丹沢山(2005年12月23日)

東京で生まれ育ち、高校・大学と山岳部に籍をおいてきたにもかかわらず、丹沢には一度か二度、キャンプに来た程度で山は登ったことがなかった。今回は、大阪から東京の実家に、その帰りに12月下旬ではあったが、本格的な積雪には早く、単独行でも縦走できると考え、一応、わかん、アイゼン、ピッケル、冬靴という重装備で入山した。
 大倉からの登山者は数パーティーあったが、いずれも軽装なハイカーだった。初冬の大倉尾根は静かだった。尾根をひたすら登っていくと展望もでてきた。見晴茶屋で休憩ととる、それを過ぎると少し積雪をみることができたが冬枯れた低山だった。塔ノ岳山頂まじかの開けた尾根上に出ると風も強く、冬山らしくなってきた。山頂はかなりの強風で小屋の影をかり、昼食をとった。
 塔ノ岳から丹沢山に踏み出す登山者はほとんどいない、一応、トレースはあったが、20センチくらいの積雪の中を壷足ですすむことになった。丹沢山ではまったくひと気を感じなかった。唯一小屋からは煙が立ち昇り人がいることがわかるだけの寂しい山頂だった。そこから、一度下り、不動ノ峰を越えていく、ここでは一群の野生のしかをみた、群れをみるのははじめてで、10匹近くいると、かわいいというより、少し怖さを感じた。このあたりの展望は抜群だった、歩いてきた塔ノ岳から丹沢山、これから行く蛭が岳への稜線などが一望できる素晴らしいところだった。今回は、デジカメの電池を充電していてうっかりと入れ忘れてしまったのがつくづく悔やまれた。
 このあたりで、吹き溜まりでは30センチくらいはあったが、わかんも、アイゼンも出番はなかった。鬼ガ岩の岩場を下り、中ノ沢乗越から最後の急登を日没と競いながらの登頂となった。蛭が岳山荘には、一匹の犬と小屋番のおじさんが迎えてくれた、すごい寒波くるとあって、登山者は兄妹と男性の単独行者と自分の4人の泊まり客だった。自分はひとり自炊で、ストーブのあるロビーのとなりの土間で食事をつくり、食べた。一応、ストーブを入れてくれたが、この夜は本当に寒い、日没後、気温はどんどんさがり氷点下を大きく下がった。昨夜は小屋の中でも水が凍ったと言っていた。食事をしているとワンちゃんがよってきて、わけてやると喜んでしんぽをふっていた。この夜、外は氷点下20度まで下がり、小屋内でも氷点下になった。まさしく冷凍庫の中で寝ている感じだ。テントとちがい、小さい山小屋だったが、それでも寝室は2階建ての吹き抜けになっているので寒い、しかも泊まり客が4人ではたまらなく寒かった。
 この小屋から展望は素晴らしい夜には、新宿のネオンから横浜の灯までがきれいにみれる。夜明けは窓から富士山が色づきはじめた紺碧のシルエットに浮かび、山頂までは1分くらいで行け、そこからは東の海から登る朝日が眺められ、相模湾から伊豆半島の海岸線、山々が見渡すことができた。朝日はまず、富士山の山頂からあたりはじめ、それが徐々に下に広がり、そのあとに陽が登った。さすが、富士山は日本一の山だった。しかし、零下20度の寒さに耐えられず、すぐに小屋に戻った。

 小屋から西にむかう者はいなかった。より雪深い感じの尾根を下り、白ガ岳をめざした。積雪はさほどではなかったが、本当に山深い感じだ、桧洞丸への登りは結構長く感じた、それでも冬枯れしているとは言え、素晴らしい木々の景色を楽しんだ、青ガ岳小屋は無人だった。その前を借りて昼食をした。
 桧洞丸山頂からは、石棚山稜を下り、板小屋沢ノ頭から箒沢をめざした。ここからはさらに長く感じた。緩やかな尾根道を長く歩き、やがて急な下りとなったが、これまた長く、笹が覆い、歩きずらかった。それでも箒沢には予定通りに下山し、バスで少し下った温泉にゆっくりつかってから、またバスで松田、熱海へと出て、新幹線で大阪に帰った。