阿蘇・祖母山2006102324日)

 福岡の用事が終わり、おいしい博多ラーメンを昼に楽しみ、オートバイで阿蘇にむかった。高速の九州道で熊本ICへ、そこから国道を阿蘇にむかう。今晩は、ユースホステル阿蘇に泊まる、JR阿蘇駅から少し山にはいったところ、食事のサービスはやっていないので、ローソンでビール、焼酎とあてを購入して行った。全国どこでもコンビニがあるので便利、ユースホステルは、60歳台の男性とフランスからきた40歳台の女性、それと自分の3名だけだった。お風呂に入り、食堂で夕飯を楽しんだ。女性のオーナーとユースの現状、維持の大変さなどの話しをした。家庭的というか、大きな施設を除けば普通の家におじゃましている感じ、蚕棚の寝室も貸し切り個室で、これで3000円は安い。若者と貧乏旅行愛好家にはユースは存続してほしいものだ。
 翌日は、朝早く、お湯だけ入れるインスタントの雑炊(150)を食べ、出発、一応、阿蘇の雄大な景色の中をオートバイで走りたかったので、展望台にむかって走りだした。すぐに、牧場が広がり、放牧中の馬や牛を写真におさめた。しかし、上に上っていくと濃いガスで、視界がまったくない、これでは展望台に行く意味がないので引き返し、山頂への登山の入山口、仙酔峡をめざした。一度、国道まで下り、1時間足らずでロープウェー駅についた。百名山も、コースにこだわりたい主義で、ここはロープウェーを使わず、仙酔尾根を登る。火山のやまのため、崩壊もあり、また、歩く人も少ないのか、道は少しあれていた、2度ほどルートを見失う。しかし、マーカーなどに助けらながら、なんと稜線に出ることができた。そこは濃いガスが激しく流れるやばい天気だった。山頂は目の前で引き返すのもいやだったが、砂漠のようなところでガスにまかれて大丈夫かという不安をもちながらすすんだ。ケルンやマーカーもところどころあり、時たま、ガスがきれて位置関係を覚えてすすみ、高岳山頂を踏むことができた。想像していた雄大な景色をみられず、いつか、もう一度来たいという思いを胸に、登った道を下山した。
 単車に戻り、次の目的の山へ、ツーリングを楽しむ、しかし、九州は山、また、山の世界だった。竹田市あたりまでの国道は、雄大な高地を抜けるいい道だったが、メイン街道からはずれ、祖母山にむかうと50キロ位の道のりにたまに人家がある程度で、まったくの山道となった。そのどんづまりに尾平があった。むかし、鉱山で栄え、町があったと宿泊した尾平青少年旅行村の資料にはあったが、まったくの森の中に一軒家だった。廃校した小学校の跡を利用し、町の運営から近年NOPに移管されたという話しだった。受付兼、コック兼、給仕兼、支配人の方、ひとりで切り盛りしていた。宿泊者は37人、内装はおしゃれに改築されていて、お風呂もよかった。
 翌日は、登頂後、大分まで単車で異動し、夜のフェリーで帰阪しなければならないので、まだうす暗い中、祖母山をめざす、沢ぞいから急峻な黒金山尾根にとりつく、岩壁に、紅葉に見とれながらも、木の根をつかみながらの登りが続く、あまりいい道とは言えないが迷うほどでもなく、ほどなく山頂から続く稜線にでた。残念ながらガスに覆われ展望がなかったが、岩壁を従えたいくつかの小ピークを越えていくと、山頂にたどりついた。展望がないので、すぐに後にして、山小屋まで下山し、小屋の中で昼食をとった。下山ルートはやせた稜線を伝いに、障子岩尾根を宮原まで下り、尾平をめざした。こちらの尾根は、ゆるやかだったが結構長い下りだった。それでも予定より少し早く13時過ぎに単車に戻ることができた。これで余裕で大分からの夜行フェリーに乗船できると思った。しかし、50キロ続く山道の中程まで走って、荷物が緩んでいるのに気がつき、単車を路肩に止めて、サイドスタンドを出したつもりだったが、下がじゃりでスタンドがたたずに足元も悪く、単車が横倒しになるのを支えることができなかった。エンジンがかかったままので、あわててオフスイッチで切り、単車を起こし、セルをまわすがプラグがガソリンをかぶったのかかからない、2度目もかからない、3度目もカリカリと力がなくなってきた。「これはやばい、バッテリーも上がったら、まわりにはスタンドどころか、民家すらない、携帯も圏外、これではフェリーには乗りおくれるぞ!」と頭をよぎった。4度目、「これで最後かな」と思い、長くセルをまわすと、エンジンはかかってくれた。あとは、一路、大分をめざして快適なツーリングを楽しむ、大分市内に入ったところで、クアハウスをみつけ、一風呂浴び、隣のスーパーで、ビール、さしみなどを買い込みフェリー乗り場まで一直線だった。
 翌朝は、神戸港に6時に着き、阪神高速を飛ばし、家に荷物を置くと、そのまま出勤した。

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