火打岳スキー縦断ツアー200832223日)

322日 妙高杉の原ゴンドラ7:35−第3高速リフトトップ8:50−外輪山山稜10:50−三田原山11:20−黒沢池12:00−高谷池ヒュッテ12:50323日 ヒュッテ6:50−火打岳8:50−焼山北面台地10:50−笹倉温 13:00

 山スキーツアー初体験となった。妙高杉の原スキー場から三田原山経由で高谷池ヒュッテに泊まり、さらに、スキーで火打岳を登り、日本海側の影火打の北面ルンゼから焼山北面台地を抜け、笹倉温泉までの1泊2日のルートに挑戦した。

 このルートの課題は、入山と下山がまったくちがうために、くつや服などを担いでいかなければならない、しかも、ヒュッテはこの時期込み合うことも予想されるので、ツェルトやダウン、象足などの防寒対策も十分な用意が必要で荷物も重くなる。極力軽量化をして、なんとか45リットルザックに押し込んだ。

 今シーズン2月後半から杉の原第3高速リフトが運休中で、ロープウェーからのアプローチとなり、普段より2時間は多く登らなければならかったが、「どうせ長いルートだから仕方ない」と思うことにして、予定通りに入山した。

 大阪からスキーバスで早朝に杉の原スキー場ゴンドラ駅に着き、身支度を整える、7時半過ぎにゴンドラ乗る、上の駅からはクローズされたゲレンデをシールで登っていく、滑ったことのある斜面だったので、先の様子がわかるので気分は楽だったが、やはりスキー場トップに行くのに1時間半かかった。いよいよ三田原山をめざすが、スキー場の外に出ると、前回と景色がまったくちがう雪原が広がっていた。谷からの雪崩が流れこんだのか、立ち木が異常に少なくなっていた。谷を越え、斜面をトラバースしながらの登りになった。2日前の低気圧通過はこのあたりは雨だったようで、雪が締まり登りには快適なものだった。天気も移動性高気圧にすっぽり覆われ、快晴で気持ちいいスキー登山となった。思っていた時間より1時間ほど早く妙高山の外輪山稜にでた。このあたりから雪質が変わり、片栗粉に近いいい感じだった。標高2200Mくらいに雨と雪の分かれ目があるように感じた。

三田原山からシールをはずし、黒沢池の雪原をめざす、樹林帯の滑降だが、好天にめぐまれ滑りながらコースが選べることはよかった。しかし、少し下るとアイスバンとなっていて、荷物を担ぎながらのスキーに不慣れで少し苦労した。黒沢池の雪原は広かったが、少し傾斜もあり、端の方まで滑ることができた。茶臼岳への登り返しは、先行パーティーに続き、右の茶臼山に登っていきながら、左にトラバースをしながら乗り越すルートをとった、先輩のH氏は、「まっすぐに茶臼山の左のコルをめざすべきだった」とあとからくやんでいた。コルからは、ゆるやかな斜面が広がり、低木の木の間を抜けていくとほどなく、高谷池ヒュッテがみえた。三角形の屋根が雪原から飛び出していた。3階部分だけが冬季開放(1000円)されていた。場所とりに先行したH氏のおかげで、狭い小屋の中では一等席と思われる一番奥の窓のそばとちゃぶ台をキープできた。あとから数パーティーが入ってきた、第3高速運休にもかかわらず、7パーティー20名ほどになった。もし、リフトが動いていたら、超満員もあるなと思った。結果的には、ふとんと毛布、人の熱気で、防寒具の多くは使わずにすんだ。

早く着き、天気も快晴であったので、少しスキーを楽しみたい気持ちもあったが、小屋の中で水をつくりながらビール1缶を2人で分け合って乾杯、少ない焼酎をちびちびと楽しみながら過ごした。

若いグループは外で宴会、あとも宴会モードで、1パーティーだけがその日のうちに火打岳を往復し、4時過ぎに戻ってきた。自分らは昼寝をし、4時半過ぎから夜の宴会をはじめた。今回は軽量化をはかり、乾燥米、インスタントスープ、鴨の燻製だけで我慢した。しかし、となりのグループはビール、酒、焼肉、なべと次々から出てくる軽量化と無縁の豪傑パーティーもいた。

翌朝は、5時過ぎに起床し、ゾースイだけの朝食、6時50分に3パーティー目でスタート、雪は昨日と同様に良く締まっていて歩きやすい、30分ほど緩やかな登りを経て、いよいよ硬くクラストしてきたのでクトーを出して登る、先行パーティーのシュプールを追いかけ、山頂の肩への登りは左へ大きくトラバースしながら登ったが、大きな無木立ち斜面だったので、「スリップしたら?」と思いながら、クトーに頼ってのトラバースは慎重にすすんだ。あとから聞いた話だが、H氏とは、クトーの形状が違い、ほとんどきかず、すごく怖い思いでトラバースしたと「ここも直登がセオリーだった」と言っていた、肩では先行パーティーのひとつがツェルトを出し、待機していた、雪が緩むのを待っているのだろう、こちらもスキーをザックにくくり、登山用アイゼンに変えて、山頂をめざした。

