2024年夏の北海道・東北の旅の記録 

第1日 8月2日(金)1930分出発―高槻ー亀岡ー舞鶴港2220 114
 仕事を終え、軽い夕食を食べて、愛車スズキST250に、テントなどキャンプ道具や着替えを山積みにして、1930分に出発、今回は高槻から山越えして亀岡に、ローソンで休憩した。高速に乗り、西舞鶴で降り、セブンイレブンで買い物をして、フェリー乗り場へ、自衛隊の大部隊が乗船待ちをしていた。オートバイも多い。

第2日 8月3日(土) ―小樽港 2045分 杜の樹 2k
 朝はオープンデッキでワイン、お風呂に3回、朝寝、昼寝、一人旅は、話し相手もなく、ただ飲むほどに酔う、バックパッカーズの宿 杜の樹に着き、すぐに銀座通りに、膝も痛いので一番近い寿司 葵結さんを1年ぶりに訪ねる、ニシン・水タコ・ヒラメ造り、酢の物、ズワイガニのカニみそ和え、八角の塩焼き、お寿司は、中トロ、イワシ、玉子で締めた。

第3日 8月4日(日) 小樽9時ー函館16時 305:4h
 バックパッカーズの宿 杜の樹の朝食は、ヘルシー、優しい、野菜たっぷりで最高です。オーストリラリアから来たカップルと食卓を囲み、外国語ができればと思った。きょうは、一気に函館までの移動、風を避けて、無難な倶知安から長万部に抜けるルートを取る、見覚えのある景色が過ぎていく、羊蹄山は残念ながら雲の中で全容は見してはくれなかった。快調に長万部に出て、ガソリンを給油、ガソリンスタンドのお兄ちゃんに食堂を聞くと、「この先にラーメン屋がある、そこが好きです」とのこと、少しは走るとオレンジ色の看板がみえた。昼前だったが、結構混んでいる。海鮮ちゃんぽんを注文する、見た目は地味だったが、中からイカが丸ごと、ホタテ、エビ、カラス貝、とり貝など海鮮だっぷりの浜ちゃんぽんを食べた。スープも飲み干した。 
 その後、海沿いを走り、さらに、北海道駒ケ岳のすそ野を海沿いに回り込んで、函館市縄文文化交流センターまで走った。「中空土偶」は観たことはあったが、せっかくなので再会したかった。やっぱり、不思議な表情だ、女性というより戦士という感じか、でも平和な縄文時代には戦士はいなかったやろうから・・・・赤ちゃんの足形も、いったいどういう経緯で、なにを思い、住居に飾ったなのだろうか、縄文人の精神文化を想像するのは面白い。
 函館に出て、まず、フェリー乗り場の確認をした。意外に遠かった。ホテルは、サウナ付き大浴場のあるホテルをチョイスした。ゆっくりとお風呂を楽しみ、そして、前回、悪天候であきらめた夜景をみたいと、でも函館山はガスに包まれている感じ、情報を探る、ライブカメラがあったが、山頂はガスっている感じ、7時半まで待ったが、晴れなかったので、今回もあきらめ居酒屋に、まちはお祭りで露天もいっぱい出ていて賑やかだった。少しだけ外れたお客の少ない炉端屋をみつけたので、そこにした。昨晩は、北海道の美味しい海鮮を食べたので、きょうはじゃがバタがあればいいと、じゃがいもバターのイカ塩辛のせは最高、アスパラガスベーコン巻、ナスに、氷魚を焼いてもらった。
 表通りに、外から様子が見えるbarがあった。女性がやっているようなので、入ってみた。Bar hatsumi 女性ふたりでやっていた。ママさんの名前は初美ではなくヨシエさん、おばあちゃんが近くでおでん屋をしていた、名前をもらったとのことだったが、おばあちゃんの名前も初美ではないとのこと。天井が高く、洒落たつくりのbarで、衣料店を改装したお店と聞いて納得した。そこで、後から来られたご夫婦が「夜景みてきました」と言われ、写真をみせてもらった。残念な気持ちと「また来なくては」という新しい目標もできたから、よしとしよう。

