2001年11月例会

日 時  11月11日(日)午後1時〜
場 所  プラザホープ(和歌山県勤労福祉会館)
1、 学習会
☆ビデオ上映
韓国MBC制作「ハイナンダオ(海南島)の大虐殺」(50分)
3・1独立運動記念特別ドキュメンタリー(2001年3月1日放映)

海南島もチモール島もガダルカナル島も、かつては日本の「周辺」=「大東亜共栄圏」でした。
1939年2月に、日本は海南島を占領しました(朝鮮総督府警務局長が海南島民政府長官に)。
1941年12月8日午前0時過ぎ、日本軍がマラヤのコタバル上陸作戦を始めました(日本軍船団はその6日前に海南島三亜から出港)。日本軍のパールハーバー爆撃はその3時間後でした。
海南島占領直後から、日本軍・日本企業は鉱山開発、電源開発、鉄道・道路・港湾建設をおこない、現地の住民だけでなく、中国大陸、香港、台湾、朝鮮の民衆をも強制労働させました。
1943年春以後、朝鮮各地の刑務所から朝鮮人獄中者3000人以上が、「朝鮮報国隊員」として海南島に連行され、強制労働させられました。そのうち、およそ1000人の人たちが、1945年8月ころ、三亜市郊外で日本海軍第16警備隊の兵士たちに虐殺され、埋められました。
半世紀あまりが過ぎて、2001年1月、その朝鮮人犠牲者の遺骨が「発掘」されました。
☆紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員として、キム チョンミもこの「発掘」調査に参加しました。

☆ 報告:キム チョンミ
「海南島「朝鮮村」における朝鮮人虐殺について」
1998年6月にはじめて海南島に行き、「朝鮮村」虐殺について調査を始めました。日本にもどって、虐殺した日本軍について調べ、2000年3月に、ふたたび海南島で日本軍・日本企業の侵略犯罪を調査しました。
今年1月、「朝鮮村」での「発掘」で、そこに埋められている人たちが朝鮮人であることがはっきりしました。4月に韓国で、かつて朝鮮人看守として海南島に行って帰ってきた人の息子、「朝鮮報国隊員」として海南島に強制連行され帰国できた人、朝鮮人兵士として日本海軍海南警備府第16警備隊に所属していた人たちに会って、話を聞くことができました。
朝鮮人虐殺に関係したと思われる元日本軍人たちは、面会を拒否し、事実を隠しつづけています。