
2004年10月14日(木)〜17日(日)
仕事柄、平日に職場を休みにして社員旅行に行くというのはありえないので、私たちの職場では、部署ごとに『親睦旅行』というものがある。ある部署は土日で近場に1泊旅行に行ったり、またある部署は何人かずつに分け、幹事が何種類かのツアーを組み、いずれかに参加するという方法など様々なのであるが、私の職場では、「数名のグループを作ったら、どこへでも行ってよし。親睦会から多少の補助は出す。」という、なんとも自由奔放な職場であり、その年の親睦旅行は、うちの部屋の室長、隣の部屋の室長、うちの課の先輩と私の4人で、韓国へ行くことになったのである。
海外旅行といえば、ヨーロッパ方面にしか行ったことがなかったので、今回は、初めてのアジア。それも、お隣りの韓国。
がしかし、韓国は、私にとっては今まで近くて遠かった国である。なぜかというと・・・
毎年数回ペースで北海道に帰省しているのだが、【その1】北海道より韓国に行く方が安い、【その2】大阪からだと、飛行機のフライトが北海道なら約2時間だが、韓国は2時間かからない。
これらの理由により、実家に帰るより気軽に行けてしまう海外ということで、かえって韓国というのは、どうも行きづらかったところだったのである。
自分では進んで行こうと思っていなかった国だが、いい機会だったので、とりあえず参加してみることにした。
〔10月14日(木)〕
いつもながら、兵庫県に住んでいる私は、海外旅行に行くときは、関西空港から出発する。
フライトは夕方で、韓国に着くのは夜だ。今回の旅行は、1日目が夜に到着し、最終日のフライトが午前中ということもあり、自由時間確保のため4日間のコースを選択した。
ツアーとはいっても、行きと帰りのフライト&現地の空港〜ホテル間の送迎だけがついているツアーで、うちの部屋の室長が手配をしてくれた。(部下としては恐縮である。)
しかし、韓国といえば、北朝鮮!
ということで、どうしても板門店に行ってみたかったので、現地のツアー会社に直接申し込んで、『板門店ツアー』だけ手配しておいた。
今回は、海外旅行では初めての日系航空会社の機材。
全日空の飛行機に乗ると、北海道に帰るような錯覚に陥る。
これから2時間弱でソウルに着くかと思うと、なんとも不思議な気分である。
飛行機に乗ること2時間弱、あっという間に韓国についてしまった。
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仁川国際空港 言わずと知れた韓国の玄関口である。 |
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空港では、ホテルまでの送迎バス(マイクロバス)が迎えにきていたのだが、私たちを含め3組のツアー客は、みんなご飯を食べるところに連れて行ってほしいと言ったら、案内人は焼肉屋に連れて行ってくれた。
韓国といえば焼肉。ということで、みんな喜んでいたのだが・・・コレが誤算。
一応おいしい焼肉店ではあったのだが、案内人の人と店の人がコソコソと話をしており、そのときは気にも留めなかったのだが、おなかいっぱい焼肉を楽しんだあとのお勘定は、一人1万円弱というボッタクリ店であった。
どうりで、周りはみんな日本人なわけだ。今度来るときは、自分で食事する場所は見つけるべきだろう。
そんな経験もあったが、食事としてはおいしかった。
その後、カジノへ行って5000円ほど勝ったところで切り上げ、タクシーでホテルへ。
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食事はまったくなしのプランだったので、朝ごはんをどうしようかと考えていたのだが、ホテルのすぐ近くにコンビニがあったので、翌朝のご飯にパンとおにぎりを買った。 おにぎりは日本のものと思っていたが、韓国にもあるのである。 当然ながら、私はハングルは読めないので、雰囲気だけで選んだ。 |
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明日は、北朝鮮との軍事境界線、板門店に行く予定だ。ドキドキするが楽しみである。
〔10月15日(金)〕
今日は1日板門店ツアーである。ホテルでパンとおにぎりを食べ、ツアーの出発地となるロッテホテルへ向かった。
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途中、街角のコーヒー屋さんでお茶しながら、ホテルへ向かった。 | |
ホテルに着くと、パスポートや宿泊先など、いろいろ聞かれ、観光ツアーでワクワクする反面、超危険ゾーンに突入する緊張感が入り混じる。バスは50人乗り程度の大型観光バスで、乗客はほぼ満員だった。
板門店までは2時間程度の道のりだ。
いざ、北朝鮮との国境へ!
