2014年夏 北海道の旅  その3

雨の雌阿寒岳


5日目
7
22日(火)幌尻小屋−オンネトーキャンプ場

 きょうは、ゆっくり目の出発である。バスは11時を予約していたので、早く下山しても待たされるだけである。とは言え、いつまでも寝ておれずに、5時過ぎには起き、ゆっくりと朝食をとった。朝からレトルト・カレーだった。「結構いけるな、朝からカレーいいかも」と思った。コーヒーも楽しみ、一番最後に出発したが、歩き出すとついついペースが速くなる、沢を下りきると10数名の同じバスをめざす登山者の一番前になっていた。取水施設で沢シューズからアプローチシューズに履き替える。ついで、昼寝を楽しんで時間調整をして、嫌な林道歩きとなった。シャトルバスにゆられて12時前に、とよぬか山荘に到着した。バイクの前に、また、荷物を全部広げて、荷づくりして、出発した。だんだん荷づくりにも慣れてきた。

 単車で走り出し、路面の悪い道から国道237号線に戻った。そこから北に向かい、すぐに、日勝峠へ向かう国道274号線と交差した。そこを右折し、ラーメン屋をみつけたので、昼ごはんにした。おいしい塩ラーメンを食べることができた。そこからは、峠をめざし、走る、それほどの急な峠道ではなく、よく整備された緩やかなカーブが続き、トンネルを抜けると、広大な帯広平野が視界に飛び込んできた。下りも緩やかなカーブで、快適に飛ばすことができた。帯広平野に下り、そのまま274号線をすすみ、鹿追経由で、オンネトー湖をめざした。鹿追町の道の駅で買い物をした。今晩のメニューは、そこで冷凍の羊肉のジンギスカン(北海道でも、豚、牛と選べた)とニラ、しめじ、トマト、きゅうりと行動食用にパンを買った。コンビニでさとうのごはんと朝カレーを買いたし、キャンプ場に向かう。

 鹿追は、平原にまっすぐに伸びた道をひたすら走る、農場が点々とあるだけで、なにもない単調な道だ。でも、大好きなところである、今回で3度目になったが、忘れられない風景である。士幌町で足寄国道に交差する。北向かうが、温泉の看板をみつける。雲行きがよくない、時間も押しているので、3日間の山行の汗を流しておけば、あとは、ライダーハウスでも、キャンプ場でもOKだと、少し寄り道をして上士幌町の市内にある上士幌町健康プラザに寄った。中は、意外に広く、いい温泉施設だった。そこで泊まるところを考える。天気は雨に向かっているので、ライダーハウスに逃げたいところである、足寄の先には一軒あるが・・・、次の行程を考えると予定どおりにオンネトーキャンプ場かで迷うが、せっかく買ったジンギスカンを考えると、確実に食べられるキャンプ場を選ぶことにした。しかし、事前に調べた走行距離はかなり短めに間違っていたことがわかった。夕方には着けそうだが、かなり先が長そうである。

再び、足寄国道を北にむかった。足寄町には文化ホールみたいなものが国道沿いにあり、松山千春の歌が流れていた。それを過ぎて、いよいよ阿寒湖に向かうために右折し、国道241号線に入った。牧草地から山道へとなり、人家もなくなった。ようやくオンネトー湖の看板を見つけ、右折、目の前に雌阿寒岳が聳え立っていた。立派な活火山らしい山容である。明日の登山が楽しみになり、単車を止めて、写真を撮った。オンネトー温泉は、3軒くらいの旅館が寄り添った山の湯だった。入りたかったが時間がなく、キャンプ場に向かう。湖の見晴らしのいいところで写真を撮った。これがいい景色をみた最後になってしまった。キャンプ場には、夕闇迫る午後5時過ぎに到着した。下山後に、255キロのツーリングは少しハードだった。

オンネトーキャンプ場は、湖畔の林の中に広がる素晴らしいところで、20年前に一度来ているが、泊まらなかったので、やっと念願がかなった。しかし、あまりに疲れていたので、一番手前のテーブルのそばに、テントを張り、夕食にした。ジンギスカンを堪能し、よく飲んだ。夜、テントを打つ雨音に目が覚めた。天気予報どおりに雨になった。  

6日目
723日(水)オンネトーキャンプ場−雄阿寒岳−羅臼

 昨日からの雨は、まだ、完全にやんではいなかった。きょうも、朝からカレーでエネルギー満タン、しかし、霧雨状態が続く、沈殿にするのか、迷うがこのままこの黄色の一人用テントに一日いるのはたいくつに感じた。黄色がどうもよくない気が前からしている。たいした雨でもなそうなので、雌阿寒岳アタックをすることにした。雨具を着てスタート、雨なので電子機器はすべておいていった。(カメラもおいていってしまった)

 スタートは、北海道の黒い森の中の平坦な道を行く、エゾ松や針葉樹林の巨木があった、そして、その根もとにはたくさんの倒木もある。厳しい寒さの中で倒れ涸れる、それでもそこから新しい木が育つ繰り返しここでもされていた。1時間ほど歩くと緩やかな尾根に登っていくようなトラバース気味の登りとなった。雨は気になるほどではなかった。3合目を過ぎて休憩をした。

