2021年 北海道の旅

1日 721日 自宅、舞鶴港

 仕事を終え帰宅、夕飯を食べて、荷物を積み込む、これから始まる長い旅への期待と不安に追い立てられるように、予定していた時間より少し早かったが、午後7時半過ぎに出発することにした。高速に乗らずに、京都縦貫道の起点となる大山崎をめざした。水曜日であったが、夕方の渋滞も解消されつつあり、車の流れにのり、国道1号線から枚方大橋を渡り、高槻の八丁堀交差点を右折し、京都方面に向かった。島本町から京都府・大山崎町に入り、大山崎IC、ジャンクションのループを登り、京都縦貫道に入った。京都西山のトンネルを抜ける、このあたりはトンネルの明かりがあり、快調にすすむ、京都市を抜け、亀岡市をめざすあたりから高速のライトはなくなる、すでに周りは山で真っ暗な高速を走る、交通量も少なく、暗闇に向かって、時速80キロで突き進むのは不安である。高速道路だから何があるわけではないし、急なカーブもないとは思うが胸がざわつく、園部を過ぎると、1車線の高速となる、250㏄、空冷単気筒のバイクに、収納ボックス、その上に40リッターの登山ザックをくくり、重心が高く、90キロも出すと振動が激しく、不安定になる。たまに後続から来た四輪に煽られるが、どうしょうもない。焦りと不安があるが、真っ暗な山間を抜ける高速をマイペースで走る、明るいトンネルは少し心がやわらぐ、ICごとにある譲り合い車線で後続の四輪に先に行ってもらう、しばらくは四輪のテールランプを追いかけてみるが、すぐに引き離されて、また、一人孤独は走行となる。1時間以上走ったので、SAエリアに入って休憩する。夜のローカルなサービスエリアのお店は締まっており、トイレと自動販売機しかない、缶コーヒーを買い、飲んだ。真っ暗な高速はまだ続く、予定の時間までにフェリー乗り場に到着することができるか、まだ、核心が持てなかった。

 サービスエリアから真っ暗な高速に戻り、後続車が来ないか、緊張しながらまっすぐに走る、携帯ナビが「ICを降り」と、予定していた舞鶴西ICではなかったので、スルーして進む、次は宮津ICだった。舞鶴の西隣のまちである。おかしいなと思いながら、宮津ICを出た。海沿いに走れば舞鶴に行けそうだがナビで確認すると「高速に戻る」とあった。到着時間はフェリー出港の90分前だった。少し早く出発したので早めに到着する予定が、高速の分岐を見逃し、大きく行き過ぎていたことに気がつく、時間がぎりぎりだったので、ナビに従い、また、高速に乗る、今度はナビ通り、次のICで降り、舞鶴市内に西側から入っていき、なんとか90分前に新日本海フェリー乗り場に到着することができた。すでに、たくさんのオートバイが並んでいた、その最後尾にバイクを止め、乗船続きのためにフェリー事務所の建物に入った。明日からオリンピック4連休とあって多くの人でごった返していた。検温と℮チケットの発券をしてもらい、バイクに戻った。

 バイクの乗船までの待ち時間の間、旅への胸の高鳴りと「なんで夜の高速を一人走って旅に出なければならないのか」とも思った。そして、よくわからない不安と未知な出会いへの思い、70台はある大型バイクが一斉にエンジンをスタートさせる。響くエンジン音、そんな思いもどこかに消えた。バイクでのフェリー乗船は少し緊張する、フェリーに渡された大型の鉄の橋、急な登り、滑ってこけないか不安、係員が見守る中で1台づつ、登らせていく、自分の番だ、慎重にすすみ、フェリー艦内に無事に入り、係員の誘導する停止位置へ、荷物をほどき、ヘルメットと大型バックはバイクの甲板の中にあるラックに載せておく、明日の食料とお風呂セットだけ持って、上の甲板に登っていく。部屋は、昔は雑魚寝だったが、今はプライベートが確保された二段ベットだ、今回は下の段でよかった。

 さっそく、お風呂に入った、3時間もバイクで走ると埃と油、汗にまみれた感じ、深夜1時過ぎだったので、そのまま寝ることにした。

 

2日 722日 小樽港、おたるバックパッカーズホステル杜の樹、郷土料理おおとみ、バーHATA 

 新日本海フェリーの旅の楽しみは、フェリー後部デッキで、朝からワイン、メニューはお湯を入れるだけの山食用カルボラーナ、オイルサーディン、缶つまベーコン、ナチュラルクラッカー、青い空、白い雲、濃いブルーの日本海、水平線をみながらのモーニング、至高の時間、ゆっくりとワインを楽しんだら、ベットに戻り、一寝入り、目が覚めたら、お風呂に入り、ランチはまた、デッキに行き、ビールとワイン、カップ焼きそば、そして、お昼寝、お風呂を楽しむ、夕方、北海道の沿岸が見えてきた、積丹半島だ、昨年、歩いたカムイ岬がみえる、今年はその眼下の積丹ブルーの海をカヌーで漕ぐのも旅の目的だった。海岸線は切り立ち、そのまま山へとつながっている、積丹岳、余部岳か、かたちのいい山だ、計画ではその奥の余市岳を登る予定だったが、急に、あの山に登ってみたくなった。電波が入る海域なので、さっそく積丹岳の情報を集め、登山計画を考えてみた。

 夏空もすっかり夜に覆われたころに、小樽港に着岸した。バイクの下船は四輪のあとだ、フェリーの車両甲板は、エンジンの熱気、排気ガスか、ムンムンする。荷物をバイクにくくりつけ、準備をする。いよいよ北海道上陸、5度目となるが、わくわくする。小樽に上陸するのは3度目で、道はよく解っている。記憶通りに、フェリーふ頭から倉庫群のはずれを通り、花園通りから右折し、水天宮の前を右折すると、見覚えのある古民家が石垣の上に佇んでいた。「おたるバックパッカーズホステル杜の樹」である。17年前に一度だけ泊ったことのある宿だった。ねこ、犬が出向かえてくれたオーナーは変わっておらず、やさしく旅人を歓迎してくれた。2段ベットがある部屋がいくつかあり、そのひとつに案内された、ひとりの青年と相部屋となった。

