Graduation 卒業
At the day of graduation ceremony (卒業式の日に)
俺が最後の登校を終えて教室へ入って来た時には、もう粗方のメンバーは揃っていて、教室はざわざわとしていた。 結局、廊下でも二人に絡まれたままで、一度もあいつと話すことも目が合うことさえもなかった。 そうしてもう既に体育館へ入って、卒業式が始まっている。 来賓や校長先生の祝辞は、その内容をおぼろげながら覚えているものの右から左へと流されていた。 今思えば月並みな内容だった。 式中はただ前の方の席に座るあいつの後ろ姿ばかりをぼんやりと眺めていた。 一葉が呼ばれた時も、反応し一声を返す時も、立ち上がって自らの番を待つ時も、ただその姿ばかりを追いかけていた。 ある時隣の人が突然立ち上がったので驚いたけれども、それをしてようやく自分が卒業証書を貰う番だということに気がついたくらいだった。 次の人の名前が呼ばれ席を立ち、それでいて尚あいつの後ろ姿を追い求める。 既に元の席へと座っていた一葉は周囲と話すこともなくただ式の様子を粛々と見守っているようだった。 また次の人の名前が呼ばれて一つ前へと移動する。 体育館の壇上が近くなり、そこにいる皆の視線を得る。 前には壇へ上がる階段、後ろには毅然とした卒業生や在校生、両脇には来賓や教師の並ぶ中、壇の上では先ほど隣に座っていた人が校長先生を前にして卒業証書を授受されている。 前で受け渡しが終わり、担任の先生が俺の名を呼ぶ。練習とは違う静寂があり、多くの人の視線を集めて階段を一歩ずつ上ってゆく。 緊張と共に、背後にいるだろう一葉がこの状況をどういう心境で見ているのかが気になる。 しかし振り向くことはできない。ただ前にいる校長先生の元へと歩いてゆく。 目前に校長先生を控え、礼をする。 隣の人が壇上を降りて行き、マイクを通さない生の声を聞いたのは幾日ぶりだろうと思いながら先生の門出の言葉を聴く。 持ち直された卒業証書を受け取って横へ退き、また静かに礼をする。 一時(いっとき)の先生との対面を終えて、また再び脳裏に一葉のことが浮かぶ。 階段を降りながら顔を上げ、無数にある頭(こうべ)の中からあいつの姿を捉える。 卒業証書を入れる箱の置いてある机まで歩く間に、寸時だけ目が合う。 あいつは僅かな驚きの後にまるで何も見なかったかのように素知らぬ顔をしていた。 その姿に微かに怒りを覚えるも同時に安堵している自分がいて驚くのだった。 卒業式は何事もなく終え、退場の時間となる。 クラスごとに隊列を組んで体育館を出ていくも、ここを出てしまえばあとはなし崩し的なものだろう。 その時に前を歩くあいつに追いつけばいい。 と、そう思っていたのだけども、再び優や有紀に絡まれた。 まだサッカーについて語り足りないらしい。 今日がこのメンバーで揃うのも最後だというのに、それで満足なのだろうか。 教室へ戻ってきてもまだそんな状態だった。 あいつはまた先ほどと同じ教室の奥で飛鳥と話していた。 サッカー談議にうんざりして奥へ行こうとした時、ちょうど先生が入ってきて席に座れと言う。 仕方がないので席へ戻って話を聞く。 別に先生の話が嫌だというわけではない。最後なのだし、寧ろちゃんと聞いておきたい。 だけども一葉とは何の話もせずにこのまま終わるのだろうか。 先生はまずこの一年間の思い出を語り出し、それが済むと今度は今後のことについて語った。 ここには大学へ行く人もいれば(もっとも公立はまだ合格発表を迎えていない)就職する人もいる。 道は違えどもみんな頑張って欲しいなどと言いながら先生はぽろぽろと涙していた。 そんなことをされるとこっちまで泣けてくる。 しんみりした空気が辺りを包み、一時(ひととき)の感傷が場の空気になる。 そんな中急に優が立ちあがって、 「先生、ちょっと待っていて下さい!」 などと言いながら教室から出ていった。 その突然の行動に先生は涙を流すのも忘れ教室から廊下を覗いて優が駆けて行った方を見遣っていた。 教室も先ほどの空気を忘れてざわざわとしている。 どうやら誰一人としてこれから優がしようとしていることが分かってはいないらしい(若しくは知っていても黙っているだけなのかもしれないが)。 先生は少ししてから元の教卓へと戻ってきて、何も言わず一息吐いていた。 しばらくして、優が教室の前の扉から半身だけ乗り出して姿を見せた。 後ろ手に何かを持っているようだが、残念ながらこの前の席からは何も見えない。 そのまま優は教室の中へと入ってくる。ここからその後ろ手にあるものが何なのか分かるも、きっと先生にはいまだ見えていないに違いない。 「先生、一年間有難うございました!」 そう言って優は背後から大きな花束をばっと取り出す。 勢いに煽られた赤い花々が揺れて元の位置へ戻る頃には、再び先生の目には涙が溢れていたのだった。 すっかり優に持って行かれてしまった後、俺たちは一人一人先生と挨拶と握手を交わした。 先生は終始泣きっ放しだったけれども、その先生と握手をした生徒の方はもうそれほどでもなかった。 きっといつまでもこの雰囲気が続くと思っているのだろう。 しかし先生はそうではないということを既に身をもって知っているのだ。 その後、俺たちは校門付近へと移動するため帰り支度をしていた。 校門の近くでは在校生たちが俺たちの見送りのために待ち構えていて、俺たちは彼らの中を通ってこの学校を後にすることになっている。 