ひかる茜雲


                            

       

     
中押し負けだった。

ヒカルが「負けました」と頭を下げてもアキラはまだ盤面から視線を
上げなかった。
どうやらアキラにはヒカルの声が届いていないとわかり、ヒカルは声を
荒げた。

「アキラ、オレの負けだって、」

2度も負けを宣言するのは癪だったが、このまま碁石を片付けるわけに
も行かない。

「えっ?」

アキラはようやく顔を上げた。

「ああ、君が投了したのか」

ヒカルの方が負けたと言うのに納得いかないようにアキラは
顔を曇らせた。

「碁石、片しちゃ不味いか?」

「いや」

「お前やっぱ強えな」

アキラはそれに答えず黙々と石を片付けだす。
あんな偉そうな事を言っておいて、この有様のヒカルを怒っているのかも
しれなかった。

「あの、アキラ・・・」

先ほどの事を謝罪しようとしたら、格子から佐為が顔を覗かせた。

「ヒカル、アキラくん、ただ今戻りました」

「おかえりなさい、佐為」

ヒカルが破顔すると石を片付け終えたアキラが立ち上がった。

「佐為様が戻られたので僕はこれで失礼します」

「アキラくん、子供たちの事、ヒカルの事ありがとう。
遅くなったからアキラくんも一緒に夕飯どうですか?」

「お気持ちは嬉しいのですが」

アキラは佐為に軽く詫びの礼をした。

「そうですか、無理は言いませんが」

「それでは失礼します」

そのままこちらを振り向く事もなく
足早に立ち去るアキラの背をヒカルは佐為と見つめた。

その背は何者も拒んでいるように強く、そして一人でさびしくも見えた。
ヒカルはいい表せない感情に襲われて佐為に言った。

「オレアキラを見送ってくる」

「ええ」

優しい佐為の笑顔に励まされてヒカルはアキラを追った。
だんだん近づいてくるアキラの背にいつかそうやって追いついて
追い越してやるのだと言う思いが湧き上がってくる。

「アキラ!!」

後ろから駆けてきた足音と声にアキラは足を止めた。

「どうかしたのか?」

ヒカルは息を切らして足を止めた。

「あんな偉そうな事言って悪かったって・・・。その」

なんだそんな事かという様に、アキラは小さく溜息をついた。

「いいよ、気にしてないから」

アキラの言葉に拒まれているようで心の臓がチクリとする。
そのまま立ち去りそうなアキラにヒカルは何とか言葉を繋ぎ
止めようとする。

「あの、アキラ・・・、また対局してくれるか?」

「君は僕と対局したいの?」

「当たり前だろ、お前と打った碁、面白かった。
もっと打ちたいって思ったのに、オレが不甲斐ないせいで、すぐ
終わっちまったけどさ。
あっけど、お前はオレとじゃ勉強にならねえか?面白くねえよな?」

「いや、僕も・・・君ともっと打ちたかった」

アキラはヒカルに優しくほほ笑んでいた。ヒカルはその笑みに思わず
吸い込まれそうになり、顔を染めた。
佐為にも負けないぐらい綺麗で優しい笑顔だった。
アキラはこんな顔もするのだ。

「オレお前を見送ってもいいか?」

「ああ」

名残惜しさがあってヒカルは屋敷の外までアキラを見送った。

「明日も来るよな?」

「来るよ、また明日」

「うん、」

ヒカルが手を振るとアキラもそれに応えてくれた。

短い言葉にもアキラのその背にも、もう拒まれているようには
思えなかった。
なんだか嬉しくなってヒカルは鼻を鳴らした。

もっともっと強くなりたい。
アキラのように、佐為のように・・・。

それは自分の為でもあり、ここに通わせてくれた緒方に応える
事にもなる。

アキラの背が消えるまで見送ったヒカルは心の中で誓った。
『いつかお前に認められるくらい強くなる』っと。





ヒカルがアキラを見送った後、部屋に戻ると佐為がヒカルを待って
くれていた。

「アキラくんは帰りましたか?」

「おう、見送ってきた」

「やっぱり、私の思った通りでした」

佐為の言う意味が分からずヒカルは首をかしげた。

「なんの事?」

「アキラくんをここに誘ったのは私なんです」

事情は和谷から聞いていたので頷いた。

「でもなかなか皆に打ち解けなくて。でもヒカルとなら
きっと仲良くなれるだろう気がしたのです」

「それはどうだろ?」

ヒカルは何となく佐為の意図がわかって苦笑した。
アキラがヒカルの事をどう思っているかはわからない。
先ほど自分が受け入れられたような気がしたのも自分の思い違い
かもしれないし・・・でも。

「でもさ、オレアキラの事嫌いじゃないぜ」

和谷は毛嫌っていたが、ヒカルはそんな風に思えなかった。

「私もヒカルもアキラくんも好きですよ」

佐為に軽く抱き寄せられヒカルは優しく大きな胸に、母を・・・緒方を
思い出し恥ずかしくなった。
佐為も緒方にとってもヒカルはまだまだ子供なのかもしれない。

「えっと佐為?」

「お腹すきましたね。対局は夕飯を食べてからにしましょう」

佐為がヒカルを解放した。
恥ずかしかったはずなのに、その腕から解放されるとヒカルは
少し寂しい気がした。




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