 荷物をおくと、さっそく、何度も行っている郷土料理おおとみをめざした。ここは観光客相手の店が並ぶ花園通から角を曲がって10歩もいかないところであるが、とても美味しい海鮮料理を良心的な値段で出してくれる店である。以前に泊まった小樽のライダーハウスのご主人に紹介してもらったお店だった。ここの海鮮酢の物盛り合わせが美味しい、カニ、エビ、イカなど北海道の海鮮がいっぱい入っている。今回は刺身の盛り合わせ、とうもろこしのかき揚げを食べた。ご主人と奥さん、息子さんでされている感じのいい店で、北海道に通うライダーたちでは定番なのか、狭い店のカウンターにはライダーが3人も並んでいた。どっちに向けて走るのかなどライダーらしい話も少ししたが、自分以外のライダーはノンアルコールで早々に店を出ていった。自分は、生ビールに、日本酒3杯ほどのみ、旅の終わりに、また訪れることを約束して店をあとにした。

 旅の楽しさは、知らない町で、バーを探すこと、花園は名前の通り、むかしは船員たちが集う夜の町だったと思う、居酒屋やたくさんのスナックがあるが、多くは廃業している感じでもあった。以前ほどの賑わいはなくなった寂しさもまた魅力だ。その中で小奇麗なバーをみつけた、バーHata、八田さんがやっている。ご主人と奥さん、常連らしい男性と女性の客だけだった。落ちついたオーセンティックバーだった。まず、マティーニを注文した。次に、カウンターに並ぶ「余市」が目に入り、ロックで注文した。マスター曰く、「せっかく小樽に来たなら、ニッカ蒸留所にぜひ行って下さい」と言われた。旅の最後に、時間があれば寄ってみようと思った。

3日 723日 小樽、富良野、太陽の里

 バックパカーズ杜の樹は、ふつうの古い民家をそのまま使っている感じだ、場所もいいところにある。小樽のまちが、ニシン漁などで賑わっていた頃、その港も眺められる高台の上に立った水天宮のすぐ下にある、崖にへばりついて立っている、道からは石垣の上にあり、石階段を登っていくと緑に覆われた玄関があった。裏には庭もあり、さらに、崖側には広いベランダがあり、いすやテーブル、ハンモックもある、居間には、すごい数の漫画、DVD、本が並んでいる。台所とつながった食卓のある部屋にも壁一面に本が並んでいる。小樽の写真集や北海道、バックパッカーの本など興味深い本がたくさんある。少し早起きをして、何冊か、手にしてみる。村上春樹の本もたくさん並んでいた。20年前は結構、一生懸命読んだが最近は小説すらおちついて読んでいない。何か読みやすいものはないか、短編集の「女のいない男たち」が目についた。手に取り、開いてみる、村上春樹さんにしてはめずらしく、巻頭に、解説がある、それを読むと本編もよみたくなり、ベランダに持ち出し、そこで読みはじめた。久しぶりの村上ワールドに浸ることができた。 朝食の時間が近づいたのか、お世話にしていただくペアレンツの女性が朝ご飯の用意をはじめた。「13000円、希望者には朝ごはんにおにぎりの炊き出しをします」とのこと、旅人にはありがたい、食卓に集まってきたのは、20代の青年、自転車で東北から北海道を旅しているフランス人、オーナー、お世話をしていただいた女性だった。日本語もかなりわかるフランス人だったが、「自分はライダー、あなたチャリダー」と話しかけたがうまく理解できないみたい、そこで横にいた青年が英語で通訳してくれた、それから英語がわかると思ったフランス人と青年は会話がはずんでいた。やっぱりしゃべれるのはいいなと思った。

 自分は女性に声をかけた。朝ご飯は、おにぎりだけでなく、出汁のきいた味噌汁、卵焼き、野菜と立派な朝食だったので、お礼と美味しいと伝えたかった。ついでに、「北海道の方ですか?」と聞いたら、案の定、「出身は千葉です。北海道が好きで移住して、こっちで仕事しています」とのこと、美人という感じではないが、とてもさわやかな感じの女性だった。朝食後に、また、ベランダに戻り、コーヒーを飲みながら、本の続きを読みふけった。どうしても続きが読みたくて、女性に小樽で一番大きな本屋がどこにあるかを聞いた。本屋があくまで、この港がみえるベランダで読書をすることにした。

 10時過ぎに、荷物をオートバイに積み込み、出発した。まずは、ベイエリアの大型書店をめざした。文庫コーナーに行くと、うまい具合に、「女のいない男たち」があったので、購入した。きょうは、富良野市のはずれの太陽の里キャンプ場までの移動日だ、ゆっくりスタートで、国道5号線から337号線へ、札幌の外側を回りこむ感じで、岩見沢を抜け、三笠、途中50キロくらい民家もない山の中の国道452号線・夕張国道を走り、富良野に入っていくツーリングだ。石狩湾の沿岸から石狩川を渡る穀倉地帯を走り抜ける。北海道らしい広大な畑の中を走る、平原を抜ける風が強く、荷物を満載したオートバイでは緊張するところも、1時間ほどで当別の道の駅で休憩、シュークリームが美味しそうだったので購入し、テラスで食べた。
 計画では、国道を江別市経由で岩見沢市に入る予定だったが、携帯ナビが「左折を」、よくわからないが、畑の真ん中を突っ切る広域農道を走る、信号もない十字路や何回も右折、左折を繰り返すが、近道と思い、ナビ通りに走る。岩見沢市内で、ガソリンの給油と昼食と思っていたのに、三笠に抜ける道道917号線と国道12号線の交差点に出てしまった。これ以上進むと、お店もガソリンスタンドもまったくなくなりそうなので、ナビで調べて国道12号線のガソリンスタンドをめざした。すぐ近くで給油できた。そこまで走る間に、大きな蕎麦屋もあり、そこに立ち寄り昼食とした。結構、混んでいた、もりそばを注文した。意外にも白いおそばがでてきた。北海道では黒っぽいそばより、透明感のある蕎麦の方が人気があるようだ。味は上品な感じだった。

