Hallucination  幻想

Dream or Hallucination? (夢か幻か)

Main - 1
「俺なんかで、いいのか?」
ハルは私にそう尋ねた。
目の前に迫るその顔に、私の視線が柔らかに差す。
「うん。――だから、お願い。私を抱いて」
「でも俺は、お――」
言い掛けた唇に、人差し指を当てて制す。
それは言わない約束だとでも、言うように。
「だからこそ、お願い」
私はハルの目を見て言う。そこにはわずかな揺れがあった。
「……わかった」
ハルが静かにうなずくと、私は緩やかに背後へと倒されていった。

私はその瞬間を感じて、何も言わずに瞳を閉じる。
少しだけ間があって、私の唇はハルの柔らかなそれに触れて、暖かみを感じていた。
何も言わず何もせず、ただこの時のまま世界が終わるのなら、それはどれだけ幸せだろう。
そう思いながらも、私は腕を伸ばしてハルの首に触れた。
「んっ」
少しだけ迷いながら入ってきたそれに、私は迷わず舌を伸ばす。
それはこの身体の表面積に比べて幾らほどであるのだろうか。
ただ舌先の僅かな場所にすべての感覚を注ぎ込む。
うねるそれに螺旋を描くように沿わし、より多くの場所が触れ合うよう、一心不乱に求めゆく。
瞼は開けない。
ただ感じる視線に見悶えるような感覚だけを覚えていた。
何かしらの音に苛まれ、うつらうつらとして首を正す。
そうして見上げた先には見慣れたハルの顔があった。
「やっと起きたね」
そう言われて、私は辺りの状況を伺う。
教室は閑散として、私とハル以外には誰もいなかった。
「もう六時間目も終わったけど、これから何処か行かない?」
また写し夢、か。
夢でだけ叶っても仕方ないのにと、いくら思ったことだろう。
現し世は何も変わらないのに。
目の前にいる彼女も、この私も。
「沙耶(さや)ちゃん?」
「何でもないよ、うん」
私はそう言って取り繕った。
それでも尚、ハルは私を心配そうに見てくる。
その視線が先ほどの夢と重なり、私は意図せず身体を捩ってしまいそうになる。
私はそれを誤魔化すかのように立ち上がって言った。
「そうだね、何処に行こう?」
願望、欲望が夢となってあらわれる、それが写し夢だった。
それは決して現し世に叶わず、ただ一時の夢として鮮明にあらわれ、記憶に濃く、現実より遙かに現実味を帯び、昨日の夕食よりも昨年の写し夢の方が色濃く映った。
見る最中(さなか)、それを現実だと疑わず、全ては続き繋がり、理想のみをうつし出し、欲望は全て叶い、私の思うままに体現される。
そこから覚め、本当の現実に引きずり降ろされたとき、ようやくそれが夢でしかなかったのだと理解せしめられる。
時々、いずれが写し夢か現し世かと疑うときがあるけども、現し世がそう何もかも叶うようなおもしろくもつまらない世界ではないことは分かっている。
つまり、叶うものこそ夢なのだ。
その後、私とハルは、帰り道にある大きなデパートの中で、クレープ片手にコーヒーを添え、テーブルを囲って談笑した。
それは何ということもない、いつもと同じような日常だった。

