2023北海道 1984キロの旅の記録 

1日  712日(水)

 自宅を19時前に、出発した。大阪は「熱い」、冬用のジャンバーはザックにしまい、Tシャツで走り出す、大山崎まで下道で、高速に乗る前に厚手のウィンドブレーカーを羽織る、京都縦貫道は暗くて走りにくい、ゆっくりペースのトラックについて北に向かった。休憩をしないままに綾部に、遠くで稲光が光る、「あと少しなので降らないで・・」と言いながら、舞鶴に無事到着、21時20分、予定よりかなり早く着いたので、セブンイレブンで買い物をして、新日本海フェリー乗り場に、まだ、バイクの列はなかった。旅客待合建物の前でバイクを止めた、何か、おかしい、いつもと違う、「あるべきところにフェリーがいない」、そこにアナウンスがあった。機材の点検のために入港が遅れているとのこと、出港時間が近づいても船は来ない、はじめてのアクシデント、出港時間の1時間前にようやくフェリーが接岸した。そこから乗船していた車、トレーラーが出てくる、その後、たくさんのトレーラーがコンテナを積み始めるがなかなか終わらない、結局、2時間おくれの出港になった。到着も大幅に遅れるとなると予約していた小樽の居酒屋のラストオーダーの時間に間に合わない、電話をかけてキャンセルをした。とんだ旅のスタートとなった。すでに午前2時前だったので、風呂に入らずに寝た。

2日  713日(木)

午前6時前には、目が覚め、おなかもへったので、さっそくデッキで、朝からワインと支度をして、いつも場所に行くが、コロナ後なのか、後部のオープンデッキにあったテーブルとイスが撤去されている、仕方なく、海の見える窓のそばのテーブル席で朝食に、山用のカルボナーラスパ、オイルサーディン、クラッカー、自家製きゅうりとミニトマトと、いつものメニューで白ワインを楽しむ、「これぞ旅のはじまり」、そのあとひと眠りして、朝風呂に入り、昼のビール、昼寝、午後は村上春樹の短編集「1人称」を船首のソファーで読書、旅を出るとなぜか読書がすすむ。
今回は船の揺れが少しきつい、少し船酔い気味になる、たぶん、出港の遅れを取り戻そうと全速力ですすんでいるのだろう。事実、出港が2時間おくれたのに、到着時間は45分遅れに圧縮されていた。午後9時30分過ぎに小樽港に着岸した。「これなら、まだ、飲みに行けるぞ」と気分があがる、フェリーからオートバイで、いつも宿、バックパッカーズホステル杜の樹をめざす、北海道の夜は肌寒い、オーナーは今年も歓迎してくれた、あいさつもそこそこに花園町に向かう、午後10時を過ぎていたのでお寿司屋は閉店しているだろうと思いながら、花園通りに出るとすぐに洒落た寿司屋の写真が出ている、お店は2階らしい、午前2時までやっていると書いてある。地元の遊び人が通うお店なのだろうか?洒落た内装の写真だけに味に不安も感じつつ、この時間に開いている寿司屋はないので、思いきって入ってみた。

店内は、少し明かりを落としているが、洒落たつくり、客はひとりもいない、不安を感じつつ、カウンター席に、酢の物とおまかせ10貫、生ビールを注文した。まだ若い兄ちゃんがひとりでやっている店、オープンして半年ばかりとのこと、元々小樽の寿司屋通りで働いていたが、退職して名古屋の料理店で、そして、小樽に戻ったがコロナで仕事がなく、お店を開業することにしたとのこと、ネタもいい、おまかせセットでも、順番に出してくれる、ホタテが美味しかった、お酒もすすみ、宿の門限ぎりぎりの12時まで小樽ですしを楽しむことができた。アクシデントで始まり、予定外のお店に飛びこみ、美味しいお寿司を堪能できた、これも旅のだいご味だ。

3日  714日(金)]

 「杜の樹」は、韓国から来た若者6人、昨年もまかないをしてくれた女性、もうひとりの女性とにぎやかだった。390円のまかない朝食をお願いした、庭でとれた野菜、今回は韓国の若者のために朝から肉炒め、美味しい味噌汁だった。食堂が満席だったので、ひとりで庭のウッドデッキのテーブルで、小樽の景色を楽しみながらの朝食となった。天気も上々で、いい旅になりそうな予感だ。

