創作マジックについての私見



マジックをほとんど知らない」or「マジックを知り尽くしている

さて、問題です。
どちらのほうがよりいいオリジナル作品を創作することができるでしょうか?



正解はどちらも○で、どちらも×です(笑)


これはふざけているわけではなく、どちらにもメリット・デメリットがあり、一概に「こういうスタイルであれ!」という定型がないからです。


有名なところでは、レナード・グリーン師はほとんどのマジックの原理を知らずして、様々な作品を創作してきたと言われています。
固定観念なきゆえに生み出された奇想天外なアイディアやトリックは、単に意表を突かれているということだけではなく、思わず感嘆の意を表現せずにいられないぐらいに完成されたものとなっています。
もっとも元精神科医という、これまた思わず「へぇ」と驚かされる経歴や、FIZMでの一年越しの受賞エピソードなど、この方自体が独特な存在であったりもします。


逆にマジックを知らないために、せっかく苦労して思いついたアイディアが、すでに発表された有名な作品だったということはよくある話です。
しかしダイ・ヴァーノン師は世に熟知されている作品を、さらに自己のアイディアを加味することで、今日にも語り継がれる名作を数多く残してきました。
これは常識という目に見えない鎖に囚われず、原案とオリジナリティを組み合わせて、新しい作品として創作できている成功例です。
四字熟語でいう『温故知新』ですね。

もちろん彼がマジックを知り尽くしているがゆえにできたことで、【改案】ではなく【進化】と表現したほうが正しいと思います。



ただ、これを錯覚して捉えてしまった大多数の研究家が「独創的な改悪地獄」に陥っている現実もあります。
わたしもその一員かもしれませんけどね(笑)




自己考案のオリジナルマジック

なんと甘美な響きなんでしょうか。
ただ、マジック関連のどこのテキストを見ても、大体同じようなことが書いてあります。
「マジックの原理・トリックは出尽くしている。あとはその応用や組み合わせに過ぎない」と。
そう言われるとそんな気もしますが、心の片隅に未発見の存在を期待している自分がいたりします。
果たして、本当にそうなんでしょうか。



ここで、ちょっとマジックという部分だけにこだわらず、違う側面から論じてみたいと思います。


いつか読んだ雑誌の対談企画のもので、印象に残っている話があります。
「音楽のパターンというのはもう出尽くしていて、これからは新しいパターンっていうのはできないんだよ。所詮はパターンとコードの組み合わせか、アレンジってことになんのね。 だから新曲ってリリースしてる曲でもデジャヴーじゃないけど、目新しさを感じない。でも悲観することはなくて、そこからまったく想像もしていなかったものが出来上がるかもしれないし、それ以外の未知 の可能性がないわけじゃないと思うよ。ここらへんは料理の世界に似ているところかもしれない」

音楽も料理もマジックも、確かに原理は出尽くしているのかもしれませんが、新たな作品を生み出すことにあきらめることはないと、わたしも思います。
どこのメディアを見ても、いまなお毎日のように、いい悪いは別にして『新作』というものは発表されていますし、これからも発表され続けることでしょう。



誰も思いつかなかった盲点的で斬新なアイディア。

大企業の優秀な開発専門担当者がいくら時間を費やしても考え付かなかった。
だけでも、どこにでもいる普通の主婦のアイディアが巨万の富を生んだサクセスストーリーというのを、一度ならず聞いたことがあるでしょう。
内容は小難しいものではなく、ごく単純明快なものだったりします。

ようは、どれだけ観念や形式にとらわれず、柔軟な発想を用いて機転を利かせれるかということです。
逆に、専門的に取り組んでいるから導き出される、素人には思いもよらない複雑怪奇なアイディアが出てくることだってあります。
少し感じが違うかもしれませんが、これは冒頭で紹介した2人のプロマジシャンのスタイルの比較と同じことです。

これを踏まえて、わたしの出した取り組みスタイルの答えは、片方に偏らずにどちらの要素も備えた上で、常時において自己疑問応答系(自問自答とはちょっと違う)であることでした。

アニメ「一休さん」には、「どちて坊や」という幼少のキャラクターが登場します。
見聞きすることに対して、何事に付けても「どちてですか?(どうしてなの?)」と、あらゆる人に訊ね、返信することにさえ追求することを止めない この坊やはあの一休さんをさえ辟易させます。
すごいジェネレーションギャップのある例えですが、まさにこのスタイルです。





最後に・・・
これまでにオリジナルだと思う作品を何点か考え出してきました。
だけど胸を張って「オリジナル」と誇示できる作品っていうのは、まだできていないです。
やはりどこかで見たような感が拭いきれず、すっきりしないのが正直なところです。

結果は出ないかもしれません。

時間がかかるかもしれません。

それでもわたしは、ときは細かく、ときには大胆にスタイルを変えて、創作作業に取り組み続けていくつもりです。


死ぬまでにひとつくらいは、原案に名前を残せる作品を作り上げたいものですね。







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