その日ヒカルの受ける講義が終わる頃合を見計らってアキラは
講義室に行こうとして、休講の張り紙を見た。
『緒方教授本日午後からの講義の休講と後日代替による
振り替えのお知らせ・・・。』
「休講?」
教室はガランとして誰一人いなかった。
ヒカルはもう帰ってしまったのだろうか?
何の約束もしていなかったことにアキラは今更気づいた。
それどころか携帯も住所も何ひとつヒカルのことは知らされていなかった。
約束などしなくとも会えると思い込んでいたアキラが迂闊だったのだ。
次に一番近く会えるのは・・おそらく来週末のS社との共同研究会になる。
アキラは少なの望みをかけてマンションに急いだ。
慌てて鍵をあけたアキラは落胆した。
そこにはヒカルの靴はない。
そうして用心深く部屋に入ると部屋の隅々を見回した。
もしヒカルが何か目的があって自分に近づいたのだとすれば
部屋に何か仕掛けられている可能性は十分あった。
ヒカルに使っていいといい残したPCにも何か細工があるかも
しれないし、データーを改ざん、もしくは盗まれた可能性だってある。
もちろんあまり露骨なことをするとも思えなかったが。
アキラはそれを予測してヒカルに部屋を自由にさせた。
そんなことは疑いたくはなかったし、仮にそれがヒカルの本当の
目的であったとしてもアキラはヒカルをあきらめることなどできそうに
はないだろう。
君を信じていたい・・・。だけど・・・。
両端の葛藤にアキラは深くため息をつくとPCに目を落とした。
その横にメモ用紙が挟まれていることに気づいて急いで拾いあげた。
【 アキラ、お帰り。
緒方先生の講義休講になったって連絡あったから
今日は帰るな。鍵預かったままだけどいいよな?
お前のことだから何も言わないと心配するかもしれねえから。
オレの住所とメルアド置いて行く。
追伸:お前の研究データーオレのPCに送信させてもらったぜ。
まだじっくりみてねえけど、オレの考案がまとまったらまたそっちに送るから。】
走り書きのメモでもアキラには十分だった。
PCを立ち上げてアキラはデータ確認をした後、ヒカルの住所を検索した。
○○町、ここから4キロ程。自転車でも行ける距離だった。
今日は金曜。明日は週末だった。
突然君の部屋に押しかけたら怒るだろうか?
昨日ヒカルはアキラが部屋に訪問することをひどく嫌がっていたことを
思い出した。
連絡してから行くというのも考えたが、彼のあの様子だと間違いなく拒否
されるだろう。
だったら何も言わずに訪ねたほうがいい。
たとえ彼の部屋の状況が悲惨な状態であったとしてもアキラは構わなかった。
そんなことよりも彼の居場所を知っていて会えないほうがよほど酷だった。
それに彼の部屋に行くことで何か情報を得ることだってできるかもしれ
ないのだ。
アキラはベッドに転がると昨夜ヒカルと一緒に寝た布団に体を
沈めた。
昨夜彼を知ってしまったアキラにとって心に隙間が空いてしまったようだった。
それでもこの4年間の空白に比べればどんなに幸せだろうとアキラは思う。
明日には君に会えるのだろうから。
「ヒカル・・・。」
アキラはヒカルの名残を求めるように毛布をぎゅと抱き寄せた。
翌朝、アキラは思い立つとヒカルのメモ用紙に書かれた
住所に向かった。
ある程度ネットで調べて見当をつけていたが、アキラは
半信半疑のままそのマンションを見上げた。
近年埋立地として開発されたこの地域には沢山のマンションが
立ち並んでいた。
が、ヒカルが住んでいるマンションはその中でもひときわ高層だった。
また隣接した敷地内には公園やテニスコート、ショッピングモールもあった。
明らかに賃貸ではないこのマンションの一室にヒカルは一人で住んでいる
というのだろうか?
エントランスに入ると管理所がありオートロック・インターホン設備が
あった。
アキラは躊躇することもなくヒカルの部屋番号を押してみた。
ヒカルからの返事はすぐだった。
「は〜い。どちらさま?」
「ヒカル、僕だけど・・・。」
返事にはやや間があった。
「ええええ?アキラ!!!・・・あのちょっとまって今扉解除する・・じゃなくて
お前もうしばらくしてから来い。
えっと10分いや30分ぐらい時間つぶしてきて。
絶対今あがってくんなよ。」
動揺したヒカルからの返事が途絶えた。
だが扉はなぜか解除された。
アキラは迷うことなくそのままエレベーターに乗り込んだ。
階数は18階。都心のタワーマンションとまではいかないがかなりの高層
マンションであることは間違いない。
その18階で降りたアキラは目を奪われた。
視界を取り囲むように湾内が広がっていた。
空もすごく近く感じる。
おそらく夜にもなれば美しい夜景をみることができるのだろう。
ヒカルの部屋はマンションの角部屋だった。それは他の部屋
より広い気がした。
前までくるとアキラはインターホンを鳴らした。
「ええ?アキラもう着たのかよ。」
アキラは小さくため息をついた。
「僕は別に気にしないといっただろう。」
「だああ〜」というヒカルのため息をともにインターホン越しの声がきえた。
部屋の扉があいた時ヒカルはかなり渋い顔をしていた。
「お前さ、オレの話聞いてたか?もうちっとしてからっていっただろう?」
「とても待てなかったんだよ。」
「こんなことだったらお前の部屋にメモなんて置いてくるんじゃなかったよ。」
「僕は君に招待されたのかとおもったんだけどね。」
ぬけぬけとそういうとヒカルが心底深くため息をついた。
「お前本当に呆れない?」
「呆れないし怒らないと言ったろう。」
それでもヒカルは往生際が悪かった。
うなだれるヒカルに僕は苦笑した。
「それよりこんな所で押し問答している方がヘンじゃないか。」
「ああ、もうわかったから。入れよ。」
ヒカルの後について部屋に入る。
玄関は一軒やのように広く、造りもインテリアも洒落ていた。
廊下を10数歩進むとリビングだった。
入った瞬間あまりにガランとして見開いたその部屋に驚いた。
ヒカルの話では散らかっているのだろうと思い込んでいた。
だが少なくとも20畳以上はあるだろうリビングに置かれていたのはPC用の
デスクにPC、その周辺機器だけだった。
リビングに隣接した対面式のキッチンには冷蔵庫とレンジそれに食器棚が
あってそれなりにはなってる。
だが、食器だなには食器はない。
アキラはそのままリビングとつながっている奥行きのあるベランダまで
足を進めた。
「すごいな。」
エレベーターを降りてきたときより見晴らしは最高だった。
「おう、夜景きれいなんだぜ。ここのマンションの売りだったみたいでさ。
特にこの部屋角部屋だから、風呂場からも景色が見わたせてすげえ
贅沢なんだ。」
「本当に。学生が一人で住むには随分贅沢なところだと思うけど・・・。
ここは分譲だよね?」
アキラに指摘されてヒカルは困ったように頭を掻いた。
「ああ、まあ、そうだけど・・・。知り合いの人が購入したけど住んでねえ
っていうから使わせてもらってる。」
「そうなんだ。」
アキラはそれに胡散臭さを感じた。がそれ以上ヒカルに聞くことは
出来なかった。
芦原さんに調べてもらえば何かわかるかもしれない。
11話へ