交差点13

 

アキラの場合

アキラは出かける準備をしながら首筋に残るあとを見つけて苦笑した。

後ろ髪で目立たないがマフラーでも巻いた方がいいだろう。

感傷に浸るようにそこに触れた。
進藤はまだ家にいて、このままだと彼をまたこの腕に閉じ込めてしまい
かねなかった。

感情を押さえ込むようにアキラは出かける仕度をした。
アキラはますますヒカルに囚われて行く自分がいることを自覚していた。



イベントへ参加したのは意外と良かったかもしれなかった。
余計な思考に紛らわされることがなったし、神経をそれほど尖らすものでもなかった。

お客さんも気の良い人ばかりで煩わしさは感じなかった。
イベントも終わりに近づいた頃緒方が声をかけてきた。



「アキラくん。今日は悪かったな。せっかくのオフを台無しにして。」

「いえ、僕も楽しかったので」

「お詫びにこれから夕飯でもご馳走するよ。」

このまま帰ったら多分何も食べずに済ましてしまいそうだと思ったので快く
誘いを受ける事にした。

「ありがとうございます。ご馳走になりますよ。」





緒方と車に乗り込むとエンジンを掛ける前にタバコを咥えた。
iイベントの間我慢していたのだろう。
緒方はアキラの横顔を見るとにやりと笑った。

「緒方さんどうかしましたか?」

「アキラくんうしろ首筋に・・・跡がついてる。」

はっとして手を後ろ髪に伸ばした。イベント中は暖房が効いた
部屋でもマフラーを外さなかった。車という個室に油断して
外してしまったのだ。


「イベント中ずっとマフラーをつけていたのはそういうことか?
アキラくんも歳頃だからな。そういう女性がいてもおかしくはないが
案外スミにおけないな。」

アキラは面白おかしく言う緒方に何も言えなかった。
そう思っていてくれたほうがいい。

だが緒方はそれほど鈍感ではなかったようだった。
何かに気づいたように鋭くアキラをみた。

「ひょっとして相手は進藤とか?」

何もいうことが出来ず目が合った緒方から視線をはずした。

「おいおい、本当か?」

諦めて交戦を交えるくらいの覚悟でいった。

「軽蔑しましたか。ひょっとして父に話すつもりですか。」

「まさか。軽蔑などしないさ。もちろん口外
もしない。先生にも言わんよ。ただちょっと驚いたけどな。」

「・・・・・・・」

「とにかく飯に行こう。話は聞いてやる。」

車がすべる様に駐車場を抜ける。緒方はタバコを灰皿に押し付けると
突然アキラに詫びた。


「そりゃ悪いことをしたな。悪かったよ。」

「何がです。」

「いや、君たちのことを知らなかったからな。けしかける様なことを
言って、進藤との仲をかき乱したんじゃないかと思ってな?」

あの碁会所でのことだ。

「それは・・・・」

「まあいい。仲直りしたのだろう?」

そういった緒方は露骨な笑い方をしたのでアキラは顔をしかめた。

「今後は気をつけるようにするよ。」

「進藤には立ち入らないということですか?」

「そこまでは言わないが。
アキラくんとそういう関係なら。俺からは声をかけるのは控える。」

アキラは今更ながらにほっとした。緒方さんは決して悪い人じゃない。子供の頃か
らの付き合いもあってある意味両親よりもお互いの心の内を知っているかもしれない。



「よかったじゃないか。」

「なにがです?」

「今朝進藤と電話で話して違和感があったんだ。それが何かわからなかっ
んだがな。進藤はアキラくんにべた惚れてるんだろ?」

「悔しいですが彼よりも僕のほうがその想いは強いです。」

「なるほど。そうかもしれないな。アキラくんは何事にも一途だから。
だが、恋愛に関しては少し余裕を持つぐらいの方がいい。誰にも進藤との事は言って
ないんだろう?」

「もちろんですよ。」

「なら何かあれば俺に相談しに来い。話ぐらいならいつでも聞いてやるから。」

アキラはヒカルとのことが緒方さんに知られてしまったことに驚くほど
穏やかでいる自分に気がついた。
誰にもいえない関係だと気が張っていたのかもしれない。