9時までに、1週間も先に北海道入りしていた旅の相棒Kさんが四輪で宿まで来てくれた。大阪から走ってきたのだという、バックを積んでもらったので、少し身軽に走れそうだ。海沿いの国道5号線を走り、鉄函で国道377号線に入った、トラックが多い、石狩平野を吹き抜けるためか風が強い、茶色の麦畑、玉ねぎ畑の広大な景色の中を走る、当別の道の駅で、ゆでたてのトウモロコシを食べる、美味しかった。
そこから道道81号線から広域農道をナビたよりに三笠に最短距離でぬけた。道道116号線から桂沢ダム、国道452号線を走る、この区間は60キロくらい、まったく人家がない、谷間を抜けていく、北海道らしい景色のひとつでもある。

富良野には、ちょうどお昼前についたので、五郎ラーメンでみそラーメンを食べた。北海道に来たらみそラーメンが食べたくなる、天気が悪くなりそうなので、予約していた民宿によって、バイクと荷物を預け、Kさんの四輪で白金青い池、吹上温泉の露天風呂をめざす。青い池は凄い人の列、それでも最初に視界に入ってきた池の色は凄い、なんとも言えない「いい感じの青色」、立ち枯れた木、背景の森、確かに一度はみてみる価値の景色だと思った、びっくりしたのは、十勝岳の噴火によって自然にせき止められたものかと思っていたが、川の治山工事の結果、たまりだした池と解説板に書いてあった。偶然の出来事には違いはないが、少し興ざめした感がある。

そこから、吹上温泉露天風呂をめざす、十勝岳の登山口へと続く道をしばらく走る、ガスがかかって雄大な景色はなかったが、山のスケールの大きさを感じる。あのドラマ「北の国から」で田中邦衛と宮沢りえが一緒に入った混浴露天風呂、森の中、沢筋にある野天風呂といった方がいい、板が置いてあるだけで脱衣室すらない、地元の方が、4人ほど入っている、女性の方もいた、湯温はめちゃ熱い、入れないでいると、「そこのホースで水を入れたらいい」と声をかけてもらった、沢の水がうまく入るようにしてあった。冷たい沢水を入れて、ようやく漬かることができた。いい温泉だ、有名な露天風呂だけあって、次から次とやってくる人はいたが、混むほどではなく、ゆっくりと森の中の露天風呂を堪能できた。宿に帰る途中から雨が降り出した、四輪の有難味を感じた。

実は、民宿の予約日を一日間違えていた、変更をお願いしたが、翌日は3連休で満室だったので仕方なく泊まることにしたのだが、なんと、北海道旅行割の最終日で、20%引き、2,000円の買い物券までもらえた、14,500円の民宿が、3,600円になり、2,000円帰ってきた。第2のアクシデントも、またもやプラスに転じた。

夕飯は、ドラマ「北の国から~帰郷」のロケがされた居酒屋「炉ばた」、今年のスキー依頼、2度目となる、「ふらのへそ歓楽街」の看板、昭和を感じる飲み屋街の路地、店のたたずまい、店内のおしながきから壁のポスター、囲炉裏を囲んだカウンター席、ノスタルジー満載の店である、料理もアスパラ、ジャガイモなどが普通に出されているだけだが、普通に美味しい、極めつけはご主人のぼくとつとした感じ、田中邦衛を連想させる、男山の生酒を味合う。

4日 715日(土)

今回の旅で、唯一の登山予定の日だったが、天気予報通りの小雨、富良野岳登山はあきらめて、Kさんの四輪で観光をすることに、富良野の冨田ファームでラベンダーとお花畑をみて、美瑛駅前で美味しいお蕎麦とカツ丼を食べ、「セブスターの木」などの美瑛の丘をめぐった。帰りに白金温泉の保養センターでお風呂に入った。昭和の温泉施設でボロボロの化け物屋敷のようだったが、お湯はよかった。妖怪のような地元のお年寄りが2人、長湯をしていた。

雨が降る中だったが、3連休でどこも満室で宿なしに、仕方なく何回か、泊まったことがある富良野市のはずれの山部の太陽の里キャンプ場にテントを張ることにした。ここは無料で予約も不要だった、混んでいるかと思ったが意外に空いていた。雨が降っているから・・・・・、取りあえず、東屋の下、農協スーパーで買ったジンギスカンで乾杯した。東屋のおかげで、宴会もでき雨も小降りで快適なテント泊となった。

5日 716日(日)