 そこを出ると、すぐに、道道917号線に入った、三笠はむかしは炭鉱の町のようだが、今は家もまばらしかない、ほどなく桂沢湖にでる。巨大なダム湖である。ダム建設により、道は整備されているが、全く民家はなく、そこから芦別市まで40キロ、ほとんど民家がない。1時間近くもまったく山の中走るのも北海道のスケールである。昨年も走った道を、昨年とは逆に、南から北に走った。夕張国道から富良野市への近道となる道道135号線に入る。トンネルを抜けるとすぐに富良野に入っていく。再び、国道に出る手前に、島の下温泉「ハイランドふらの」はある。温泉ホテルの下には、ラベンダー畑が広がっている。ちょうど見ごろになった紫の花が一面、覆っていた。バイクとラベンダーの記念写真をおさめた。今晩は、キャンプなので温泉にも入ることにした。ラベンダー畑を見下ろす露天風呂は最高な気分だった。

 温泉を出て、今夜のごはんの買い出しにスーパーによった。ホッケの一夜干し、トウモロコシ、トマト、きゅうりにもろみみそ、鳥ザンギ(唐揚げ)とビール1本、ワイン一本を購入、太陽の里までは一走りだった。4連休中で、広いキャンプ場もそこそこテントがひしめいていた。ファミリーの大型テントからライダーのソロ用テントまでいろいろだ。自分は、登山に使う3人用テントと今回の旅に備えて、ソロキャンプ用のテーブル、コンパクトにたためる椅子を購入し、持ってきた。せっかくのキャンプを少しは豊かな気分で味わえるように荷物になったが持参した。やはり、テーブルに、椅子はよかった。登山では不必要なものだが、ツーリングソロキャンプにはとてもいいアイテムだった。テントを張ると、さっそくザンゲで乾杯、その間に百円均一で14年前に購入したフライパンでホッケの焼けるのを待った。トマトに、きゅうり、トウモロコシが、白ワインに合う。

 

4日 724日 芦別岳、太陽の里―支笏湖

【芦別岳:4:50-半面山7:50-山頂9:15-半面山10:20-下山13:00

 山の朝は早い、晩は一人なので夕飯を食べたら8時前には寝るしかない、その分、朝が早い、4時に起き、バーナーでお湯を沸かし、カレーのカップめしを食べた。山食に使える、軽量、お湯を入れてかき回し、3分でがっちり食べられる。時間短縮、高カロリーでハードは山行にはいいかも、5時前にキャンプ場を出発し、新道から芦別岳をめざす。熊が怖い、鈴に、笛を持参し、時々、ピーピーと鳴らす、針葉樹林帯の急登が続く、視界がなかなか望めない、我慢の山登りが3時間、やっと目印となる半面山に出た。そこではじめて、山頂をみることができた、はるか先に、高くそびえている。その前衛には大きな岩壁従えたピークもある。そこから先は、灌木帯、高山植物のお花畑と楽しませてくれた。山頂へは大きなピークを越えると、いよいよ山頂を真近くみることができたが、まだ、40分の急登が続く、最後はお花畑から急な岩稜に取りつくが、どちらを行くか、迷う、急な直登を避け、左にまき気味に登る道を選んだ。意外にも道が悪く、ハイマツをかき分け、岩稜つたいに頂上に立つことができた。芦別岳山頂1,726m4時間25分かかった。下りも標高差1500m、最近、痛みがある膝ではスピードも出ず、3時間45分かけての下山だった。

 午後1時過ぎにキャンプ場に戻った。予定では、温泉に行って、買い出し、キャンプ場に戻り、夕飯の予定だったが、予定より早く下山したこと、オートバイで出かけるなら、次のキャンプ地に進んでしまうことにした。それでもおなかも空いたので、カップ焼きそばを食べ、テントを撤収し、パッキング、バイクに積み込んだ。
 午後2時に出発し、途中から高速道路を使って、時間短縮し、千歳市を抜け、支笏湖をめざした。高速では強風にあおられ怖い思いもしたが、順調に千歳市内に、駅前のイオンで夜のキャンプの買い物をして、支笏湖をめざした。夕闇が近づいてきたが真っすぐな道を時速80キロで支笏湖をめざした。予定通り、暗くなる前に支笏湖に着いたが、国民休暇村の日帰り温泉は終了しており、キャンプ場もいっぱいで断られた。北海道で、そんなことは想定していなかったので愕然とするも、テントはあるし、「どこかで寝られれば」と思い、湖畔に行ってみるも適当な場所はなく、ライダーハウスもあったがコロナ禍で「予約者以外はだめ」と断られた。仕方なく、そこで500㏄の水のペットボトルを8本買い、山に向かうことにした。

 支笏湖から樽前山登山口へ、ダートの林道を登り、登山者用駐車場に到着、すこし暗くはなり始めていたが、まだ、下山する登山者や車は数台あった。車中泊は目立たないが、テントを張るのは気がひけたが、緊急事態ということで張らしてもらった。夕飯は豚みそのパックに、もやしとニラを入れて炒めた。 


