第二十六話(S) 躊躇い
| 近いところに引っ越すというのはまさに不幸中の幸いとでもいうのだろうか。 でもそれはあくまで最悪の事態を免れただけであって、一種の不幸であったことには相違ないはずだ。 それに育人君とは付き合っているわけだし、そのことを伝える必要がある。 それは、もちろん美樹ちゃんや仁志君にもだけど。 私自身もそれを聞いたときにショックを受けたわけだから、育人君もそうだろう。 すると、そのことをいつ伝えるべきなのかまた問題で。 ……なんてことを昨日考えていた。 着替え終わったあと、いつものように階段を降りる。 朝のこの時間もあと少しだけ。 そう思うと育人君に心から明るく振舞うことなんてできそうにもない。 やったとしてもそれは無理矢理であって……。 でもだからと言って育人君に心配をかけるわけにも行かない。 いつも通り……にはできそうもないけどもとりあえずはそう振舞うしかない。 廊下をぬけ、玄関のドアを開ける。 今日は私の方が早いみたいで、育人君はまだいない。 外は昨日の夜に降り積もった雪で一面真っ白。 道路には幾らか足跡や車のタイヤの跡がある。 でも空は晴れていて白い雲が所々に浮かんでいるだけ。 太陽の日差しが雪に反射してきらきらと輝いている。 そんな空を見ながら微妙な面持ちで想いを馳せる。 ここから見る空ももうすぐ見れなくなってしまうのだろうか。 こうした時間ももうすぐ消えてなくなってしまうのだろうか。 あの赤いポストから新聞を出すこともなくなってしまうのだろうか。 なんだかそれがまだ信じられなくて……。 「……皐月さん?」 急に呼ばれて振りかえるといつ出てきたのだろうか、そこには育人君が立っていた。 「あっ、おはようっ」 「おはよう。それより何かあったわけ?挨拶しても、返事ないし」 あれ、育人君、いつ挨拶なんてしたんだろう……。 「えっ、別に何もないよ?いつもと同じ」 「そう?」 「そうそう。じゃあまた三十分後ね」 「えっ、うん」 なんて、手早く新聞を取って家に戻る。 それにしても育人君が挨拶しても気付かなかったなんて一体どうしたんだろう。 ――それから三十分ほど―― 「待った?」 「いや、今出てきたとこだよ」 なんて、いつも通りの会話を交わす。 そのいつも通りの会話を聞いて益々心が痛み、育人君に対して引っ越しの話をし辛くなる。 それにこうしていると引越しをすることと育人君を想うことに潰されてしまいそうな感じがする。 たしかに育人君と別れようと思えば何時でもできることだ。 しかし、こうまでして付き合いたいと思ったわけだからそれはしたくない。 ならせめて、引越しするということから自分の気を紛らわせたい。 そう思い、適当に話題を待ち出す。 「そういや、趣味って何?」 「えっ趣味?僕は読書かな」 「読書?例えばどんな本?」 「あの映画化された海外のファンタジーとか……」 というと、あの魔法の……。 あれは、本屋へ行くと翻訳されたものが売ってあるのをよく目にする。 最近、売れ筋のいいベストセラーだ。 「へぇ。あれは美樹ちゃんと見に行ったことがあるんだけど」 「僕も仁志と行ったけど……。じゃあ、皐月さんの趣味って?」 訊くと訊かれるわけで。 「私?私は……手芸とかもやるけどやっぱりお菓子作りかな」 「ってことは、ケーキとか作ったりするわけ?」 「うん。クッキーとか、そういうの」 「へぇ。それは皐月さんの作ったものだから、美味しいんだろうな」 それを聞いてまた一層心が痛む。 気を紛らわすために、持ちかけたはずなのにどうしてもここへ戻ってくる。 どうせ戻ってくるなら……早く言ってしまって楽になりたい。 それも兼ねて学校についたら三人に話してしまおう。 改めてそう心に誓った。 |