きょうは移動日、早く着いたらアイヌコタンで舞踊をみたかった。雨は明け方には止み、朝食を食べている間に、テントもだいたい乾いた。8時前には荷物も積みこみ、阿寒湖湖畔キャンプ場をめざして、211kのツーリングをスタート、国道23738号線重複区間から、樹海峠、狩勝峠を超えて、新得に出る、霧の中の峠超えでゆっくりと走った。十勝清水から国道274号線、上士幌町の広大な畑の間のまっすぐな道をすすむ、足寄町から国道241号線、高原の中の車がほとんど走っていないワインディングロードを快調に走る、阿寒湖キャンプ場には昼前に到着することができた。

アイヌコタンで、アイヌ料理店入り鹿肉定食をいただき、アイヌ古式舞踊を鑑賞した。それから、阿寒湖観光船に乗り、「まりも」を見学した。山にはガスがかかり、雄阿寒岳がみえなかったが、霧の幻想的な阿寒湖は楽しめた。阿寒湖畔のホテルで温泉をいただき、夕飯はセイコマートで買った焼き鳥セット、ポテサラにした。このキャンプ場は1,000円だったが、足湯もあった。

6日 717日(月)  阿寒湖-知床・ランタンの宿

きょうは、観光をしながら、知床・ウトロまでの移動、まずは、少し遠まわりになるが、屈斜路によってみた。天気は相変わらずあまりよくなく、山はみえない、雨が降らないだけ「良し」とするか?砂湯で子どもたちが遊んでいた。そこのお土産をぶらぶらしていたら、ご主人に呼びとめられ、「これからどこに行くのか」と聞かれたので、「知床」と答えると、「ならいいところがある、サクラマスの遡上がみられる桜の滝に寄ったらいい」と言われ、手書きの案内地図までくれた。

ちょっとだけ遠回りになるが行ってみることにした。国道から外れ、案内図通りに「さくらの滝」をめざした、案内板もある。結構、有名なところらしい、行く道中はだんだん道も細くなったが、未舗装ながら広い駐車場もあり、たくさんの単車や車も止まっていた。駐車場から数メートル、川に近づくと凄い光景が目にはいった。サクラマスが次々と滝を乗り超えようとジャンプしているではないか、サイズもいい、30センチ以上ありそうな大きなやつもいる。でも、滝の落差は1メートルくらいはあるのか、どのサクラマスも成功しない、だからたくさんのジャンプがみられるのか?成功するやつはいるのだろうか?
 そこからは、当初から予定していた「博物館網走監獄」をナビにセットし、ナビ通りにすすむ、広大な畑の中のアップダウンのある道が案内された。ちょうどお昼に、「博物館網走監獄」に着く、監獄レストランに入ろうとしたら結構混んでいたので、先に見学することにした。展示案内と読んでいくと、対ロシア政策で北海道開拓を急ぎ進めるために、囚人を活用することを政府が考え、北海道に刑務所をいくつもつくり、道路建設に従事させたことを知った、特に網走刑務所は何もないところにつくられ、必要な道具、みそやしょうゆなどを含めた食料の自給自足までさせて、その上で移動監獄も作り、原生林を急ピッチで切り開き、道路を建設したことが記録されていた。犠牲者がたくさん出たことも知った。極寒の刑務所、政治犯の収監、極道映画の場面とこれまで知っていた網走刑務所とは随分違った、「行ってみてはじめてわかる」これも旅の楽しみのひとつだ。
刑務所の建物もなかなか興味深いものだったが、お腹がかなり減ったので、途中からペースアップをして、一通り見学して、レストランに、かなり美味しいランチだった。囚人のごはんとは随分違うと思う。

そこから、知床ウトロをめざした。途中で小清水原生園に立ち寄った、原生花園では馬の放牧がされていた、北アルプスでみられる高山植物と似たような植物がみられた。小さな駅があり、その向こうにある小高い丘を越えてみた、そこにはオホーツク海があり、砂浜が続く海岸線が知床半島まで続いていた。

斜里の町から国道334号線を走る、畑の間の道から段々と海岸線の気持ちのいい道路になっていった。あと少しでウトロだったが、道路沿いの広い駐車場の先を見上げると山の上から滝が落ちているのが一瞬みえた。「みてみたい」、駐車場に入ってみる。オシンコの滝だ。このルートは2回、走ったことがあったが止まったのはじめてだった。駐車場からすぐ壮大な滝をみることができた。見上げると、海に突き出した山のいただき付近から大量の水流が落ちくる不思議な光景だった。