バスの中では、ツアーの注意事項が説明される。手荷物は最小限で、当然酒気を帯びていてはいけない。それと、北朝鮮側に向かって歯を見せて笑ってはいけない、北朝鮮に向かって指を指してはいけない(挑発になる)、などなど・・・してはいけないことがたくさん説明された。その他、服装についても、カジュアルすぎるものはだめで、戦争の緊張感がひしひしと伝わってくる。
途中、『自由の橋』で昼食をとった。ここから先は非武装地帯(DMZ)で、軍事境界線(38度線)を挟んで南北2kmずつは武装してはいけない地帯なのである。しかし、たった2km先が敵国であるという事実に戸惑う。
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『自由の橋』。非武装地帯の端である。ここから2kmのところに北朝鮮との停戦地点がある。 停戦中とはいえ、戦争関係にあるので、鉄条網が張り巡らされており、外部からの侵入を防いでいる。 |
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『自由の橋』 | |
ここで昼食(韓国家庭料理)をとり、国連軍のキャンプ地(キャンプ・ボニファス)へと向かった。
非武装地帯へ入ると、国連軍の兵士が入ってきて、パスポートのチェックをする。
非武装地帯の中は、道路がまっすぐには進めないようにバリケードが張り巡らせてあり、道路以外の草むらなどには、地雷の海だそうだ。バスから降りて逃げようものなら、すぐに地雷を踏んで命を落とすことになるらしい。
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『キャンプ・ボニファス』 北朝鮮との軍事境界線から一番近い国連軍のキャンプ地。要は、最前線の基地である。 ここで国連軍のバスに乗り換えて軍事境界線まで連れて行ってくれる。 |
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キャンプ地では、朝鮮戦争のスライド映像と説明があり、これから先、流れ弾に当たって死んでも文句は言いませんという趣旨の誓約書にサインをさせられる。
停戦中とはいえ、戦争中なのである。戦地に赴くのに、何があるかは予測不可能だということだろう。緊張感が最高潮に高まる。
バスには1名の国連軍兵士が自動小銃(もちろん実弾入り)をもって同行し、私たちの警護に当たってくれた。
いざ、軍事境界線へ。
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手前が『軍事停戦委員会議場』。 韓国と北朝鮮が話し合いを行う際は、この建物を使用する。 この建物の手前半分が韓国領、向こう側半分が北朝鮮領である。 その向こう側に見えるのが、北朝鮮の『板門閣』。なかなか立派な建物である。 |
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小高い丘の上には、北朝鮮の見張り小屋があった。 丘の下の白い杭は、38度線(軍事境界線)である。 (一番手前の水色の杭ではない) 軍事境界線は、この白い杭が東西240km(黄海〜日本海まで)に渡り一定間隔で打ち込まれている。 |
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軍事停戦委員会議場は、小さい小屋みたいな建物が何棟かあって、中は国連軍の兵士と北朝鮮軍の兵士が交互に警備をしている。 私たちは、国連軍が警備をしている棟には入ることができ、この建物の中だけ、北朝鮮の領土に入ることができるのだ。 国連軍の兵士は、一定の構えをとったまま微動だにしないで、まるで敵を威嚇するかのように立っていた。 |
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このテーブルは、建物の中心にあり、テーブルの中心が軍事境界線上になっている。 | |
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小さくしか写せなかったが、軍事停戦委員会議場の外側には、国連軍兵士が体の半分を出して、半分を建物に隠して警備をしている。 向こう側は、北朝鮮軍の兵士が体を半分出して、同様ににらみ合っているのである。 |
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軍事停戦委員会議場を出て、バスに乗り、板門店の周辺を案内された。
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北朝鮮の宣伝村。たくさんの建物があり、村のように見えるが、人は住んでいないらしい。 中には160mの国旗掲揚塔があり、世界で一番高い国旗がはためいていた。 当然、その間には軍事境界線があり、私たちが行ける所ではない。 |
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『ポプラ事件の碑』 昔、板門店は、国連軍と北朝鮮軍が共同で警備をしていたらしいが、国連軍の監視小屋から監視するのに、ポプラの木が邪魔だったことから、国連軍がポプラの木を切ったところ、銃撃戦が勃発し、数名が亡くなり、その後、軍事境界線を越えて警備することはなくなったそうだ。 |
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『帰らざる橋』 この橋で、捕虜の交換が行われた。北から南へ渡るもの、南から北へ行くもの・・・ この橋を一度渡ってしまえば、二度と戻ることはできない橋ということから、この名がついたという。 国境を越えるのに、一生をかけて渡らなければならないのである。 日本では考えられないことである。 |
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板門店を後にし、帰路へついた。
非武装地帯を抜け、ソウルへ戻る車中、右側に流れているのが漢河である。一定の距離に監視小屋があり、北朝鮮からの侵入を警戒している。また、川の端には、ずっと鉄条網が張り巡らされており、24時間体制で警備されている。
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漢河。 のどかな田園風景であるが、川べりには鉄条網に監視小屋。 緊張感がある。 |