すぐに4合目、7合目あたりに来ると植生は灌木帯に変わり、火山性のガレ場もでてきた。阿寒富士との分岐も過ぎるが、視界はまったくない。静かな山登りが続く、誰一人とも会うことがないのかもしれない。

 いよいよ雌阿寒の本峰の急な登りにかかる、火山の特有の木立もないガレ場だった。コマクサが群生して咲いていた。こんな栄養も、水分もないところによく咲くと思うが、これがコマクサの育つ条件であると考えると不思議である。

視界は30mくらいか、風もでてきた、やがて稜線上に近づいたのだろうか、傾斜がなくなり、トラバース気味に登っていく、すでに火口壁の上を歩いているのだろうが、何もみえない。突風に身構えながら、登る。突然、霧の中に人影がみえた、オンネトー温泉から登ってきた外人カップルだった。すごく元気がいい、「こんにちは」と日本語で言われた。彼と一緒になり、すぐに、頂上にたった。しかし、予想通り何も見えない、火口湖も、すぐとなりにあるべき阿寒富士もまったくみえない。ガスの動きが速いが、切れそうにもないので、外人さんの写真を撮ってあげて、そうそうに下山することにした。

 途中で、すごい勢いで下りてきた外人カップルに道を譲った。8合目過ぎたあたりで、一瞬、ガスが切れかかり、阿寒富士の斜面が少しだけみえたものの全容はみせてくれなかった。また、黒い森へと戻り、オンネトーキャンプ場に戻った。

 雨はやみそうでやまない、停滞も考えたが、まだ11時前だったので、テントを撤収し、少し、腹こしらえをして、バイクで移動していくことにした。目標は、羅臼のライダーハウス「熊のはいった家」にした。コインランドリーがあるからである。山行の服を使いきってしまったし、このあたりで洗濯をして、後半戦に備えたいところであった。しかし、夏の北海道の雨の中のツーリングは辛い、長袖を着て、冬用ジャンバー、ゴアの雨具を着ていても寒い、阿寒湖はスルー、弟子屈町に抜けるための山道、二葉台も路面が濡れているので、ゆっくりと走った。まだ先があり、転倒するわけには行かない。四輪にあおられながらも、無事、弟子屈に着いた。しかし、全身ずぶ濡れで、食堂にも入れないので雨の中を走り続ける、聞いたことのない町をいくつか通過していく、原野や牧草地が広がる、地平線の見える展望台もある。それでも時々、タウンがあり、そこでセブンイレブンをみつけて、昼休憩にすることした。昼は、豚まん、クリームグラタンバーガーをチンしてもらい、100円のホットコーヒーを店の前で立ちながら食べた。

 中標津町、標津町に辿り着き、道は平原から、海岸線ぞいの道へとなった。標津ではお祭りをやっていたが、雨でかわいそうだった。いよいよ知床半島に入る、風もあまりなく、快適に飛ばす。羅臼の街は、思っていたより小さく寂れていた、山も迫っているので、国道沿いにまばらに家が建っているだけだった。しかし、半島に沿う様に漁師の家だろうか、点々ではあるが長く続いている。羅臼漁港は大きかったが、あまり人気はなかった。観光船もあったが、どうみても漁船としか思えなかった。

 漁港過ぎても、同じような家並みが続く、目的のライダーハウスは町よりさらに岬よりとは思っていたが、結構、遠い、「なくなったのかな」と不安に思った時に、ライダーハウスの旗が見えた。広い敷地に入り、声をかけると気さくそうなおかみさんが出てきた。「予約をしてないが泊めてもらえるか」と聞くと、「どうぞ、今一人だけお客さんいるだけ」とのこと、宿泊代は1,000円、コインランドリーもOK,、シャワーも500円で使えるとのこと、濡れた身体を一刻も早くあたためたいのでお願いした。食事も1,100円で定食なら出せるということなので、こちらもお願いした。

 おかみさんから、洗剤も出してもらい、洗濯は完了、乾燥は2回分けて、これも終了、シャワーは家庭用ユニットバスで少々とろかったが、まずは、身体をあたため、着替えして落ち着くことができた。

 寝床は、元漁師のお宅なので、漁業用の倉庫の2階にたたみを引いただけだったが、広くて快適、ふとんや毛布も使えた。夕飯は、母屋の食堂で、ホッケの開き、ぶりの刺身、わかめの酢の物、貝の汁など豪華でないけれど、魚がたくさん使われた漁師のまかない食みたいでとってもおしかった。ビールに、羅臼の焼酎「グランブルー」もいただき、昼間の雨の中の辛いツーリングがうそのような夜だった。食卓には、岩手と愛知からのライダーも同席し、ツーリング話しに盛り上がりあった。お客は、若いチャリダー1名を入れて計4名だけだった。


2014北海道の旅 その4に続く