そこからウトロはすぐだった、きょうの宿・ランタンはその最初の集落にあった。海沿いのしゃれた宿だった。民宿を随分前に立て直したらしくきれいだった。受付には、愛想のいいおばあちゃんがいた、オーナーであり、「看板娘」と宿の人に呼ばれていた。部屋は2階の海のみえるところだった。夕飯は、なんと毛ガニが半身でてきた。これがとても美味しく感動、ほっけの煮物など魚づくしの料理に満足した。洗濯機と乾燥機もあり、ちょうど旅も半分終わったところなので洗濯をした。これで、大阪まで帰れる着替えを確保できた。ただ天気は相変わらず、はっきりしない、雨の予報はないが・・・

夜、明日、お世話になるシーカヤックのガイドさんから電話があり「明日は天気がよくないので、できれば1日ずらしませんか」と、しかし、次の予定も考えていたので、「できるなら明日でお願いします」と返事をした。

第7日  718日(火)

朝、起きると天気予報には雨はなかったのに小雨が降っている。シーカヤックは小雨でもやることになっていた。相棒のKさんはカヤックをせずに、知床観光して、国設キャンプ場で合流の予定だったが、雨の中のキャンプはテンションあがらないし、宿の料理が美味しかったので、もう一泊することにした。部屋も運よく空いていたので、連泊にした。
9時にガイドさんが車で迎えに来てくれた。ウトロを通り過ぎたところに出発地点があった。シューズからパンツ、ウェアーなど防水のきいたセットを貸してくれた。霧が出ているが、雨は降っていない。しかし、「風もあり、波が高いので予定のコースはいけないかもしれません」と説明があった。それでも出港した。ガイドさんとのタンデムなので安心だが、少し漕いでいる感が足らない。岬を回りこむたびに波が高くなってくる。乙女の涙の滝下の近くまでいく、ウミネコの繁殖地になっているのですごい数のウミネコ、まだ小さいのもいた。かなり以前にヒグマがひなを食べに来て、それ以来繁殖地ではなかったが、ここ数年、また、戻ってきたとのこと。次の岬を越えると男の涙、その滝は海に直接落ちている。真下まで近づくとその落差の高さ、傾斜のきつさは凄い迫力である。オジロワシの飛ぶ姿がみられた、ケイマフリ(アイヌ語ではケマフレ)はあまり近くで見ることが気なかったが、魚をくわえているところをみることができた。波が高く、それ以上は進むのは危険ということで、予定の半分にいたらず、引き返すことになった。11時過ぎに出港した浜に戻った、そこでガイドさんが用意してくれたまぜそばをいただいた、美味しかったが、知床半島の浜で食べたかった。午前中で終わったのでガイド料を割引きしてくれた。申し訳ないと思ったがありがたく割引かれたガイド料を払い、宿まで送ってもらった。

連泊にしたので帰る部屋があってよかった。少し横になって休憩し、まだ、半日あったので、岬の丘に登ってみるとことにした。20分もかからずに頂上につけた。予想通りにいい景色だ。道の駅のむかいにある食堂でうに丼も食べた。ごはんは少なめにしてもらい、ウニを堪能した。そのあと温泉に入りに夕日温泉にオートバイで急坂を登って行った。ウトロのすぐ裏手の丘の上にあり、露天風呂は小さかったが、樹林の間からオホーツク海が少しみえた。

宿に戻り、kさんが先に帰っていた。2日目の夕飯もズワイカニが出ていた。煮魚、ほっけと魚づくし2日目は贅沢な話だが、少し飽きがきた。何事もほどほどがいい。

8日  719日(水) 

旅の折り返しに入った。後半の予定は、大きく変更した。観光だけでは物足らないので、アクティブに楽しむことにした。Kさんが釧路湿原に行ったことがないと聞いたので、知床峠から野付半島、霧多布岬の海沿いのルートから摩周湖を通り、釧路湿原でカヌーを楽しみ、塘路湖でキャンプすることにした。斜里まで戻り、そこから南下する、裏摩周湖の展望台に寄ったが、まさしく「霧の摩周湖」でまったく視界がなかった。そこから山を下り、釧路湿原へ、サルルン展望台に登ってみた。何年か、前にも来たが景色は変わっていなかった。昼前に塘路湖キャンプ場に、テントを張り、途中のセイコマートで買ったサンドイッチで昼ごはんにした。