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このツアーでは、『戦争』というものを体で感じた。
韓国には、徴兵制度があり、最近も韓流スターが兵役に出るとかで騒がれたことがあったと思う。私たちにはない感覚が韓国にはあるのだと思う。
日本人の私たちの世代は、当然太平洋戦争後に生まれており、過去の戦争のことを肌で感じている人はまれだろう。また、日本が戦争を起こした国のことを本当に知っているかというと、知っていると答えられる人は少ないだろう。私は、今回、板門店に行ってみて、生半可な知識で戦争などについて語ってはいけないということがわかった気がした。38度線には、私たち日本人には、決して知ることのできない世界があり、私たちが中途半端に触れてはいけないものが確かにあるということがわかった。
ソウルに戻って、南大門界隈を散策し、夕食を食べた。ソウルに戻ると、なんだかホッとした。エネルギッシュな首都とちょっと離れたところにある軍事境界線・・・このギャップはなんとも不思議だ。
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南大門。 どこかしら、奈良の寺社に似ている。日本の文化が朝鮮半島から流れてきていることが理解できる。 |
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〔10月16日(土)〕
自由な行動を取れるのは、実質本日が最後ということで、朝から『戦争博物館』に行ってみた。
戦争博物館は、半分以上が朝鮮戦争の資料を展示しており、その次に多いのが、豊臣秀吉だろう。
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亀甲船。 李瞬臣が豊臣秀吉の朝鮮出兵軍を破った船。 戦争博物館では、李瞬臣は英雄として扱われており、いかに豊臣秀吉が自国の侵略をしてきた悪者であるかが説明されている。(ような気がした。) |
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中国の戦闘機。 博物館は、中の展示がいろんな戦いの資料、外は兵器の展示が多い。 戦車や戦闘機、爆撃機、ミサイルなど、ミリタリーマニアにはたまらない展示内容ではないだろうか?(私はミリタリーマニアではないので、「ふ〜ん」と見ているだけだが) |
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ミサイル。 ハングル文字でなにやら書いてあるが、なんと書いてあるのかはわからない。 |
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博物館を出ると、昼時になっていたので、近くの大衆食堂で昼食をとることに。
日本人向けの食堂はいくらでもあるのだが、地元の人が行くようなところに行ってみたかったので、あえて飛び込んでみたのだ。しかし、そういうところには落とし穴が・・・
日本でも同じことが言えるが、第一に『ハングルでしかメニューが書いていない』のである。入ってみたはいいものの、何もメニューが読めないので、とりあえず「ビビンバありますか?」と尋ね、あるとのことだったのでホッとした。
それから、地元のビビンバを食べ(これがまた美味かった)、お勘定を払おうとすると、困ったことの第二、『店員さんがみんな韓国語しかしゃべられない』のだ。いくらなのかわからず、店員さんが見せてくれるお札をそのまま渡した。ビビンバ1つでだいたい400円(日本円換算)ぐらいのようだった。
「日本に来た外国人も、同じような思いをすることがあるんじゃないか?」と、ふと思った。
それから私たちは『景福宮』へ向かった。地下鉄は値段がよくわからなかったのと、自動券売機の使い方がよくわからなかったので、駅の窓口で「キョンボックン」というと値段を教えてくれて切符を買うことができた。今まで、移動はだいたいタクシーだったので、初めての地下鉄に多少戸惑った。
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『景福宮』 李氏朝鮮の首都の宮殿である。 やはり、日本の古都(京都御所や寺社仏閣)と雰囲気が似ている。 文化の共通点があるように思える。 |
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『勤政殿』 景福宮の正殿。しかし、豊臣秀吉の文禄の役・慶長の役で焼けてしまったそうだ。 景福宮の中の建物は、広いスペースに点々と建っており、その大部分の建物の案内板には、「豊臣秀吉により破壊された」と書いてある。 韓国の国民にとって、豊臣秀吉とはとんでもない悪者なのだろう。 |
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景福宮を出た頃は、あたりは薄暗くなってきており、そのまま明洞周辺で夕食をとった。
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例によってコンビニでパンを買って帰った。明日は、早朝に起きて帰国である。 | |
〔10月17日(日)〕
今日は帰国の日。早朝に起き、朝イチのフライトで日本に帰る。
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早朝の仁川国際空港。 朝早いこともあってか、閑散としている。 |
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帰りのフライトは、ジェット気流に乗れるのか、1時間ちょっとで関空についてしまった。上昇していたかと思うと、水平飛行になってまもなく降下が始まるのだ。北海道へ帰るよりよっぽど早いではないか。
そんなこんなで、とりあえず行ってみた韓国旅行。歴史の重みや、戦争というものについて勉強した旅であった。
日本では、歴史というものをそれほど重く考えていないのかもしれないが、韓国では、生活の中に歴史があり、今も緊張感のある中で生きているのだと感じた。
また、機会があれば、行ってみよう。
そんなこんなで、とりあえず行ってみた韓国旅行、これにて完結!