5日 725日 樽前山、俱知安

【樽前山:5:30-外輪山6:20-西山7:00-東山8:449:25

 この日も、4時には起床し、朝ご飯、5時前にテントも撤収し、樽前山の山頂をめざす、駐車場から灌木帯で、すぐに展望のきく広い登山道に出た。支笏湖が大きくみえた。意外にも大きな湖で、海のようにも見える。火山礫、砂の滑る登山道を登っていく、1時間で外輪山に縁に着く、その手前あたりからガスがかかり、展望がない、目の前には溶岩ドームがみえるはずだったが、形すらわからない。仕方ないので、外輪山を1周することにした。若干のアップダウンがあるが、大したことはなかった。ガスは外輪山の外側、麓の方は晴れていた。広大な樹海、火山の山肌、火山礫の中にお花畑、コマクサの群生がみられた。しかも白い変異種の群生もある。樽前草と呼ばれる花の群生も見事だった。コンクリート壁に守られた樽前山神社奥社をお参りし、大きく下り、登り返したら西山山頂に到着、いまだ、溶岩ドームはみえない、わずか根元かと思われる景色だけだった。北に向かい、周回しながら東山山頂をめざす、山頂直下で風を防げる岩をみつけ、そこでガスが切れるのをしばらく待ってみたが、いっこうに切れない、時折、東山山頂がきれいにみえるだけで、すぐそこにあるはずの本当の山頂、溶岩ドームの姿はみることができなかった。いつまでもそこにいるわけにもいかず、東山山頂を通過し、最初にたどりついた外輪山の縁に戻り、駐車場へ下山した。

 装備をまとめ、駐車場から出た瞬間に、急な下りに思わず、ブレーキ、重心があまりに高いバイクはあっけなく転倒、幸いにもけがなく、バイクもブレーキレバーの先が少し折れただけだった。この荷物で、火山礫の急な下りは無理と判断して、荷物もデポし、取りあえず、林道を下ることにした。最初は怖くてうまく下れないもののなんとか転倒せずに、傾斜が緩いところまで来てから、エンジンをかけて、ダートを下った。舗装道路に出たところにバイクを置き、デポしたザックを取りに林道を登り返す、実に40分くらいかかった、さらに、荷物を担いで30分以上かけて下り、ようやく、バイクに戻ることができた。結果的には樽前山をかなり下の方から存分に味合うことになってしまった。

 それでも12時前だったので、ゆっくりと倶知安をめざす、当初の予定より半日分行程が早くすすんでいる。アクシデントも重なっていたが、天気が良かったのが何よりも旅を楽しいものにしてくれた。

 支笏湖から美笛川の清流沿いに走った、景色のいいところである。広島峠を越えて、喜茂別町に入り、道の駅で昼食にした。ザンギ定食を食べた、美味しい唐揚げだった。北海道JAのガソリンスタンドで給油し、倶知安をめざした。途中で羊蹄山に似た山があったが、尻別山らしい、そして、りっぱな羊蹄山、その奥にニセコアンナプリをみる雄大な景色の中を走った。午後3時には駅前の倶知安スマートホテルに到着した。新しいホテルで、ドミトリータイプは3000円だった。実際はカプセルホテルのような作りだったが、幸いにも8人部屋で他に一人しかおらず、優雅に過ごすことができた。まずは、洗濯、洗濯機をまわし、乾燥機にかけた。その間に、村上春樹の本の続きを読んだ。洗濯物は部屋で干すこともできた。それから近くの倶知安温泉に出かけた。バイクなら5分とかからない、露天風呂からは羊蹄山が真近く、「どーん」と見える素晴らしいロケーション、泉質もいいのだが8月末で廃館になるらしい。地元の人もたくさん来ているのに・・・・

 ホテルに戻り、倶知安探訪に歩いて出かけることに、フロントでおすすめの居酒屋を聞いたが、「あいにく日曜日で休みが多いです」と言い、ガイドマップを渡された。それによると、駅のまわりではなく、少しはなれた場所に、飲み屋街、スナック、ラウンジのある一角があるらしい、そこを目指していく、10分とかからずに着いたが、店も少なく、ほとんど休みだった。それでも地産地消を掲げるお店が空いており、カウンターに陣取りすることができた。「大衆居酒屋マルキュー商店」は、刺し身盛り合わせ、揚げ出し豆腐にズッキーニなどの野菜の素揚げがのっていて美味しかった。2軒目は、バーエディー、カラオケのないレトロな感じの隠れ家バー、オリンピックを大きなテレビでみながらカウンターの女性と常連客がオリンピック談義、自分も仲間に入れてもらい、楽しく飲むことができた。 

6日 726日 尻別川リバーカヤック-東大沼キャンプ場

 ホテルのモーニングは売り切れであたらなかったので、カップ焼きそばで我慢、きょうは、午前中、のんびりと読書を楽しみ、昼から尻別川リバーカヤック、洗濯物もきれいに乾き、パッキングをして、ホテルを出た、途中でランチ、ガイドブックでみつけたサンドイッチ店ANYWAYに行ってみた。俱知安の町はずれ、林を背景に、しゃれたお店、素敵なガーデン席で、バケットのサンドイッチとコーヒーを楽しみ、そこでも時間まで読書を、カヤックの集合場所はそこから5分もかからないところだった。そこは、廃校になった学校を再利用している宿泊施設で、そこを借りて、着替えを済ませた。プライベートツアーで、庵さんというガイドさんと二人、カヤックは1年で1度しか乗っていないが、昨年も空知川を下ったので説明、練習は少なめにしてもらった。車で移動して、川へ、尻別川は広い川幅で、水量も豊かだった。尻とはアイヌ語で「山」、別は「川」というらしいことをガイドさんから聞いた。カヤックを川に出す、流れは緩やかで、少し漕ぐだけで十分、天気もよく羊蹄山がよくみえた。自分が以前登った時はガスの中で、まったく眺望がなかったことを言うと「ぜひもう一度登ってください」とすすめられた。中州に上陸し、少し休憩した。「泳いでいいですよ」と言われたが、60歳を過ぎてあまり無理はいけないと思い、顔をつけるだけにした。途中で、羊蹄山から流れでた清水の冷たさ、ニセコからの流れでた川が滝になっておちてくるマイナスイオンを感じたり、1時間に一本も走っていない汽車を鉄橋の下から眺められたり、のんびり楽しく川を下ることができた。あっという間にツアーを終え、終了点には迎えのスタッフが車できていた。学校跡まで戻り、着替えをして、バイクで東大沼キャンプ場をめざした。

