谷川岳から錫杖岳2・3間リッジ登攀へ?20118月14日)

 このはな山の会の夏の第2弾の山行を谷川岳一の倉沢クライミングとして、取り組んだ。今回は、会のメンバー3人と他の会の労山のメンバー4人の7人で行ってきた。大阪から630kを走り、午前8時には谷川岳ロープウェー駐車場に到着、今年からマイカー規制の期間の拡大に伴い、ジャンボタクシーが乗り合いバスとして一の倉沢出合まで走っていたので、これに乗車する。9人定員で臨時はなしの並んだ順ということだった。我々7人が陣取ったために、次の観光の4人連れのお客さんは2人しかのれなかった(ごめんなさい)、とは言え、ベースまでタクシーに乗るつもりでクーラーボックスにビールを満載、スイカまで持っての楽しい入山だった。
 9時のバスで、925分には一の倉沢に着き、テントを設営、休憩後の11時からテールリッジ取り付きまでのルート偵察に全員で行った。見た感じでは、4年前のお盆に来たときに比べるとかなり雪渓が多く、ヒョングリの滝は雪渓の中で、しかも遠目にも亀裂が確認できていたので、厳しいアプローチになると感じた。案の定、沢ぞいから右岸の高巻きに続く道は、早々に雪渓に埋まったいた。しかも大きなシュルンドもあり、仕方なく左岸の草付きの急斜面のふみ跡をたどる、シュルンドの上の草付きなので念のために、途中からフィックスを張る、ザイル2本分で衝立前沢に出ることができた。しかし、テールリッジへは滝上のトラバースラインは雪渓の中で、その雪渓はシュルンドが大きな口をあけているし、滝上と思えるあたりでは陥没もみられ、あと数メートルでテールリッジに続く、スラブに手が届くところまでK会長が雪渓をすすんだもののリスクが大きいので断念して引き返しきた。(これで、予定していた烏帽子奥壁、衝立岩中央稜の登攀は終わった)せっかくなので、衝立前沢を登ってみる。1時間以上も登って、やっと「略奪点」あたりに出て、コップ状岩壁をみることができたが、まだ遠く、下部のかぶりが大きくみえてあまり登る気にはならなかった。

 2日目は、幽の沢の正面壁をめざしてみる。こちらはまったくの初見で天気予報も夕方にかけて雨となっており、偵察的気分だったが、一応早めのスタートをした。出合は枝沢かと思うほど狭い、沢伝いに登っても狭い滑滝が続く、両側が切り立ち、氷河か、雪で削り磨がれたような滑滝が続く、「展望台」経由の踏み跡を探すがみつけられずに沢をつめる、段々と傾斜もでてきた、あちこちに錆びたリングボルトがある、多分、雨の中の下降時に安全確保のために打たれたものと思われる。未知のルート、昼から雨、雨で撤退の場合、急峻な滑滝の下降、7人パーティーでは登攀時間もかかる。これだけ条件が揃ったので、早々に退却を決定、一応、沢をもう少し上がってみたが20mほどの滝が阻んでいた。V級くらいで登れそうだが、下降が難儀なのでここまでにして下降した。
 一の倉沢出合のテンバには午前8時に到着した。転進先をいろいろ議論したが、錫杖岳とした。移動には300K以上のドライブとなった。テンバまで上がることはきつそうなので、平湯の森でゆっくりと温泉に入り、槍見温泉近くの駐車場で、宴会をして、翌日に下からピストンでアタックすることにした。

