「塔矢もう1局!!」

あれから3局打って流石に塔矢が顔をしかめた。

「進藤、これで最後にしようと言ったのは君だろう。」

「だからあと1局だけだって、」

「ダメだ。」

ぴしゃりと断られてヒカルはぼやいた。

「お前だって負けたときはあと1局って強いたくせに。」

「この調子でやってたら徹夜しても終わらないだろう。」

負けず嫌いな二人だと確かにその通りだろう。
負けたまま引き下がれないのはお互い様だ。

すでに時計は1時を回っていた。
「うっ」と唸ったオレに塔矢が笑った。

「遅くなったけど進藤風呂はどうする?」

塔矢が碁石を片付けはじめてオレは諦めざる得なくなる。
風呂はもういいかなって思ったオレだけど塔矢の家の風呂には
興味があった。

「そうだな。気分転換に入ってこようかな。」

う〜んと背伸びをすると塔矢が立ち上がった。

「風呂の準備をしてくるよ。君が入ってる間に布団も敷くけど、僕の部屋でいい?」

「おう、お前んちの風呂って楽しみだな。」

「ああ、風呂は少し自慢なんだ。君が気に入ると良いんだけど、」






塔矢に寝巻きと真新しい下着にタオルを用意してもらって風呂に案内された。

それにしても寝巻きってところが塔矢家らしい。
案内された風呂の脱衣所はオレんちの2倍以上はあるものだった。

「広え。」

「時々、塔矢門下生も泊まるからね。気兼ねなく使ってくれていいから。」

オレは『まっぱ』になると風呂場の戸をあけた。
塔矢が自慢だといっただけのことはある。
期待したとおり、いや期待以上だ。

「ヒノキ風呂!!しかも広え」

どう考えたって塔矢1人には贅沢すぎる風呂にゆったり漬かって手足をバタバタ
させた。

「だああ、癒される。」



この風呂佐為がいたら喜んだろな。
自分が入るわけでもないのに
修学旅行でもヒノキの温泉に佐為は、はしゃいでいた。
まして、ここは塔矢名人の家だから尚のこと喜んだろう。

はしゃぎまわる佐為を想像してヒカルは表情を落とした。

佐為が消えて5ヶ月。
ようやく前を向いて笑うことができるようになった。

今もまだどこかにいるんじゃないかって、ひょっこり帰ってくるんじゃねえかって、
今も振り向けばそこに佐為が笑顔で佇んでいそうな気がして、立ち止まってしまう。

後悔とかもっとあの時こうしてやればよかったとか。

オレのせいだと思ったことも、消えずにすむ方法があったんじゃねえか、とか。

でも本当はあがらう
すべなんてなかったってこともわかってる。


『佐為・・・』


いつもの堂々巡りになる感傷を打ち払うように風呂にばしゃっと顔を漬けた。


そういえば今頃、和谷と伊角さんどうしてるかな。
無理やり佐為から思考を移した。

和谷のマンションに1人伊角を置いて出てきたとき、伊角は豆でっぽうを食らったよう
な顔をしてた。

今頃は二人で・・想像した瞬間、体が熱くなった。
風呂の熱さもそれに上乗せされてオレは風呂から飛び上がった。


少しくらくらして
冷たいシャワーの水で火照った体を頭を冷ました。

「たく、オレはなにやってんだよ。」





用意してもらった寝巻きを羽織って
塔矢の部屋に上がるとすでに布団が2枚敷かれ
塔矢も寝巻きに着替えていた。


「どうだった?」

「お前が自慢の風呂って言っただけのことはあるな。癒されたぁ!!」

「それはよかった。」

「に・・・してもオレ寝巻きってあんまし着ねえんだけど、ヘンじゃねえ?」

寝巻きを着るといったら旅行先ぐらいだ。合わせも適当にしたし。

「寝巻きっていっても甚平だから。よく似合ってるしヘンじゃないよ。」

塔矢に言われるとむしろ恥ずかしくなった。それによっぱど塔矢の方が
馴染んでる。

照れくさくなって頬を染めると塔矢がやんわりと言った。

「もう寝ようか。」

「ああ。」

オレは布団の中にもぐると明かりが消えた。

「進藤お休み、」

「おやすみ・・・。」





布団に入ってしばらく。会話はなかったが眠りについたわけでもなかった。
なんとなくオレだけじゃなく塔矢もそうだって気配でわかる。

「進藤・・・。」

静寂の中塔矢がポツリとオレを呼んだ。

「・・・・なに?」

オレが返事してからしばらくの間があった。

「すまない。何でもない。」

そう言った声は少し震えている気がした。

「なんだよ。それ、」

オレは気づかないふりをした。
おそらく塔矢はオレに佐為のことを聞こうとしたんじゃねえかって
思ったからだ。
今だけじゃない。
塔矢が言いよどむ時があってそう感じていた。
先日碁会所で打ったときも何かオレに言おうとしてやめた。

オレと塔矢の公式戦初対局の日に『お前にはいつか話すかもしれない』と言ったことを
オレは少し後悔していた。
思わせぶりなことを言って塔矢に気を持たせたかもしれない。

でも、いつかオレがお前と並んでTOPにたって、
あいつも認める棋士になったら。

そんなことを考えていたら塔矢が布団から立ち上がって部屋から出て行った。





塔矢はなかなか戻ってこなかった。
オレはそのまま眠ろうとおもったがどうにもほっておくことが出来なかった。

「たく、あいつ、何やってんだよ。明日は仕事だって言ってたくせに。」

部屋を出て階段の下で塔矢は窓の外を見て物思いにふけっていた。
なんとなくあいつらしい気がした。

オレの気配に気づいて塔矢が振り返る。

「すまない。ひょっとして起こしてしまった?」

「いや、それより塔矢眠れねえの?だったらオレ付き合おうか?」

「徹夜の碁はちょっとね。」

「なんだよ。囲碁だけじゃねえぜ、話ぐらえだったら聞いてやるって、」

塔矢がそれに苦笑した。

「そうだな。君に話すことができれば・・・。」

やはり佐為のことだろうか?
塔矢はそこまで言ってまた言いよどんだ。

「進藤もう寝よう。」

階段を上ろうとした塔矢の背にオレは呼びかけた。

「待てよ。」

塔矢が振り返える。

「オレに言いたいことがあるなら言っちまえよ。応えられるかどうかわからないけど
話ぐらい聞いてやるから。」



まっすぐにオレを見据えた塔矢にオレも視線を外さなかった。
塔矢が一歩二歩オレに近づいて目の前でオレの腕を掴んだ。

「なに・・?」

その瞬間オレは何が起こったか瞬時に理解できなかった。


オレは塔矢の腕に引き寄せられそのまま唇を掠め取られた。
胸の音がトクンと大きくなる。

まるで時間が止まったようだった。