ニセコからは5号線の内陸のアップダウンのある国道を長万部、そこから海岸線を走るので風が気になるところだったが、それほど強くなく、日暮れに追われながらキャンプ場をめざした。途中で、買い物をしたかったが、スーパーらしい店を見つけられずに、時間もないので、セブンイレブンで金のラベルのハンバーグなど簡単に食べられるものを買って、先を急いだ。

なんとか日没前の東大沼キャンプ場に到着できた。沼の湖岸までテントを張ることができ、林と湖と、山に囲まれたキャンプ場が無料で使えるのはやっぱり北海道だ。ソロキャンプグッツも役立ち、優雅にワインを楽しんだ。 


第7日 727日 駒ケ岳、縄文文化交流センター、恵山、函館

 【駒ケ岳:6合目5:35-馬の背6:356合目7:25

【恵山:11:20-分岐12:40-山頂13:1515:15

東大沼湖の朝は、爽やかだった。早朝のうちに、北海道駒ケ岳を往復することにした。5時過ぎに、バイクで走りだす、道路脇にはキタキツネが、樹木の間を大型の猛禽類が飛んでいる。さすが北海道の大自然と感じさせる湖畔の道路から駒ケ岳の登山口につながる道に右折した。そこからは真っすぐな一本道が山上に向かっている。一見、山容が富士山にも似ている火山の山、裾野は緩やかな傾斜が続く、舗装道路から未舗装のダートに変わる、荷物のないバイクなら登っていけそうだ、少し傾斜が出てくると、開けた登山者用駐車場に着いた。そこにバイクを停め、歩きはじめる、山頂の火口原の縁まで1時間、そこからも真っすぐに山上に登っていく道だった。噴火で降灰した火山灰や礫で足元が滑る、樹木は低木となり、やがて、人の高さほどになってくる、傾斜も真っすぐに登っていくだけに、かなり急な登りになっていく、遠くに尖った岩峰もみえてきた。あそこが最高点なのか、活火山で山頂は規制されている。遠くから富士山のように見える山も、近くでみると荒々しい、1640年山体崩壊を起こした大噴火で、南側は大きく崩壊し、山頂部分が吹き飛んだ残りの縁が、現在の山頂と思われる岩峰なのだろう、1時間の登りで、馬の背と呼ばれる火口原の縁に着いた。直径2キロはあると言われる山体崩壊のあとにできた平な空間とそれを囲む岩峰や小ピークがいくつもある。この上に、山頂部があったと想像する、かなり大きな山で、それが吹き飛んだ大噴火とはどんなものだったかは、とても想像がつかない、ただその大崩壊によって川がせき止められ、大沼、小沼ができ、それが眼下に広がる景色で自然がつくる壮大な造形と思うとまた美しさが違ってみえた。早々に、馬の背をあとに下山し、東大沼湖のキャンプ場に帰った。テントなどを撤収し、渡島半島の突端にある恵山をめざす。

 道道43号線を海岸線に向けて走る、走りだすとサイドミラーに、さっき登ってきた駒ケ岳の素晴らしい山容がみえた、バイクを道路端に停め、写真におさめた。そこから道は若干のアップダウンを繰り返しながら海へと伸びていた。国道278号線に突き当たり、その先は海しかない。左手に太平洋をみながら海岸線を走る、遠くに今から登る恵山が海から沸き立つようにみえた。

 ちょっと寄り道をした。縄文文化交流センターによって、「中空土偶」をみたかったから、北海道にある唯一の国宝であり、夜にテレビで知ったが、この日に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録に決定したとのことだった。北海道に2万年も続いたと言われる農耕をせずに狩猟で定住生活した民族、アイヌに続くとも想像できる自然観、精神がそこには読み取れるように思う、土偶の初期は母性を表現したものが多いらしいが、後期は中性化していく、神格化していくらしい、確かに「中空土偶」も性別はよくわからない、おっぱいのようにみえる胸でもあるが、男性のような逞しさも感じる。その表情は何もない、「自然」とも表現できる透き通る感じがある。「足形付き土版」は、赤ん坊の足形を住居に飾っていたものらしい、うちにも同じようなものがある。縄文人の精神がわかるような展示、資料がたくさんみられた。

 恵山には、海岸線から登ることにした。観光客用の駐車場から山頂まで1時間、海岸からは倍ほどかかるが、海に突き出た恵山はやはり0メートルから歩きたい、山頂の標高618メートルまで約2時間、ホテル恵風の駐車場にバイクを停めさせていただき、駐車場から登山道をすすむ、海岸線のためか、広葉樹の茂る森の中の散策道をトラバース気味に歩く、いったん林道に合流し、新しい砂防提の横から十三曲がりがはじまる。斜面の傾斜が急にきつくなる、ジクザクをきりながら、登っていのでそれほどきつくはない。それよりも、樹間からみえる海や海岸線がだんだんと変化していくことが楽しい、1時間近く登ると傾斜が緩くなる、樹木がなくなり、火山岩の岩山がみえてくる。観光用の駐車場からの登山道と合流し、火山岩の中をくねくねと登っていく、硫黄のにおい、黄色に変色した山肌など火山の山だ。その中で、エゾうさぎがみることができた。なんでこんな厳しい自然の中にいるのか不思議だ。昼も過ぎていたので、登山者はあまりいなかった。山頂は期待通りに三方が海の展望は素晴らしい、遠くに下北半島までみることもできた。函館に続く海岸線もよくみえた。山を下っていると雨が少しパラついてきた。バイクに戻り、急いでホテル恵風の温泉に逃げ込んだ。しばらく強い雨が降っているのが、温泉からみえた。この旅、初めての雨だった。温泉を出ると、うまい具合に雨がやんでいた。海岸線にある「水無海浜温泉」にも行ってみたが、残念ながら満潮で湯船が波に洗われていた。函館をめざして走る、雲行きがあやしく、少しパラついたが雨具は出さず走った。函館のホテルで連泊、洗濯する予定だったので、少々濡れてもいいと思った。函館山がみえたが、なかなか着かない。海岸線の道路も交通量が増えてきた。路面電車の走る大通りに出て、函館のホテルに暗くなる前に到着することができた。

