八甲田のパウダースノーを満喫(2015211日から15)

 昨年に続き、八甲田山の厳冬期の山スキーに挑戦、今回は大阪・兵庫労山の仲間7人での賑やかなツアーとなった。

初日は、午後から足慣らしに八甲田山スキー場に行く。4ルート全部を1本ずつ滑り、天気がいいのでゴンドラにも乗ってみる。コースとは思えないふかふかの雪を楽しみながら、フォレストコースを滑る。途中で写真を撮ったり、休憩していたりしたら午後3時を過ぎてしまい、もう一本、ゴンドラと思ったが時間切れだった。

酸ケ湯温泉は、女子3人組は湯治棟だが食事付き、男子4人組は湯治棟で自炊だった。大阪から空輸した食材(手荷物で)で、ちゃんこなべを楽しむ、しめにはラーメンを投入する。温泉は、スキー後は玉の湯で汗をせっけんとシャンプーで流す、寝る前にゆっくり千人風呂を楽しむ、朝は6時から朝風呂を楽しむという湯治生活がはじまった。

2日目は、酸ケ湯のガイドツアーに参加する。午前中は八甲田温泉ルートだった。10時5分出発し、標高1330mの田茂泡岳のピークまでつぼ足であがり、そこから少し滑走して鞍部でシールを着け、まきぎみに尾根を越え、ドロップポイントへ、そこでシールをはずし、いよいよ滑走開始、午前11時24分、いきなり急なバーンでうまく滑れない、それでもなんとか滑ると樹林帯に入り、傾斜が落ちるとだんだんと楽しさが沸く、12時27分に標高603mの外周の道路に出るとマイクロバスが待っていた。午後は、銅像コースだった。頂上から少し滑走し、シールをつけずにカニ足を駆使して、まきながらドロップ地点へと歩きが続く、午後2時20分に出発し、ドロップ地点は3時7分だった。約430mの標高差の滑走がはじまった。転ぶこともなくなったが、ターンを楽しむところになかなかいかない。やはり後傾になりがちかな?

3日目は、冬型が強まり、天気予報は暴風雪、予報通りの大荒れとなり、風速25m以上でゴンドラが止まり、ツアーは中止かと思いきや、「ハイクアップ2時間、滑り20分のお散歩ツアーをします。どうされますか?」とのこと、一旦は青森観光に傾いたものの、女子組一人が「参加します」と言ったので、自分もつられて「参加」とした。1人はゲレンデ、4人は青森観光、2人がガイドツアーになった。

ツアーは、ゴンドラ乗り場からスキー場を登りはじめ、フォレストコースへ、コースを左手にみながら、緩やかなブナ林を登っていく、一緒にいったK女子は「もくもくと登り続けるのもいいですね」との感想、休憩をはさみ、1時40分のハイクアップ、50人の申し込みも、ゴンドラ運行中止で29人になったもののみなさん好きな方ばかりです。フォレストコースの中間点の看板の前を横切り、しばらく行ったところからドロップの準備に、981m地点から北西に610m地点まで、緩やかなブナ林の中を滑走する、わずか15分だったが、素晴らしい景色を楽しみながら、パウダースノーを満喫できた。銅像コースへの車道の分岐点近くでマイクロバスにピックアップされ、そのまま酸ケ湯温泉へ、昼ごはんは、K女子とレストラン「ぶな林」でスパゲティーとピザ、生ビールを2杯堪能し、あとはゆっくり温泉に入った。この日は、湯治部の夕食を7人で楽しく囲んだ。

4日目は、すごい吹雪だったが、風速24mでぎりぎりゴンドラは運行していた。頂上駅を出るとすごいブリザード状態、気温マイナス9.6C、体感温度はマイナス30C近くか?視界は10mくらい、それでもガイドツアーはすすみます。ダイレクトコース入り口のやや硬い急な斜面を列を成して滑降、視界不良でツリーホールにはまる仲間が続出、しかし、一段滑降すると、樹林帯入り、これまたパウダーの世界に、ナナト沢(?)からY沢、下部でフォレストコースに入った。ちょうどゴンドラの下を横切った感じだった(あとでGPS軌道で確認)、この日は、午後も同じ入りをして、ちいさい沢の午前は右岸を、午後左岸を滑降し、Y沢からは同じルートだった。午前はゴーグルの内部に雪が入り、滑りに集中できず苦しむ、午後はゴーグルをきつめにしたら雪が入らず、新雪を楽しむことができた。

5日目は、まだ荒れている感じだったが、山頂から少し下ると風もなく、視界も開けた。銅像コースに入る、視界があるためか、パウダースノーを満喫する、浮遊感を感じながらのショートターンにも挑戦できた。やっと慣れてきた感じなのに、この午前の1便で帰るのが残念だった。温泉に戻り、荷物整理に追われ、温泉は体を洗うだけになったが、なんとか夕方の飛行機に間に合うようにタクシーで出発すると、なんと欠航のメールが、新幹線で大阪に帰ることも検討したが、「どうせお金を使うなら、青森でもう一泊して、おいしい寿司を食べよう」ということになり、駅前いろは旅館、2300円にお世話になり、一八寿司で造りの盛り合わせ、白子焼き、地物すしを食べて、ぜいたくな八甲田ツアーを締めくくった。翌朝の便で大阪に、ひとりだけ八甲田に、1週間居座るうらやましい仲間もいた。

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