赤木沢遡行(2005年8月1日

 まだ寒さを感じる、朝6時過ぎに出発することにした。赤木沢へのアプローチは、いきなり黒部川本流の遡行からはじまるので気温があがるのを待ちたかったが、きょうの行程の長さを考えるとあまり余裕がなく、冷たい水の遡行をはじめる。天気は、大阪を出発するときは「今回は雨でだめかな」と思っていたが、なんとか雨にはならずにすみそうだったが、晴れわたるまでではなく、はだ寒い遡行になった。黒部本流の浅瀬を何度か横断したあと、やや谷が狭くなった函の通過があった。ひざ上くらいの渡渉を2回、急流の上のヘつりと緊張が強いられる。残置ザイルがありルートもわかり、安全に通過できたが少しスリルがあった。アプロ−チだった、結果的にはここが一番緊張したところだった。
 そこをぬけるとまた谷は少し広くなり、ついに赤木沢出合についた。何度も写真で見た光景だったが、あまりの美しさにみんな興奮した。水は冷たいのに服のまま泳いでしまった。出合からは、水につかりながらの遡行ではじまったが、美しさで苦にならず、次から次と現れるナメ滝、それ囲む斜面の森とお花畑、時折みられる青い空、まさしくそれは至福の時間だった。 4段のナメ滝は、下から見上げても、途中から振り返っても素晴らしい光景だ。2年間あこがれ、沢トレーニングをつんできた成果だった。せっかくなので、できるだけ水流に近いラインを求めていった。しかし、最初のハプニングがそこで起きた3段目から上部をめざし、4段目の滝横の岩壁に取り付くために、滝壷の渕の端の方、幅1メートルほどをジャンプして取り付けると思い飛びついたが、つかみきれず、渕に落下し、しかも足がつくと思っていたが、胸まで沈んでも底につかず、必死でホールドを探し、よじ登った。濡れるのは構わなかったが、胸のポケット入れていたデジカメも濡れてしまい。完全にアウト、せっかくの景色をそこからは自分のカメラでとれなくなってしまった。これには少し落ち込んだ。それでも気を取り直し、赤木沢遡行で一段ケアしていた30メートルの大滝の巻きのルートへとすすんだ。
 大滝がみえたあたりで、左岸の急な草付きに踏み跡をみつけ、登っていく、どんどん急になり、笹から潅木帯に入っていくと支尾根を超え、みちがふたつにわかれていた左側をとり、やや下り気味にすすむと川が見えて、急な下りに、そこに下り立つとちょうど大滝の上に出た、これで核心部分を越えたという安堵感が広がり、少しすすみ昼食とした。あっこちゃんが「赤木沢でソーメン流しをしたい」という願望を持っていたので、かなえることにした。とっても楽しい昼食をした。いよいよ上部をめざした、そこで第2のハプニングの分岐があった。左よりの北の俣岳」よりに抜けて行けばよかったのに、水流を求めたために、考えていたより右に抜けてしまった。最上部はお花畑を登り道でよかったが、その先が這い松のどんづまりだった。そこからが大変だった。黒部五郎岳に登り過ぎたと考え、できればトラバースでコルに出ようとしたが、這い松漕ぎは思ったより大変ですすまない、時間が立っていく、やっとの思いで数百メートル先に登山道をみつけ、なんとか抜けた。ところが思っていたよりかなり黒部五郎岳よりだったことがわかり、きょうのゴール太郎小屋までは北の俣岳を越えて、かなりの距離があることがわかった。それでも帰れるためには歩かなければならない。そこから先は、みんな黙ったひたすら歩いた。誰も泣き言を言わなかったのが唯一よかった点である。30台の女性は根性あると思った。
 北の俣岳もあまり展望がない中で乗り越えていった。長い太郎平への下りもやっとゴールがみえたところで、先に小屋泊まりの手続きに下ることにした。小屋に着いた時には、もう午後6時が過ぎていた、12時間行動だった。夢のような赤木沢は、素晴しい思い出と長く苦しい下山だったが、思い出深い山行となった。それでも、やはりビールで乾杯した。
 翌日は、疲れたもあったが下山、温泉を楽しみにどんどん下った。昼前には、折立に下山し、亀谷温泉の国民宿舎で温泉を楽しんだ。そして、おいしい魚を求め、氷見の温泉旅館へと車を走らせた。インターネットであたりをつけていた「灘浦荘」は、地元のおいしい魚をいろいろな料理楽しませてくれた。その夜、デジカメが乾いたのか、復活した。山旅の最後は、翌朝、富山湾を泳いで、しめくくった。


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