Courage 勇気
If I had had only courage at that time.(あの時、ただ勇気さえあれば)
ポストに届いていた一通の手紙は、同窓会の案内状だった。 二十歳になる今年、成人を向かえて、あの別れから初めての同窓会。 今でも彼は、あの時のままなのだろうか。 五年前、私たちは高校受験という一つ目の壁に立ち向かっていた。 今思い起こせば、その三年後にある壁の方がはるかに大きいと思えるのだけれども、あの時、それは三年も先の話でしかなかった。 だからただ、私たちは高校受験のことしか頭に、なかった。 ……いや、本当に、高校受験のことだけを、考えていたのだろうか。 高校受験の日が、あと数日と迫る中、学校での授業は大抵が自習と化していた。 クラスの皆は、最後の追い込みをかけんとばかりに、勉強に励んでいた。 ノートから視線を外し、一度(ひとたび)前を見ようものなら、そこには机の上の問題に一途になる頭(こうべ)が伺えていた。 そんな中に、私の光る人がいた。 何時から彼のことが気になっているのかは分からない。 ただ、机の上に載せられた厚みのある参考書から注意が散漫したかと思えば、視線は自ずと彼に注がれていた。 私にとって、彼が机に向かって勉強をする姿は他の誰よりも輝いて見えていた。 立たされた状況は、皆同じはずだった。 それでも、彼はただ私の中で光り続けていた。 だからこそ、私が勉強に疲れて集中力が途切れた時には、ぼんやりと彼のことを後ろの席から眺めて、彼が頑張っている姿を励みに、再び自分が机に向かうよう奮起するのだった。 高校の入試日の朝、目覚まし時計は普段よりも半時間早く鳴り響いた。 その日、試験会場へ行くために向かった駅には、やはり彼がいた。 彼は友達の人中で話しているようで、時としてその笑い声が響いてきていた。 中には目の前の参考書に対して真剣な眼差しを向けている人もいたが、大抵の人は少しくつろいでいた。 これから迎える試験に対して、リラックスの意を持つのだろうか。 若しくは、試験当日という特別な状況に置かれたことによって、少しテンションが上がっているのだろうか。 私自身は、彼がいた集団とは少し離れた場所にいた友達の元へと走り寄って、これから迎えるであろう試験について、いろいろと話していただけなのだけれども。 それから、半日ほどが経って、私は自室で今日を振り返っていた。 試験の残骸ともいうべき問題用紙を眺めながら、その問題を解いたときのことを思い、自分の回答が納得できるものであったかどうかとベッドに寝転がりながら考えていた。 一教科目、国語の見直しが済んだあたりで、ベッドの上においてあった携帯電話が急に音を立てた。 私は持っていた試験問題を傍らにおいて、携帯電話へと手を伸ばした。 画面には、"メール 一件"の文字が躍っている。 携帯電話を軽いタッチで操作して、メールを確認する。 そこには、友達からのメールがあり、今日の試験に対する労いの言葉と、追伸があった。 件名:お疲れ! 今日の試験はどうだった? 私は、それなりにできたと思うけど……。 もしあれでも、今さらとやかく言っても仕方ないよね。 あとは、結果発表の日を待つしかないよっ。 とりあえず、一年間頑張ってきた自分に拍手!! P.S.卒業式まであと十数日しかないよっ。あれはいつするつもり?? 私は、メールの本文よりもP.S.のほうが気になっていた。 余計なお世話だと、思わないわけでもなかったけれど、それは確かに私の前にある現実だった。 あと十数日の間に、彼にあれをしないと……、もう、会う機会もなくなってしまうのだから。 しかし、そうこう思っている間に、月日は刻々と過ぎていった。 一日、二日と、次第に卒業式の日が近づいてくる。 彼は相変わらず男子の輪の中にいて、他の男子と楽しそうに話していた。 私は、未だに女子の輪から離れることができずにいる。 とても、あの輪の中に飛び込むような勇気などなかった。 だから、彼が一人になるときを待った。 朝休み、昼休み、放課後……、確かに彼が一人になるタイミングはあった。 でも……、私は、そうやって一人になった彼にさえ話しかけることができていなかった。 前へ出る、彼の元へ行く、その勇気がなかった。 遠くから一人でいる彼を眺めていると、次第に脈拍は上がる。 彼に前に立ったわけでもない。 彼に話しかけたわけでもない。 未だ、距離はこんなにもある。 それなのに、ただ一歩たりとも、前へ踏み出せない。 まるで、そう、金縛りにでも遭ったかのように、彼が一人でいるのかと思うと動けなくなっていた。 会って、彼の前に立って、面と向かって、言わなければ何も変わらない。 それが、たとえ今日であろうと、明日であろうと、数秒先であろうと、彼からの返事は何も変わることなどないはずだった。 頭では、それが分かっていた。 先延ばしにすることに、何の意味もないことを。 この場から、彼を見つめ続けて、何の働きかけもしないことが、どれだけもったいない時間を過ごしているかということを。 それでも、身体は言うことを聞かずに、前へ踏み出す勇気を与えなかった。 いや、それはただの言い訳なのかもしれない。 私が、そういった行為に踏み切れない、意気地のないことの言い訳だったのかもしれない。 そうして、気づいたときには、卒業式になっていた。 整列して、儀式的に体育館へと入っていく。 所定の席に座って、立ち座りを繰り返す。 壇上に上がった校長先生の形式ばった長い話を聞く。 聞き覚えの在るフレーズで、会長が話し始める。 名前を呼ばれて、席から立ち上がり、壇上へと登っていく。 卒業証書を貰い、それを円筒形の筒に入れて、席へと戻る。 彼が壇上を歩く姿を遠くからぼんやりと眺める。 今日もまた、同じように。 まるで、それが明日も同じように繰り返されるかのように、同じように。 卒業式とは言えど、涙など少しも出なかった。 中には別れを惜しんで、お互いの胸にその顔を押し付けあうような人もいた。 それでも、そういった感覚はなかった。 私の中にはただ、一円の中にいる彼の姿だけが映っていた。 あのメールを送ってきた友達は、私にもう告白したのかと尋ねる。 私は、彼を見つめながら、彼女に対して静かに首を振る。 彼女はそうした私を急かすけれども、動こうというスイッチは入れられなかった。 それどころか、ただ、この胸にある気持ちさえあればと、開き直ったようなことを呟いてしまう。 彼女は、そう言った私を見て尋ねてくるのだった。 それで、後悔はしないのかと。 私は彼女の問いに、ゆっくりと頷き、再び彼をその視線の中へと捉えた。 猶予というものは在ったのかもしれない。 卒業式の数日後には、合格発表の日があった。 その場で、可能ならば彼に会えたのかもしれない。 この日があることが、自分に余裕というものを形成していたのかもしれない。 しかしただ、彼に会えないという事実は、私に後悔という二文字しか残すことはなかった。 それから五年間、私は二人の人と付き合ったけれども、心の隅には彼がいた。 その二人を好きでなかったわけではない。 ただ、二人に彼の姿を探していた感覚もあり、時として会っている最中に彼が過ぎることもあった。 忘れたものだと思っていても、思い出したかのようにやってくる。 今更懐古しても、彼はやってくるわけではない。 それが分かっていても、私には彼が時々甦るのだった。 それが、やっと会うことができる。 この、一枚の葉書きによって。 |