飯豊山(2008年8月3〜5日)

8月2日京都駅2255−夜行バス
8月3日新潟駅6:57 8:00−バス−小国町役場9:58 10:29-バス−飯豊山荘11:17 11:35−湯沢峰13:56−五郎清水14:36−梶川峰15:52−扇ノ地16:41−門内小屋17:05
8月4日門内小屋9:55−北股岳10:50−烏帽子岳−御手洗池13:20−尾西小屋14:35 大日岳往復
8月5日尾西小屋5:55−飯豊山6:50 7:50−切合小屋9:13−三国小屋10:27−地蔵小屋跡11:05−中十五里12:40−御沢13:04−川入13:50 14:30−バス−いいでの湯14:50 17:45−バス−山都駅18:10 19:01−新津20:54 2058−新潟駅2117 2205−8月6日京都駅6:05 

 飯豊山のイメージは、「山深く、お花畑と雪渓のなだらかな山々が続いている」という感じだった。百名山をめざして、安い経費で、かつ、いい季節、こだわりのルート、そして、温泉を求めて、今回はひとり旅だった。

 夜行バスから都市間バス、町営バスを乗り継ぎ、飯豊鉱泉に11時過ぎに着くことができた。梶川尾根ルートで一気に稜線上の門内小屋をめざした。コースタイムは、古いアルパインガイドからメモしたのは5時間、現地でもらった資料では8時間30(小屋で見せてもらった昭文社では7時間30)と、まったく違い、「もしも自分のメモ間違いなら、日没までに小屋にはたどり着けないかも」と思いながら登り始める。標高400mから東北とは言え小国町では30度あり、天気予報が外れ快晴となり、炎天下の中での急登でしかも今回は高度計付き時計を忘れてしまい、どれくらい登っているのかも分からない中でしんどかった。30分歩くと「のどが渇き、水を飲む」の繰り返し、最初の目標の湯の峰にはなかなかつかない、1時間の予定が1時間半かかり、やっと湯の峰についた。そこからは少し下りにはなるが、眼前には高く梶川峰がそそりたち、遙か遠方に雪渓を持つ稜線をみることができた。あそこまで半日で登りきれるのだろうか、今回は小屋が混むことを考え、ツエルトを持参しているので、途中の五郎清水で給水さえすれば、行けるとこまで行って、ビバークでもいいと考え、ゆっくりと30分で休憩・給水しながら登り続けた。五郎清水には3時間でたどり着く、スポーツドリンクはすでに1L飲み尽くした。ここのわき水は本当に冷たくおいしかった。顔を洗い、タオルで体を拭くとその冷水につけたはずのタオルが熱々になっている。たぶん体温が異常に高くなって、熱中症になりかけていると思った。そこでも冷水を1L飲み、さらにスポーツドリンク1Lをつくり、ビバーク用に1.5Lを持ち、リフレッシュしての再スタートとなった。しんどかった原因もわか







り、半分登ったことで気が楽になり、ゆっくりだが休まず樹林帯を登り続け、森林限界を超える梶川峰には午後4時前に通過することができた。これで小屋まで着けるめどがたち、そこからは少しゆっくりお花畑を楽しみながら登っていったが、ガスがわき、視界が急になくってしまった。門内小屋には5時過ぎにたどり着いた。(結果的には当初予定の5時間半で登ることができた)

 門内小屋には、管理人がいて、トイレなどもとてもきれいに掃除されていて、少し古いが気持ちのいい小屋だった。夜半から風が強くなり、深夜は記録的な大雨(近くの山で1時間40mmを記録)となり、朝まで雨も風も強く、暴風雨状態が10時間以上も続く異常な状況だった。「もし、きのう小屋までたどり着けずにツエルトでビバークしていたら」と思うとぞっとした。小屋に居合わせた5パーティー9人は、みんな小屋で様子をみることにしていた。しかし、9時過ぎには梅皮小屋から下山してきたパーティーや下の小屋から登ってきたパーティーが次々と休憩に小屋に入ってきた。昼まで沈殿のつもりだったが、雨が止んだので10時に出発することにした。

 雨は止んだが、強い風と濃いガスの中での縦走となってしまった。視界がなく残念ではあったが、昼から晴れることを期待してすすむことにした。梅皮小屋に1時間足らずで着いた。先行していた京都からきて胎内ヒュッテから縦走している女性2人のパーティーが休んでいた。きょうは行程が一緒で、尾西小屋泊まりも一緒になるとのことでしばらくは前後しながら歩くことになった。飯豊リンドウや山ききょう、まつむしそうなど紫色の花が目立った縦走路だった。今年は雪が多く残っていて、先日も稜線から滑落して死亡事故も起きたとのこと、烏帽子岳を越えたあたりでは雪渓を横切ることも何度かあった。雪渓のしたを回り込んだところ濡れた草付きで足をとられて5m






