侵略の歴史を知るわかやまの会創立趣意書

1. 日本の近現代史は、他地域・他国侵略の歴史
 今年5月8日、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及び啓発に関する法律」が成立し、98年前の1899年につくられた「旧土人保護法」が廃止されました。
 この日まで日本国家は、法令でアイヌ民族を「旧土人」としていました。 日本政府は、「アイヌの伝統等に関する知識」を「普及」させることにはしましたが、日本国家と日本人がアイヌ民族やウイルタ民族ら北方諸民族にたいしておこなった歴史的犯罪に関する「知識」を「普及」させようとはせず、北方諸民族に謝罪も賠償もしようとしていません。 「明治維新」の翌年1869年に、日本政府は、アイヌモシリ(北方諸民族の大地)の一部を植民地として北海道と名づけ、その10年後の1878年に、琉球王国を植民地とし、北と南に日本の領土をひろげました。
 その後さらに日本は、台湾、「関東州」、サハリン南部、朝鮮を領土とし、ミクロネシア地域、中国東北部を植民地とし、さらにアジア太平洋全地域を侵略しました。
 侵略と戦争と領土拡大の過程で日本の王制(天皇制)が強化されました。天皇(制)によって統合された日本国民は、「ヒノマル」をかかげ、他地域・他国の民衆から資源、労働力、コメ・・・・を奪い、生命をも奪い、みずからの生活を向上させようとしました。

2. 和歌山地城・紀伊半島地域の内と外で、なにがあったか。
 1945年の日本の敗戦により、台湾、朝鮮、中国東北部、ミクロネシア・・・は、日本の植民地支定から解放されましたが、ウチナーは1972年までアメリカ合衆国の植民地とされ、アイヌモシリはいまなお植民地とされたままです。1972年のウチナーの沖縄県としての「祖国復帰」は、ヤマト(日本)のあらたな支配を意味しました。
 和歌山県は,広島県などとともに「移民県」といわれましたが,和歌山地域・紀伊半島地域からアイヌモシリに「移民」した人も少なくありませんでした。それらの日本人は,先住のアイヌ民族にとっては,自然を荒らし,生活と労働の場を奪い,アイヌモシリになかった病原菌をもちこむ侵略者でした。 和歌山地域・紀伊半島地域から朝鮮に侵入した「徳川農場」の人びと,中国東北部に侵入した「高野開拓団」の人びと,中国に侵入した歩兵第61連隊、第161連隊,第218連隊の兵士たちは,現地でどのようなことをやっていたのでしょうか。由良の紀伊防備隊では,なにがおこなわれていたのでしょうか。1910年ころから和歌山地域・紀伊半島地域で働き,生活してきた朝鮮人ひとりひとりの軌跡もまた,朝鮮が日本の植民地とされた歴史の流れにつながっています。 和歌山地域・紀伊半島地域に強制連行され強制労働させられた朝鮮人もすくなくありませんでしたが,その歴史はほとんど明らかにされていません。

3. 生活と労働の場に侵略に抵抗する拠点を!
 いま、流球王国植民地化後118年間の差別と抑圧に抗して、ヤマトからの独立の声が、ウチナンチュのあいだで、あらたに高まっています。
 いま、クナシリ、エトロフなどをふたたび日本の領土としようとする日本政府と一部の日本人のアイヌモシリ侵略策動(北方領土返還運動)に抗して,アイヌモシリの自治区を取りもどそうとする運動がすすめられ,アイヌ民族への歴史的犯罪にたいして日本政府に謝罪・賠償させようとする運動が広がりつつあります。
 日本の侵略戦争・植民地支配を肯定する政治家や天皇主義者や言論人の動きが活発になるとともに,昨年の安保再定義,今年6月8日の「日米防衝協力のための指針」見直しの中間まとめ,改憲論,有事法の整備の動きなど日本は侵略戦争も辞さずという体制を着々とつくっています。
 日本の侵略の歴史を問い,日本の現在の侵略に抗するアイヌとウチナンチュのたたかいがすすめられているいま,わたしたちは,和歌山地域・紀伊半島地域にかかわる日本の侵略の歴史を共同で明らかにこしていこうとする市民の会を,今日発足させました。
 それは,まずじぶんたちが毎日生活し働いている地域の侵略の歴史を知らなければ,現在と未来の侵略,現在すすめられている日本の軍事大国化による戦争の危機の拡大化を具体的に阻止するてがかりをつかめないと考えたからです。
 わたしたちは,聞き取り,現地調査,学習会,史資料の発見(開示要求を含む)・調査などを,ちからを合わせて行い,これまで隠されてきた歴史を知る努力を続けていきます。知ってどうするのか,という問いにたいする答えは、知る努力をつみかさねるなからうみだされてくるのだと思います。おおくのかたの参加をまちます。

1997年6月21日