がっ
てくる。
そんな子倅など捨て置けば良いのだろうが。
ふつふつと湧き上がってくる感情は蓋をして治まるものでものではない。

「佐為、顔を上げろ」

静かに顔を上げた佐為は仏のように穏やかでますます気に入らない。

「佐為、責任を取ると言ったな」

「はい」

「ならば、生きよ。死をもって償おうなどという事は考えるな」

しばらくの間の後、佐為はまた静かに頭を垂れた。

「緒方様のご慈悲に感謝します」

「勘違いするな、誰も咎めぬとは言うてはおらん。ただお前には死なれては
困るのだ。最後まで見届けろ」

佐為はそれでも緒方に感謝した。

「緒方様、ヒカルの容態は?」

「既にきき及んでいるかもしれんが、自害を計ろうとして。寸でオレが
止めた。峠は越したが、まだ油断出来る状況とも言えぬ」

「ヒカルに逢う事は叶いませんか?」

「ならん」

緒方は一喝した。

「緒方様・・・。」

今にも泣きだしそうに表情を落とした佐為に緒方は心の中で苦笑した。
先ほど、「どんな処分も受ける」と覚悟した佐為とまるで同じとは思えない
ほど、佐為は動じたからだ。

「今のヒカルは心身とも不安定な状態だ。お前に会って、酷くなる事も考え
られる。今は辛抱してくれ」

緒方は佐為に小さく頭を下げた。一国の城主がただの碁打ちにするような
行動ではない。佐為はその想いを汲んだ。

「わかりました。緒方様、どうぞお顔を上げてください。
ヒカルは緒方様にとってとても大切な存在なのですね」

今更何を・・・と思いながら緒方は頷いた。

「ああ、そうだな。こうなって改めて気づかされたのかもしれぬがな。
此度の事が落ち着いたらヒカルは駿河に連れ帰る。
佐為、ヒカルの事は諦めろ。」

「ヒカルから碁を取りあげられるつもりですが?」

「自惚れるなよ。碁ならどこでも打てる。お前如きの碁打ちなら駿河
にもいる」

「私如き碁打ちはどこにもおりますでしょう・・・。ですがヒカルは
たった一人しかおりません」

そう佐為の言う通り、ヒカルはこの世にたった一人しかいない。
だから愛おしいのだ。

「ああ。だから連れて帰る。そしてもう2度と江戸には連れては来ぬ」

佐為は何も言わなかった。
それがヒカルの為であり、アキラの為なのだというなら。
そう思わなくてはならないのだ。
理不尽だと思っても叶わぬことは沢山ある。

このたびの事、緒方が目を瞑ってくれると言うなら、それ以上佐為に
何が言えるだろう。

佐為は深く頭を下げた。




緒方の命により塔矢アキラが屋敷に来たのは夕刻近かった。
芦原に伴われ、緒方の前に来た塔矢アキラを緒方はその鋭い瞳で
睨み付けた。

アキラは逸らそうとはしなかった。
背丈はヒカルとそう変わらない。利発で、綺麗な顔立ちと芯のある強い
意志がその瞳にはあった。

『この少年がヒカルと契りを交わした』

疑念よりも緒方はアキラを見た瞬間、そう
確信し、そして怒りに震えそうになった。
やはり許すことなど出来そうにはない。

「塔矢アキラと申します」

恭しく頭を下げたアキラに緒方は単刀直入に言った。

「オレがお前を呼んだ理由がわかるか?」

「ヒカルの事ならば、弁解も申し開きもするつもりはありません」

「それは覚悟があると言ってるのだな」

アキラは12とは思うないほど、静かに頷いた。

「はい、ヒカルをかどわかしたのはこの僕です。
彼には何の罪もありません」

「契りを交わしたのもお前がヒカルに無理強いしたというのか?」

「その通りです」

ヒカルを庇うための嘘だろう事はわかった。

「あの恐れながら緒方様・・・」

傍に控えていた芦原が声を掛けた。
芦原の方がアキラよりもよほど緊張していたし、声も震えていた。
緒方の怒りを痛いほどに感じていたからだ。

「芦原、話の途中だ」

「ですがどうか、無礼を承知でお願い申し上げます」

やむなく緒方は「申せ」と言い放った。

「二人はまだ12という子供です。ヒカルくんの自傷の件もありますれば
どうぞ2人には寛大な処分を・・・。」

芦原はアキラを咎めればヒカルがまた自害を起こすかもしれないと
緒方に遠回しに言いたかったのかもしれないが、緒方は不愉快だった。

「あの、ヒカルの自傷?と言うのは」

当然アキラはその事実を知らない。
アキラのその質問に答えない緒方に代わり、芦原がアキラに言った。

「ヒカルは君を庇って自害しようとして・・・でも命は取り留めた」

気丈だったアキラの表情から血の気が失せた。
何も知らずここに来たアキラを緒方は滑稽だと思ったし、許せなかった。

だが、アキラを自害させれば、ヒカルが後を追う可能性は大いに
考えられた。
心中などもっと許せなかった。


                                
                                   26話へ

                         
         



緒方VSアキラは26話にももつれ込みます。





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