Unknown 知られない

Looking for the unknown star...(誰も知らない星を探して)

「明日の夜は暇か?」
「えっ?」
場違いだと感じた。
満を持して模試に望み、いざ問題が机に配られようというときにそんな言葉をかけられれば、誰だってそう思うに違いない。
私もそうだった。
久しぶりに会った部活の先輩が、模試の試験監督としてきたかと思えば、最初にかけられた言葉がこれだった。
しかしながら、先輩は私が問うのを無視して、早速とばかりに問題の束を配り始めていた。
「・・・」
部屋は静かになり、辺りに緊張感が漂っていた。
私は冊子を後ろの席へと送りつつ、一人物思いに耽っていた。
明日といえば、七日の日曜日。
受験生として明日も模試の続きがあるという立場ではあるけども、夜に至っては特別忙しいというほどではなかった。
だからといって、何故私にそんなことを尋ねてくるのだろうか。
明日の夜に何があるというのだろうか。
試験が始まるまでの時間、先輩は一度も私に話しかけることはなく、教卓に備えられた椅子に座って、ぼんやりと時間が来るのを待っていた。
何を見るでもなく、時々時間を確認しながら、ぼっとしている。
たとえ私が見つめ続けようと、こちらを見るような素振りを見せることさえなかった。

やがて時間が来て、先輩の一声で試験が始まった。
問題を解きつつ、時々様子を見ていたけれども、先輩はかばんから取り出した本を読んでいるだけで、それ以外は全く何の反応もなかった。
それはまるで、先ほど私に言った言葉などなかったかのよう。
私は、あれはただの聞き間違いではなかったのかと疑いたくなっていた。

試験時間もあと数分となっていた。
問題は一応、全て埋めたつもりではいるが、先ほどの言葉が気になって、あまりまともに解けた気がしない。
達成感のあるようなないような問題と解答。
既視感のあるようなないような記号と用語。
そんなものが、ふわふわと浮き立つような感覚。
それなりに解けたとは思っている。
でも、何か退っ引きならない感覚が私を包んでいた。
──明日の夜、暇か?──
ただこれだけの言葉であったはずなのに、問題を解いている最中ずっと頭から離れなかった。
こんな奇妙な感覚に囚われてしまっているのも、そのせいかもしれない──。

問題が集められ、次の科目の準備のために伽藍堂となった教室。
先輩は、皆が退室する間に問題をまとめ終えて教室を出て行ってしまった。
そこに聞く間もない。
私は致し方なく、次の科目の参考書を開く。
しかしながら、だからといってあの言葉が消えることはなかった。

しばらくして、先輩が次の時限の問題を持って帰ってきた。
それを見て、私はその先輩を掴むために、わずかな人の合間を抜けて駆けた。
「城崎先輩っ」
「どうしたんだ?」
先輩は不適に笑いながら──いや、単にそう見えただけかもしれない──、振り返る。
「明日の夜、何かあるのですか?」
「そうやって訊くということは、暇なんだな?」
ニヒルに笑って私に尋ねてくる。その笑みにどういった意味があるのだろうか。
「実は、手元にとあるチケットが二枚ある」
聞いて、“とある”という言葉が気になっていることを知ってか知らずか、
「でも、何のチケットなのかは行くときまでのお楽しみだ」
この人は、今が模試の期間中だということを分かっているのだろうか。
ただでさえ目の前の問題に悩まされるというのに、解けもしない問題──先輩が手に入れたチケットが何のものなのか──を突きつけてくる。
「今は、明日、行けるのか行けないのか、それさえ答えてくれればいい。じゃあ俺は次の準備があるから、また後で」
そう言って、先輩は教室へと入っていった。
「……」
行くのか行かないのかということは、私と、ということだろう。
……否、“行けるのか行けないのか”と言っていた。
それはつまり、行きたいのか行きたくないのかという問題ではないということだろうか。
だから行き先を知る必要もない。
私がどうすることを選ぶということではない。
つまり、私に決定権はない、と。
「おい、新岡、もう始まるぞ」
呼ばれて振り向くと、他の皆はもう既に机に着いていた。

結局、私は先輩に行けるとだけ伝えて帰宅した。
もちろん、もう一度何があるのか尋ねてみたが、答えてはくれなかった。
一方、肝心の模試の方は、先輩が何処へ行こうとしているのか、ずっと気になったまま解いていたので、あまり達成感がなかった。
だからといって、手を抜いたという訳ではない。できることはしてきたつもりだ。

翌日。今日の試験監督も先輩だった。
しかし教室へ入ってくるなり、私の机の上に紙を一枚だけ置いて、教卓の方へ行ってしまった。
残された紙を見ると、そこには時間と場所が書かれていた。
集合場所は、学校から最寄りの駅の、一つ隣の駅。
時間は、試験が終わってから少し早めに夕食を食べれば、その駅へ着くだろうと思しき頃。
それ以外は、何も書かれてはいなかった。
顔を上げて先輩の方を見ても、先輩は何ら反応を示すような雰囲気でない。
目の前に、次の試験の問題用紙を並べているだけだった。
やはり、その時が来るまで、明かさないつもりなのだろうか。

その日の模試が終わってしまっても、先輩からはあの紙以外何の接触もなかった。
最後の模試が終わったときも、まとめ上げた解答を持ってそそくさと教室を後にしてしまっている。
致し方なく、私は帰路に着く。
辺りには今日の模試のあの問題がどうだとか、あそこで間違えたのがどうだとか、そんな話があったけども、私にはどうでもよかった。
それよりも寧ろ、このあと先輩と何処へ行くのか、そればかり考えていた。

夕食を軽く済ませた後、私は再び電車に乗って、学校の方角へと向かった。
いつも降りる駅を過ぎて、普段あまり行くことのない学校の向こう側へと行く。
空はうっすらと夕焼けに染まり、僅かに残る白雲が赤く照らされている。
明日は晴れだろうか。
そんなことを思いながら、私は何となく車窓から外を眺めていた。

目的の駅に着き、電車から降りたところで、隣の客車から出てきたのが先輩だった。
「同じ電車に乗っているとは思わなかったな」
「これから何処へ行くのですか?」
ここまで来れば、言ってくれるだろうと思い、聞いてみる。
「今日は何の日だ?」
それでも話題を逸らされるらしい。
「七夕……ですが、それがどうかしたのですか?」
「七夕といえば、織姫と彦星が年に一度だけ出会う日だな?」
何が言いたいのだろうか。
そんなことは、短冊を書いたことのある人なら、みんな知っていることだろう。
先輩の意図が読めずに返答に困っていると、先輩は嬉しそうな顔をして、こう言うのだった。
「これから、プラネタリウムへ星を見に行こうと思っているんだ」

駅の改札を抜けて、駅前にあるバス停でバスを待つ。
駅前やそこから延びる商店街には、笹の葉が置かれていた。
そこには、近くの幼稚園や保育園の子どもたちが書いたのであろう短冊がぶら下げられていた。

今宵は晴れるだろう。きっとあの織姫と彦星も、この空で素敵な出会いを果たせるに違いない。
今夜の先輩と私とプラネタリウムのように。

結局のところ、先輩が何をしたかったのかというと、私に受験勉強で疲れた心を綺麗な星空でも見て癒して欲しかったのだそうだ。
確かに、何があるのか、心のどこかでわくわくしていた面もあったけども……、でも、だからといって何も模試の前に言わなくても、と思う。
ただ、星空はそれに代え難く綺麗だった。
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