「ありがとうございます。」

「アキラくん、ひとつだけ聞いておく。まあ、いやなら答えんでもいい。」

「はい。」

「進藤とsaiの事だがこの間は気にしていないような事を言ってたが実際どうな
んだ?」

車内に一瞬沈黙が流れる。
アキラは到底ヒカルには吐き出せない本音を緒方にぶつけた。

「もちろん気になりますよ。僕も緒方さんが思って通り進藤とsaiはただの知り合いじゃな
いと思っています。」

「ただの師弟関係じゃないってことかい?」

「・・・・わかりません。」

「進藤にsai の影を感じることは?」

「影?」

「そう、頻繁に会ってる様子とか、そぶりってあるだろう?」

頻繁に対局したり、会っているならば、進藤の行動や言動に不審な点があるはずだと
緒方は言った。saiのことをヒタ隠しているのだからと。

「そういったものは感じません。僕はむしろ彼の碁や彼の何気ないしぐさ
にsaiの影を垣間見てしまう。それで不安になるのです。」

「碁はわかるとして、しぐさにsaiを感じるっていうのはどういうことなんだ?」

「僕と一緒に居てても彼の思考が別の場所に向いている時がある。」

「それは身体を重ねても彼の意識は別にあるってことかい?」

それにアキラは苦笑した。昨夜の彼にはそんな余裕はなかった。
それはアキラだって同じだったが。

「いいえ。彼の想いに偽りはないと思います。むしろ僕のほうに問題があるの
かもしれない。」

夜明け前にヒカルに所望されて打った一局。
あれは何を意味するのだろう。
あの打ちかけの白はsaiが打ったものではないのか?

美津子と話をしてからアキラには一つの疑念があった。
ヒカルとsaiは同一人物であって、そうではないのかもしれないと。
では、ヒカルが探していたのは?ひょっとするともう一人の自分。sai?

疑念とそんな非現実なことありはしないと打ち消す思いとが交差する。

矛盾が重なってヒカルの謎と不安がアキラの内に広がっていく。
それでも彼に聞き出せないでいる。その苛立ちがヒカルへの想いをますます
募らせているのかもしれない。

緒方は苦笑するとため息をついた。

「進藤への独占欲が強いんだろう。オレが少しからかっただけでも進藤に
執着するぐらいだからな。まあ、わからんではないが、そういった感情は
あんまりいい恋愛には繋がらないことが多いぞ。」

「はい。」

アキラもそうかもしれないと想う。

「それより進藤がかわったと思わないか?ほんの半年前までは無邪気で生意気な
ガキだったのに、ここの所面構えが妙に大人になったしいい顔してる。
あいつをそうしてるのはアキラくんなんだろ?だったらもっと自信をもったらどうだ。」


そういえばと思い出す。不戦敗のとき葉瀬中であったヒカルの瞳は光を感じなかった。
心臓が凍り付いてしまいそうなぐらい冷たくて、何者をも拒んでいた。

それでもその瞳の奥に囲碁への感情を押しとどめていた。
だから振り返ることなく、ただひたすらに前だけを歩き続けた。



車がスピードを落として料亭の駐車場に止まった。


「着いたな。」

そういった緒方だったがしばらく車から離れようとしなかった。
アキラは緒方を待った。

「ただ、少し寂しい気もするな。」

アキラは緒方が言った意味を推し測ることが出来ずに横顔をみつめた。

「プロになる前の進藤の碁を何度か見た事がある。無邪気で無鉄砲で・・・盤面に
無理があってもそれすら楽しんでしまうようなやつだった。
本当に碁を打つことを楽しんでいた。俺にもこんな時期があったのになって柄に
もなく思いだしたしな。
だが今の進藤はプロの中でそういった部分をそぎ落としてしまった。この世界で
勝ち上がっていくためには仕方のない事だ。それを寂しいと言うのは間違っているのかもしれん
が、
・・・それはアキラくん、君にもいえることだ。」

僕は黙って緒方さんの横顔を見つめた。
少し寂しそうな顔だった。



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