午後1時前に、申し込んだブラックカヌーの車が駐車場に入ってきた。オープンカヌーを2艇、横に連結したタイプだ、これなら絶対に沈はない。3人連れのグループと一緒に同乗、ガイドは若い男の子で昨年までは吉野川に働いていたが、今年から釧路湿原で働いているという、それなりに動物や植生などをガイドしながら、ガッチリ漕いでカヌーをすすめていた。漕がんでもいいのに・・と思いながら、適当に手を抜いて、ゆっくりと釧路川の景色を楽しんだ。エゾシカがあちこちにいて、北海道らしい景色だ、オジロワシを探したがみることができなかった。偶然にも、線路に一番近づくところで、トロッコ号と遭遇、列車も徐行してくれて、お互いに手を振り、エールの交換、貴重な経験もできた。2時間ほどで細岡に到着、数年前は1日かけてゆっくり下ったコースだったが、今日は2時間足らずだった。車で出発点の塘路湖まで送ってくれた、山越えの道だったためか、結構な距離を下ったと思った。

前回は、雨も降り出し、誰もいない寂しいキャンプ場が嫌で釧路まで走ってビジネスホテルに逃げ込んだが、今回は旅の相棒もおり、湖畔の静かなキャンプを楽しんだ、朝、塘路湖の湖畔まで散歩しているとオジロワシが飛ぶ姿もみることができた。

9日  720日(木)

朝めしは、ウトロの道の駅で買った昆布ラーメン、麺を先に茹でるひと手間がいったが、昆布のだしのきいたラーメンは美味しかった。旅の相棒とはここでお別れ、先に大阪に向けて、東北を走って帰るという、自分は、今回の旅の目的地のひとつの霧多布岬によって、帯広まで走り、居酒屋に行くコースにした。

塘路湖から道道で、最短コースで霧多布をめざす、山を抜け、畑の間を抜けて国道44号線に出た。そこから急に交通量が多くなった。厚岸市の郊外を抜けると、大きな湿原、厚岸湖・別寒辺牛湿原に出た。厚岸水鳥観察館によってみた。ラムサール条約登録の湿原であること、たくさんの水鳥の生息地であることがわかったが、2階の展望台から望遠鏡では水鳥はみることはできなかった。カヌーで湿原を下ることができるようだが、事前予約制だった。ガイド本で見たときはあまり興味が持てなかったが、大きな湿原を目の前にみるとカヌーでみてみたいと急に思った。次の機会を楽しみにしておこう。

そこからは、霧多布岬をめざす、茶内で国道44号線を右折し、駅前を抜け、霧多布湿原を縦断していく、真ん中に霧多布湿原センターがあり、寄ってみた。展望ホールから海まで続く大きな湿原が見渡せた。その湿原も真っすぐに抜けて、つい当たりを左折すると霧多布岬に続く、橋をわたる、そこから少し市街地となり、そのはずれから急な坂を登る、登りきると、そこは平原となっていて、馬の放牧もされていた。その行き止まりが霧多布岬だった。駐車場から灯台はすぐだったが、その先に岬の先端へと下っていく道があった。一番先の展望台、そこから先は海に落ち込み、さらに、その先には岩礁が続いている。いい景色だ。望遠鏡で観察している人がいたので「何がみえるのですか?」と尋ねると、「ラッコがみえる」と、「みますか」と言ってくれたので、覗かせてもらう。すごい倍率で拡大してみえるので、ラッコがお腹を上に浮かんでいるのがみえた。北海道の自然の豊かさに感動。霧多布岬は思っていたとおりの素晴らしいロケーションだった。今回は釧路湿原でキャンプをしてしまったので、キャンプ場はみるだけにして、先を急いだ。

霧多布湿原を右手に、太平洋を左手に、気持ちよく走る、琵琶瀬の港を過ぎると急な坂を登る、登りきると海に落ちていくカーブ、高台の上の直線を走ると琵琶瀬展望台だった。走ってきた霧多布湿原、琵琶瀬、高台の上の真っすぐなロードを振り返る。そこからは海岸近くで海がたまにしか見られないが、アップダウンの続くワインディングロード、走行車両もほとんどなく快適に走る、下り坂を少しすすみ、道が平たんになると厚岸市街地に入った。厚岸大橋を渡り、道の駅・厚岸グルメパークをめざす。厚岸を見下ろせる高台の上に道の駅があった。そこの2階に展望のいいレストランが3軒あった。そのうちの一軒、レストランエスカルで、パンフレットに出ていた牡蛎御膳を注文した。生カキ1、焼かき2、カキフライ2とカキソティが2つののった丼で、カキはとてもクリーミィ―だった。この旅、最高の美食だ。