その最中、突然の優の行動は二月半ば頃から既に計画されていたとか、有紀もそのことを知っていたとか言う話を二人に聞かされていた。 何故俺がそれを知らされていなかったのか些か疑問にも思ったのだけど、そんなことを訊いて話を伸ばすよりも寧ろ一葉と話したかった。 けれども帰りの支度の途中も、そのあとの校門近くまでの移動中も終(つい)ぞ一葉と話すことはできなかった。 校門の前のピロティを出ると、そこには在校生が溢れんばかりにいた。 俺が出てくるのを見て、幾らか見知った顔が俺の元へ来る。 「先輩、卒業おめでとうございます!」 そう言うのは卓球部の後輩の伊織(いおり)だ。 「ああ、ありがとう」 「卓球部の後は任せて下さい!」 同じく卓球部の後輩の葵(あおい)が言う。 「うん、宜しく頼むぞ」 一方、面倒見のいい一葉には、俺よりも多くの卓球部の後輩が集まっていた。 どうせなら一緒にいればと一葉に声を掛ける。いや、ただそれだけだっただろうか。 「一葉!」 煉瓦地の広場に声が響いたと思った。けれども一葉が振り返ることはない。 声が聞こえているのかどうかさえ分からない。 ただ辺りの喧騒に紛れて聞こえていないだけかもしれない。 そう思ってもう一度声を掛ける。 だけども、それに一葉が応えることはなかった。 それどころかここから離れ足早に帰ろうとさえしていた。 回りに後輩が囲っているせいかその動きは幾らか遅いけれども、一葉は確かにこの場から少しずつ離れていく。 「仁先輩?」 伊織が俺にそう声を掛けるが、それはただ耳に微かに届いているだけで俺に気に留めさえさせなかった。 今この時を逃せばもう二度と一葉に会えないような気がして、それに構っている暇なんてなかった。 俺と一葉との距離はますます離れていく。 前に駆け出そうとしたものの人の多さにそれを阻まれる。 ただここから発する言葉が届くことを願うだけ。そんなことしか、できなかった。 そして、一葉はそのまま車に乗って帰っていった。 それを見届けるのに、数時間と掛かった気がした。実際には十数秒くらいだったのだろう。 けれどもそれはたんと長く感じられた。 結局、卒業式の日は一葉とは何一つ言葉を交わすことができずに終わってしまった。 式の時に一葉と目があったのも気のせいかもしれない。 校門前で名前を呼んだ時、本当は聞こえていたのかもしれない。 そんな考えばかりが過(よぎ)って儘(まま)ならない。 昨日までは一葉も俺と今まで通りに接していたのに、もうそうじゃないんだと酷く不安に駆られる。 その感情には何の根拠もない。 ただなんとなく、なんとなくそういう気分になるというだけ。 それにも関らずこの感情は酷く俺を苛むのだった。 その翌日。卒業式も終え後は公立大学の入試の結果発表を粛々と待つというだけの、嫌味なほど退屈な日。 昨晩濡らして寝た枕に愛惜を感じ、涙のせいで目元に妙な痒みを覚える中、昼過ぎになってようやくもそっと起きた。 遅めの朝食、若しくは昼食を手短に済ませた後、部屋へと戻ってベッドの上でぼうっと呆けていたら、いつの間にか再び寝てしまったらしい。 玄関のチャイムの音で目を覚ますことになった。 ゆっくりと体を起こして覚束ないままベッドから降り些か危なげに階段を下る。 玄関の扉の向こうに影を見て少しだけ気分が戻った気がした。とはいえ疑念が消えたわけではない。 依然としてもやもやが残る。 下段へと降りて玄関を開ける。そこにはやはり一葉がいた。 一瞬だけ喜びが過るも、すんなりと態度を変えた自分に対して苛立ち、むすっとした表情に戻る。 その変化を刻と感じて、やり場のない感情に弄ばれているような気分になる。 一葉は挨拶も早々に済ませて、暇を問う。 「今から少し出掛けられる?」 家には一人。両親は仕事に行っているし、弟はまだ学校に行っている。 誰かが帰って来るまでなら出られなくもない。 「ああ……、少し待っていてくれ」 無表情、無感情を装ってそう言う。 本当は、嬉しいのかもしれない。 だけどもそれを露わにしたくなかった。 相手を偽るためじゃなく、自分を偽るために。 それから戸締りと用意を済ませて家を出る。 一葉はまるで何事もなかったかのように俺に話し掛け、俺も何事もなかったかのように応対していた。 行先は分からぬまま一葉の行くままについてゆく。 尋ねることもできたのだけども、そんなことで会話を途絶えさせるなんてことはしたくなかった。 どのくらいの時間歩いていただろうか、そう長くはなかった気がする。 俺たちは隣町の公園へと来ていた。 「この場所、覚えてる?」 「ああ……」 忘れるはずがない。ここは俺が一葉に告白した場所だ。 「あの時は驚いたけど……」 あいつはそう言ってベンチへと腰を下ろした。 俺もそれに倣ってその隣に座ることにする。 「今はこうしているのも悪くないなって思う」 それからこちらへと少し向き直って、 「一つ区切りがついたけど、これからもよろしく」 と言って、一葉は片手をこちらへと差し出した。 「こちらこそ」 出された手を握り返す。 もう付き合い始めてから結構な時間が経っているというのに、未だにドキドキしていた。 「あと、これ」 そう言って一葉は服のポケットから一つのボタンを取り出して俺の手に乗せた。 「第二ボタン、取っておいたから」 「……どうして、昨日──」 「あんなところじゃ、恥ずかしくて渡せるわけない」 そう言うと一葉はすかさず顔を背けてしまった。 俺は手の上に残されたボタンを見つめ、しばらくしてからそれを痛いくらい強く握りしめた。 |