噴水が水の上下を繰り返し、辺りには水しぶきのはねる音と小鳥の囁く声だけが響いている。
そんな二人だけの公園で、誰の干渉も受けずベンチに腰掛ける。
お互いに向き合って、絶妙な距離を保つ。
何も言わない、ただ僅かに呼吸の音が聞こえるだけ。
何か行動を起こしたいと思っているのはハルも一緒だろう。
そして私がそう思っていることはハルにも分かっているに違いない。
その上で何の行動にも出ず、ただ見つめ合うだけ。決して逸らさない。
そうすることで、ハルの思うことが手に取るように分かるから。
お互いにそれ以上のことは何も必要とはしていなかった。
目が覚めると、朝だった。
また代わり映えのしない、いつもと同じ日常が始まる。
平和とはいかに退屈なものかと嘆くのは罪なものだろうかと、意図せず思うような平坦な日常がそこにはあった。いつもと同じように朝食を取り、準備をし、学校へと出向く。
そうして着いた先はここもまた、いつもと変わらない場所であった。
私は教室へ入り自分の席に着く。
隣に鞄を置いて、ぼんやりと眺める先には今日もハルがいる。
一人ぽつねんとした私とは対照的に、ハルは数人の輪の中で談笑している。
何も変わることのない、いつもの風景。
私にはあの中へ入っていくような勇気はない。そしてそんな欲もない。
あるのは僅かばかりの嫉妬と憧れと羨ましさだけ。
そんな中でハルの周りにいるうちの一人が、ちらりと私を見た。
私は、私がハルを見ていることに気付かれることを気恥ずかしく思い、目を逸らす。
去ったかと思われる頃、再び恐々とハルの方を見ると、今度はハルが私の方を見ていた。
「……」
微妙な間があって、ハルは私の方へと歩いてきた。
私は次第に近づいてくるハルに耐えられず、思わず声に出す。
「春(はる)ちゃん」
呼ばれたハルは、何も返事をすることもなく私の前の空いた席に腰掛けて、こちらを振り向いて言った。
「沙耶ちゃん……、今日のお昼、時間ある?」
言って、ハルは私から僅かに視線を外す。それは少しだけ泳いでいるようにも見える。
「……うん」
恐る恐る答える。妙な感覚を感じたまま。
「四時間目が終わったら、C棟に来て欲しいの」
そう言うハルの声には、何処か自信のないような感覚があった。
私には、それが何を意味するのかは分からない。
ただ、いつもと何か違うということだけを感じていた。
「うん」
何か大切なことがあるのだろうと思い、私は先ほどとは違った返事を返す。
「それじゃあ、よろしくね」
ハルはそう言って立ち上がり、元の輪の中へと帰っていった。
また先ほどと同じような会話をしているのだろう。
何の変化もない、いつもと同じ光景がそこにはあった。やがて時間が経ち、四時間目が終わる。
食堂へと出ていく人たちで、普段より廊下が賑やかになる。
一方で教室は閑散として、いくつか疎らな人の集まりがあるだけだった。
私はその流動が落ち着いてきた頃、席から立ち上がってC棟へと向かった。
ここは芸術・技術系の教室が並ぶ棟で、普段人通りが少ない。
そんなところへ呼び出して何があるのだというのだろう。
「沙耶ちゃん、こっち」
手前の教室からハルが手招きする。
私は誘われるがまま、ハルがいる音楽室の中へと入っていく。
「ここに、座って」
そう言って、前にある椅子を示す。
ハルは、その後ろにある椅子へ、私に薦めた椅子のほうを向いて座った。
「……うん」
私は、奇妙な雰囲気に飲まれそうになりながら、ハルが示した椅子へと座る。
「それで、どうしたの?」
目前に座り、私から僅かに目を逸らして床を見ているハルに尋ねる。
ハルは、私が言うと僅かに視線を上げて顔を一瞥したあと、再び目を伏せてしまった。
「あのね、こんなこというと変に思われてしまうかもしれないけど……」
「うん」
私がそう言ってから僅かに間をおいて、ハルは伏せた目を起こして私を見据えた。
「……私、沙耶ちゃんのことが好きなの」

