越後三山縦走(2012818日から21)
818() 上野−新潟−長岡
819() 長岡−浦佐駅−里宮6:50−千本桧小屋−大日岳12:00−オカメノゾキ−ビバーク16:50
820日(月)ビバーク4:45−中ノ岳8:00 9:00−越後駒ケ岳13:00−駒ノ小屋14:00821() 駒ノ小屋6:00−小倉山−駒ノ湯−大湯11:00−小出駅−長岡駅−夜行バス−大阪

 越後三山縦走は、高校生の頃からの憧れだった。深田久弥さんの百名山が、いまほど有名でなかった30年前に、深田さんの著書の『わが愛する山々』の浅草岳や守門岳の山行記録などを読み、越後の山々への憧憬がはじまった。今回、百名山を踏破する計画では、越後駒のみのピストンの計画を考えたが、忘れていた昔の憧憬を思い出し、どうしても三山縦走したくなり、単独行で実行したのが、今回の山行だった。

 前夜のうちに、浦佐のビジネスホテルに入る予定が、上野で旧友と飲みすぎ、上越新幹線を終点まで乗り過ごしてしまい、長岡駅までにしか戻れなく、ホテルも満杯で、駅のバス停でいきなりのビバークとなった。久しぶりのステーションビバークで、硬いベンチであまり寝られず、深酒の体で、始発で浦佐駅へ、タクシーで大倉登山口・里宮に午前640分に着いた。予定より2時間遅いスタートだった。ロープウェーや八海山に近いルートを避け、あえて一番、古そうな、かつ、低い標高からの登山口を選んだ。完全縦走への拘りだった。しかし、予想していたとはいえ、いきなりの急な長い尾根の登りとなった。地元の方の信仰のあらわれか、たくさんの石碑があり、道もよく整備されていた。急な登りの分、どんどんと高度を稼ぐ、高く聳えていた反対側の山がすぐに見下ろすようになった。順調なペースでロープウェーからの道に合流できた。ここは、ハイキングを楽しむ観光客が多かった。その元気な何人かに抜かれ、少し動揺をした。深酒か、寝不足か、暑さのためかペースが下がってきたようにも思えた。それでも、1時間程度コースタイムを短縮して、標高差1400mを登り、薬師岳、千本桧小屋に着いた。ここは水も売っているくらいの粗末な小屋で、有料小屋とは言え、あまり泊まりたいとは思えなかった。小屋前からの景色は見事で、これから縦走する山がすべて展望できた。ダイナミックな縦走にわくわく、どきどきした。

 縦走してきた登山者をみつけ、中岳避難小屋や水場の情報を得て、縦走へのめどが確認できた。しかし、時間の短縮を考え、八海山の岩場の8つにピーク、鎖場は迂回し、月ノ池にザックをデポして、空身で山頂をめざした。大日岳のひとつ手前の剣ガ峰で、自分の山頂と決め込んで、ザックのところへ戻った。縦走路は崩壊して通行禁止と表示されていたが、自分で確認したかったので、そのまま進む、10m崩壊していたが、すでに横に新しい踏み跡があり、そこから縦走路に出ることができた。いよいよ中岳をめざして、長い下りとなる。標高差もあり、距離もある感じ、快調に飛ばしているつもりだが、いっこうに最低鞍部に着かない、それどころか現在地も判別しにくい、コースタイムの時間を歩いても目標の荒山やオカメノゾノゾキにつかない、鞍部に近づくにつれ、小ピークが次々とあわれて、岩場があり、時間と体力が奪われていく感じ、中岳避難小屋へは標高差800m超える登り返しがあり、日没までにたどりつけるか、厳しさを感じはじめる、やっと「荒山」の表示があった、しかし、とっくに通り過ぎていたと思っていたので、現在地が大きく修正され(後戻り)、まだ、最低鞍部まで時間がかかりそう、到底、小屋につけないかなと思いはじめると体が急に重く感じる。時間はすでに午後3時、歩きはじめて8時間を超え、暑さもあり、バテ気味、もう心は折れそうになり、歩くのをやめたくなった、いったん、鞍部で「ここでビバーク」と決めたが、明日の行程を長く残すのも気持ちが重たい、日没までには十分時間があるのでもう少し前進をしようと再び歩きはじめる。ゆっくりだが、ペースを乗り戻し、いよいよ登り返し、思っていたよりかなりの急登で、しかも、道が悪い、下草も茂り歩きづらい、バテた体でこれをあと3時間続けるのはいよいよ無理と思い、完全にバテる前にビバーク地を決め、夕立などが来る前に食事を終えるために午後450分少し早めに行動を打ち切った。急斜面の中の少しほんの2mほどがれた視界のある斜面だった。(もう一歩も歩けないほど疲れていたので、目標にしていた最初のピークを断念しざるを得なかった)