好天には恵まれていたが、堅く締まった雪面では安全のためにアイゼンを選択した、風もさほどなく、順調に火打岳山頂(2461m)に立つことができた。55山目の百名山は山スキーでの登頂となった。

しかし、ここからがこのルートの核心となる、記念写真をとり、早々に下降とした、南側の広い斜面があるので「スキーで滑るべし」だったが、堅いこととすでにアイゼンを着用していたので、「少しこのまま下りましょう」とおよび腰、這い松の上をアイゼンで下りながら、一段下り、影火打とのコルがみえるところで、スキーをはくことにした。積雪のために地図から想像した地形とは随分ちがい、すこし戸惑ったが、GPSで確認しながらコル手前から北面を一段滑り、少し登り返して、目的のルンゼの上に立った。このあたりは、雪質はいい、標高が高く雪だったためだろう、山スキーではじめて軽快なターンを楽しむことができた。山スキーの本では「尾根をからめて下降する」とあったが上から見た感じはまるで雪稜という感じで滑れそうに思えなかった。H氏のGPSに入力していたルートはルンゼをまっすぐ滑降している。話し合いの結果、行けるところまでルンゼを滑ることにした。しばらくは急ではあったが、雪質にめぐまれ、楽しく滑れた。しかし、だんだんと雪質が堅くなり、谷が喉の様にすぼまり。先がみえなくなったので、一度、右の雪稜の支稜を乗り越えて様子をみにいくと、その先には浅く短いルンゼがあり、しかも、その先にはキレットからの本谷の出合がみえている。これなら行けると思い、斜滑降でルンゼの上部に滑りだすが、堅く、斜度もあり、ターンする勇気が出ない、しかなくキックターンをして、また、大きく斜滑降して、少しずつ下降していった。斜度が緩んできたところでターンしながら滑るが、堅い表面クラストにひっかかり何回か転んだ、やっとの思いで本谷に戻った。

このあたりは、傾斜も緩くなり、雪面は柔らかく緩んできて、U字形に深くえぐられた谷から緩やかになった谷を快適に滑る。若干、重い雪だったが焼山北面台地に入ると景色もひらけ、気持ちよかった。一つ目のU字形の谷は、焼山北面台地の末端部分では簡単に渡ることができた。雪原をヒールフリーで快調にすすむ、北面台地の真ん中を貫くU字形の谷は、台地を深くえぐり、両側15mくらいの雪壁をなしていた、下流をみても、壁がどんどん高くなり、その先に落ち込みがあるようで渡れそうにない、谷を渡るポイントを探す、台地の末端よりやや上のあたりでなんとか下れ、登り返せそうな雪壁をみつけた。下りはスキーを履いたまま横滑りで、谷底でスキーをザックにくくり、H氏が雪壁に取り付くが、70度くらいか、しかも雪が悪く、ステップをきっても、一歩だすと足元が次々と崩れる、そこで自分がザックを谷底におき、空身でステップを切りながら先行して、なんとか抜けることができた。雪壁の向こうは広々とした真っ平な雪原だった。焼山に続く北面台地は緩やかな斜面にまばらに潅木がある素晴らしいゲレンデだ、次回は焼山北面の滑降をすることを約束して、ザックを回収して、スキーをはき、台地を横切る、やがて、笹倉温泉に続く尾根を滑って降りていく、木立も少なめで、雪質は悪いものの滑っておりることができた。しかし、長い長いルートだった。2461mの山頂から標高550mの温泉まで標高差2000m、4時間の滑降はさすがに足に堪えた。尾根の突端は大きく切れていて、笹倉温泉を上から眺めることができたが、急な斜面を林道がジクザクを切っているが、疲れは頂点に達してしんどかった。それでも笹倉温泉まで歩くこともなく、スキーを履いたままで行けたのがよかった。

2日間12時間の行動が終わり、ゆっくりと温泉に入り、缶ビールで縦走成功に乾杯した。そうしていると山スキーヤーらしき人が「Hさんはいませんか?」と入ってきた、なんと北面台地でシールを落としていたのだった。(Hさんから譲り受けて自分が使用していたもの)なんとありがたいこと、お名前も聞きませんでしたが、この場をかりて、「本当にありがとうございました」、こうして天気に恵まれた幸運な山行が終わり、バスにゆられ糸魚川へ、そして、「すし活」で自分は地物のにぎりを、H氏は3500円の特々上ちらしを堪能した。この店は駅から20分離れているが、その価値あり!必見です!来シーズンもゴールは「すし活」で、焼山北面を滑りに行くぞ!



左から、妙高山・三田原山、焼山、北面台地と笹倉温泉、日本海に浮かぶ佐ヶ渡島

                                  home