第4日 8月5日(月) 函館740分-津軽海峡フェリー9:30-大間11時ー恐山―青森1630分 186k 
 ホテルの朝食は、ホッケ定食、朝からごはんをたっぷりいただき、予定通りにフェリー乗り場に、待ち時間にキャンプで食べてもいいかなと、じゃがバタと田舎煮を購入、津軽海峡フェリーに乗船した。1時間30分の短い船旅だったが、少し横になりウトウト、せっかくなので、後部のオープンデッキに出ると、北海道も、下北半島もよく見え、貨物船やかもめもみることができた。
 フェリーから下船し、大間の港町を抜け、岬まで走ってみることにした。本州最北端の碑やマグロの碑があり、みやげもの屋に、食堂もあった。少し早い昼食になったが、せっかくなので大間のまぐろをいただくことにした。かもめ食堂、まぐろ丼には、大トロ、中トロ、赤身がどんぶりいっぱいに入っていて、とろけるような美味しさだった。大満足の昼食をすませ、恐山に、下北半島の太平洋側を走り、やがて、山越えの道に、みどりが深く、そして、輝く、景色に感動しながら、どんどん山道を登っていった。かなりの山深いところ、頂上を越え、下りはじめた頃に、急に荒涼とひらけた河原、大きな湖にぶつかり、その湖畔に、恐山の山門があった。大きなお寺、あちこちにお地蔵さんや石仏、卒塔婆、恐山だ。硫黄のにおいと蒸気、地獄のような風景、そこを周回して、湖に向かうと湖畔に極楽浜が広がっていた。この地を恐山としたことが納得できる景色あった。深い緑の山塊のなかで、ここだけが荒涼とした景色が広がっているのが不思議であり、恐山なのだ。
 山から下り、むつ湾に出る、青森まで結構走りがいがあった。途中、無料高速区間も使い、なんとか16時過ぎには青森市サマーキャンプ場に到着、たくさんのテント、オートバイにあふれたキャンプ場の入口そばの狭い空き地をみつけ、そこにテントを張った。そこからねぶたコースまで歩くには遠いので、飲酒はあきらめ、オートバイで祭りを見に行くことにする。偶然、法務局の前の長島公園地下駐車場がオートバイを停めることができ、安心して、青森まちなか温泉によって、ゆっくりお風呂を楽しみ、セブンイレブンでノンアルビールとスモークチキンを買い、ねぶた祭を観ることにした。
 青森ねぶた祭は、思っていた通り迫力がある、あの大きなねぶたが勇壮に動き、迫る感じはたまらなくいい、お囃子、跳人、チームによって個性もあり、観ていて楽しい。
 9時頃までねぶた運行が続いた、コース上の駐車場のため交通規制が終わるまで出られない、その間に、セブンイレブンで、ビールと氷、夕飯を仕込む、ささみをポテサラにトッピングするアイデアはなかなかいい、920分頃にやっと解除されたので、サマーキャンプ場に戻り、遅い夕飯をとった。

 第5日 8月6日(火) 青森-丸山三内遺跡「板状土偶」―八甲田山周回ツーリング 80
 今朝は、レトルトカレー、北海道で買ったじゃがバタを一緒に湯煎、ドライフードのごはんパックに、それをぶち込む、簡単朝ご飯、洗い物なし、これ、すごく合理的でいい。

まずは、丸山三内遺跡へ、スキーで来ると気になるが冬場にはなかなかまわれないので、これも今回の旅の目的、ちょうど1時間のガイドツアーがあったので参加させてもらった、ボランティアさんの解説でよく丸山三内遺跡の成り立ちがわかった。大型掘立柱建物の復元は凄い、ロシアから直径1メールのクリの木を輸入してつくったとのこと。海の幸、山の幸、栗など豊かな自然の中で穏やかに暮らしていた縄文人が想像できる。そして、様々な土器、板状土偶にはどんな思いを込められていたのだろうか?5900年前から1700年間も住み続けられた暮らしとはどんなものだったのだろうか。