くらい滑ってどろだらけになってしまった。油断大敵だ。それから雪渓を横切るのは慎重(びびりながら)に越えていった。

昼を過ぎると少し天気がよくなって、飯豊本山を遠くにみえたり、雪渓のはるかしたに続く谷筋がみえてきた。尾西小屋が目の前の草原に浮かぶようにみえた。素晴らしいロケーションに建つ小屋だった。小屋番のおじさんも親切でいろいろていねいに教えてくれる方だった。水場は尾西岳の中腹からのわき水だった、稜線上の小屋で融水ではなく、おいしい水が飲めるのはうれしい。さらに、もっとうれしかったのはプレミアムビールを雪渓の雪で冷え冷えに冷やして売っていたのには感動した。1000円ではあったが高いとは思わなかった。

 尾西小屋には、3時前に着けたので朝の停滞であきらめていた大日岳往復をめざすことにした。小屋のあたりはガスはきれていたが、大日岳はまだガスがかかっていたが、夕方の空気が落ち着く頃には晴れることを期待して駆け足で挑戦、最初の下りを駆け下り、その勢いで大日岳をめざす、結構、遠くで標高差も思っていたよりあり、きのうに続き、日没との競争となった。途中、はじめて白山市毛が群生してきれいに咲いていたが、花は意外に少ない、最後は急登りとなり、その先に飯豊最高峰を踏むことができた。すれちがった人が「最高の展望だった」と言っていたが、自分が登った時は、360度ガスに包まれていたが、ぽっかりと頂上とその上空に青空が広がっていただけだった。ガスがきれそうにないので早々に山頂をあとにして尾西小屋に戻った。往復タイムは1時間50分だった。小屋に戻ると小屋のすぐウラの石垣で夏のおこじょをみることができた。夕食後には、素晴らしい日没をみることもできた。ガスがすっかりなくなり、遠く朝日連峰や佐渡島まで見渡すことができ、きょう縦走してきた北又岳のすぐ横の雲海に夕日がゆっくりと沈んでいった。

 朝日を期待して4時には起きていたが、3日目も残念ながら朝からガスに包まれていた。昨日から行程をとともにしてきた男性は「お花畑は幻想の世界と自分をだませるが、山頂の展望は諦められない」と言いながら先に出発していった。7時間の行程なので、午後2時半のバスには余裕があるので、コーヒーなどを飲みながらしばらく時間待ちするが、きょうも晴れる様子がないので、6時まえに濃い霧の中を出発した。たしかに幻想的な景色でいろいろなお花が咲いていた。特に、山頂に近づくにしたがい薄雪草の素晴らしい群生が展開していった。ゆるやな尾根も山頂直下は急な登りとなり、やがてガスの中で山頂に立つ。先に出た男性は「すでに1時間粘っている、さっき少し大日岳がみえた」と、バスにはまだ時間があるので、先を急いでも仕方ないのでコーヒーを沸かすことにした。そうこうして30分過ぎると急にガスがきれはじめ、この3日間歩いてきた道のりがすべて見渡すことができた。暑かった梶川尾根、ガスと風の中の縦走路などが一望にみえた。そして、最後に、きのうガスの中に立った大日岳も雲が大きく流れていき、その全容をみせてくれた。となりの男性がすごく喜んでいたので聞けば「きょうの飯豊山で百名山達成した」という、「だから晴れてほしかった」ということだ。山頂は本山小屋の方から団体客などもたくさんきて賑やかになっていった。

 喧噪の山頂をあとにして、ひたすらバス停をめざした。最初は、意外に急な下りが続き、岩場や雪渓もでてくる変化に富んだコースだった。しかし、長い、かなり早いペースで下って下っても尾根が続く、さすが飯豊山系の本山は山深い感じる、途中、雪渓が大きく残っていて迂回路があったのにそちらにいかなったためすすめなくなり引き返えしたり、地蔵小屋跡コースにはいるが小屋跡を確認できず、ここも水場コースに戻ったりして30分以上のロスをしながらも、予定どおり2時まえに川入のバス停にたどりついた。カンビールでも飲みながらバスを待つつもりだったが、売店どころか、自動販売機1台すらなかった。

 バスには下山した3人だけの乗客だった。いいでの湯でひとり下車し、温泉とそばと生ビールを楽しんだ。その3時間後に、同じ運転手の同じバスに乗ったが、その時は、最初から最後まで自分だけの乗車だった。磐越西線山都駅も売店も、雑貨屋もない無人駅だった。2時間揺られ、新津で信越線に乗り換え、新潟駅に出て、富寿司で板前さんのおまかせすしを食べ、夜行バスで大阪に戻った。


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