 さっそく洗濯をして、その間に大浴場でゆっくりとお風呂に入った。乾燥機が止まるまで待てずに、夜のまちに出た。フロントで聞いた居酒屋で北海道の幸がいろいろ楽しめた。店を出て、少し歩くとジャズの看板が、ジャズバーがあった。入ってみたが、少し音楽の感じが違うので、一杯だけ飲んで店を出た。函館駅前のホテルのバーに行ってみることにした。ホテルの最上階にあるオーセンティックバー「トワイライト」、気さくなバーテンダーとお酒の話から北海道で働きだしたことなどを話した。自転車で旅をしたことがきっかけで、北海道で働きだしたということだった。常連の女性客も会話に入ってきて、その女性もIターンで今年から北海道で働きだしたと、こうした人がたくさんいるのが「北海道だ」と思った。明日も、来ること約束して店をあとにした。

8日 728日 函館

 きょうは、バイクをおいて、路面電車とバスで1日観光することにした。ます、函館駅前の朝市に朝ご飯を兼ねて行ってみた。コロナ禍で観光客は少なかったが、お店はやっていた。市場の中で海鮮ラーメンを食べた、カニ入りで風味があり、美味しかった。駅に戻り、「市電・函館バス1日乗車券」を購入し、バスで五稜郭をめざした。まずは、星をみたくて、五稜郭タワーに登った。独特なかたちの城郭は、インパクトがある。タワーの中で、函館・五稜郭の歴史、函館戦争、土方歳三や幕末の人物の資料があった。明治維新後にも2年もたたかいがあったことや新選組以外の土方歳三のことなど今まで知らないことがたくさんあり、勉強になった。そのあと、五稜郭を歩いてみた。星形は確認できなかったが、幕末にオランダから学んでつくられた城は、日本の城とは少しだけ違うところもあった。

 次に、となりにある北洋資料館、北洋漁業、捕鯨基地として発展した函館の歴史、もう失った歴史を留めよういう意図なのか、考えさせられるところだ。市電に乗り、終点の函館ドックまで行ってみた。観光地のはずれで、船員組合があったり、労働者が集いそうな食堂があったがせっかくの観光気分なので市電に乗って、倉庫街に戻ってみた、レンガ倉庫の内部が観光用にショップや飲食店になっていた。その中の「函館ビヤホール」に入り、カニ入りトマトパスタに、ワイン1杯、そこでも村上春樹の続きを読んだ。昼からは北方民族資料館に行ってみた。アイヌの衣装や装飾などの展示をみた、アイヌ文様の世界をみることができたが、何か、違う感じがした。和人が収集した資料館という感じ、略奪、制圧した歴史を思い出さざるをえなかった。

 旧イギリス領事館を見学、インテリアなど興味深い、坂道に面し、海を眺められるいい場所に外国人居留区があるのは神戸と同じだ、いくつかの教会の建物などをみながら散歩した。低い函館山にもガスがかかっていたので、夜の運行がある確認しに行ったが、心配していた通り天候不良で休止とのことだった。函館山の夜景は、今回はお預けになった。バスで倉庫街に戻り、4時から飲める海鮮の店に行ってみたが、休業日だった。市電でホテルに戻り、お風呂は入ってから出直すことにした。

 函館の2日目の夜は、ホテルのすぐ横にあった。気になる小さな小料理屋「兆治」に入ることにした。地元の人が通う、清楚な感じの店で、少し敷居が高かったが、勇気を出して入ってみた。下足を脱ぎ、中はカウンターで6席ほど、テーブルが1つの小さな店だった。料理は朝、仕入れた地元ものを使っているとのこと、もずくが太かったこと、ほや貝の酢味噌が美味しかった、究極は1350円のなすのあんかけだった。「なぜ、1350円」と思い、注文してみたくなった。ナスの中身をくりぬき、油通して戻し、その上に、あわび、ウニ、エビが入ったあんがかけられていた。納得の価格、味は最高、これぞ北の幸という感じだった。そこから、昨日行った、バートワイライトに行った。昨日と違い、客は少なく、静かな夜だった。

9日 729日 函館、ソーラン追分街道、積丹ユースホステル

 きょうは、移動日だ。330キロを走って積丹半島余別まで入る。昨日が、この旅、一番の不安定な天気だった。台風が珍しく、東北から上陸し、日本海で低気圧になっていた。荷物を満載の250㏄のオートバイは風に弱い、太平洋側を走るか、日本海側を走るか、迷ったが天気図からは東風が強そうなので、予定通りに日本海側のソーラン追分街道を走ることにした。松前半島も行ってみたかったが、松前半島をショートカットしても高速なしで300キロを超える走行なので、国道227号線で中山峠を越えて江差をめざした。函館市外に出ると、もう何もない、次第に山に近づき、峠越えの道となった。中山峠のトンネルを抜けるとどんどん下る、日本海に突き当たり、国道229号線、通称「ソーラン追分街道」を海沿いに北上する。海岸線を町のない街道を走る、途中で「229号線崩壊で通行止め」という看板にびっくりしたが、内陸に少し入った迂回路があり、なんとか海岸線の229号線に戻ることができた。

 しかし、何もない、海と山、昼食をとるお店もなさそう、お昼過ぎに北海道のコンビニ「セイコマート」をみつけ、「ここで買っておかなければ」と思い、まだあたたかい「かつ丼」を購入、コンビニ前で食べようと思ったが、せっかくの海岸線のツーリングなので、少し走って海を見ながら食べることにした。そこから30分も走らずに、平浜海水浴場に出た。駐車場にバイクを停め、砂浜まで降りて、海を見ながらかつ丼を食べた。