 ガイドツアー1時間、そのあと1人で遺跡、復元建物を見てまわり、縄文時遊館も見たら、3時間も経っていた。美味しいお蕎麦が食べたく、検索するとサマーキャンプ場近くに手打ちの蕎麦やをみつけ、走って戻ったがちょうど前の客さんで蕎麦が売り切れとなり食することができなかった。また、来たい感じの蕎麦屋だった、午後は八甲田山をオートバイで一周をする予定、八甲田山への道を間違えたりして、時間も押したので、たまたま通った丸亀製麺で昼食をとることにした。結構混んでいて、かなり待たされた。まあ丸亀製麺は青森で食べてもふつうに美味しかった。八甲田山はタクシーで何回も通った道、残念ながら山は雲に覆われていた、雪中行軍遭難の銅像前を通り、周回道路に、このあたりのブナ林は素晴らしい、圧倒される緑の中を気持ちよくオートバイで走り、オートバイを停め、記念写真を、そうこうしていると雨が、かなり強く降りそうな感じなので慌てて雨具を着る、すると激しい雨が、路面も濡れ、神経を使いながら走る、八甲田山温泉をめざした、辿り着くと廃墟になった宿があった。がっかりしたが、田代湿原の入口でもあったので、散策してみた。湿原の中心まで30分くらい歩いただろうか、雨もやんでくれたが、山が濃いガスの中だった。そこから十和田湖方面に向けて走り、今度は青森方面とのT字路を曲がり、酸ヶ湯をめざした。酸ヶ湯温泉は観光客でにぎやかだった。千人風呂には、若い女性も湯浴衣を着て入っていた。ゆっくり温泉を楽しみ、充電を兼ねて、ロビーでくつろいでからねぶた祭へとむかった。

 2日目も、ノンアルコールビール片手に、運行を待った。昨夜と同じではあったが、きょうは写真などは取らずに、じっくりと味合うことにした。サマーキャンプ場に9時半過ぎに戻り、コンビニ夕飯で乾杯。

 

第6日 8月7日(水) 青森830分-平館灯台ー高野崎-今別:荒馬祭りー竜飛岬 食堂たっぴ「ミニ海峡丼」-十三湖「シジミ汁」-木造亀ヶ岡考古資料室-つがる市縄文住居展示資料館カルコ「遮光器土偶」(レプリカ) 五所河原 16時 80k 民泊ピットイン 五所川原たちねぷた祭り エルムの湯 

 きょうは移動して、五所河原のねぷた祭りを観にいく。隣町なので、津軽半島を一周して、遮光器土器をみてから五所河原に行くことにした。走り出して、給油していなかったことにきづく、このままでは津軽半島は1周できない、ガソリンスタンドはあるだろうか?と不安になりながら、つぶれたガソリンスタンドを2軒通り過ぎた、青森市内に戻って給油しようかと考えながら走っていると、漁港の入口を通りすぎたあたりで、小さなガソリンスタンドがあった。やっていた。ここで満タンにでき、安心して津軽半島を走ることができる。平舘灯台、高野崎ではバイクを停めて、岬の先まで、陸奥湾まで歩いてみた。対岸には下北半島が大きく見えた。海はきれいだった。

 今別を過ぎるときに、荒馬祭りの看板があった。みれたらいいなと思っていたら、道路の先でお囃子の音、交通整理をしながら、すすむ荒馬の衣装きた隊列に出会った。しかも、特別養護老人ホームに入って、休憩するところだった。これは、老人ホームの前で荒馬を踊るのではと思い、バイクで老人ホームの駐車場に入り、隊列の人に尋ねると「休憩の後で踊ります」ということで、「ここで観させてもらっていいですか」とお願いした。地元の保存会の人たちで、メインは高校生か、保育園児も参加している、男が荒馬を表現する輪のようなものを、女は派手やかな衣装で、台車に載せた大きな太鼓のお囃子に乗って、激しい踊りをみせてくれた、こんな偶然のラッキーなことがあるのも旅の楽しさ、自分の子どもも保育の時に荒馬を踊ったことを思い出した。