 3日目、午前
4時過ぎにヘッドライトで出発する、1時間半でテンバに到着、はじめて見上げる錫枝のフェースは大きく感じた。そこから「左方カンテ」に行く3人パーティーと「2・3間リッジルート」に行くS夫妻のパーティー、Yさんと自分のパーティーに分かれた。2ルンゼから上がり、基部を3ルンゼへと回り込み、取り付き点に達した。一度、登ったことのあるSさんに先行してもらい、そのあとを追いかけることにした。
 1ピッチ目は、3ルンゼの左側の緩い草付き混じりのフェース20m、ピンは少なくあまり楽しくない、そこからブッシュに突っ込み、木をよじ登る、40m近く登る、屈折もありザイルが重く引っ張りあげるのに苦労した。そこからは10mくらいトラバースをしてから、ガラ状をコンテで40mくらい上がる。3ピッチ目、Sさんはゆっくりと考え(苦しみながら)リードで登っていた、ルート図にはフェースとあったが、凹角を6mくらい登る、傾斜があるが古いがハーケンが3本もあった、そこからが微妙な感じ、左の潅木、クラックを左上をするが状態が悪いようでなかなか進まなかったが、なんとか切り抜けたようだ。ここはYさんがリード、左フェースとクラックラインをうまく使い、カムを2つ入れてでなんなく抜ける。自分はセカンドで安心して大胆なキョン足の連発で登れたが、リードだったら怖かっただろうと思う。未知のルートを探りながら、少ないピンの中でのリードは神経が参ってくる。ビレー点から一段上に移動して、4ピッチ目、自分がリードする、2ルンゼのすぐ横の「凹角からハング下を左上」(ルート図の5ピッチ目か)、脆い岩で気持ちが悪い、お助けようの古いシュリンゲがあったので迷わずA0でハングを超える。その上は快適なリッジ(リッジらしいかったのは、このわずか20m足らずの間だけだった)、しかし、ピンが見えない、思わず先行するSさんに「どこを登るのか」と聞いてしまった。アルパインクライマー的には失格、恥かしい、「まっすぐなライン、中段の棚上にピンが隠れているから」とアドバイス、ピンがあるならOKと登る、途中、少し難しい箇所があったがジムで練習したムーブで乗り越えた(ここがルート図の6ピッチ目のXフェースか)、ビレー点からYさんに少しだけ登ってもらうとS夫妻がルートを探っていた。あっちこっち探してくれてやっと結論がでたところだった。脆い急なフェースを登って行くと古いリングボルトやハーケンが連打されているA1ルートに入るようだ、最後の核心のピッチだ、ここでYさんが、自分にリードを譲ってくれた(A1交じりなので、あまり乗る気ではなかった

が、気を使ってくれたのだろうと思いトライ)、前半のフリーは気持ちよく登れた、中段の傾斜の強いところはフリーとも思ったがもし落ちたらやばいと思い、A0で登り、小ハングの棚上に上がるところで念ためアブミをかけて棚上に上がる。ここでビビリが始まる、「連打されたピンにはすべてザイルをかける、アブミにのり、テンションをかけてもらい安定させて、次に」というなさけない登りになってしまった。時間がかかるし、かっこ悪いし、アブミの練習不足がバレバレとなった。なんとか上のブッシュをつかみ、這い上がる、ここもザイルが重い、上からS夫人が写真を撮ってくれるが滑る笹の中をビレー点まで着くのは大変だった。下で待たされ続けたYさんはアブミも出さずにさっさと上がってきた。アルパインの経験の違いを感じた。あと1ピッチ残しているが、「ブッシュV級」のルートが分からないのでここで終了とした。4人で握手し、S夫妻からご褒美にこんにゃくゼリーを1個づつもらった。取り付きから6時間以上かかってしまった。ルートを探っていたこと、後続のパーティーを待ってもらったことによるもので仕方ない、これも勉強、アルパインは難しい。
 
下降は、3ルンゼのコルをめざして懸垂する、支点は木を使うが下の様子が分からない、K会長が「降りれた」と言ったのを信じて降りるが、最初に懸垂したSさんの様子がおかしい?なかなか「どうぞ」と言わない。あとで降りてわかったが、50mでも下に届かず、3mくらいか右にトラバースして、潅木にしがみつき、そこから再度、懸垂しないとコルには立てなかった。フル50mの懸垂が長く感じた、回収も心配だった、案の定、落ちたザイルがひっかかったが、まわしている間に動くようになり、なんとか回収に成功、そこからは、252回、50mを3回か、4回、3ルンゼを懸垂し、取り付き点に戻ることができた。
 靴を履き替え、3ルンゼを下降し、沢から登山道へ、日没との競争となったが、なんとか午後6時半ごろに駐車場に着くことがきた。待ちくたびれたメンバーと合流し、男性は新穂高の湯の川原の野天風呂で汗を流し、宴会となった。

4日目は、朝から帰阪とした。途中、沢上谷を確認し、飛騨荘川さくら温泉に入り、夕方には大阪に着けた。4日間1300kを走行し、成果1本は物足らなさを感じたが、それでもアルパインらしい登攀を1本満喫できた点は、天候や事故に泣かされてきたお盆山行としては4年ぶりの成果となった。


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