 午後からも海岸線のカーブ、アップダウンの多い道が続く、空模様が少し怪しくなり、風も強くなってきた。北檜山から寿都のあたりでは、「雷雨注意」の道路標示が、雨には少しだけ降られたが雨具をつけるほどではなかったが、風はやばくなってきた、40キロくらいに減速するもかなりフラつく、寿都でガソリンスタンドをみつけ給油、このまま走っていけるか、天気予報を確認すると、今いる寿都は風速8mで、これから先すすむ岩内は3mになっていた。翌日、カヌーガイドに教えてもらったが、寿都は山が低く、東風の日には太平洋から風が抜ける通り道で強風が吹くことで知られているらしい、少し走れば風はおさまるとの情報を信じ、ゆっくりとすすんだ、天気予報通りにだんだんと風が弱まり、70キロくらいで巡航できるようになった。岩内市街を抜けると「雷電国道」、積丹半島に入る、山が一段と迫り、岩壁の下を走る 昨年、歩いた見覚えのあるカムイ岬が見えてきた、カムイ岬の下のトンネルを抜け、もうひとつトンネルをくぐると余別の集落に入った。信号で止まると、正面に「積丹ユースホステル、角田旅館」があった。きょうも暗くなる前には到着することができた。

 積丹ユースホステルのおかみさんは、明るく気さくな方だった。お客は、仕事で滞在している人と自分だけ、広い和室を一人で使わしてもらった。夕食のオプションには生ウニ、焼きウニ、粒ウニが各1,000円だったので、きょうは焼ウニ、明日、生ウニを注文した。息子さんが漁師をやっていて、獲ってくるものを出してもらえるらしい。夕飯は、焼き魚、春に積丹岳に取りに行った笹竹のタケノコなどすべて地元のもので、品数も味も最高だった。これで6,200円は安い。

10日 730日 積丹岬・島武意海岸、カムイ岬・シーカヌー

 早起きの習慣が抜けない、5時には目が覚めたので、バイクで積丹岬まで行ってみることにした。30分もかからずに、岬の駐車場に着いた。ところが、ヒグマの目撃情報のため岬への遊歩道が立ち入り禁止になっていた。それでも島武意海岸の展望台へのトンネルは通行できたので行ってみた。人がやっと通れるくらいのトンネルを抜けるといきなり絶景が待っていた。崖上からはブルーに透き通った海、海に突き出た岩山、眼下では小舟でウニ漁をしている漁師さんもいた。展望台から海岸まで、階段の道がついていたので降りてみた。海辺からみる景色はまたちがうものがある。本当にきれいな海、切り立つ崖、岩、シラク伝説が伝わる海岸だ。

 朝の散歩を終えて、宿に戻り、7時半から朝食、朝から卵焼きにもウニが入っている。さすが漁師の宿である。味噌汁に入っている海藻も美味しい。9時前に、積丹カヤックの西村さんが迎えにきてくれた。「きょうは、なんとかカムイ岬の下までいけそうな天気です」と言われた。昨年、カムイ岬から真下の「積丹ブルー」の海にシーカヤックをみたことが、今年の旅の始まりだった。「あのブルーの海をカヤックで漕いでみたい、カムイ岬を下からみてみたい」、その思いが、2年連続の北海道の旅になった。しかし、予約した時に、「カムイ岬の海が荒れることが多く、101度くらいしか、行けるチャンスはないのでだめと思っていてください」という返事だった。しかも日本海には台風が、低気圧に変わったまま動いていないので、「多分、無理だろう」と思っていたのに、「きょうは、行けそうです」の言葉はうれしかった。スタート地点は一つ先の海岸だった。シーカヤック2艇を車の上から降ろし、結構な荷物を海岸まで運んだ。シーカヤックは久しぶりだったが、4日前にリバーカヤックに乗っていたので、きょうは説明抜きでいきなりスタートさせてもらった。ラダーの付いているカヤックで快調に海に漕ぎ出す。カヤックからしか見られない景色が次々と現れる。カモメのヨチヨチの赤ちゃん、絶壁の巣から飛び回る海燕、みどりの崖、海に突き出た大きな尖った岩、その真下を漕ぎすすむ、ひとつ岬を回りこむと遠くにあのカムイ岬、その先にはカムイ岩があった。途中でウニ漁をしている漁師さんにあいさつをして、カムイ岬の下に、カムイ岩の先まですすむとうねりが強く感じる、寿都から吹き込んでくる風の影響を受けやすいようで、カムイ岩をひとまわりして、カムイ岬の下で少しゆっくりした。そのあと岬の海岸にも上陸してみた。上には遊歩道を歩く観光客がみえた。

 もう一度、カヤックを出し、磯の奥に少し浜があるところに上陸した。ランチタイムである。コンロや食材などをカヤックから出し、運ぶ、ガイドの西村さんが準備をしている間に、ひと泳ぎした。競泳用のメガネが役立った。海は意外にもあたたかい、尻別川の冷たさとは違い、ぬるいくらいの感じだった。透明度はあったが魚をみることはできなかったが、カモメのひながすぐ近くを泳ぎまくっていた。ガイドの西村さんが調理をはじめる、アボカドの果肉をスプーンですくいとりソースをつくって、トマトを刻んだものなどをタッパから取り出した。カセットコンロにのせたフライパンに焼いてきたタコスを次々とのせてくれる。それをいろいろな野菜、ソースにくるんで食べる。軽い食感でいくらでも食べられる。西村さんのツアーは、いつもランチは手作りタコスだと言う。「お客さんの好みが違っても対応できるし、旅行中は野菜があまりとれていないだろうから」と説明していただいた。コーヒーもいただき、最高のランチとなった。

西村さんが携帯で気象状況を確認すると「カムイ岬の風力計が8mの風を観測しているので、早めに帰りましょう」と言われた。少し残念ではあったが、旅の目的だったカムイ岬をシーカヤックで漕ぐことができたので、気分よくスタート地点に戻っていった。風が強くなり、向かい風にもなったが、苦労せずに着岸できた。カヤックを車に積んでから、「時間が早いので、カムイ岬を上から行ってみますか」と言われ、行ってみることにした。岬の駐車場から岬の先端まで20分くらいアップダウンの登山道のような道になる、岬の見えるところまで行き、さっきまでいた海を確認して、シューズがマリンジュースだったのでそこで引き返すことした。