 竜飛岬は、津軽海峡に大きくせり出し、近くに北海道の白神岬をみることができた。タコの足を干しているのが凄く美味しそうだったので、今晩のキャンプ飯の一品に購入、食堂たっぴのごはんが美味しかったというプログを読んでいたので入る、おばさん2人でやっているお店で、ミニ海峡丼を注文した、ウニ、いくら、ホタテ、真そいがのっている。美味しかった、「写真はいいけどSNSには載せないで」と言われたので出せないが、本当に美味しかった。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の碑があり、ボタンを押すと、サビところが流れるという碑もあった。青函トンネル見学はパスして、先に進んだ。日本海側は急な下り坂とカーブの連続だった、平地に出ると、十三湖に出た、大きな湖だ、そこでしじみ汁をいただく、さらに、湖を抜けていくと、亀ヶ岡遺跡を通った、すると木造亀ヶ岡考古資料室の看板が、ちょっと寄ってみることに、道に迷いながら辿り着いた小さな資料室、あの有名「遮光器土偶」がみつかった地域だった。頭のとれた同じような土偶の本物が展示されていた。遮光器土偶は国立博物館の所蔵になって、地元には本物はない、その経過を管理人のおばさんから聞けたことがよかった。そのあと

つがる市縄文住居展示資料館カルコで「遮光器土偶」(レプリカ)を観た、縄文後期で精巧で斬新なデザインでる、宇宙人を思わせるかたちは人気の土偶であることわかる。国宝にはなっていないのは、出土状況はよくわからないこと、個人の私物だったことなどではないかと資料館のおばさんが解説してくれた。それでも国が4千万円(1億で他に売っても税金がひかれるので・・・)で購入したので、東京の博物館の所蔵になったとのこと。

 あちこち寄り道しながらも、津軽半島一周して五所河原の民泊ピットインに到着、車中泊やテントを街中でできるように施設を整えてくれているところで市内に泊まるところを確保できてよかった。トイレと水があり、屋根付きのガレージの下でテントを張った。快適ではあったが道路に面していたので、少し音がうるさかったが、仕方ない。

ねぶたまで時間があるので、コインランドリーで洗濯を回し、その間に、エルムの湯で温泉とサウナをゆっくり楽しむことにした。今回の旅は、テント暮らし4日間、毎日、温泉を楽しむことができた。

 五所河原のねぷた祭り、お囃子、跳人、ねぷたで1チームを構成している、青森と一緒ではあるが、中学生や高校生が一所懸命踊ったり、オリジナルな振り付けがあったり、チームごとに個性があり、まちをあげて取り組んでいる感じがあってとても好感がもてた。普通のかたちのねぶたは青森市のものより少し小ぶりだが、近くで観れる分、迫力も感じる、立ちタイプは独特でいい、さらに、巨大立佞武多(たちねぷた)は、その高さ高さ21メートル、7階のビル高さ、その迫力は凄い「閻魔」、歌舞伎の「暫(しばらく)」「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の3台は凄い、この祭り自体が20数年前に、明治、大正の頃の祭りを復活させてつくってきたと聞いて、感動する。祭りは歴史や伝統を重ねているのが、魅力と思ってきたが、五所河原のねぷた祭りは、市民が近年作り上げてきたことが凄いと思った。

 祭りからテントに戻り、タコ足をあてに、コンビニ食で済ませた。

 

第7日 8月8日(木) 五所川原 8時-黒岩-十和田湖 宇樽部キャンプ場 1130分 80k 十和田湖RIBツアー・カヌーツアー イトムカの入り江 「乙女の像」 ホテル十和田荘 キャンプ飯:アヒージョ

 朝方から雨、でも屋根付きガレージの下のテント場なので濡れずに済んだが、雨の中をオートバイで出発はする気にはならない、予報では9時頃にやむが、山間の天気はよくなさそうである。きょうは岩木山を一周し、日本海へ、そこから白神山地の入口から少し歩く予定だったが、岩木山は雲の中で見えないので、すべて取りやめ、十和田湖に向かい、天気が回復していれば、カヌーをすることにした。9時に予報通りに雨がやんだので、十和田湖をめざして出発、途中、黒岩のスーパーで食材を買う、まいたけ、生のキクラゲ、エビ、ホタテ、ナス、ピーマンでアヒージョにすることにした。朝ごはん用にすじこも買った。大好物なのだ。八甲田山の山塊に入るあたりで、濃い霧、霧雨にあい、早めに雨具をつけた。そこから山を登っていくと、霧が切れ、天気が変わった。昨日もそうだったが、風向きや山の北面、南面でかなり天気が変わる、十和田湖に着くころには晴れ間も出るくらいに回復してきた。1130分には宇樽部キャンプ場に到着、手続きをして、カヌーの申し込みをすると、一杯で断られた。キャンプ場の入口あたりで、別の会社のツアーもありそうなので、そちらに行ってみる、すると、RIBツアー・カヌーツアーというのが、1時からあると聞き、申し込みをして、キャンプ場に戻り、1時間で、テントを張り、昼食はドライフードのカルボナーラで簡単に済ませて、カヌーに乗ることにした。