あとは、国道44号線をまずは釧路をめざし、釧路の市街地を抜け、今度は国道38号線を白糠、太平洋を見ながらひた走る、浦幌から内陸の道になり、すこし山道を越えると帯広平原のまっすぐな道を走った。300キロを超える走行で少し疲れたが午後5時前にはきょうの宿泊施設、たぬきの里にたどりつけた。

たぬきの里は数年前にも泊った日帰り温泉施設とその2階がドミトリータイプの宿になっている。まずは温泉、サウナで整え、帯広の夜の町にくりだした。久しぶりの都会で、居酒屋、屋台村、キャバクラまでひしめいている。どこに入るか、思案しながらブラブラと行ったり来たり、屋台村の一筋、奥の路地で地元の人が行きそうな感じのいいお店にした。お客はまばらだったが、常連らしいお客がカウンターに何人か座っていた。メニューのぼたん海老が気になり、まだ食べていなかった、ぼたん海老を入れて造り盛り合わせを注文した。やはり北海道のぼたん海老は美味しい、あとはフライドポテト、トウモロコシのかき揚げが美味しかった。以前来た時のバーを探したが記憶があいまいで上手く見つけらず、キャバクラの呼び込みに立っているお嬢さんに話しかけてししまったりと少し飲み過ぎた感じなので、バーはあきらめ宿に帰ることにした。

第10日 7月21日(金) 119キロ

 10時から新得で十勝川ラフティング&カヌーを申し込んだ。今夏の旅で3回目のカヌーになる、そのために6時前に宿を出て、24時間営業のなか卯で朝食をとり、新得に向かって走る、国道を避けて、十勝川と併行して、畑の中を行くルートで1時間少しだ、順調に行き過ぎて、集合時間よりかなり早く着きそうだったので屈足(くったり)のセイコーマートでデザートを買い、店の前でいただく、そこからはTAC(とかちアドベンチャーズクラブ)まですぐだった。事務所には人気がなかったので、テラスのベンチで読書を楽しむ、フェリーで読み出した村上春樹の「1人称単数」が、2人旅の間は読むことがなかったが、一人旅に戻ったので待ち時間は楽しい読書の時間になった。北海道の大自然を旅しながら、読書を楽しむというのが、贅沢ななのか、無駄なのか、とにかく本に没頭しているうちに、スタッフの人が出勤してきた。「そうじとかあるので、もうしばらく待っててください」と言われた。再び、本の世界に・・・
10時前から受付、説明、ライフジャケットなどの貸し出し、着替えをした。半袖のウェットを貸してもらった、長袖の上着もあったが、長袖のガードを持参していたので、断った。お客さんはご夫婦、と自分の三人、スタッフも3人、ラフティングのガイドが1人、カヤックで並走して救助してくれるガイド、もう一人は車の運転&カメラマンらしい、事務所からちょっとだけラフティングを積んだトラックで移動する。十勝川の支流の流れの少ない川にボートを降ろした。そこからスタート、最初に発電用のダムからの放水口に向かう、そこでは大量の水が噴き出ししていた。そこに向かって流れを遡る、漕いで白波の立つ落ち込むにボート突っ込むと、そこでボートでサーフィンができた。落ち込む白波と巻きまれる流れの上でボートが動かない、ラフティングのだいご味を感じた。そこからと十勝川を下る、この放水のために水量は豊かで、白波の立つ瀬や岩の間を抜けるなどなかなかラフティングらしい流れを染しむ、浅瀬で一度、ボートから降り、ラッコのように流れたり、岩から飛び込むなどお決まりのラフティングらしい川遊びもした。1時間も立たないうちに、ラフティングは終了した、流れが少し緩やかになり、大きな河原にすでにカヌーが用意されていた。そこで、ゴムボートからカヌーに乗り替える。そこからはカヌーツアーに変わる、流れは緩やかになり、すぐにダム湖に入った。これなら初心者でもカヌーを楽しめるルートだ。ガイドさんが、反対の湖岸に「オオジロワシがいる」と言うので、カヌーをその岸に向けて漕いだ、近づくにつれて、樹の上に、オオジロワシがとまっているのが、見えた。知床と塘路湖では飛ぶ姿はみたが、はじめてとまっているオオジロワシをみることができた。北海道の自然の豊かさを感じる。ダムの屈足湖の湖畔に上陸すると、あとはTACの事務所まで歩いて帰ることができた。なんと合理的なコースだ。北海道の大自然の中につくられた人工物、ダム、発電用放水口からの大量の水量を使って、少し短いがラフティング&カヌーツアーコースになっていた。できればカヤックで下ってみたいが一人では受付してもらえなかったのが残念だった。着替えを終え、川岸からカメラマンが撮ってくれた写真をみせてもらい、2枚ほど購入した。まだ昼前だったので、美味しいランチの食べれるところをスタッフさんに聞いて、「小さな森のレストランポパイ」を紹介してもらった。