宿には2時過ぎに到着し、ガイドの西村さんにあいさつをしてわかれた、時間が早かったので、ビールも飲みたいので、余別の集落にある海鮮味処「新生」に入ってみた。あわび刺しが1,800円、生ビールと一緒に注文した。大きなあわびを運んでいた子が、「お客さんはどこから来たんですか」と聞くので、「大阪」というと、「私も住んでました」と、どうも岡山から大阪の大学に来ていたらしく、この夏は、岡山から手伝いに来ているという話だった。美味しいあわびと生ビールに、久しぶりに若い女性と話もできた2回目のランチのランチも楽しめた。

夕飯は、ほっけのフライなどの魚料理と生ウニの御馳走だった。ゆっくり一人食堂で飲んでいると漁師の息子さんが帰ってきて、「少し一緒に飲んでいいですか」と言って、出来立ての粒ウニを出してくれた。獲ったウニを加工して瓶詰にして販売しているようで、これはこれで美味しかった。結局、3種類のウニを堪能できた。




11日 731日 積丹岳登山、ニッカウィスキー蒸留所、小樽 

【積丹岳:林道口8:25-休憩所9:00-山頂11:30-林道口14:10 

きょうは、積丹ユースの朝ごはんをいただいたあと、支度を整え、積丹岳をめざした。ガイドの西村さんからの情報では、「林道は途中からダートでかなり荒れている」とのことで、グーグルマップでは国道から登山口まで1キロ程度なので、舗装道路の終わるところにオートバイを停め、あとは歩いての登ることにしていた。国道から左折し、1キロ近く入ったところで舗装は終わっていた。予定通りにそこにバイクを停め、歩くことにした。ところがすぐに休憩所のある登山口と思ったのに、なかなか着かない、40分も林道を歩いてやっと駐車場のある登山口についた。でも、林道はかなり荒れていたのでロードバイクであがらなくて正解だった。そこからは。深い森の中の登山道、笹も茂っているがきれいに刈り込んでくれている。地元の方々の努力なしにはローカルな山は登れない、ありがたいことだと思った。それにして、ヒグマが怖い、時々、笛をならし、登っていった。展望がまったくない登山道だった。2時間くらい登り、少し遠くが見えると思ったら、ガスに包まれていた。まったく展望のない、笹に覆われた山を3時間近くかけて、やっと山頂に立ったが深いガスの中だった。ほんの少し眼下の原生林をみることくらいで、日本海も、すぐとなりにあるはずの余別岳すらみえない、苦労して登ってきて、「これだけ」との思いが・・、「登山の目的、楽しさとは何なんだろうか」と自問しながら下山を急いだ。林道を思ったより余計に歩いたので、ニッカ蒸留所の午後3時の予約時間に間に合わかギリギリだった。バイクに戻り、大汗をかいたシャツだけ着替え、ナビでみると到着予定時間は255分、取りあえず走ってみた。結果は、257分にニッカ蒸留所に到着した。ガイド付きの見学コース1時間、ウィスキーの作り方、ポット、貯蔵庫など説明を聞きながら見学できた。ウィスキーの勉強になった。残念ながら試飲は、ジュースだけになったけど、美味しかった。

 小樽への国道沿いにある日帰り温泉で汗を流し、新日本海フェリー乗り場まで無事に走れた。バイクは乗り場において、郷土料理おおとみまで行き、夕飯を楽しんだ。ご主人が、旅の無事を喜んでくれた。フェリー乗り場への帰りには、商店街でジャズのストリートコンサートをしていた。コーヒーを飲みながら北海道最後の夜を味わった。

 

12日 81日 フェリー、舞鶴、自宅

 フェリーの旅の楽しみは帰りも同じ、朝からワイン、ランチはフェリーのレストランで食べた。夏のフェアで、冷やしラーメンサラダ、カルパッチョ、北海道産のじゃがいもスープというメニューに魅かれた。最後まで北海道の味を堪能することができた。帰りのフェリーで、村上春樹の「女のいない男たち」の最後の短編を読み終えた。終わってしまえば、旅の目的などはどうでもよく思えた。旅する時間が崇高な時間だったことが記憶の深いところに留まっていた。

  

1日 721日 自宅―舞鶴港 19:3022:20 23:50出港 道間違いのため

150キロ(128キロ)

2日 722日 ―小樽港 20:45 おたるバックパッカーズホステル杜の樹

           おおとみ、バーHATA 5キロ

3日 723日 小樽 10:00―富良野-太陽の里 16:00 180キロ

4日 724日 太陽の里-芦別岳-太陽の里14:00-支笏湖 17:30  150キロ

【芦別岳:4:50-半面山7:50-山頂9:15-半面山10:2013:00

5日 725日 樽前山-12:00-俱知安15:00 スマートホテル俱知安 90キロ 

【樽前山:5:30-外輪山6:20-西山7:00-東山8:449:25

6日 726日 俱知安-リバーカヤックH20:尻別川カヌー15:30-東大沼キャンプ場18:30 160キロ

第7日 727日 駒ケ岳-東大沼キャンプ場9:00-縄文文化交流センター-―恵山-ホテル恵風16:30-函館18:00 80キロ

【駒ケ岳:6合目5:35-馬の背6:356合目7:25

【恵山:11:20-分岐12:40-山頂13:1515:15

8日 728日 函館観光

9日 729日 函館9:00―積丹半島17:00  積丹ユースホステル  330キロ

10日 730日 積丹半島・シーカヌー 積丹カヤックス 西村

11日 731日 余別8:00-積丹岳登山-―ニッカウィスキー蒸留所15:00-小樽 23:30 80キロ
 【積丹岳:林道口8:25-休憩所9:00-山頂11:30-林道口14:10

12日 81日 -舞鶴港 21:15―自宅 23:45 130キロ

                 バイク走行距離1,205キロ