 RIBツアーは、ゴムボートに強力エンジンを積み時速50キロで湖面を走るアクテビティ、なかなか迫力があって楽しかった。しかも、中山半島の特別保護区まで行き、そこに係留していた船で、カナディアンカヌーに乗り換え、半島の水際をカヌーで行く、お客一人、ガイドさんは別艇で案内してくれた。十和田湖は97%湧水で構成されているので、透明度が凄い、微生物も少なく倒木などが沈んだままの姿をみることができた、白エビ、ハゼみたいな魚、水草などをガイドさんに教えてもらった、イトムカの入り江というところに、カヌーを入れ、湖を振り返ると光がさして、湖面が輝き、緑が透き通る美しい光景をみられた。動力のないカヌーで、静かな十和田湖を堪能することができた。そして、お迎えのゴムボートに乗り、十和田湖を高速で案内してもらいながら、宇樽部に戻った。

キャンプ場は、湖に面している自然林をそのまま生かしたサイトで、未舗装の進入路はオートバイでは緊張したがいいところであった。時間もあったので、高村光太郎の「乙女の像」を観に行き、帰りに、ホテル十和田荘の温泉に入った。夕食は、アヒージョと枝豆、鴨のスモークとクラフトビールにした。湖面を眺めながらのディナーで、キャンプもいいものだとあらためて感じられた。

 

8日目 8月9日(金)十和田湖 830分-八戸市埋蔵文化材センター:是川縄文館-釜石 280k はしかみ浜の道の駅「海藻ラーメンとミニウニ丼」 ホテルマルエ 炉端屋

 朝ごはんは、大好きなすじこをごはんにのせて、キャンプめし、テントが乾くのを待って、出発、県道で八戸をめざすが、意外に道は悪く、ナビたりたよりになんとか八戸へ、是川縄文館は立派な建物で、国宝土偶を保管、展示していた。土偶「合掌」はそのもの、他にも肘をついたものや様々な土偶、土器などをみることができた。

 そこからは三陸海岸を南下して釜石をめざす、途中の「はしかみ浜の道の駅」で「海藻ラーメンとミニウニ丼」をいただく、値段も安く、海藻ラーメンも美味しかった。鵜の巣断崖では、三陸海岸らしい景色を一望することができた。

 しかし、メールで明日のシーカヤックが台風のため中止、さらに、あさって乗る予定のフェリーまで欠航の連絡メールが入ってきた。天気のことなので仕方ないものの「大阪まで、どうやって帰る」「オートバイは置いていけないし、走るしかないか、3日間で帰れるか」と、宿に入ると、今後の計画、宿泊場所の確保、なんとか米沢、松本で東横インを確保、台風の影響を考え、日本海沿いを避けて、山形から新潟、そして、信濃川そいに長野、松本に出て、中央道から大阪に戻るルートにした。

 釜石市では、サウナ付きの大浴場のあるホテル、部屋にバス・トイレない分、安く泊まれた。夕飯は、一番近い炉端焼きにした。

 

第9日 8月10日(土) 釜石-山形県立博物館「縄文の女神」-米沢 330

東横イン米沢駅前 茶寮庄助 平安の湯

 朝食は、おにぎりとサラダ、みそ汁だった。それでもありがたい、きょうは、米沢まで、せっかくなので、少し寄り道して、山形で土偶をみたいので、330kにした。山間の道がほとんどで、通行車両も少なく、快適にツーリングを楽しむことができた。お蕎麦が食べたかったが、川渡温泉の入口で、手打ちそばやの看板をみつけていったが休業中だった、なかなかお店がなく、12時頃に、道の駅があったので、そこの食堂で食べることにした。おそばとやきもちみたいなものを食べた。尾花沢からは国道13号線の幹線道路を走った。山形市内は信号も多く、市街地は暑い、山形城跡にある山形県立博物館に、「土偶の女神」に会いにいく。