 TACから10分も走らずに、森を背景に佇む「小さな森のレストランポパイ」に着いた。12時少し前だったが、すでに車が何台か停まっていた。運よく、すぐに座れた。畑や森の見える窓際の席だった。3人ほどで家族でやっているのか、次々と客がきて、あっという間に店の外まで列ができた。半径10キロくらいは何もないようなレストランだったが、盛況だ。料理はランチプレートででてきた。釜めし、野菜を中心に少し工夫して丁寧に作られている感じ、味も優しい。ロケーションといい、豊かなランチを楽しめた。

 そこから、少し走ると国道38号線に出た。1週間前に走った道だ。同じように新得市街地方面に走ると、蕎麦畑が広がる、右には「そばの里」という大きな店があったのでよってみた。蕎麦工場、蕎麦屋、おみやげもある、そこで生蕎麦でも買ってキャンプ場で食べようと思ったが、お店の人に聞くと「冷たい蕎麦なら乾麺にした方がいい」と言われたので乾麺とつゆを買った。お店を出て新得市街地を目指した。国道から新得駅方面に右折し、駅前のスーパーによって、今晩の食材を購入した。この旅で2回目のジンギスカンにした。そこから、きょうの宿泊地、メムロ新嵐山キャンプ場をめざす、国道ではなく、農場が点在する平原を最短距離でむかった。メムロ新嵐山キャンプ場は、冬はスキー場と宿泊施設になる、かなり整備されたキャンプ場だった。宿泊施設のお風呂も利用できた。早く着いたので、森のキャンプ場で夕方になるまで村上春樹の続きを楽しむ。 

第11日 7月22日(土) 

朝食は、昨日、新得で買った「新得蕎麦」、お湯で湯がいて、キャンプ場の水で冷やして、冷たいモリそばにした。さすが蕎麦の産地、美味しい。テントを乾かして、ゆっくりスタートをした。きょうは、襟裳岬を経由して、新冠で乗馬、白老で民族共生象徴空間ウポポイを見学して、東苫小牧から夜遅くに出港するフェリーに乗り込み、北海道の旅が終わる。最終日だけあって、結構もりだくさんのメニューであり、走行距離も400キロ越えそうなくらいあるが、夜10時まで乗り場に着けばいいので時間はたっぷりとあるので焦ることはなかった。

襟裳岬への道は黄金街道である、お金を引きつめたくらい高額の建設費がかかったためにその名前がつけられたという、30年以上前に一度だけ走ったが海岸線の波打ち際を走る道路で、雨や風の強い日は結構危険なロード、特に250㏄のオートバイに荷物満載では怖い、数年前も行こうと思ったがあまり天気がよくなかったので、日高山脈を長いトンネルで抜ける天馬街道にエスケープしている。襟裳岬は、風は常時強く、夏は濃霧の日も多いので、見晴らしが期待できなければ、天馬街道の方がショートカットになり早いので、今回も襟裳岬は天候が悪ければパスの予定だった。
 農場が続く、道道55号線を南下する。更別村で国道236号線にでた。そこでセイコーマートで休憩、さらに南にすすみ、豊似に、そこで山越えショートカットの天馬街道に向かうか、黄金道路から襟裳岬をめざすかの分岐点だ、きょうの天気なら、雨はないし、風もそれほど強くないと判断して、襟裳岬に向かうことにした。

