意地悪・いじめを考えるB
A『いじめ』を分析し対処・対応する。
(一人一人の心に寄り添う。)
例えば、10人でいじめが行われたとします。
いじめと一言で表現しましが、その中には様々な思考が混在します。
以下@〜Cのように一人一人のいじめに対する思いは違うのです。
@ |
ターゲットのことをよく思っておらず、その人の心が傷つくのを見て楽しんでいる人。 |
A |
周りの雰囲気に流されて意地悪遊びを楽しんでいる人。 |
B |
自分のことを悪く言われるのが怖くて、いじめに加わっている人。 |
C |
いじめは止めよう!と言えずに苦しんでいる人。 |
この十人を全員集めて指導すると・・・
⇒
@Aの人の心に深く届くことはありません。
⇒BCの人は追い詰められたり心を痛めていた子たちなので、@Aの人たちとは異なった対応や指導が必要です。
いじめは全体とか集団でとらえ考えがちですが、一人一人に寄り添った指導が必要です。
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一人一人の心に寄り添った指導が大事!と書きましたが、
クラス単位の指導も全体の意識を上げるためには必要です!
子供たちは、幼稚園では少人数クラスで、先生の目の届く所で見守られていました。
しかし、小学校に入ると、先生の目の届かない所で友達と自由に話したり行動するようになります。
この時を境に、沢山の子供たちが大人と話す機会を失います。
何の前触れもなく突然目を放された、
(目は放しても手は離すなってよく耳にしますよね。)
子供だけの世界はどのような場所なのでしょうか?
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小学校1,2年生のころ、あちらこちらで生まれるのが意地悪遊びです。
意地悪遊びが始まると楽しくて止まりません。
・友達が心を痛めているのを見て楽しい。
・悪口を言えば簡単に友達(仲間)が増える。
・仲間の人数が増えると連帯感や安心感を得ることが出来る。
ここでの問題点⇒初めて覚えたこの遊びが、実は『いじめ』だと知る機会がなかったことです。
『いじめ・意地悪は悪い事』だと教える前に意地悪遊びが始まるのです。
子供たちには、悪いことをしている自覚がそれほどありません。
もし、『いじめ・意地悪は悪い事』だと教わっていたらABCの子供たちの内の数人は、いじめグループの中に入っていなかったかもしれないし、大人に相談出来ていたかもしれません。
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以下の例を想像してみてください。
手を洗わない子(手を洗うことが苦手・出来ない・めんどくさい子)を結果的にクラス全員で避けてしまった。
この場合クラスの子供たち一人一人にはどんな思いがあったのか・・・?
避けられた子も含めクラスの一人一人にどのような指導を行うべきなのか・・・?
これはたった数行で書かれた例えですが、考えさせられることが沢山ある事例だと思います。
あなたなら、誰にどのような指導を行いますか?
・いじめられた子への指導の有無?
・一人一人の心の状態に寄り添った指導の有無?
子供の心に寄り添って、子供の立場で考えれば、一部の子供たちは、『いじめ』をしていないのでは?
いじめをしていない子に、「あなたはいじめをした。」と厳しく指導するのは、子供の心に傷を作る行為です。
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『いじめ』は分析しないと、一人一人に正しい指導は出来ないと思います。
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