 「土偶の女神」、意識して顔や手をデフォルメしている造形芸術、ありえないボディライン、お尻と腰のくびれ、足、服装の縄文、サイドはそぎ落とされている洗練されたデザイン、45センチという高さも立派、これを竪穴住居飾り、何を思っただろうか?土偶の神秘、縄文人の精神文化の想像は楽しい。フェリーの欠航で、予定外の土偶をめぐる旅になった。

 そこから、一走りで、米沢に、ユニットバスはゆっくりできないので、市内の手前、米沢温泉平安の湯に立ち寄る、半露天風呂、サウナもあり、ゆっくりと走りの疲れを癒す、ホテルは駅前だったがさほど店もない、一番近い居酒屋は貸し切り、2軒目は満席、仕方なく歩いて探していると、古民家風の「茶寮庄助」という小さなお店があった。これは、地元の人が通うちょっと洒落たお店と思い入った。中も落ち着いた感じに加え、ジャズ喫茶のような大きなスピーカーやレコード盤もある。大正解である。しかし、メニューがない、ご主人のこだわりのスタイルか晩酌セットというのをすすめられて、それを注文、ナスのみそ炒めがお通しで、美味しかった、酢の物、刺身、焼き魚と生ビールがセット、なめこ入りの湯豆腐を追加注文したが、「豆腐がなくなったから・・」とご主人が言ったが、奥さんに買いにいかせて、出してくれた。美味しかった。また、来たい居酒屋だ。

 

第10日 8月11日(日) 米沢-三条―松本 405k 東横イン松本駅前本町 

三条日ノ出製麵「スタミナまぜそば」 桜の湯 藁焼き炉端まんてん 

 東横インの簡単な朝食をとり、きょうは400kを走行しなければならない、小国を抜け、新潟平野に出る、そこから田んぼの広がる道をひたすら走る、信濃川を渡り、三条市に入り給油をする。そこで、スタンドのお兄さんに美味しいラーメン屋を聞き、そこをめざすも大行列であきらめ、先に進もうと走っているといい感じのラーメン屋「日の出製麺」をみつけた。そこで、スタミナまぜそばを注文、ニンニク、ニラ、ネギ、チャーシュー、半生玉子など山もりにトッピングされたものがでてきた。美味しいし、食べ応えもあり、充電もできた。午後からひたすら松本をめざす、十日町、栄村、飯山などを通り過ぎた、長野までまだある、このままだと松本に着くのが夜遅くなってしまうと思い、信州中野からは高速にのった。古い250㏄では90キロ程度しか巡航スピードが出ず、四輪に抜かれてばかりで、高速は走りたくなかったが、しかない、安曇野まで高速で時間短縮したおかげで、なんとか6時過ぎに松本市内に到着できた。松本では、銭湯を探し、桜の湯という小じんまりした銭湯にゆっくり浸かり、走りの疲れをとってから、ホテルへ、ホテルに入る直前に感じのいい炉端をみつけた、ハイソな感じの女性客で賑わっているのが外からみえた。バイクを置き、さっそく、その店にいってみた。「藁焼き炉端まんさく」さんである。馬刺しを藁で焼いて香りをつけてだしてくれた。なかなか洒落ている。里芋ポテトサラダには燻した玉子がのっていて美味しい。ノリのいいマスターは大阪人だった。

 

第11日 8月12日(月・祝) 松本-茅野市尖石縄文考古館「縄文のビーナス」「仮面の女神」-飯田 丸井亭「うな重」-大阪:自宅 420

 最終日、いつもと同じくらいの日程なのに、長く感じる。今日も400キロ以上走らないといけないが、国宝土偶5つのうち、3つをみてきたので、少し寄り道になるが、茅野市尖石縄文考古館に立ち寄ることにした。松本から塩尻、ゆるやかな丘陵を登る、北アルプスを遠望することができた。槍ヶ岳の穂先、穂高、常念岳から蝶が岳の表銀座縦走路がくっきりと見えた。塩尻峠から下りとなり、諏訪湖を一周してから、尖石をめざした。