 酷暑の中で10時間、ほとんど食事もしない中で歩いた、コースタイムは中岳まで古いアルパインガイドで12時間30分だったが、下山してエリアマップで調べたら15時間以上あり、道は破線だった。下調べの不十分さ、暑さなどの考慮不足のビバークだった。2万5千の読図では、なんとか10時間で歩けると思っていたが、実際には道が悪いこと、地図にでていない小ピークが鞍部に無数に連続していて、時間がかかったことが誤算だった。読図の難しさも勉強になった。疲れすぎていて、ご飯はあまりのどを通らなかった、半分程度を水で流しこみ、体力の回復を期待した、水はビバークに備え、4Lを持参していたので、なんとか明日の午前まであり、これは安心だった。心配していた夕立はなく、満天の星空の下で、上下の軽ダウン、雨具、ツェルトに包まり、たったひとりの夜明かしだった、1時間くらいうとうとし、目覚め、星を眺め、また、1時間寝ることを繰り返す、下界の町の明かりもはっきしとみえるが、半径10k以内には自分以外だれもいないと思うと不思議な気持ちだ、時々、風の音に熊ではないかとびくつくこともあったが、意外と心細さはなかった。目の前の八海山の雄大な景色を楽しめたが、北西の斜面にいたために夜明けの空の変化は楽しめなかった。しらみはじめた4時すぎから、コーヒーを沸かし、少しバーなどを食べ、荷物を整え、出発の準備をした。

 ヘッドランがいらない明るさになった午前5時前、行動を再開する。なくなった体力は、疲れは感じているがなんとか回復している。ゆっくりだが確実に登り返しに、トライできた。2ピッチで御月山を越え、川を渡るところに辿りつけた。待望の水場だ、水たまりがあった、はしって行くとわずかだが流れていて、すごく冷たくておいしい水だった。また、水を満タンにして中岳頂上をめざした。ビバーク地から3時間をかけて中岳避難小屋に着けた。やはり昨日の体力では無理だったと思った。そこで、昨夜のご飯を雑炊して腹ごしらえをして、コーヒーも飲み、ビバークで疲れた体を十分に休めてから、頂上に行った。越後の山深さを実感させる景色だった。

 リフレッシュした体で、快調に下る、「きょうも登り返しがあるが300mほど」と思っていたが、きょうも鞍部で時間がとられる、越後三山の特徴なのだろうか、谷に無数のヒダのようなしわのような尾根があり、そこから発達した小ピークが鞍部に連続する、地図上ではフラットになっていても、実際には10mほどの登り下りの岩場の連続である。それでも根気よくすすむ、アルパインガイドのコースタイムはここも無理があったようで、そのずれにやや疲れを感じたが、午後1時には越後駒ケ岳山頂に着くことができた。厳しい登り返しのあとには、なだらかな山肌にはお花畑が待っていた。ハクサンフウロがたくさん咲いていて癒された。眼下には駒の小屋もみえる。山頂で30分ほどゆっくりしてから小屋にむかった。

 小屋に着いたのは午後2時だった、下山できるとは思ったが次に移動するには厳しいかったので、12日の三山縦走、巻機山への連続山行はあきらめ、駒の小屋泊まりとした。最高のロケーションの小屋だった。避難小屋に番人がいるだけだったが、小屋前には雪渓から取っている水、冷えた缶ビールもあり、最高だった。夕日の中で、小屋前の広場での晩酌はおいしかった。しかも小屋番の人と越後の山の話も聞けた。ひとりなので、特等席も使わしてもらった、なんと日の出が小屋の中で寝ころびながらみられる窓際の狭いスペース(個室みたい)の寝床もよかった。2日間のビバークのあとだけに格別のベットだった。翌朝は、窓から深いブルーから移り変わる空の色を楽しみ、日の出もみることができた。苦しかったが三山縦走だったが、やはり山はいいなと思った。

 快適な個室で朝食をとり、食料は完食、ゆっくりとスタートしたものの足取りは軽く、あっという間に小倉山に、そこからは急な尾根の下りとなったが、なんなく駒の湯へ、残念ながら日帰りの湯はやっていなかった。舗装道路を路線バスのある大湯まで1時間歩いた、しかし、最後の難関は、風呂になかなか入れない、昼どきだったので、どこのホテルも掃除などでだめといわれ、クアハウスは定休日、電話帳をめくり、地元の人に聞き、やっとみつけたのがホテル大湯、温泉街の一番はずれ、温泉に入るための最後のひとあるきとなった。ブナの木立がみえる温泉を貸切、風呂上りにロビーでいただいたビールは最高だった。

 路線バスで小出駅へ、さらに長岡駅に出て、居酒屋で夜行バスを待ち、大阪に帰った。

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