 黄金道路にはいると、海岸線沿いを走るもののトンネルが多い、それでも海がみえると小さな小舟で昆布漁を沢山の人がやっていた。浜で昆布を広げる姿もたくさんみることができた。気になっていた風もさほどではなく、無事、えりも町に入り、防砂林を抜けて襟裳岬に着くことができた。晴天で岬の先に続く、岩礁、太平洋が見渡せる最高の天気に恵まれた。旅の前半のはっきりしないどんよりした空の下とはまったくちがう景色だった。そこからは、新冠に向けて、海岸線を北上していく。海岸線の平野部がかなり広く、穏やかな丘を越えるようなワインディングロードを太平洋の景色を楽しみながら走った。浦河を通り過ぎ、新ひだか町、そして、新冠町に着いた。牧場の手前のセイコーマートでお決まりのカツどん弁当とノンアルビールを買って、牧場にむかった。「にいかっぷホロシリ乗馬クラブ」のテラスでカツ丼ランチを楽しむ、北海道の旅では必ず購入する、あったかいご飯の上に出来立てのカツがのっている。セイコーマートでの店内調理の逸品だ。
 北海道での乗馬体験は3回目になる。今回は本格的に乗馬用のブーツ、ヘルメットのレンタル付き、グローブはバイク用をそのまま使用した。1時からの体験林間コース50分には、10人くらいの客さんも集まっていた。身支度を整え、厩舎の前に並んだ馬たち、スタッフ、簡単の説明のあと、馬場でいよいよ馬に乗る、脚立が用意されて鞍の上に、なかなか高い、そして、馬場でゆっくり大きく、つながって回る、時々、とまったりするので、腹をけって「すすめ」、手綱の使い方も練習する、馬に意思をはっきり伝えること、姿勢が大切なことを教わる。そこから、体験林間コースに出ていく、まぁ馬が連なって歩いていくのに乗っているだけだか、スタッフは手綱をもっているわけでもなく、手綱を引くとちゃんととまった。結構、長い林間コースで少し、アップダウンもあり、楽しい体験ができた。次はもっと長いコースに乗ってみたい。
 乗馬クラブから苫小牧を抜け、白老にあるウポポイ・民族共生象徴空間をめざす、4時からの伝統芸能上演に間に合わすために、休憩もせずに一気に白老まで2時間走る。ぎりぎり伝統芸能上映に間にあった、続けて、アニメもみることができた。さすがに朝7時過ぎから走り、襟裳岬、乗馬をして300キロ以上走行してきて、すこし疲れていて、国立アイヌ民族博物館の展示はかなり飛ばしてしまった。暗くなる前に苫小牧に戻っておきたかったので、午後7時前にはウポポイを出て、来た道を苫小牧まで戻った。

フェリー乗り場は、市街地からかなり遠いところなので、晩御飯はノンアルである、少し駅前もみたがあまり繁華街がわからず、食べログで調べた郊外にある「縄文ラーメン」に入った、やっぱり味噌ラーメンにした。あとはセイコーマートで、フェリーでの食料を買い込み、時間が早かったがフェリー乗り場をめざした。ナビで、距離の近いコースを選んだが、本当に真っ暗で民家も街灯もないなか、ナビだけをたよりに港をめざした。まったく現在地がわからなくなったが、ナビのおかげでなんとかフェリー乗り場に到着した。出港までかなり時間があったので待合でゆっくりと乗船案内があるのを待った。帰りは時間通りに出港した。まだ、読みきっていなかった村上さんの本をちょうど最後までよみきることができた。12日間の旅で1冊。苫小牧―敦賀の船は新しいのか、露天展望風呂、乾式サウナもあったので、3回もお風呂を楽しんだ。

敦賀港に上陸したのは初めてだった。夜9時、まっくらで街灯もない、ナビとフェリーから下船した車列に従って敦賀インターチェンジから高速に入り、走り慣れた道だったが、ST250で走ったことはなかった。非力なオートバイで、夜の高速は辛かったが、最後のランを走りぬき、午後11時過ぎに自宅に戻ることができた。12日間、1900キロのオートバイの旅が終わった。

2023北海道の記録  1984キロ
第1日  712日(水)  120キロ 自宅18:50―舞鶴港21:20
日  7月13日(木)   4キロ  舞鶴1:50 ― 小樽港 21:45
日  714日(金)  160キロ 小樽―富良野・民宿あきば  青池、吹上温泉
日  7月15日(土)  15キロ (60キロ)富良野-富田ファーム、美瑛、白金温泉-山部・太陽の里キャンプ場
日  7月16日(日) 211キロ  富良野-阿寒湖湖畔キャンプ場
日  717日(月) 340キロ  阿寒湖-屈斜路湖-さくらの滝-網走―知床・ランタンの宿
第7日  718日(火)  5キロ  知床シーカヤックー知床・ランタンの宿
第8日  719日(水) 145キロ  知床-塘路湖キャンプ場
日  7月20日(木) 303キロ 塘路湖キャンプ場-納沙布岬-厚岸-帯広
第10日 7月21日(金) 119キロ 帯広-十勝―メムロ新嵐山キャンプ場 
第11日 7月22日(土) 402キロ メムロ新嵐山キャンプ場-襟裳岬-新冠-ウポポイー苫小牧フェリー乗り場
第12日 7月23日(日) 160キロ 敦賀-帰宅


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