縄文考古館は立派な建物で、国宝土偶2点「縄文のビーナス」「縄文の仮面」を保管・展示している。縄文後期のもので、いずれも精密な造形、妊婦を表現しているのか、デフォルメされながらも何か表現しようとしていることが伝わってくる。精密で様々な形状の土器も展示されている。この旅で、国宝土偶5点をすべて観ることができた。加えて、三内丸山遺跡の板状土偶、亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶も観ることができた。少し考古学に詳しくなった。

 杖突峠を越えて、伊那に入った、飯田で、昼食をと思い市内まで行ったのに、国道沿いにはチェーン店こそあるが、食堂がない。あきらめかけて、阿智方面をめざしたら、丸井亭という看板、止まると鰻の焼ける匂い、これにはたまらず、お店に飛びこみ、鰻重を注文、旅の最後の贅沢、大阪まで走るスタミナ昼食と思い、いただいた。とても美味しかったことはいうまでもない

 このまま、下道を走ると何時に着くかわからないので、飯田から高速に乗り、恵那山トンネルで時間短縮、いったん、中津川インターで出るも、だんたん暑さひどくなってきたので、多治見から中央高速にのる、高速は3連休最終日、お盆前なのに帰省からのユータンラッシュにあい、トロトロ渋滞が続いたが、下道よりは早く大阪に帰りつけた。午後20時25分に自宅に無事到着、帰りのフェリー欠航で、小樽から走って帰ったことに、総走行距離2,282㎞だった。


第1日 8月2日(金)1930分出発―高槻ー亀岡ー舞鶴港2220 114
第2日 8月3日(土) ―小樽港 2045分 杜の樹 2k お寿司葵結
第3日 8月4日(日) 小樽9時ー函館16時 305:4h  函館市縄文文化交流センター「中空土偶」 サンシティ―函館海鮮ラーメン ろばた:あかちょちん
第4日 8月5日(月) 函館740分-津軽海峡フェリー9:30-大間11時ー恐山―青森1630分 186k サマーキャンプ場 かもめ食堂「まぐろ丼」 青森ねぶた祭り 青森まちなかおんせん
第5日 8月6日(火) 青森-丸山三内遺跡「板状土偶」―八甲田山周回ツーリング 田代湿原 酸ヶ湯温泉 青森ねぶた祭り 80
第6日 8月7日(水) 青森830分-平館灯台ー高野崎-今別:荒馬祭りー竜飛岬 食堂たっぴ「ミニ海峡丼」-十三湖「シジミ汁」-木造亀ヶ岡考古資料室-つがる市縄文住居展示資料館カルコ「遮光器土偶」(レプリカ) 五所河原 16時 80k 民泊ピットイン 五所川原たちねぷた祭り エルムの湯
第7日 8月8日(木) 五所川原 8時-黒岩-十和田湖 宇樽部キャンプ場 1130分 80k 十和田湖RIBツアー・カヌーツアー イトムカの入り江 「乙女の像」 ホテル十和田荘 キャンプ飯:アヒージョ
第8日 8月
9日(金)十和田湖 830分-八戸市埋蔵文化材センター:是川縄文館-釜石 280k はしかみ浜の道の駅「海藻ラーメンとミニウニ丼」 ホテルマルエ 炉端屋
第9日 8月10日(土) 釜石-山形県立博物館「縄文の女神」-米沢 330 東横イン米沢駅前 茶寮庄助 平安の湯
第10日 8月11日(日) 米沢-三条―松本 405k 東横イン松本駅前本町 三条日ノ出製麵「スタミナまぜそば」 桜の湯 藁焼き炉端まんてん 
第11日 8月12日(月・祝) 松本-茅野市尖石縄文考古館「縄文のビーナス」「仮面の女神」-飯田 丸井亭「うな重」-大阪:自宅 420

総走行距離 2,282