これは、写し夢ではないのかと思った。
あの理想を写し出す夢なのではないか、と。
でも、写し夢は現実よりも現実らしいもので、今まで一度もそれが夢ではないのかと疑ったことなどなかった。
これは……、夢なのだろうか。
「本当に?」
疑いの余り、声に出して尋ねていた。
これがあの夢なら、私はそんなことをしなかっただろう。
私が、嘘で告白されることを望むはずなどないのだから。
「う、うん……」
返ってきた答えを心中で確かめて、反芻する。
そして、現実を噛み締める。込み上げてくる想いを開く。
「私もずっと、春ちゃんのことが好きだった」
気がつくと、私はハルに抱きついていた。
夢に見た、ほんのりと温かな身体が、今この腕の中にあった。「やっぱり、私の言ったとおりだったでしょ?」
そんな声が、背後で響いた。
「ごめんね、沙耶ちゃん」
耳元ではそんな声がして、ハルは私の背に右手を回し、頭に左手を添えた。
「えっ……?」
ハルは私の困惑した声を他所に、背後にいる誰かへ声を掛ける。
「そう、みたいだね」
「まさかとは、思ったけど……」
先ほどとは違う色で声がした。
それでも尚、私は状況が読めていなかった。
「そんなこと、見ていれば分かるわよ。さ、お腹も減ったし、お昼を食べに行こう」
「う、うん……」
そうして、背後で二人が部屋から出ていく音がして、静かに扉は閉まった。
「春ちゃん……?」
ハルの腕の中に収まったまま私が尋ねると、背に回された手には僅かに力が加わった。
Side A - 1
「ごめんね。今まで、気付いてあげられなくて」
ハルはそう言ってから、想いの丈を明かしてくれた。
「私もずっと、沙耶ちゃんのことが好きだった……。でも、それは私だけだと思っていた。こんなこと、沙耶ちゃんには言えないし、他の人に相談することなんて増してできなかった。でもそれを、あの子が気付いて、私に沙耶ちゃんの気持ちを気付かせてくれたの。私の気持ちは、ただ私だけが想うものじゃなかったんだよね?沙耶ちゃんも、同じ想いをずっと抱いていたんだよね?もう、この気持ちに迷わなくても、いいんだよね……?」
ハルは一気にそう言って、それからまた私を抱く手に力を込めるのだった。
Side B - 1
「ごめんなさい。まさか本当にそうだとは思わずに、好きだなんて言ってしまって」
ハルはそう言ってから、事の成り行きを明かした。
「さっきの子から、沙耶ちゃんが私のことを好いていると聞いたの。私が彼女の言うことを信じられないと言ったら、それなら告白してみれば、って言われて。私は、本当にそうだとは思ってなかったから、軽い冗談のつもりでそれに応じたの。……その、ごめんなさい、沙耶ちゃんの気持ちを弄ぶようなことをして。でも……、それでも沙耶ちゃんがいいと言ってくれるなら、私はずっと沙耶ちゃんの傍にいれるから……」
ハルはそう独白して、それから私を少しだけ引き離したのだった。
Side A - 2
「うん……」
夢ではない。それは強く抱きしめられた手から感じられた。
写し夢ではなく、現し世だから、ここにいるハルを素直に感じられる。
猛る想いをぶつけるわけではなく、相手がいるからこそほどよい遠慮がある。
今はそれすらも心地よかった。
Side B - 2
「うん……」
夢だろう。いや、夢であって欲しいと思った。
写し夢ではなく、ただの夢だったなら、どれだけよかっただろう。
もしかしたら、こんな想いでもハルに届くかもしれない、と。
今はそんな希望すらもなくなった。
Side A - 3
「あの二人、今頃どうしてるのかな……?」
「さあね。せっかくだから告白勧めてみたけど、まさか本当にするとは思わなかったわよ」
そう言って手にしたアイスティーをいっきに飲み干した。
「……うん」
「でも、女が女を好きになるのも、ありかもしれないわよね」
「そうだね」
それから二人は静かに席を立ってその場を後にした。
Side B - 3
「あの二人、あれからどうしてるのかな……?」
「さあね。たきつけて告白させてみたけど、まさか本当に好きだったとは思わなかったわよ」
そう言って手にした缶コーヒーをいっきに飲み干した。
「うん……」
「でも、女が女を好きになるなんて、ありえないわよね」
「……そうだね」
それから二人は静かに席を立ってその場を後にした。
Main - 2
それから、私はあの写し夢を見ることがなくなった。
夢はありふれた日常か、模擬的な有り得ない世界がぼんやりと浮かぶようなものか、若しくは過去のふとしたことがまるで懐古するかのように浮かぶだけとなった。
つまり、普通の何気ない夢へと戻っていった。
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